15.一服の清涼剤
「たのもー! たのもー! お~い。留守なの~?」
「はいはい、今開けますよ……」
衝撃の魔王様のカミングアウトから数日、俺に心身の休まる暇はなかった。
事ある毎にリムが用事を言い付けにやってくるのだ。そして、お目付け役と称して俺に張り付いてくる。
一見すると幼い魔王様が俺をお喋り相手として侍らせているかのようだが、実際は他の四天王やメルフィアさんに出会う巧妙なルートを計算していて、魔王リムと幼女リムを使い分ける滝のような落差を見せつけられ、その反応を楽しまれているのだ。
だが、今日はそんな精神的に疲弊する業務からは解放されそうだ。久しぶりに来客が来た。相手はいつ通りに人間の娘、マオだけど。
流石の傍若無人魔王様も、俺が挑戦者と戦っている所に乱入してくる事はないだろう。
久しぶりに心穏やかにマオの相手をしていると、気付けば随分と時間が過ぎていた。
驚いた事に、以前なら既にへたれていたであろうマオが、ここまで食らい付いて来たのだ。
ほんの数日の修行とやらで、随分と強くなったものだ。
小休止を入れてそんな感想を漏らすと、マオは「えへへ、頑張ったもん」と素直に称賛を受け取り、照れ臭そうにはにかんだ笑みを浮かべた。
ああ。なんて純朴な娘なんだろう。
思わず癒されていると――
「っ!? なんだ!?」
「っわ。ビックリした。どうしたの?」
「いや、何か寒気のようなものが……っ!?」
マオと二人きりの筈の広間を見回して、はたと気付いてしまった。
通用口の扉が開いている。
その扉の影から覗いている、小柄な影は――
「あれ? あの扉開いてるの初めて見るよ?」
「あ、ああ。あそこは通用路になっていてな。お客人に見せるようなものじゃないんだが……」
「んー? 誰かいるね? おーいっ」
「うわ! 待て、やめろ!」
「きゃっ」
扉に潜む魔王様へと向けて手を振ろうとしたマオの手を慌てて掴んで降ろさせると、意外に可愛らしい悲鳴を上げてマオがたたらを踏んだ。
「すまん」と謝りながら抱き留めるが、俺の意識は通用口へと向かっている。
「…………」
扉の影に潜む魔王様は無言。そして、そこから覗き見る瞳に宿るのは、無。
怒るでも愉しむでもなく、まるでティアのような虚無の瞳がこちらを見つめている。
一体何を考えているんだ? 分からん。俺にはあの享楽主義者の考える事が全く分からん。
「あの……そろそろ放してもらっても?」
「む? すまん、忘れていた」
蛇に睨まれた蛙の如く、身動きの取れなくなった俺の呪縛を解いたのは、マオだった。
俺の腕の中で顔を真っ赤にしていたマオに気付いて、解放してやる。
一歩離れて自分自身を掻き抱いたマオは、頬を赤らめたまま、拗ねたように唇を突き出している。
「むぅ……」
「どうした?」
「何でもない! それより、あの子は誰?」
「あいつは……その、なんと言うか……」
うーん。どう説明したものだろうか。
俺が悩んでいる間に、扉に潜む潜むリムと目が合ってしまったらしいマオが「おーいっ」と陽気に手招きしてしまう。
一瞬目を丸く見開いた魔王様は、躊躇する事無く銀髪を靡かせてこちらへと駆け寄って来た。
その顔に浮かぶのは純真な少女の好奇心だ。――傍目に見る分には。
目前へとやって来た銀髪の魔族の少女に、腰を屈めたマオは穏やかに微笑みを浮かべて笑いかけた。
「こんにちは。僕はマオ。君は?」
あっけらかんとしたマオの挨拶に、虚を突かれたかのようにキョトンと童女のような表情を浮かべたリムは、すぐにその顔をにやりと歪めて――何か嫌な予感がする。
「はじめまして。わたしはまお「ごほん!」のリム……ちょっと!?」
「あー、すまん。さっきまで暴れてたから埃っぽくてな。なんせ土なもんで」
「え、そんなに? 大丈夫?」
「ゴホンゴホン、ダイジョウブだ」
当たり前のように正体を晒そうとしたリムの言葉を遮って、露骨にゴホンゴホンと咳を繰り返すと、人の良いマオが真に受けて俺の背中を擦るので、何とも申し訳ない気分になる。
その影で、リムのやつがジト目でこちらを睨んでくる。
恐らくは他の四天王同様、猫かぶりの魔王様としいて名乗りたかったのだろうが、誰がお前の思い通りにさせるものか。
というかこんな小娘がこの城の魔王様などと知られては、マオがどう出るか分からない。
もうこの城には来ないやも……あれ。俺は何の心配をしているんだ?
「それで、リムちゃん? このお城に住んでるの?」
「うん。このおしろはわたしのもの――」
「行儀見習いでな! 働いているんだ!」
「へぇ~! こんなに小さいのに偉いね~っ」
感心しきったマオにわしゃわしゃと銀髪を撫でられて、複雑そうな表情でリムが俺を睨む。
だがこればかりは譲る気はない。せめてマオの前だけでも、無垢で無害な魔族の少女でいてもらおう。
「でも、今日はどうしたの? いままでもお城にいたんだよね?」
「……お兄さんがちゃんとはたらいてるか見にきたの」
「そっか~」
一見するとほのぼのとしたやりとりのようだが、俺には分かる。リムは俺の職務の視察に来たのだ。
タラリと背筋を冷たい汗が伝う。
「は、働いていただろ?」
「お兄さんたち休んでた」
「う……」
いかん。これでは談合を疑われてしまう。
慌ててマオへと目配せをすると、任せてと力強く頷いたマオが、リムへと向き直る。
「リムちゃん。大丈夫。お兄さんはちゃんと働いてるよ?」
「ほんとう?」
「うん。だって、何度も僕のお財布からお金を奪って……おかげで僕は連日教会に泊めてもらうしかなくて……最近アンリに頭が上がらなくて……」
「うん。なんか、ほんとごめん」
頭を抱えてガクガクと震え始めたマオに、心底申し訳なさを覚えてしまう。
しかしあの教会の娘。マオに一体何を……空ろな目をして「それだけは許してぇ」とか呟いてるぞ。友達じゃなかったのか。
「ええと、そんなに辛いなら、もうちょっとここに来る回数を減らしても……」
「大丈夫! 稼いできたから!」
「へぇ~。マオお姉ちゃん、すごいね」
「でしょ~!」
上司の目の前ではあるが、現状唯一の客人であるマオに何かあっては俺の仕事がなくなってしまう。そう慮っての言葉だったのだが、マオは自信満々に膨れ上がった財布を差し出した。
それを興味が無さそうにリムが褒める。料金の徴収はあいつが決めたルールなんだと思っていたが……魔王様ともなると金自体に頓着はないのか?
「人間は金の回りがいいんだな……。では、遠慮なく」
「え? ちょっと待って、心の準備が!?」
財布を慌ててしまおうとするマオに、手早く土系統下級魔法をぶち込んで、臨戦態勢へと移行する。
――決して、俺より金持ちなマオに嫉妬したわけではない。
「じゃあ、俺はこいつを村に運んでくる」
「いってらっしゃ~い。……後で話があるから」
程なくして意識を失ったマオをいつものように背負って最後まで見学していた上司に報告すると、マオの意識が本当に無いのを確認したリムが俺の耳元に囁いた。
帰りたくねぇ。




