第三章
扉をつなげた先は、5017年のパラディ、魔法学校地下の大講堂。
「……なっ」
ポルタ・ファートゥムから姿を現した僕たちを、驚きの表情を浮かべたたくさんの顔が見つめていた。
「危な………い?」
「……ルシウス!! さあ私にお捕まりなさ─―─」
シャボン玉が弾け、驚いた顔が2つ追加される。
「あなたたちどうやって……それにクロエ・リリーブレッド、ジルナール・アミュレット、なんて格好なのです……」
格好についてはツッコまないであげてくださいマダム……。
プリキュナとハムスターは置いといて。僕はたくさんの大人たちに向き合った。
「ポルタ・ファートゥムが発動する以前より起きていた歪みは、あなたのせいではありません、マダム。始祖の魔法使いたちが繋いできた魔法も、完全ではありませんでした。1000年たった今、再び世界が崩壊しようとしているんです。歪みはその予兆。僕があの時あの場所に飛ばされたのは、運命だったのかもしれません」
マルグリートは……母さんは、自分や父親、他の始祖の一族の命を犠牲に、崩壊を止めた。ただ、僕の幸せな未来を願って。確かにそれは見ようによっては無差別な虐殺だったかもしれない。でもそれによって1000年もの間、平和が保たれた。時空間に時々歪みが現れるのは、母さんが魔法陣に傷をつけたからだって言うけど、そうじゃない。始祖たちが作ったこの世界は、魔法陣は、最初から完璧なんかじゃなかったんだ。
僕の頭に流れ込んできた大量の情報は、僕自身まだ噛み砕けていない。でも、僕には伝えなくちゃならないことがある。
「……魔法は、その後脅威となるであろうコプラサーに対抗するために、始祖たちが後世に託した遺産です。僕たちは今、人知を結集して世界の崩壊を止めなければなりません。今度こそ、誰の命も犠牲とせずに。僕の言ってることは突拍子もないことだと思いますけど、どうか、力を貸してください! 先生!」
僕の言葉をマダムは驚いた顔で聴いていた。突然のことに呼吸も止まっている。彼女は大きく息を吐いて言った。
「そのようなことが……とても信じられません。ルシウス、もう試験は終わっているのです、嘘を言わずとも、貴方を退学にしたりはしないのですよ。」
「嘘ではありません!!」
僕はかぶせるように叫んだ。
「マダム、ルシウスの証言は本当です」
ポルタ・ファートゥムの影から出てきたのは、リンネル教官だった。肩に監視用の黒いドラゴンを乗せている。
「あら、そんなところにいらっしゃったのね。あの女にやられて、どこぞで伸びていると思ったら」
「口を慎め、クロエ・リリーブレッド。お前達の戦闘で街全体が破壊されないように障壁を張るのは骨が折れたのだぞ。それよりもマダム、ルシウスの証言は真実です。私の監視用ドラゴンにことの次第を記録してあります」
「……分かりました。すぐに緊急会議を開き、映像を検証します。ルシウス・ローズブレイド」
「はい」
マダムは僕らに向き直った。
「クロエ・リリーブレッド、ジルナール・アミュレットの3名には自室謹慎を命じます」
予想外の言葉だった。クロエもジルも拍子抜けしている。
「マダム! そんな時間はありません! すぐに動き出さなければ世界が……」
「子供の手に負えるものではありません!!!」
僕らは息を呑んだ。
「わたくしたちには、あなた方を守る責任があるのです」
有無を言わせない瞳だった。
マダムはリンネル教官に目配せすると、ほかの大人達とともに部屋を出ていった。
子供の僕らは、こうやって大人に守られることしか出来ないのか。僕は守られてばかりだ。
◇
「クライドゥング・ヴェクセルン」
ジルナールは部屋に帰るなり呪文を唱えていつものローブ姿に戻った。うん、あのハムスターのまま居られても困る。
僕とジル共用のリビングにどさりと腰を下ろした。驚くほど疲れている。そのままローテーブルに突っ伏した。
「ピー!」
テーブルの上で寝ていた通信用ドラゴンがびっくりして飛び起きる。なんだよ、間抜けな顔して寝やがって。ドラゴンと言うよりカメレオンのようにずんぐりむっくりした姿が僕の神経を逆なでした。
「あー! もー! 僕には何もできないって言うのか!」
大きな音を立ててテーブルに拳を振り下ろすと、ドラゴンは怯えて、よたよたとジルナールの方へ寄って行った。
「レプティリアが怯えてるじゃないですか。暴力はいけませんよ、ルー君」
ジルはドラゴンを抱えて言った。僕の焦りを尻目に、ねープティ?なんて不細工なカメレオンをあやしている。
すると、ジルに甘えていたレプティリアがピーピーと鳴き出した。どうやら通信が入ったようだ。ああ、この鳴き方は……
「ああ! クレセント兄様から通信が入りました!」
やっぱり……。僕はガックリと肩を落とした。
クレセントはジルの兄で、とある事情で魔力の殆どを失ってしまったが、とても優秀な人だ。物腰も柔らかいし、知識も豊富だし、ジルと違ってセンスもいい。ただ……
『ルナああぁぁ!! 一体今までどこで何をしていたのですかぁっ? ポルタ・ファートゥムで移動するなら前もって言っておいてくださいっ! 心配するではないですかぁぁっ!』
そう、超がつくほどブラコンなのだ。
ジルの膝の上から僕の方へパックリと開いたレプティリアの口から、映像が投影される。クレセントはその端整な顔を涙やら鼻水やらいろんな汁で汚して叫んでいた。あの、僕に言われても困るし、近いです…。
『って、おや、貴方はルシウス君ですね!失敬』
汁を拭って、彼は襟を正した。こうして普通にしていれば完璧なんだけどなぁ。
「僕はここですよ、兄様」
レプティリアをテーブルに戻し、ジルがこちらへ来る。ジルも極度のブラコンなので、口元がゆるゆるだ。毎晩のように通信しているというのに何をそんなに心配するのか。
「お兄さん、申し訳ないんですけど、今立て込んでるです。急ぎでないならあとにして……」
『それが急ぎでね』
先程の弟バカを引っ込めて、クレセントは神妙な面持ちになった。
『マルグリートが復活し、世界の歪みがあらわになった今、血統の我々はこの歪みの終息のため立ち上がらなければならない。それは、始祖の血を受け継ぐ一族の使命です』
その為にも現在の状況の整理とルシウスの持つ情報の共有が必要だとクレセントは話した。
確かに、あのシャボン玉の中で津波のように押し寄せた映像は、漫画をパラパラとめくった時のように断片的だった。それに、世界の崩壊を止めると言っても一体何をどうやったら良いのか、検討もつかなかった。
『ところで、クロエさんはいらっしゃならないのですか?』
「兄様、ここは男子寮の僕達の部屋です。クロエは一応女の子ですから入れませんよ」
そう、クロエは«一応»女性だ。
「信じられない! ジルナールの分際でこのあたくしの性別に«一応»を付けるなんて言語道断なのだわ!!」
え?
ギンギン耳に響く声はクロエのものだ。と、トイレの中から聞こえる……。
バァンと音を立てて開かれたドアからは、案の定クロエが現れた。錯覚だろうか、後ろにクロエの愛虎ケルベロスが寝ている。
「何をこそこそとあたくしに隠れて相談しているのかしら?! 飼い犬ごときの力で大事が成し遂げられるとでも?!」
我が物顔で寄ってきたクロエはズドンとテーブルにかかとを落とした。ピィ! とレプティリアが鳴く。淑女なんだから「おじゃまします」くらい言ってくれたのむから。
『いやぁ、自室とトイレの空間を繋げてしまうなんてさすがリリーブレッド家の御息女。愛虎のケルベロスはお元気ですか?』
「ふん、安い挨拶だこと。こんな通信ドラゴンなど使わずに、貴方もこちらへいらした方が話が早いのではなくて?」
『私は今屋敷を離れることができません。アミュレット家は今、時空の至る所に現れたコプラサーからパラディを守るため、一族総動員で守護魔法を構築しています。弱小魔力の私ですら駆り出されているのですから、かなり危機的な状況と言えます』
「一族総動員って…そんなこと今まで一度もなかったのに……」
ジルの顔が青ざめている。
『これまでも歪みの予兆はありました。一年ほど前、アミュレット家が予知できなかった雪崩被害があったでしょう』
「あたくしの屋敷の近くね。よく覚えいるわ」
『アミュレットは雪崩を予知できなかったのです。世界の歪みは、すでに私たちの守護の目を盗み、そこまで来ている』
「僕達…特にリューン兄様やトワーレ姉様は占いの失敗を酷く叱責されて……あんな、霧ががかかったような占い、どんな魔法使いだって見えるわけがないのに……」
「ジル! メソメソしないでちょうだい」
いつの間にかテーブルから足を下ろし、僕の隣に座っていたクロエは、
「あたくしの一族も武装を固めているわ。まるで何かから攻撃されることを恐れるようにね。……このままだと世界が自然災害的なもので危ないってことは分かったのだわ。分からないのは─―─」
僕の胸ぐらを強く掴んだ。
「あなたのことよ、ルシウス」
鋭い眼光で睨みあげられ、僕はたじろいだ。
「あなた、あのマルグリートとどんな関係なの。なぜあの女を庇うの」
「それは…僕にもよくわからない」
本当のことだ。あの時、あの人の腕の中で、僕は確かに彼女を母親だと思った。腕の温もりと、涙と、優しさの中に、確かに愛情があった気がしたから。僕はずっと、この人に守られてきたのだと直感した。
でも、僕はクリムゾンの血統とは程遠い。魔力伝導装置がなければ魔法は使えないし、魔力がずば抜けてある訳でもない。何より僕の父は田舎の鍵職人で、母は魔法すら使えない普通の人、妹に至ってはまだ赤ん坊だ。
「はあ…まるで解決にならないわね」
正直に話すと、クロエは呆れたように手を離して、そのまま降参とでも言うように天を仰いだ。
「仕方が無いだろ、僕も混乱しているんだ。それより、血統の一族がクリムゾンを血眼になって探しているって言うのは?」
「それは血統の一族にのみ伝承されている、およそ1000年前の大量虐殺の事ですよ、ルー君」
「虐殺?クリムゾンが、同胞を襲ったっていうのか?何のために?あの人が、いばらがそんなことをするようには思えない。僕の中に入り込んできた記憶は、もっと、無理矢理そうさせられたような印象だった…」
「理由が分からないから、ずっとクリムゾンを探し続けているんです。攻防戦の中で創成の魔法陣にも傷をつけられちゃいましたから」
「始祖の魔法使いメフィスト・R・クリムゾンの娘マルグリート・R・クリムゾン。彼女自身もしくはその血筋を捉えて罪を償わせること、それが一族の悲願なのだわ。つまり……」
「ルー君、もし君がマルグリートの息子なら、僕らは君を捉えて一族の前に晒さなければならない」
「……っ!」
二人の目は真剣だった。
沈黙が、重くのしかかる。二人とも一族の悲願を叶えたいと思っているんだろう。ただ、こうして沈黙しているのは、二人が僕を、僕という人間を血筋とは関係なく信じてくれているからだと思った。
『三人とも、私の話をきいてください』
口を開いたのはクレセントだった。彼も、信頼を込めた穏やかな目をしている。
『その血統の伝承ですが、代々血統の党首にしか語られない秘密の部分があります』
今でこそ、アミュレット家の次期党首はジルナールに決まっているが、少し前までは長兄であるクレセントがその立場にあった。彼はアミュレットを継ぐ者として、一族の伝承をすでに聞かされていたらしい。
『いいですか、三人とも。今から私がする話をよく聞くのですよ』
クレセントは、静かに語り始めた。
◇
4017年、魔法が生まれる前のこの星は資源が枯渇し、格差も生まれていた。搾取するものとされるものが完全に分離した、むさぼるだけの世界だった。メフィストは、もともとそんな星に住む貧しいただの人間だった。彼は世界の変革を望んでいた。彼だけではない、皆がそう望んでいたのだ。
そこへ突如として現れたのが、三人の魔法使い、ヴァイセ・リリーブレッド、シュヴァルツェ・アミュレット、そして、マルグリート・クリムゾンだ。
彼らは創世の魔法陣を持っていた。それを使えば世界を変えることが出来た。しかし、変化は痛みを伴うものだった。
創世の魔法陣を発動するためには、この世のあらゆる生物一種につき一つの命が必要だったのだ。世界を作り替えるためのリセット。しかし全て殺してしまっては変革そのものに意味がなくなってしまう。それでは創造になってしまうからだ。そのためには、犠牲が必要だった。
そして、人間という種からは、メフィストが選ばれた。
彼は身寄りもなく、貧しかったために、それをすんなりと受け入れたが、神はむごかった。
魔法使いマルグリートは、彼に恋をしてしまったのだ。
彼女は他の二人の魔法使いに魔法陣を作り直して、もっと安全に変革を行う事を提案した。必死に自分を守ろうとする彼女を見て、メフィストもだんだんと恋情を抱いていった。
しかし、そううまくは行かない。ヴァイセを筆頭に、魔法陣は行使されることとなる。
創世の日、途方に暮れるメフィストのもとへやってきたマルグリートは、自分の魔力を全てメフィストへ移し、自分はただの人間となって、そして死ぬことを告げた。もちろんメフィストは反対した。愛しているから。
マルグリートは彼が世界の変改を望んでいることはよくわかっていたのだ。だからこそ、愛しい人とこの世界を守るために、人となり、死を選んだ。
こうしてメフィストはマルグリートの力を引き継ぎ、始祖の一人となった。
彼はその後、自分の経験から、創世の魔法陣は実は不完全なものなのではないかと疑い、独自に改良研究を行った。犠牲の上に成り立つ世界なんて、歪んでいる。
案の定、その歪みは年を追うごとに大きくなっていった。そのうちにコプラサーなんて現象や災害も起きるようになった。しかし研究はうまくいかず、出来上がった魔法陣は消費魔力が著しく使用は危険な状態。
歪みはだんだんと大きくなり、手に負えなくなってきていた。
そこへ現れたのが、メフィストの娘だと名乗るマルグリートだった。メフィストは、自分の娘に愛する人と同じ名をつけていた。
腕の中にいた赤ん坊は、彼女の子供で、すさまじい魔力をもっていた。始祖たちは思った。その子の魔力を全て注げば、改良した魔方陣も発動できる。今度は赤ん坊を犠牲にする、恐ろしい計画だ。
それが彼女の逆鱗に触れ、彼女は自分の父親を殺め、血統の一族を壊滅させた。我を失ったマルグリートは創世の魔法陣さえも破壊しようとする。
ヴァイセの健闘により、魔法陣はかすり傷ですんだが、深手を負い、マルグリートの逃走を許してしまった。
その後、魔法陣に傷がついたからなのかどうかは分からないが、コプラサーの出現率はぐっと下がり、世界は安定した。もしかしたら、世界の歪みはマルグリートそのものだったのかもしれない。
「ちょっとお待ちなさい。その子供というのはルシウスのことでしよう?」
クロエが待ったをかけた。
確かにそうだ。その子供が僕だとしたら、1000年近く前のはなしだ。でも僕はそんな爺さんじゃないし、父親はメフィストではなく、田舎で鍵屋を営んでいるなんと変哲もないオヤジだ。
『そう、それなんです。ルシウス君、君は自分がマルグリートの子供だと自覚しているね?』
「はい」
僕は彼女の優しい腕と涙を思い出して、強く答えた。
『だろうね。実は、君のことは前から調べさせてもらったよ』
クレセントはしれっと言った。調べた?目をつけられてたってことか?眉をひそめてクレセントを見ると、目が合った。
『だって! 私のルナが屋敷を離れて初めての寮生活なんですよぉ?! もし同室の子にいじめられたりしたら私は……わ゛だじわ゛あ゛!!』
ぶしゃぁという効果音がここまで似合う鼻水の出し方は、多分この人しかできない…。
「兄様…! そこまで僕のことを……!」
いや、そこ感動するとこか?
『ずびっ……なので、愛しいルナのために、君がちゃんとした人なのかどうか、こっそり調べさせてもらいました』
いや、気持ち悪いっすお兄さん。
喉まででかかったセリフを飲み込んで、僕は訊ねた。
「それで、僕についてなにか分かったのですか?」
『君のことを調べるうちに、この本と出会いました。見覚えは?』
本の表紙には傷だらけの金のプレートがはめ込まれ、タイトルが掘られている。
「棘の庭?」
タイトルには覚えがあった。幼い頃、父が鍵屋の店番をしながら読み聞かせてくれた絵本だ。
『君のお父上からお借りしてきました。作者は、マルグリート』
「マルグリートが絵本を?そんな話聞いたことがないのだわ。内容は?」
『読んでみますか?』
クレセントは通信用ドラゴンを通してこちらに本を転送した。レプティリアの口が一層大きく開かれ、緑色の炎と共に本が届く。レプティリアが焦がさずにものを転送できるようになったのはつい最近のことだ。躾ておいてよかった……
クロエとジルは神妙な面持ちで絵本を読み始めた。
確かに、あの絵本にはメフィストという登場人物がいた。その人は小さな屋敷に娘と二人で暮らしていて、温室でバラを育てている。でもある日彼は旅に出る。娘をおいて。娘はしばらく帰りを待ったが、最後は自分も旅に出る、という内容だったはずだ。
「兄様、この本にはまじないかかけられていますね」
ジルは表紙を撫でながら確かめるように言った。
『さすが私のルナ、その通りです。この絵本は、ある空間への入口になっていました。そしてこれが、この本の鍵です』
クレセントが取り出したのは、表紙のプレートとついになった、金色の鍵だった。美しいバラの装飾が施されている。
『お父上から話を伺ったところ、この絵本は、鍵屋に代々伝わる品だったそうです。しかし、鍵はずっと開かれなかった。しかし、君のお父上の代ではそれが叶ったのです。
絵本の中の世界は、物語と同じように黄金の稲穂が輝く豊かな土地で、ぽつんと建つ屋敷には、温室があった』
「温室……確か物語の中では、その温室にたくさんのまじないがかけられていたはず…」
『そうです。そこで、お父上は見つけたのだそうです。バラに囲まれた揺りかごで眠る赤ん坊を』
「兄様……それはもしかして」
『そう、君です、ルシウス君』
やっぱり、僕は父さんの実の子ではなかったのか…
妹が生まれた時の父さんの喜びように、なんとなく違和感を感じてはいたけれど。血の繋がった娘というのは特別なんだろう。
『マルグリートは、君を改良された魔法陣の犠牲にならないよう守り、そしてバラの温室に封印した。
お父上は君を連れ帰り、わが子として育てたそうです。彼は、君がマルグリートの子であると知っていましたよ』
「それは……どういうことなの?」
クロエが眉をひそめる。人殺しの子供をわざわざ拾って育てるというのも酔狂な話だ。
『それはまた後で説明します。
私もこの本の中に入って、色々と調査をしました。元はルナの安全の為でしたが、マルグリートの名がでてきたのでは、話が変わってきますからね。
結論から言いますと、屋敷は正真正銘メフィストの物でした。書斎からは古い魔導書がたくさん出てきましたし、彼自身の日記もありました。
ですがその日記が、先程述べた血統の伝承と異なっているのです』
「伝承と異なって? 血統の一族が、歴史を改ざんしたというの?」
『ええ、日記を信じるならばそうです。日記には、創世の日、メフィストがマルグリートを<殺して>その魔力を奪い、魔法使いとなったメフィストが人を捨てることで、創世の魔法陣が発動した、とあります』
「ちょ、ちょっとおまちなさい! マルグリートを殺して、<魔力を奪った>ですって?!」
すごい形相でクロエは遮った。
「相手を殺すことでその魔力を奪えるなんて、そんな事が……」
普段自信満々なクロエがここまで動揺するところを僕もジルナールも見たことがなかった。
「……そんなこと、あの女に知れたら……」
『始祖であるマルグリートは、既に死んでいる。ならば、ルシウスの母親であるマルグリートは一体何者なのか? 日記には、その謎も記されていました。
ルシウス君の母親であるいわば第2のマルグリートは、メフィストが<創造>したのです』
クレセントは、手もとの資料を淡々と読み上げた。
【君が残したこの力で、君に似た命を作った。名は君と同じマルグリート。
禁忌だということは分かっている。でも、私の脳裏には君の泣き顔が焼き付いてしまった。私は、愛する人の泣き顔を背負って生きていくことに、疲れてしまったのだ。
これからは、君に似た娘の笑顔をそばで見ていたいのだ。】
内容からは、メフィストの深い孤独と後悔が読み取れた。始祖マルグリート・クリムゾンを模して創られた僕の母でありメフィストの娘、マルグリート。
「二人のマルグリートのうち、時系列的にはルー君のお母さんが大量虐殺を行ったってことになりますよ……」
『さすが私のルナ、その通りです。彼女は大勢の魔法使いを<殺した>のです』
「……殺して、奪ったってことか」
少しずつ分かってくる。母さんのしたこと。
『そう。血統の魔力を、無差別に殺した(奪った)のです』
「その奪った魔力で……一体何を……」
『これを見てください』
そう言って、クレセントはまた1冊の古書を取り出した。だいぶボロボロだ。破れ、シミも見える。しかし、描かれた魔法陣だけは、一切の汚れなくそこにあった。
息を呑む。
それは、創世の魔法陣だった。陣の外周にはこの世のあらゆる生物を模した記号が並んでおり、中央には太陽。光の筋が八方へ伸びていた。
「創成の魔法陣……。まさか生きているうちに見られるとは思っていませんでした!!」
ジルも興奮しているようだ。
創成の魔法陣は、その写しすら厳重に管理される国の最重要保護遺産だ。学生の僕らは見ることも出来ない。本物がどこにあるのかも、一般には公開されていないのだから。
「……ちがうわ」
聞き取れるか聞き取れないか、分からない声だった。
「創世の魔法陣と書いているけれど、これは今残されている陣とは別のものよ。ほらここ、中央に太陽があるわ。本物には太陽ではなく──」
「ちょ、ちょっと待ってください!クロエ、君は本物の創世の魔法陣を見たことがあるのですか?!」
ジルが慌てて言葉を遮る。
指摘されたクロエはバツが悪そうに口を尖らせた。
「ああ、あたくしとしたことが……本当は誰にも言ってはいけないと、きつく言われているのだけれど……しかたがないのだわ。
………創世の魔法陣は、リリーブレッドの屋敷の地下にある。本物の魔法陣は、百合、バラ、月の模様が三角形に配列されていて、その頂点は百合。太陽はでてこないのだわ」
『なるほど、その模様はそれぞれ、始祖の三人を示しているというわけですね……今のお話で、仮説が確信に変わりました。やはりこの魔法陣は、<改良された>もの。かつてマルグリートの子供、つまりルシウス君を犠牲にしてまでも始祖たちが行使したかった、コプラサーを一掃する鍵なのです』
「創世の魔法陣は最初から不完全……世界にはコプラサーが生じていて、それが今、このパラディにまで尾を引いているってことですよね。つまり、この魔法陣の発動で世界の崩壊を救える……」
僕はその可能性に身震いした。
「しかし兄様、その魔法陣の発動には膨大な魔力が……」
「だから殺したのだわ」
クロエが凍るような声で言った。
「メフィストがかつて、愛した人を手にかけ魔力を奪ったように、娘マルグリートも自分の父親と血統を殺して魔力を奪ったのよ。そうすれば、膨大な力が手に入る。
おそらくあたくし達血統が、マルグリートもしくはその血縁者を血眼になって探していたのは、改良された魔法陣を発動させるためだったのだわ……」
『そうです。おそらくメフィストは自ら娘に自分を殺すように助言したのでしょう。そうしなければ、ルシウス君、君が死んでいた』
なんて、悲しいやさしさなのか。
僕は守られてばかりだ、とつくづく思った。母親に人殺しをさせてまで守られた僕に、それだけの価値があるんだろうか。今までのんべんだらりと生きてきて、つい数時間前までは弁当の中身とか、進路のこととか、そういう事しか考えてなかったのに。
きっと僕は今までたくさん優しさをもらってきた。その分、きっと僕にも力がある。
「…その魔法陣を使おう……」
これは一つ、大きな覚悟だ。
「ちょ、何を言っているの?!始祖の力をもってしても発動できない危険な魔法陣なのよ?!虐殺でも始める気?!」
がしっと肩を掴み、にらんでくるクロエ。うん、君の優しさは少し暴力的だけど、嫌いじゃないな。
「大丈夫さ。僕はマルグリートの息子だよ?」
「……そうか、ルー君にはすごい魔力があるはずです」
僕はゆっくりとうなづいた。
そう、成績も中の上くらいで大したことない僕だけど、とんでもない力を秘めているはずなんだ。
『君のお父上から預かっているものがあります』
クレセントは、こうなることが分かっていたみたいに微笑んで言った。彼にはもう占いの能力はないはずなのに、こういうとき、未来を全て見通しているみたいな目をする。
彼が通信ドラゴンを通して転送したのは、一枚の手紙と、ガラスケースに収められた一輪のバラだった。
『それは、お父上が君を温室で見つけた時に、ゆりかごの中に入っていたそうです』
手紙は既に開けられていた。父さんが開けたんだろうか。封筒には、「愛するあなたへ マルグリート」と記されている。
【この手紙を読んでいるということは、あの鍵が、ここへ導いたのね。あなたに、あの絵本と鍵を預けてよかったわ。代々、守っていてくれたのね。
私は罪を犯します。あなたと、私たちのルシウスを愛しているから、どうしても守りたい。
私の母……私の元になった始祖の魔法使いマルグリート・クリムゾンがそうしたように、私も愛する人を守るために血を流すわ。ごめんなさい。罪人になる私を許して。
どうか、ルシウスが幸せに生きられる時代が来たら、そっと連れ出して。この子の魔力はその身体から切り離してあります。このバラが、この子を守るはずです。
いつでも、誰よりも、あなたとこの子の幸せを願っています。もうひと目、会いたかった。】
繊細な文字に指を這わせ、手紙を読み終える。知らぬ間に涙が流れていた。
「ルー君……」
ジルが心配そうに肩を抱く。
そしてそっと、ガラスケースの中からバラを取り出した。ケースから解かれるとバラは赤く輝きを零して、僕の手のひらの上に浮かんだ。手のひらからぴょこんと飛び出しているみたいだ。
「……いばら……」
僕の魔法をマジックだと思ってとても喜んでいたあの子を思い出した。
いばらはいつも、僕にバラと優しさをくれた。
これが、血統としての僕の魔力……。
そっとバラに触れると、じんわりと暖かかった。するとバラは燃えるように輝き、すらりとした長剣へ姿を変えた。
「……すごいよ、ルー君」
「ローズブレイド……なるほど、そういうことね」
今の僕にはまだずっしりと重いその剣は刀身が赤く、柄には鍵と同じ金のバラが装飾されていた。触れたところからじんじんと魔力が伝わってくる。
「ジル、クロエ、どうやら僕は本当にマルグリートの血を引いてるみたいだ。どうする? 一族の前にひきずりだすかい?」
二人に向き直り、真っ直ぐに問いかける。
こんなどこにでもいる男子が、まさかクリムゾンの血統だった、なんて誰が信じるだろう。
でもマルグリートが僕の母親だったことは、なんだかしっくりきている。マルグリート、いばらと出会った時、胸が暖かくなった。もしかしたら退学になるかもしれない状況だったのに…。今思えば、無意識にあの子を母親だと認識していたんだ。少しでも長く一緒にいたかった。
だから僕はきっと、マルグリートのやり残したことをやらなきゃいけない。今までだらりと過ごしてきた学校生活とは違う、誰にも想像出来ないことをやり抜く使命にも似た気持ちを感じていた。
「ルー君、そういうのを愚問って言うんだよ」
ジルナールは呆れたように口角を下げて言った。
「ツンデレのクロエが男子寮に潜り込んでまでこうやって話しているんですよ? とっくに君のことを友人として──グフッ!」
肝心なところで、ジルはストレートパンチをくらった。
「あら、ごめんあそばせ。虫がとまっていたのだわ」
「クロエ……」
「ふん!……飼い犬の躾は主人の仕事なのだわ。甘やかしたつもりはなくってよ」
つん、と胸を張ってクロエは言う。
「ルシウス、お手」
差し出された手は、お手というより……
「お手なさい。あなたは血統である前に、あたくしの犬なのだわ」
こういう時、クロエは真っ直ぐに人の目を見る。彼女の優しさは難解だけど、その分透明なことを僕達は知っている。
僕は差し出された手をぎゅっと握った。
「じゃあ僕も」
と言って、むくりと起き上がったジルもお手をした。
僕らは、強く手を握り合った。
「僕らで、創世の魔法陣を書き換えよう」
◇
すらりとのびた白い足にハイヒール。赤く濡れた爪。よく知る生徒に似たプラチナの巻き毛と、肉食獣のようなつり目。
マダム・メリアベルは、見るからに高飛車なその女と会話することに正直うんざりしていた。
「わざわざこぉんな山奥の我が城までいらっしゃるなんて、魔法学校の先生というのも案外ひまなんですのねぇ」
優雅な手つきで紅茶に角砂糖を溶かし、女は微笑んだ。
ここはパラディ北部の山奥にそびえるリリーブレッド家の城、リリー・ドゥ・シャトー。豪奢な客間は大きな暖炉によって暖められていた。
「緊急事態ですから、仕方がありませんわ。分かっておいででしょう?」
マダム・メリアベルは紅茶には手をつけずに答えた。何が面白いのか、女はくすくすと笑っている。ゾッとするほど無邪気だ。
「マ、マダム…リリーブレッドの党首とは、まさか……」
「あらぁ、そちらの方とは初めましてですわね。わたくし、クロエの母で現リリーブレッド家党首、シルヴィアと申します。
つい先日まで、音楽活動もしておりましたのよ。良い暇つぶしでしたのに、このような事態になってしまいましたから、急遽引退しましたの」
前上がりの真紅のドレスから覗く透き通った足を組み直して、シルヴィアは妖艶な視線を向けた。
「あ、あの歌姫が、クロエ…さんのお母上だったとは、存じ上げませんでした……っ!わたしは、魔法学校の教官でリンネルと申します」
「いいのよ、クロエはわたくしのことを嫌っておりますもの。話さないのも無理はありませんわ」
「奥様」
マダムが雑談を遮る。
「わたくしたちが今日、こちらへ参上したわけはお分かりでしょう?」
鼻の下を伸ばしているリンネルは、マダムの声にキリリと背筋を伸ばした。
「お嬢さんがマルグリートと接触しました。彼女が現れたことでコプラサーが多数発生しています。このまま、歪みの根源であるマルグリートを放置するのは危険です。血統の協力を」
「あらぁ、コプラサーを生み出している歪みの根源がマルグリートだなんて……おばかさんなのね」
ぐっとメリアベルの眉間にシワがよる。
「……アミュレット家には早々に協力して頂いています。対コプラサー戦闘に秀でたあなた方にも、ぜひ出動をお願いしたいのです」
この通りです、とマダムは頭を下げた。
「くすっ……い・や・よ♡」
「何故ですか! この城には第2のポルタ・ファートゥムがあるのです。コプラサーの……ひいてはマルグリート自身の侵入が一番考えられる地域なのですよ?!このままでは先の雪崩のような災害も起きて─―─」
シルヴィアは怒鳴り声に動じることなく、マダムを眼光で黙らせた。大きなつり目が一層見開かれる。
途端に部屋を暖めていた暖炉の炎が凍りつき、温度が奪われる。明かりを失った室内にシルヴィアの白い姿だけがぼうっと立っていた。
「お黙りなさい。マルグリートが我が城に現れるであろうことは分かっています。ですがそれはむしろ好都合。1000年前の不始末をつける時なのです。部外者は引っ込んでいなさい」
「しかし! 私がこの目で見たマルグリートは強力な魔力を持っている! ここは協力しあった方が被害は最小限に─―─」
「しつこい!」
ギンっと射抜いたシルヴィアの眼光で、リンネルは吹き飛ばされた。同時に客間の扉が開き、外へ投げ出されてしまう。
「……わかりました。もし、わたくしどもの力が必要な時は仰ってください」
マダム・メリアベルとリンネルは、追い返されたリリー・ドゥ・シャトーの門前で長いため息をついた。
「リンネル教官、あの程度の威嚇で吹き飛ばされるとは何事ですか」
「お恥ずかしい……。あの歌姫が目の前にいると思うと…そのぉ…油断していました」
「鼻の下を伸ばしているからですよ、まったく。魔法学校の教官ともあろうものが、情けない。これではクロエやジルナールの方がよほど頼もしいですわ」
さてこれからどうしたものかと思案していると、マダムは雪の上に出来た不自然な足跡に気づいた。
二人? いや、三人分の足跡が誰も歩いていないのにくっきりと刻まれていく。まるで透明人間が歩いているようだ。これは……
「そこの三人、頭隠して尻隠さずとはこの事ですよ」
足跡の方へ声をかけると、ぴたっとその歩みは止まった。そのままじわじわと足元から透明人間が姿を現す。
「バレちゃいましたね、あしからず」
「だからこんな泥棒みたいな事せずに堂々と突入しようと言ったのだわ!」
「まあそう怒るなよクロエ」
姿を見せた途端騒ぎ出すのは、案の定問題児三人。マダムは頭を抱えた。
「あなた方……自室謹慎を命じたでしょうに……」
「こんなところで何をしているんだ!」
「うるさいわね! 仕方が無いのだわ! 今シャトーは守りが固くてあたくしの部屋に行こうにも外から魔法で侵入することは不可能! 表から入るしかないと言ったら、ジルったらこんなコソコソした方法を──―」
「君の家の使用人はみんな戦闘能力が高いのですから、戦って余計に消耗するより忍び込んだ方がいいに決まっていますよ!」
クロエは透明人間がよほど気に入らなかったのか、顔を真っ赤にして喚いている。しかしジルナールが食い下がっているのは珍しいことだった。
「ああ、あなたたち今度は一体何をしようというのですか。怒りませんから言ってごらんなさい」
マダムは先程のシルヴィアとのやりとりで随分精神的に疲労した様子だった。スパルタのメリアベルも、今回ばかりは影を潜めている。
「マダム、僕らはこれから、世界の崩壊を止めるため、創世の魔法陣を書き換えに行きます」
ルシウスは腰にさした立派な剣に触れながら答えた。そしてことの次第を説明する。
あ1000年前、創世の時代に何があったのか、マルグリートとは何者なのか。
リリー・ドゥ・シャトーの地下に保存されている創世の魔法陣を、メフィストがかつて改良した魔法陣へと書き換える。そのために、ルシウスの魔力を発動させるのだと。
「な、何を言っているのですか、そんな前代未聞のこと、子供だけに任せられるわけがないでしょう?!」
「どちらにしても、僕にしかできないことです」
ルシウスは覚悟を決めていた。彼の真っ直ぐな瞳を見ていると、不無謀なこともでも実現できるような錯覚に陥る。しかしそれを、人は希望というのだろう。
マダムは観念したようにこめかみを抑えると、長く息を吐いて
「仕方がありませんね……よりにも寄ってこの城の地下に魔法陣があったなんて……援護しようにも血統の屋敷の中とあっては……」
「マダム、アミュレット家は全力でコプラサーの侵入を防いでいます。どうぞそちらに加勢を」
唯一の安牌ジルナールもすっかりやる気になってしまっている。もうマダムは諦めるしかなかった。
「……わかりました。あなた方に託しましょう、パラディの未来を……その前に、こちらへいらっしゃい」
三人を呼び寄せ、少し屈んで視線を合わせるマダム。懐から彼女の魔力電動装置である扇子が取り出される。
「わたくしにはこれくらいしかできませんが……くれぐれも、気を付けてゆくのですよ」
そう言って、彼女は子供たちにまじないをかけた。
「ザンフトゥ・ゼァ・フロイントリッヒ」
◇
透明人間作戦はクロエが断固拒否したので、僕らは堂々と城へ足を踏み入れた。さっきから使用人たちがいちいち頭を下げて声をかけているが、彼女はガン無視だ。
なんだか、いつもよりピリピリしている。
創世の魔法陣がある地下空間へは、あっさりと行くことが出来た。そこは、棘の庭と同じように空間が分離していた。
扉を開けると、湖のように床一面が水に覆われていた。水面はずっと遠くまで続き、夜空との境目が溶けている。扉からは飛び石の道が二つ伸び、ひとつは第2のポルタ・ファートゥムへ、もうひとつは途中で階段となり、空中に輝く創世の魔法陣へと繋がっていた。
地下だというのに、天井は見えない。まるで宇宙空間のように星が瞬き、大小の惑星がゆっくりと動いていた。
階段の先に白く光る魔法陣は、クロエの言った通り、百合、バラ、月の模様が三角形に配置されている。頂点はリリーブレッドの紋章、百合だ。
僕は件を持つ手に力を込めて、飛び石へと足を踏み出した。
「クロエ、あなたがお友達を連れてくるなんて、珍しいこともあったものねぇ」
突然降ってきた声に、身を固くする。
声の主は、魔法陣とポルタ・ファートゥムの間、空中にすらりと浮いていた。
あ、あれは……
「い、一時代を築いた創世の歌姫…シルヴィー・リリアン!!!」
ジルがあんぐりと口を開けている。そう言えば、そんな歌手が最近引退発表をしたばかりだ。ジルは彼女の相当なファンだったっけ。
「あらぁ、アミュレット家次期当主があたくしの副業を覚えていてくださるなんて、光栄だわぁ」
ねっとりと絡みつくような喋り方は、僕の心を不快にさせた。
「…どうりでこんなにあっさりとここまで辿り着けるわけなのだわ。おまちかね、というわけね」
僕より何倍も不快感をあらわにした声で、クロエは言った。
「あらぁ、愛する娘の帰省を待ちわびたわよぉ」
「母親?! シルヴィーちゃんが君の?! ってことは、リリーブレッドの党首?!」
「あんな女、母親だと思ったことはないし、党首だと認めた覚えもないのだわ!!」
被せるようにクロエは言い捨てる。それをわざとらしく嘆きながら、かつての歌姫は水面近くまで降りてきた。彼女の魔力に水がざわつく。
「なるほどねぇ、その剣、その魔力、確かにマルグリートのもの。その力で創世の魔法陣を書き換えるってわけね。」
「……そうです。僕の力があれば、メフィストが改良した魔法陣を発動させることができます」
僕は彼女に協力を願った。しかし……
「そうはさせないわ。この魔方陣は我がリリーブレット家の権力の象徴。この魔方陣を書き換えるということは、長い間この世界を守り、導いてきたわたくしたち血統の支配力を奪うことなのよ。そんなことは、あってはならないわ!この世界に君臨するのは我がリリーブレット家でなくては」
創世の魔法陣の頂点、百合の紋章。そういうことか…。
これまでなぜ血統だけが特別な魔力を持ち、人々と一線を画してきたのか……その理由は創世の魔法陣だったというわけか。
「世界を導いてきたですって? あんたはリリーブレッドといつブランドの上で胡座をかいて自己顕示欲を満たすだけの、はしたない女なのだわ!」
「ああクロエ、だからあなたはいつまでたっても半人前なのよぉ?
それにしても、魔力が剣になって体と分離していてよかったわぁ。命を落とさずに済むものねぇ」
ねばつく視線が這う。
「命を?」
「そうよぉ。1000年前も同じようにマルグリートがここへ攻めてきたわ。血統を殺し、<魔力を奪って>ね。でもね、そんなことされちゃ困るのよ。我が祖先ヴァイセも同じように考えたわ。そして思ったの、自分も同じようにこの女を殺せば、その力が手に入るって」
シルヴィアの歪んだ唇に、全員がゾッとした。この女は、魔法使いなんかじゃない。
「1000年前はマルグリートに逃げられたけど、今回は逃がさない。その魔力を奪って、このシルヴィア・リリーブレッドこそが、パラディの頂点になるのよ!」
───魔女だ。
クロエが飛び出した。両手を合わせ銃の形を作る。そして自身の体が後ろへ回転するほどの威力で弾丸が放たれた。しかしシルヴィアは片手で防いてましまう。
一回転したクロエはそのままポルタ・ファートゥムへ続く飛び石の上に着地した。
「ふん、たしかにあたくしが甘かった……so sweetだったのかもしれないのだわ……。<人を殺して魔力を奪える>なんてYouに知れたらルシウスを殺しに来るだろうと思っていたけど……historyのはじめから全て知った上でマルグリートを探していたってわけね」
しまった、クロエはルー語が戦闘時の癖になっている……
「ご・め・い・さ・つ♡
おそらくこの世で最強の魔力をもつクリムゾンの血統を葬れば、その魔力が得られるだけではなく、2度と、この創世の魔法陣は書き換えられない! 一石二鳥だわぁ♡」
「sit!!」
もう一度クロエの攻撃。しかし今度はテニスでもするように弾丸が手ではじかれ、僕らの方へ飛んできた。
「さがって!」
バシュッと、ジルが障壁をはる。弾丸は煙となって消えた。
どうしたらいいんだ、改良された魔法陣が発動できるなら、血統の一族はみんな協力してくれると思っていた。だってこのパラディを創って、僕達の世界を守ってくれた始祖の一族なんだ。一度は僕を見殺しにしようとした人達だけど、それはこの世界を守りたかったからだ思っていたのに!
その実、自分の作った世界を自分だけのものにしたかっただなんて!
魔女が目の前に立ちはだかっている。これでは創世の魔法陣に近づく事すらできない。蛇ににらまれた蛙とはこのことだ。
珍しく汗をかいているジルは、僕に耳打ちした。
「ルー君、ここはイチかバチかです」
「え?」
「ポルタ・ファートゥムを開いてコプラサーを引きずり出します」
僕らが話をしている間も、クロエは攻撃を続けている。ジルも彼女を援護しているようだ。こいつら本当にすごいな……。僕なんて、手に入れたばかりの魔力に戸惑うばかりだ。
「コプラサーがこの部屋を満たせば、もう親子喧嘩どころじゃないはずです。そのすきを狙って、魔法陣の書き換えを」
途中でまた流れ弾が飛んできた。今度はジルに抱えられ、ひょいっと助けられる。もう恥ずかしいんですけどおおお!
僕を抱えたままジルは攻撃をかわしながらぴょんぴょんと飛び石を渡り、ポルタ・ファートゥムの前まで来た。
「ジル! 扉を開けたら大量のコプラサーが流れ込んでくるんだぞ?! 僕らの手にはおえないよ!」
「手に負えないのはあの魔女の方ですよ!」
指さす先ではクロエが戦っていた。肉弾戦になっている。いや、握った拳に魔力が集中しているから、単なる殴り合いじゃない。
シルヴィアは器用に攻撃をかわし、スキをついて回し蹴りをかました。クロエが吹き飛ぶ。
「「クロエ!!」」
ぼふんっ
とっさに発動したジルの守備魔法により、クロエはもふもふとした何かに埋れた。これは…あのハムスターだ……。しかし、本物に比べ凶悪な顔をしている。……本当はもっと愛らしかったような…。
「この…クソビッチ女……許さないのだわ」
クロエはもふもふに埋もれながら、もっと凶悪な顔で言った。わなわなと魔力が高まっている。
「よし、クロエがブチ切れている間にポルタ・ファートゥムを開きますよ! アぺリ・ポルタ・ファートゥム!!」
僕の背後で、開かれた扉から大量のコプラサーが漏れだした。
轟音とともに黒い影が伸びてくる。影は夜空をより黒々と染め、かつ実態をもって僕たちの手足に絡みついてきた。こんなにも不気味なコプラサーは初めてだ。
「ジル! なんてことしたんだ!」
そう言っている間にも扉の名からは、影と混ざって次から次へと恐ろしいものが飛び出す。青い炎や蛇、巨大なドラゴンの足、目玉まで見える。あっという間に炎と影が空間を覆いつくした。
クロエとシルヴィアはまだ戦っている。しかしコプラサーに干渉され、ほとんど身動きが取れない状態だった。
「ルー君! 今がチャンスです! 早く魔法陣を!」
ジルが大きな目玉相手に苦手な攻撃魔法で応戦している。しかし僕の足にはねっとりとした影が絡みついたままだ。どうしよう、このままでは!
思えば僕は守られてばかりだ。父さんにも、マダム・メリアベル先生にも、ジルにも、女の子のクロエにすら……。僕だけが、何も知らずのうのうと生きてきたんだ。やさしさに気づかずに。ずっと、僕は生かされてきたというのに、こんなところで、こんなコプラサーなんかに縛られて、また守られようとしている。
体に力をこめ、必死に絡まる影から逃れようとするが、それらはびくともしなかった。
でもここであきらめるわけにはいかない。今度は僕が守るんだ。この優しい世界を、僕が守るんだ!!!
「うおぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
影はちぎれた。背後の扉から、紅い光が差す。
光の中から現れたのは、マルグリートだった。振り向くとそこにいる。
「かあさ…」
「現れたわね!!今度こそ殺すわ!」
息つく間もなく繰り出されるシルヴィアの攻撃。指先から放たれた弾丸が蛇のように変化し襲い掛かる。
マルグリートは僕の脇腹を抱え上げ、高く飛び上がった。蛇が彼女の太ももを抉る。
「………っ!!」
「母さん!!」
僕らはそのまま創世の魔法陣の目の前で着地した。マルグリートは血の流れる足をおさえ、うずくまる。
「か、母さん! 血が……っ!」
「うろたえるのではありません!」
彼女の目が「早く」と訴えていた。僕は慌てて、懐からメフィストの改良された魔法陣を取り出す。これを剣と共に突き刺せば、僕の魔力によって魔法陣の書き換えは完了するはずだ。
マルグリートは素早く、自らの血で剣の刀身にまじないを刻んだ。剣は紅く光を帯びる。すると彼女の体はみるみる小さくなって、いばらが現れた。
「おにいいちゃん、いばらの魔力とおなじないだよ。さあ!がんばって!」
天使のように笑ういばら。僕の言葉を待たず、彼女はくるりと向きを変えるとその小さな体のままシルヴィアへ向かっていった。
「いばら! よせ!」
「ルー君!!」
引き留める僕をジルがいさめた。
そうか、ジルにはわかるんだ。大切な人が自分のために魔力を犠牲にする気持ちが。
僕はきゅっと唇を結んで、剣を振り上げた。
こんな、犠牲の上に成り立つ世界なんて嫌だ!
「うおぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!!」
創世の魔法陣に剣と、メフィストの魂が突き刺さる。
紅い紅い閃光が走り、世界がひび割れていく。
ああ、生まれ変わるんだ。ひな鳥のように、自ら殻を割って………




