人はなかなか自分の死を受け入れられないものです
ブヂリ
今までの人生で聞いたことのない音が頭の中で響く。
何の音?と思ったときには体が傾き、目の前にはオフィスの床が広がっていた。
あ、倒れたのか私。
突然の変化に驚いたが、冷静に現状を理解する。
しかし、現状を理解した頃には体は動かず、起き上がることも出来なかった。
仕方ないからオフィスの床に頬をつけながら今後のことを考える。
ひとまず、困った。うん、困ったなー。
午後からはお客様に新規機能の設計案の説明があるし、夕方は製造担当の性能改善資料の確認。後輩ちゃんが作った資料のレビューも残ってるし、受入テストの結果確認も進捗の遅れが目立ち始めてる。
倒れてる場合じゃないよ、これ。
でも体に力が入らん。なんだかまぶたも重いし。どうした私の体?
昨日は3時間寝れたし、ご飯もちゃんと食べたのになんで?なに、この抗えない眠気は?
あー、ダメだ。本格的に眠い。少し寝てしまおう。
午後の説明は先輩に任せて、夕方から頑張ればなんとか明日の始発前には遅れを取り戻せる。
よし、完璧なスケジュール!ってことで寝てしまおう!私の体は誰か仮眠室に運んでくれ!
寝ることを決めたからか意識が深層に沈んでいく。
しかし、私の体が仮眠室に運ばれることはなく、寝る前に計画した完璧なスケジュールが達成されることもなかった。
私の名前は弓弦 美雪。
1990年代のコンピュータ産業の成長期にSE(システムエンジニア)として生き、SEとして死んだ。享年26歳。死因は過労死であった。
「おーい!起きてー、美雪ちゃーん!起ーきーてー!」
頭の中に妙に澄み切った声が響く。
突然の声に、覚醒しつつある頭で周囲を確認する。
アイマスクが付けられているようで、視界は真っ暗だが、どうやらベッドの上で横になっているようだ。誰かが医務室に運んでくれたようだ。感謝。
体は…うん、動く。力が戻ってる。これなら今すぐにでも仕事に戻れそうだ。
「過労死したばかりなのに、もう仕事への復帰を考えてるのー?社畜精神が強すぎでしょ~。」
アイマスクを取ろうと体に力を込めたところで、続けざまにかけられた声に動きを止める。
しゃちく?なんだそれは?
「そっかー、美雪ちゃんの年代ではまだ社畜という言葉はそんなに浸透してないねー。いやー、ごめんごめん!」
いえいえ、お気になさらずー。むしろ医務室に運んでくれたことに感謝してるよー!
おそらく私を医務室に運んでくれたと思われる声の持ち主に感謝を伝えようと思ったが、違和感に気付く。
ん?この声、私の思考と会話してない?
「そうだねー!美雪ちゃんがなかなかベッドから起き上がってくれないからー、思考に会話しちゃってるよー!」
やっぱり頭に響く声は思考と会話してる。え、どういうこと!?
「ボクは神だから、美雪ちゃんの思考を読むことくらい余裕だよー!」
神…?私、いま神と会話してるの?
あー、そうかそうか、夢か。夢なら早く覚めて仕事に戻らなきゃ。
夢の中で寝たら夢から覚めれるかな?ちょうどベッドの上だし、このまま寝てしまおう。
「夢じゃないよー。あと一旦仕事のことは忘れて、そろそろベットから起きてくれない?寝たままでも会話できるけど、変な絵面なんだよね~。」
無視して夢から目覚めようと努力したが、声の主がワーワー騒ぐもんだから仕方なく起きる。アイマスクを外し、近くの机に置かれていたメガネを装備した後、ベッドに腰掛け声の主を探す。実はメガネは度が入ってない伊達メガネだが、日頃からかけているため、つい癖で装備をしてしまう。
さぁ、準備も出来たことだし、自称神を探そう。どこだ、自称神?
「こっちだよー、美雪ちゃん!やっとのご対面だね!ご機嫌いかがかな~?」
背後から声が聞こえてきた。声のする方に振り返る。
そこには、男の子か女の子か分からない中性的な子供が手を振っていた。
小学生高学年くらいかな?ただし、普通の小学生と違って、かなり個性的な髪型と服装をしている。
どう注文したらその髪型になるの?
それに、どこに売ってるの?その変な服。
「髪型は自然とこんな風になるし、服は…、気にしてなかったなー。変かなー?とりあえず売り物ではないよー!」
思わず考えてしまった悪口に自称神は答えてくる。
読心術ってやつかな?表情から感情や思ってることを読み取るやつ。
思考言語と会話されると気持ち悪い…。思わぬ新発見。
「それじゃ思考を読むのは止めることにするよ~。その代わり美雪ちゃん、ちゃんと喋ってねー。聞かれたことには何でも答えるし、混乱してるなら聞きたいことが決まるまでいくらでも待つからさー!」
どうやら自称神は私の言葉を待ってくれるらしい。
ほんとに思考を読まないか頭の中で悪口を追加で考えたが、自称神は表情を変えずニコニコしている。
悪口を聞いたうえでニコニコしているのかなと思ったが、どうやら本当に思考を読むのを止めてくれたらしい。
それでは、この時間でおかしな現状を整理しよう。
私の名前は、弓弦 美雪。26歳。
父と母、妹の4人家族だけど、大学進学と共に一人暮らしを始める。
辛い就活を乗り越え、就職してから4年が経過し、日々の業務に追われながらも自分ひとりで仕事をこなせるようになったことに生きがいを感じている。
そして、仕事の合間に倒れ、このベッドに寝かされた。ってところかな。
うん、自分のことは思い出せる。私がおかしくなったわけじゃない。
次、周囲の状況把握。20畳ほどの広めの部屋、中央に私が寝ているベッド。窓はない。
少し離れたとこにカフェにあるような高めの椅子があり、自称神が座ってる。
以上、周囲の状況把握おしまい。要約すると、広い部屋にベットの上の私と自称神以外は何もない。はい、異常。
それじゃ、この異常な状況を作っているのは、やはり目の前にいる自称神だろうか?でも何故?
誘拐ってやつかな?私の名前を知っているということは、突発的な誘拐でもなさそうだけど…。
でも、なに目的で私を誘拐した?実家お金持ちとかじゃないよ?
自称神と目が合う。ニコニコと笑ってる顔に悪意は感じられない。
私がこんなに考えているのに何を笑っているのか。理不尽な状況に混乱している私に対して、ニコニコしている神に段々イライラしてくる。
考えるのやーめた。聞かれたことには何でも答えてくれるって言ってるし、私を誘拐した目的を本人に聞くことにする。
「お待たせして申し訳ございません。それでは、いくつか質問をさせていただきます。」
すでに思考を読まれているため手遅れかもしれないけど、目的不明な誘拐犯を怒らせないよう、ひとまず精一杯の丁寧な敬語で話してみる。
「やっと喋ってくれた~と思ったら敬語なのー?思考だと砕けた感じなのにー。良いんだよ、いつもどおりの口調でー!」
目的が分からない誘拐犯に砕けた感じで話せるか!というわけで、警戒心マックスの敬語!
「申し訳ございません。想定外のことで混乱しているため、平常心を取り戻そうと普段の業務口調になってしまいました。ご容赦いただけますと幸いです。」
実際、この話し方は落ち着く。
仕事で使うような丁寧な敬語を話すことで、異常なこの状況でも冷静さを取り戻せる気がする。
この口調で話しながら相手の真意を探っていこう。よし、そうしよう。
「ん~、まぁ良いかー。それじゃ質問どうぞー!」
「まず、あなたは私の名前をご存知のようですが、私はあなたの名前を存じ上げません。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「まず、ボクの名前だねー。ボクの名前はノア!よろしくねー!」
どうやら自称神の名前はノアっていうらしい。
普段なら名刺交換だけど、誘拐犯に名刺渡してもね…。ということで心に自称神=ノアをメモする。
「ノア様ですね、よろしくお願いいたします。ご存知かとは思いますが、私の名前は弓弦 美雪と申します。」
「ノア様だなんて堅苦しいのはやめてよー!ノアさんもダメ!ノアって呼んで!ボクと美雪ちゃんの仲でしょ~!」
初対面です。
友達みたいな温度で話してるけど、今のところの関係性は誘拐犯と被害者だよ?
「それでは、ノアと呼ばせていただきます。ノア、次の質問です。私はなぜこの部屋にいるのでしょうか。職場で倒れた私を看病目的でノアが運んでくれたのでしょうか。」
「運んだっちゃ運んだかな~。でも看病目的じゃないかなー。」
看病目的じゃない?やはり、誘拐か!!
「看病目的でないならノアの目的は何でしょう?もしそれが金銭目的の誘拐だった場合、期待に添えないかと思います。大した貯金はないですし、実家もごく一般的な家庭です。」
「金銭目的の誘拐じゃないよー!ボクの目的はねー、美雪ちゃんの魂の救済だよ!」
魂の救済?
あー、宗教かー。一番厄介なやつじゃないですかー。こんな子供まで宗教勧誘に使うなんて…。
もう付き合ってらんない。目的が分からなくて遠慮してたけど、話を切り上げて仕事に戻らなくては!
「魂の救済ですか…。申し訳ございませんが、そういった宗教は間に合っておりますので、そろそろ職場に戻していただけると嬉しいのですが…。」
「宗教じゃないよー!魂の救済っていうとそう聞こえちゃうのかなー。」
宗教じゃないの?じゃあ魂の救済ってなに?
「それでは、魂の救済とはどういう意味でしょう?」
「魂の救済ってのは、疲れ切って磨り減った美雪ちゃんの魂を元のキラキラーっとした常態に戻すイメージだけど…、伝わらないよねー。なんか良い言い方を考えないとだなー。今度、創ちゃんに確認しよー。あ、職場には戻れないよー。美雪ちゃん死んで数日経過したから、日本伝統の葬式の流れに則ってー、体はもう燃えて灰だよー。」
急に長話だなー。
創ちゃんって知らない人が急に登場したなー。誰だろー?
しかし、私死んだかー。体は燃えて灰になったかー。そりゃ灰になったら職場に戻れないよなー。
灰になっても職場に戻ったら、先輩もびっくりしちゃうよ!
あれ?燃えて灰になったよね、出社して大丈夫?
いやいや、先輩。この仕事、炎上なんてよくある話じゃないですかー。はっはっは!
「私の体、燃えて灰になったってどういうことー!?」
現実逃避を終えた私は、丁寧な敬語も忘れてノアを問い詰める。
「比喩的な意味じゃなくてー、葬儀、告別式、火葬。日本人の一般的な葬儀の流れに則ってー、美雪ちゃんの体は燃え尽きて灰になったよー!あ、そういえば敬語じゃなくなったねー!そっちの方が話しやすいよー!その調子ー!その調子ー!」
「敬語とかどうでも良い!!燃えて灰になったって比喩的な意味じゃなくて!?火葬的な意味!?え、本当に私死んじゃったの!?」
「慣用句的な意味じゃないくて本当の話ー。美雪ちゃんは働きすぎの過労死ー。土日返上で月200時間残業とか人には厳しー。美雪ちゃん死んじゃってボク悲しー。だから救うよ、魂ー!」
「なぜ韻を踏んだー!!」
人の死に軽いノリで答えるノアに苛立ちが爆発する。
そんな私の表情にノアは表情を引き締める。
「それじゃあ真面目に話すね。美雪ちゃん、あなたは26歳という若い年齢で死にました。死因は過労死です。働きすぎですね。日々の異常な労働で磨り減ったあなたの魂は生まれ変わっても、すぐにダメになってしまいます。そのため、魂の救済を目的に私がこの転生の間にあなたを呼んだのです。ご理解いただけたでしょうか?」
さっきまでの間延びした口調はどうしたとか、結局のところ魂の救済ってなに?とか、色々言いたいことはあるけど、とりあえずこれだけは理解した。
どうやら私は死んだらしい。