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セイくんとチヨさんの一筆箋

作者: 若松ユウ

トレード・オフ:片方を追求すると、もう片方を犠牲にしないといけない関係のこと。例えば、駅の数を増やせば利用しやすくなるが、移動にかかる時間も長くなる。失業者が少なくなれば景気が上向くが、物の値段も上がる

あちらを立てればこちらが立たず、両方立てれば身が立たぬ。


  *


セイくんへ


今日も厨房は、大忙し。

暖かかったので、バターがベタベタになっていました。

おかげで、わたしのエプロンは油染みだらけです。


チヨ


  *


チヨさんへ


もう、バターが溶けてしまうような季節なんですね。

自然が残る街と違い、ここには人工物しかありません。

草花や土の匂いが恋しいです。


セイ


  *


セイくんへ


研究所から外へ出られないのは不便ですね。

お庭では、×××××がキレイな花を咲かせています。

街に戻ってくる日を楽しみに待ってますね。


チヨ


  *


チヨさんへ


どうやら、花の名前が検閲に引っ掛かったようです。

でも、あの庭に咲く花は全て覚えていますから、ご安心を。

今年も、砂糖漬けにするのでしょうか?


セイ


  *


セイくんへ


もちろんですよ。あと、×××××のジャムも作ってます。

摘んだあとに指をみたら、真っ赤になっていました。

いっぱい出来たので、セイくんのお母さんにもお裾分けしました。


チヨ


  *


チヨさんへ


ジャムをありがとう。

ただ、検疫に引っ掛かって送り返されたのが残念です。

思わず、己の数学的才能を捨ててしまいたくなりました。


セイ


  *


セイくんへ


他人の恨みを買うようなことを言っちゃ駄目ですよ。

今度、同じようなことを言ってごらんなさい。

街に帰って来たときに麺棒で叩き出しますからね。


チヨ


  *


チヨさんへ


育ててくれた街の人たちに失礼な発言でしたね。

撤回して、研究に勤しむことを約束します。

麺棒で伸すのは生地だけにしてください。


セイ


  *


セイくんへ


塩漬け肉や野菜が品薄になってきました。

売り場のバスケットは、茶色いパンばかりです。

お庭で採れる×××××だけが、彩りを添えています。


チヨ


  *


チヨさんへ


あの樹は、今年も実を結んだのですね。

こちらからも、お知らせを。

近いうちに一度、街に戻れることになりました。


セイ


  *


セイくんへ


喜びすぎて、テーブルの脚に膝をぶつけてしまいました。

×××××をコンポートにして待ってますね。

帰ってくるのが待ち遠しいです。


チヨ


  *


チヨさんへ


翡翠月の十日に立ち寄ることになりました。

僕も再会が楽しみです。

膝、大丈夫?


セイ


  *


セイくんへ


お砂糖だけだったのに、バターまで配給になってしまいました。

卵も、赤みが減ったように感じます。

早く、好きなものを好きなだけ買えるようにならないものかしら。


チヨ


  *


「セイくん、お帰りなさい!」

「おっと。急に飛び付かないでよ。――ただいま、チヨさん」

「セイくん、おなか空いてる? 今日はセイくんのために、たくさんパンを焼いて待ってたの」

「本当? 嬉しいな」

「店のほうが賑やかだと思ったら」

「久し振りね」

「ご無沙汰してます。おじさん、おばさん」

「ゆっくりして行きなさい」

「チヨ。あまりセイくんを困らせるんじゃないわよ?」

「はぁい」


  *


「この味は、懐かしいなぁ。研究所の食事は、味気無い栄養食ばかりだから、食欲が湧かないんだよね」

「そのせいで痩せたのね。駄目よ、しっかり食べないと」

「それに、こうやって他愛もない話をしながら一緒に食べる人がいないから」

「そうなんだ」

「ずっと、ここに居たいよ。帰りたくないなぁ」

「わたしも、そばにいて欲しいわ。……いつまで」

「ん? 何?」

「いえ、その。いつまで、セイくんの研究は続くの? いつまで、わたしとセイくんは、手紙だけで気持ちを伝え合わなきゃいけないの? いつまで、この生活が続くの?」

「チヨさん」

「ねぇ、いつまで?」

「チヨさん!」

「ハッ」

「辛い思いをさせてたんだね。ごめん」

「セイ、くん? あのね。抱き付くのは結構なんだけど、そのね。腕を自由にさせてもらえるかしら?」

「あぁ、ごめん。……これで良い?」

「ありがとう」

「……一つだけ」

「えっ?」

「一緒にいられる方法が、一つだけあるんだ」


  *


「それじゃあ、この街には戻って来られないのね?」

「そういうことに」

「どうしてよ? 研究が終わったら、この街に帰ってくるものだと思ってたのに」

「騙したつもりは無かったんだ。でも、知りすぎてしまったんだよ」

「わたしは嫌よ。帰さないわ」

「チヨさん」

「だって、おかしいじゃない。何様のつもり? 他人の人生を滅茶苦茶にしてまで、何を研究してるのよ!」

「それを言ってしまったら、チヨさんも僕も、無事では済まない」

「住み慣れたこの街を離れるのも、セイくんと会えなくなるのも、どっちも選べないわ」

「二つに一つなんだ。そういう運命なんだよ」

「こんなこと、ありえないわ」

「受け容れられないだろうけど、所長に引き抜かれた時点で、全ては決まっていたことなんだ」

「そんな」

「あっ、チヨさん。待って」

「来ないで」

「チヨさん」

「近付かないで」

「……分かったよ」


  *


「お邪魔しました」

「もう帰るのかい?」

「もっと長居して行ってちょうだいよ」

「いえ。そろそろ戻らないと」

「そうか。まっ。しっかりやりなさい」

「気を付けて」

「お世話になりました。失礼します」


  *


チヨさんへ


この手紙を読んでいるということは、街に残ったということですね。

僕は新しくできた研究所へ移ります。二度と姿を現すことは無いでしょう。

さようなら。


セイ


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