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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第2章 苦闘編
6/18

猛牙怪獣エゴセント

 冬の寒い街には沢山の暖かな光で溢れている。

 光が誘うのか、クリスマスが近づくにつれて人々の心も浮つくものである。


 この街にある港の商業施設の周りでも、クリスマス商戦に向けたショーウインドウや観覧車のイルミネーションが、その時を迎えるために色とりどりの明かりを増やし、その前を歩く恋人たちは肩を寄せ合い歩いている。


 男は女に待望し、女はそれを心待ちにしている。光は人々の欲求を誘発し、その欲望が街に充満する。


 その商業施設から道路を二本ほど渡るだけで光のありようは一変する。

 そこには昔、港に来る家族向けに作られた公園がある。

 しかし商業施設周りとは違い、周りにはスナックの小さな看板の光しかない。


 その上公園の中にはもっと光がない、なぜならば希望と言う光を失った人々が各々に青いテントを広げて住み込んでいたからだ。

 小学校の校庭ほどある公園の中に、行き先の無い人たちの住居がひしめいている。


 人は光に引き寄せられ、逆に闇を遠ざける。

 ここには家族連れも恋人たちも来ない、ポッカリと穴のあいたような異空間がひっそりと存在している。


 そんな公園に派手な衣装に厚化粧の若い女が現れた。彼女は周りをきょろきょろと見回しながら誰にも見られたくない様子でテントが無い所を探している。

 両手には小さな段ボール箱を抱えていた。


 こんなところに女が一人とは珍しい。

 テントにいた初老の男は女の様子を伺っていた。

 女は適当な場所が見つかったらしく、公園の隅の方へ歩いて行く。

 段ボールが少し動いた。


 女は目的の場所、テントが少ないブランコやシーソーのある公園の角にその段ボール箱を置いた。

 そした箱の上を開いて中を覗き込む。


「ごめんね、あんたがキャンキャン鳴くからだよ。あんたを買ってきたの、ヒロシにばれちゃったから、それにヒロシが大事にしてたマンガにおしっこしたでしょ、あれもまずかったな」


 女は困ったねぇと言わんがばかりに、軽く二回ほど首を横に振った。

「ここのほうがあんた自由に暮らせていいでしょ。あんたはあたしたちと一緒に暮さない方が幸せよ、きっと。じゃぁ、元気でね」


 女はそう言うとそそくさと出て行った。

 残された段ボールからは

 「キューン、キューン」

 と言う哀しげな鳴き声が聞こえる。


 女の姿が公園から消えた後、さっきから一部始終を見ていた初老の男が段ボールに近づいてきた。

 そしてそっと箱の中を覗く。


 中には丸い二つの小さい目が見上げている。

 中に手を入れるとザラザラした舌で舐めて来る。


 男は微笑んだ、そして箱から栗色をしたトイプードルの仔犬を抱きあげた。


   ×   ×   ×


 怪獣は一歩、また一歩と港を目指して進んで行く。

 シルバーマンが後方から腕を抱えて行く手を阻もうとしている。

 しかし怪獣はビクともしない。


 逆に腹を肘打ちされて蹲るシルバーマン。

 そこへ怪獣が頭上から拳を振り下ろす。


 痛みに苦しむシルバーマンを更に怪獣が顔を海中へ押しつける。

 息が出来ない。

 勇一は朦朧とした意識の下でまたあの声を聞く。


「怪獣の弱点は鼻の上の角」


 シルバーマンは何とかして怪獣の手を払いたい、

しかし相手の力は圧倒的に強く頭を海上に上げることが出来ない。


 意識が遠のいて行く。真っ白になった頭に温室の植物たちの緑が映る。

 その緑が一瞬で真っ赤に染まった。


 ハッとして勇一は目を覚ました。

 夕方、開店直後の〈ほとり〉に客は誰もいない。

 まだ誰も来店していないのだ。


 ガランとした店内にはテレビのニュースを伝えるアナウンサの声だけが聞こえている。

 どうやら疲れからか客席でうとうとしてしまったらしい、今も後頭部に痛みが残っている、昼間の怪獣との戦いの生々しい記憶である。


「疲れているみたいだな」

 カウンタの奥から坂田が声を掛けた。


「すみません。大丈夫ですから……」

「どうせ今日も客が少ないんだ、今は自分の部屋で休め」


「そんな、悪いですよ。本当に大丈夫ですから」

 立ち上がろうとした勇一の体が揺らめいて、彼は思わず机に手を付いた。

 テレビは今日あったシルバーマンの壮絶な戦いを報道している。


「いいから、無理して体を壊したらもともこもない」

 勇一は溜息を吐いた。


「すみません…… お言葉に甘えさせて頂きます」

「そんな固いこと言うなよ、家族じゃないか」


 坂田は珍しく笑顔で勇一にそう答えた。

 勇一はその言葉に体の痛みが少し和らいだ。

 自分には家族がいる。それは記憶を失った自分の唯一の拠り所。


 勇一がよろよろと歩きだそうとしてテレビに目をやった時、彼はその画面を見つめて動けなくなった。


 画面は公園のような場所でレポーターが怪獣出現の様子を報告している。

 その後方、白い建物、スナックだろうか小さな看板が置いてある。

 その看板の横、古びた扉を開けて入って行く一人の白いコートの女性、


「里子!」

 勇一は心の中でそう叫んだ。


「自分の部屋で休みます」

 勇一は坂田に一礼をして、覚束ない足取りで二階へと続く階段を昇る。

 やっとのことで自分の部屋へ戻りそのまま倒れるように畳の上に大の字になった。

 そして深呼吸をするように大きな溜息を一つ吐く。


「あれは里子だ、間違いない。なぜあんなところに」

 勇一は天井からぶら下がった電灯を眺めた。

 なぜいつも里子は怪獣が現れる場所に姿を見せるのか、今も怪獣が現れた街にいた。あの店に何があると言うのだろう。


 勇一は起き上った、反動で少し脇腹が痛んだ。


 あの店に行けば里子に会えるかもしれない。会って話がしたい。君は何者なんだ、それ以上に僕は何者なんだと。


 勇一は静かに目を閉じた。

 そして坂田への後ろめたい気持ちを振り払い、昼間に怪獣と戦ったあの街へ…… 


 ざわめきが聞こえる。

 目を開く、すると港の商業施設がきらびやかな明かりに包まれているのが見えた。


 ここは勇一の住む町と比べ物にならないほどの光が辺りに満ちている。

 光だけでなく彼の横を過ぎ去る人々にも笑顔が見える。


 ある男女は手を繋ぎ、ある男女は寄り添い合い、男どもの集団は女達をものにすべく必死で声を上げている。


 さっきまでこの近くでの怪獣出現が嘘のように、人々は楽しげにこの光に群がって来ていた。


 すれ違ったカップルの会話に勇一の耳が反応した。


「今日のイベント、なくなったの残念ね」

 女が甘えた声を出す。


「本当だよ、もうちょっと早くシルバーマンが来てくれてたら、会場が水浸してイベントがなくなることなんかなかったのに」

 男が不服そうに言う。


「本当よね、もっと沖の方で戦ってくれればよかったのに」

「シルバーマンも今一だなぁ。もっとさっさと怪獣を片づけてくれりゃ良かったのに、今度怪獣が現れた時はもっと頑張ってくれよって言いたいよな」


 男はぶつぶつ言いながらも女の肩に手を廻し、女は男の肩に首をもたれ掛けさせた。勇一にそれ以上の会話は耳に届かない。

 その代わり別の二人組の女性の声が聞こえてくる。


「また怪獣が出たらどうする」

「もう嫌だ! でもまたシルバーマンが何とかしてくれるんじゃないの」

「ほんと、怪獣のことは任したって感じね」

「あたし達には何にもできないしね」


 女達は昼間のことを人ごとのように話しながら勇一の横を通り過ぎる。

 そんな女たちの前に男たちが立ち塞がった。


「ねぇ、ねぇ。俺たちとどこか行かない」

「俺、実はシルバーマンなんだ、今日も一匹怪獣をやっつけたぜ」

 女たちは笑いながら、


「あんたがシルバーマンなら、私たちよりも怪獣相手にした方がいいんじゃない」

「なんで、俺は正義の味方なんだから、ちょっとは付き合ってくれてもいいんじゃない」


「シルバーマンに興味ないから。私達に関わりのないところで勝手に怪獣と戦っといて、目障りだし」

 男たちはそれでも女達に食い下がっている。


 この街の人々は怪獣出現を人ごとのように話をしている。

「もっと早く怪獣を退治しろよ」

「怪獣のことは任したから私達に被害のないようによろしく」、

そんな声だけが勇一の耳に入って来る。


 彼は少し虚しさを覚えた。

 そんな時、比呂子の言葉が耳に蘇る。


 「特殊能力だから仕方がない」


 本当にそうなのだろうか、里子はその答えを教えてくれるだろうか。

 勇一は商業施設を離れた。あの店を探すために。


 歩いて行くと、あまり離れていない場所が以外と暗いと分かった。

 勇一はその闇の方へ吸い込まれて行く。


 行き着いた先には公園があった。

 ここがテレビに映っていた公園だろうか。


 公園の中には青いテントがひしめいている。

 これがホームレスというものなのか、勇一は初めて見る光景に少し戸惑いを受けた。

 帰る所のない彼らと自分とはどこが違うのだろう。


 ふと、耳に坂田の言った「家族じゃないか」という言葉が聞こえた。

 そう自分にはまだ帰るところがある、独りではない。


 そんなことを考えている時、足元に仔犬がじゃれついて来た。

 栗色をした可愛い仔犬、しかしこの犬種は確かトイプードル、なんでこんな高価な犬種がここにいるのだろう。


「チビ、お兄さんに絡んで行っちゃダメだよ」

 まるでサンタクロースかと思うほどの白い髭を蓄えた初老の浮浪者が声を掛けた。


 仔犬はその声に反応してそのサンタクロースの所へ戻って行く。

 サンタクロースは仔犬を抱きあげ勇一に頭を下げて立ち去って行った。


 妙に気にはなったが、取りあえず店を探すことが優先だ、そう思い勇一は気を取り直して辺りを見回した。


 暗いこの公園から、やや明るい看板の光が見えた。

 スナックの看板、そうテレビで見た建物と同じものがそこにある。

 勇一は歩みを速めた。あそこには里子がいるかもしれない。


 スナックの扉を勢いよく開ける。

 扉に着いた鐘が「カランカラン」と勢いよく鳴った。


 中は薄暗い、扉と垂直に位置するカウンタには誰も座っていない。

 勇一の期待はあっさり裏切られた。


「いらっしゃい」

 カウンタの隅から声が聞こえた。目をやると壁にもたれて煙草をふかす四〇歳代の女性が立っている。


「どうぞ」

 女はカウンタの席におしぼりを置いた。


「すみません、人を探しているだけなんですけど」

「あら、そう」

 女はそれがどうしたとうい顔で答えた。


「それに僕、お金持っていないし」

「あら、若いのにホームレスなの」


「いえ、そう言う訳ではないんですけど」

「お金なら付けとくから、いつでも持っていらっしゃい」

 女は笑顔を作る訳でもなく、淡々と受け答えをする。


「まぁ、飲んで行きなさいよ」

 気は進まなかったが、この女から里子のことを聞き出さなければいけない、勇一は彼女の誘いを受け入れることにした。


「じゃぁ、頂いていきます」

 勇一はカウンタの中央の席に着いた。


「なに飲む?」

「コーラでいいです」

「お酒飲めないの」

「そんなことないですが……」

「車? まぁそれならしょうがないね」


 女は振り返ると業務用冷蔵庫からコーラを出し、せん抜きで王冠を外す。

 少し泡が噴きこぼれた。


 それを近くにあった布巾で拭うと今度はグラスに無造作に氷を放り込んだ。

 氷のぶつかる音が店内に響く。彼女はコーラをグラスに注ぎ込んだ。


「私の名前はマリ、あなたは?」

「朽木勇一って言います」


「勇一さんはこの辺りの人なの」

「いいえ、紀州の方に住んでいます」


「そう、田舎に住んでいるのね」

「そうですね」

 マリは勇一の前にコースターとストローを置いた。


「で、誰を探しているの」

「里子って名前の、いつも白いコートを着た女性です」


「里子? 苗字は?」

 勇一は一瞬躊躇した。

 彼女は自分の妻だと言っている、本当かどうかはまだ分からない。


「たぶん朽木、朽木里子」

「たぶんって、苗字が一緒ってことは兄妹かなにか、それとも奥さん」


「彼女は僕の妻だと言っています」

「なに、逃げられた嫁を探してるの」


「いや、そう言う訳では……」

 勇一は詳細を喋ろうとしたが、状況が状況なだけに信じてもらえると思えず、これ以上のことを語るのを止めることにした。


「まぁいいや、この辺りじゃそんなに珍しい話でもないし。喋りたくなければ喋らなくってもいいよ」

 マリが勇一の前にコーラを置いた。


「ここはみんな自分の夢を諦めきれなくって取り残された人間ばかりの街だから、あんたみたいに嫁を追っかけてるような人間なんてざらにいるからね」

「取り残された人間?」


「そうさ、みんな自分には特別の才能を持っているって勘違いしている人たちばかり、そしてその勘違いした能力にしがみついている、本当はそんなもんないのに」


 マリがカウンタの内側にある椅子に座った。

 勇一はマリの言った言葉の意味を追求する気になれなかった。

 自分が持つ能力は勘違いでなく、まぎれもない特殊能力、自分に苦難を強いる能力なのだから。


「白いコートの女だったけ、その人って目が大きい美人な人かい」

「そうです」


「そう、そのひとならさっきまで今あんたが座っている所にいたよ」

「やっぱり」

 勇一はテレビに映っていた白い影が里子であることを確信した。


「彼女はどこか行くとか、何か話していませんでしたか」

「さぁ、何も言ってなかったね。いつもモスコミュール一杯だけ頼んで帰って行くんでねぇ」


「いつも?」

「あゝ、一週間ぐらい前にここに現れて、それから3回ぐらい見たかな。

 さすがに私もあんな綺麗な人をめったに見ないから目に着いちゃってさ、なんかいつも手帳を見てたよ、何書いてるのかまでは見てないけどね、一応客商売だから、そこまでは立ち入らないのさ」


 マリは手元にあった煙草を一本取り出し口に銜えた。


「何か言っていませんでしたか」

「こんなところで女一人とはただ事じゃないね、って聞いたら、人を待ってるって言ってたよ。

 それはあんたの良い人かいって聞いたら何も言わずに口元が緩んでた。それがあんたのことなのか、それとも別の男なのかまではいくら私でも分からないね」


 マリは含み笑いを浮かべながら、煙草の灰を灰皿に落とした。


「他には何か」

「そう言えばこの間、この前の公園で見かけたよ」

「公園で?」


「ホームレスの男に話しかけてた。なに喋ってたまで聞こえなかったけどね」

「ホームレスの男?」


 なんでそんな男と里子が話をしていたのか、勇一には里子の意図を測りかねた。彼女はいったい何を考えているのだろう。


「あんた、気を付けた方がいいよ。あの女、欲深そうな気がする。私の勘だけどね。男なんて簡単に裏切るって目をしてたね」

「なんでそんなことが言えるんですか」


「私もここに店を出して一〇年、色んな人を見てきたからね。あの女と同じ目をした人間を一杯見てきたから」

 マリが煙草の煙を天井に向けて大きく吐き出す。


「この街では人を裏切るなんて日常茶飯事だからね、自分の為なら必死にもなれるが、それ以外はみんな他人事だからね。

 だからおのずと他人を裏切るなんて何の罪の意識もない。

 この街で誰かの為に何かしようものなら、みんなハイエナのようにその人を利用しようとする。

 だから誰も助けようとする人はいないし、裏切られることを恐れて、逆に人を陥れたりする」


 勇一はさっきまでいた商業施設での通りすがりの男女の会話を思い出した。


「あんたみたいな田舎もんはさっさと帰った方がいいよ。その里子って女、あんたに取ってどんな人か知らないけど、止めといた方がいい、追っかけるのは」


「でも、どうしても会って話がしたいんです。僕の知りたいことを彼女だけが知っている。それを聞きださないと、僕自身は救われないんです」


「そう、そこまで言うんなら」

 マリは煙草を灰皿の上でもみ消した。


「前の公園に徳さんって名前のホームレスの爺さんがいる。

 この街には珍しい善人でホームレス仲間から信頼されてる。

 彼なら何か知ってるかもしれない。

 サンタクロースみたいに白い髭で顔中覆われてるからすぐに分かるよ」


 サンタクロースみたいな男、さっきの仔犬を抱いていた男だ。


「ありがとう」

 勇一はコーラを一気飲みし立ちあがった。


「気をつけなさいよ、あんた欲がなさそうだから、この街に呑み込まれるよ」

 マリが出て行こうとする勇一に声を掛けた。


 勇一はマリに一礼をし、再び勢いよく扉を開けるとそのまま店を出た。

 鐘の音がまた勢いよく「カランカラン」と鳴った。


   ×   ×   ×


 勇一はマリが教えてくれた徳さんと言う男を探していた。


 歩きまわる公園には街灯がふたつ、それ以外明かりは無い。

 何かこのままこの公園の闇から永遠に抜け出られないのではないか、もう二度と比呂子の住む町に帰れないのではないのか、そんな錯覚に恐怖で体が竦む。


 それだけだはない、この空間は不快である。

 勇一が未だかつて嗅いだことのない異臭。

 この臭いこそがこの街の正体なのだろうか、マリの話を思い出しながら勇一は徳さんなる人物を探し続けた。

 勇一の前を精気のない男が異臭を放ち彼の前を横切る。


「すみません、徳さんを知りませんか」

 男はチラッと勇一を一瞥したが、その後、何も無かったかのようにふらふらと立ち去って行った。

 勇一は再び声を掛けようとした、しかし彼の体からは自分に話しかけるなと言わんがばかりの雰囲気を漂わせている。


 仕方なく勇一は独りで公園の奥、テントのひしめく方向へと足を向けようとした。

 が、この異様な雰囲気に彼の足は躊躇をしている。


 本当にこんなところへ里子は一人で入っていったのだろうか。

 男の勇一ですら躊躇するこの場所に女一人で。彼女は何を考えているんだろうか、目的は何なんだろうか。


「わたしをお探しですかな」

 勇一の後ろで声がした。振り向くと栗色の仔犬を抱いた白髭の男が立っている。


「あなたが徳さんですか」

「いかにも」

 徳さんはまるでどこかの紳士のように落ち着き払った口調で語りかける。


「私は朽木勇一と言います。ある女性を探しています」

「ほう、こんなところで女性を探しているとは珍しい」

 徳さんが仔犬のチビを地面に下ろした。

 チビは勇一の前まで来て靴の臭いをクンクンと嗅いでいる。


「ここ最近、この辺りで白いコートを着た女性が、この公園でホームレスの男と喋っていたと言う人がいまして」

「あんたは警察の方ですか」

 チビは相変わらず勇一の靴の臭いを嗅いでいる。


「いえ、知り合いの女性を探しているだけです」

「そうですか……」

 一通り靴の臭いをかぎ終わったチビが、勇一の足に前足を掛けてぴょんぴょんととび跳ねた。


「チビはあんたのことを気に入ったらしい、抱っこして欲しいといってますよ」

 勇一は足元を見た。チビの円らな目が勇一を見上げる。

 勇一はしゃがんでチビを抱きあげる。

 チビは抵抗することもなく勇一の懐に抱かれた。


「たぶん、麻やんですな。あいつが白いコートを着た女性と喋っているのをわたしも見た記憶がある」

「麻やんはどこに」


「いなくなりました、今朝までいたような気がしたのに」

 勇一の期待はまたもや裏切られた。

 その男なら里子のことを何か知っているはずなのに。


「その麻やんってどんな人ですか」

「怒りっぽい男で、世間にいつも怒っとりましたなぁ。もともとは輸入雑貨を扱う店のオーナーらしかったが、不景気で店をつぶしてしまいここに来たらしい。誰かの借金を肩代わりしたとかで、騙されたらしいですなぁ」


 怒り? 今朝までこの公園にいたと言うことは、まさかその麻やんが今日戦った怪獣?


「あいつはまだ店を再建するって言う夢を持っておりましたからなぁ、もしかするとその女にまた騙されたのかもしれません。この街は欲望の為にいくらでも人を騙す、そんな街ですから」


 里子がホームレスの男を騙す?

 なぜそんなことを。いや、もしかしたら騙されて怪獣になるのを阻止しに来たのかもしれない。


 彼女は勇一に怪獣と戦って欲しくないと言っていた、だから怪獣になりそうな人を諌めたのかも、いやそうに違いない。


「あんた、優しそうな人だから、チビは優しい人が大好きで」

 チビは勇一の腕の中で、目を細めている。


「その子も人間の欲望の犠牲者ですから」

「えっ」


「捨て犬ですよ、ペットショップで買ってきたのはいいが飼いきれなくなってここへ捨てに来たんですよ。

 自分の言う通りにならなければ捨ててしまう、命なのに。人間ってやつは全くエゴイストですなぁ」


 勇一はチビを再び見た。チビは気持ちよさそうに眠っている。

 息が手に掛る、抱きかかえる腕にはチビの鼓動が感じられる。

 なによりその体は暖かい。生きている。命が勇一の腕の中にある。


「人間なんぞは愚かで醜い生き物、自分達の都合で他の生き物を殺してもしょうがないと思っている。

 わたしはそんな人間と暮らしたくなくってここへ来たんですよ」


 勇一はその言葉をどこかで聞いた気がした。しかしこの男からではないような……。


「あんたもそんな女のことなど放っておいてここで暮らしたらどうですかなぁ」

 ここが勇一にとって心安らぐ場所なら喜んでそうする。

 しかしここがその場所と思えない。

 公園の周りでは爆音轟かせるバイクが数台走り去って行った。


「白いコートの女がまた現れたら、朽木勇一さんが探してたと伝えておきましょう」

 徳さんは淡々と語る。髭と暗闇が口元を隠し、その表情が読み解けない。しかしなんとなく口調から優しそうな人らしいことは分かる。


「お願いします」

 勇一は一礼をした。


 公園の周りでは未だバイクの音と、酒に酔った男どもの大声が聞こえる。


「怪獣はシルバーマンに任して、俺たちは遊びまくろう!

 ついでに明日の仕事もシルバーマンが片づけてくれたら、そうだプロジェクトの名前を怪獣にしよう。

 そうすればシルバーマンが仕事をやっつけてくれるってどう!

 ナイス・アイディア!」


   ×   ×   ×


「勇一さん、昨日の夜どこにいたの」

 朝〈ほとり〉の店内を掃除していた勇一に比呂子が不思議そうに問い掛けてきた。


「え、部屋で休んでたよ」

「でも私が覗いた時いなかったよ」

「トイレじゃない」

 比呂子は納得がいかないと言う表情で、


「でも一時間ぐらい後で見に行った時もいなかったよ」

「その時もトイレだよ」

「本当?」

「本当……」

 比呂子は相変わらず腑に落ちない様子だった。


「言っとくけど、心配してあげてたんだよ」

「ありがとう……」

 勇一は恐縮した。


「で、体調はもういいの」

「まぁなんとか」

「もう、しっかりしてよ。虚弱体質の男なんて女の子から持てないよ」

 そう言うといつもの大きな鞄を肩に担ぎ〈ほとり〉の戸を開いた。


「今夜は飲むからね、ちょっと病院でむかつくことがあったからさ、私のストレス解消に付き合いなさい」

「はぃ」

 勇一の返事を聞いたのかそうでないのか、比呂子が勢いよく出勤して行く。


 自分のストレス解消に付き合えとは、少し身勝手な発言のはずなのだが、なぜだろう、比呂子の言うことを聞いてしまう。それが不愉快に思わない。


 勇一は掃除道具を片づけ、独り外に出てみた。

 今日は快晴、十二月の済んだ空気で空は目の覚めるような青である。

 海からの風はすがすがしい。潮風が気持ちを落ち着ける。


 昨日の暗闇の薄汚れた公園でのあの異臭、同じ人が住む空間とは思えない。

 できればあの異臭は再び嗅ぎたくない。

 しかしやはり気になる。里子に会える手掛かりを掴みたい。

 もう少し昨日出会った人々に聞いてみよう。


 勇一は目を閉じた。潮の香りが遠のいて行く、そしてあの異臭が彼の身を包み込む。


 目を開ければ、曇った鼠色の空の下、鮮やかな青色のテントが、公園一杯に広がっている。


 勇一はなぜこの街にこんなに人が集まるのだろうと不思議に思った。

 マリが言っていた、「ここは自分の夢を諦めきれなくって取り残された人間ばかりの街」


 勇一も自分の記憶が里子によって蘇ると言う夢を見てここに来た。

 もしその夢が叶えられなければこの人たちと同じように取り残されてしまうのであろうか。


 勇一は昨日のスナックに行くことにした。

 こんな朝早くから店が開いているとは思っていない。

 とりあえず昨日のコーラ代だけポストにでも放り込んで帰るつもりだった。


 店の前まで来て、看板の電気が消えていないことに気付いた。

 もしかして、勇一は扉に手を掛けた、すると扉は静かに開いて行く、鐘が控えめにカランカランと鳴った。


「こんにちは、おはようございます」

 勇一は恐る恐る声を掛けてみた。

 店の中は昨日と何も変わっていない、明かりも付いたままだ。


「誰、こんなに朝早く……」

 カウンタの一番奥に突っ伏す女がそのままの姿で喋り出す。


「こっちは夜中まで働いてるんだ、睡眠を邪魔するのは誰!」

 体を起こしたマリの顔はむっすとしている。


「すみません、扉が開いてたものですから」

 勇一が素直に謝った。


「なんだ、あんたか」

 マリは眠そうに髪の毛をくしゅくしゅと掻きまわした。


「昨日のお金を払いに」

「お金?」

 マリは目を丸くして勇一を見た、そしてクスクスと笑いだした。


「昨日のコーラ代、払いに来たの」

 クスクス笑いが、だんだん可笑しくてたまらないと言わんがばかりに今度はお腹を抱えて笑いだした。


「ごめん、ごめん。あまりにも律儀って言うか真面目と言うか、可笑しくて……」

「可笑しい?」

 勇一は不思議そうに聞き返した。


「コーラ代、五百円。わざわざ持ってくるとは思わなかった。いいよ、私がおごってあげる」

 マリは笑い過ぎて零れた涙を拭きとりながらそう言うと、


「そんな、ちゃんと払います」

 勇一はポケットから出した百円硬貨を五枚、カウンタの上に並べた。


「変わった人ね」

 マリはカウンタの中に入り水道水をコップに注ぎ込み一揆に飲み干した。


「ここで寝てたんですか」

「そうよ」

「風邪ひきますよ」

「ありがとう、優しいのね」

 マリは冷蔵庫からコーラを出した。そしてグラスに注ぎ込む。


「はい、これ私のおごり」

「いいですよ。申し訳ないです」


「心配しなくっても大丈夫よ、こんなコーラ五百円もするはずないじゃない」

 マリが勇一の前にコーラのグラスを置く。


「いただきます」

 勇一はグラスに口をつけた。


「この街であんたみたいなバカ正直な人に会うとは思わなかったわ」

「マリさんはこの街が嫌いなんですか」

「そうね……」

 マリは少し考えて、


「好きとか嫌いじゃなくて、ここから離れられないのよ」

「離れられない?」

 マリがカウンタの上の百円玉を集める。


「私の家はとんでもない田舎にあったの。山と森しかなくって、村には家が点々とあるだけ、山間の盆地に田圃しかないようなところ。


 そんな村に都会から青年がやって来たの。

 青年は写真家だった。自然が撮りたいって言ってたわ。


 私はまだ中学生だったけどその都会から来た青年に憧れたの。

 彼が都会の話をしてくれるたびに、私の幼い夢は広がって行ったわ。

 都会に行けば何かが変わる。その街に行けば自分の人生は明るいってね」


 マリが少し笑った。


「それから何度も青年は写真を撮りに私たちの村に来たわ。

 都会に住む彼らからすれば私たちが見なれた山や森、田圃は珍しかっただけなのかもしれない。


 私はその青年に恋をした。今思えば本当に好きだったのか分かりゃしない、都会への憧れとその青年への想いが、私の中でごちゃごちゃになっていた気がする。


 高校生になったある日、彼が私を自分の住む街に招待してくれた。嬉しかった。

 都会は私が思っていた以上のところだった。高いビル、人の多さ、それに昼間のように明るい夜。どれもこれも私にとって刺激的だった」


 彼女は目を閉じた。


「写真家の青年に私はある男を紹介された。

 彼は音楽関係の仕事をしているって言ったわ。


 その人は私がカラオケで歌っているのを見て君なら歌手になれるって言ったの。

 何かが変わる、村で出来ないことがここではできる、多感な年齢だったからね、そう思っちゃったんだよね」


「それでこの街に来たんですか」

「ほとんど家出同然にね、その青年のところに転がりこんだの。十八の頃、彼、その時は暖かく迎えてくれたわ」


「その時は?」

 マリがレジを開けた。そして百円玉を無造作にその中に放り込んだ。


「私、実は歌に自信があったの。

 でもね、村一番は必ずしも街で一番じゃないのよ。

 その音楽関係の男もたいした力もなくてね、それより私の恋した青年もお金がなくって、そうなれば夢なんか言ってられない。

 生活のためにこの道に進むしかなかったのよ」


「それでその青年とは?」

「捨てられたわ、田舎から出てきた青臭い娘がそんな稼ぎを上げられる訳もなくって、もっと稼げる女のところへ去って行った。

 まったく歌手なんて夢のまた夢、男にも希望にも裏切られたわ」


 マリはレジを勢いよく閉めた。ガチャンと言う音が小さな店に響いた。


「どうして田舎には帰らないんですか」

「どうしてかしらね、

 親に顔向けできないって言うのもあるけど、本当のところはまだ何かを期待してるのかもしれない。


 絶対に叶うことのない希望が私をこの街に留めている。

 田舎に帰ればその希望すら断たれてしまう、そのことを恐れてるからかなぁ。


 そんな人間、この街には掃いて捨てるほどいるよ。

 この前の公園にいる男どももそんな行き場のないこの街から離れられない人間ばかりさ」


 彼女が煙草に火を着ける。そしてゆっくりと煙を吸い込む。


「徳さんもその一人なんですか」

 今度はゆっくりと煙を吐き出したマリが少し小首を傾げた。


「よくは知らないけど、あの人も自分の夢を追って女房子供を捨ててこの街に来たらしいよ、まあ詳しくは本人に聞いてみることだね」

「はぁ」

 マリは煙草をもみ消した。


「とにかく、あんたみたいなお人好しは早く田舎へお帰り」

 そう言うと彼女は勇一の前のコーラのグラスを取り、流し台で洗い出した。


「ごちそうさまでした」

 勇一は席を立って扉の方に向かった。


「そうそう、あんたが探してた里子って女のことで思い出したんだけどね」

 勇一が立ち止った、そして振り返る。


「手帳から写真が滑り落ちた時があって、その写真が妙に気になっってね」

「写真? どんなのでした」


「それがね、富士山が背景で、その前に赤い建物と植物園みたいな大きな温室が並んで建ってる写真だった」

「えっ!」

 勇一の驚きにマリがひるんだ。


「どうしたの」

 勇一は何も言わず立ちすくんでいる。


 なぜだ、なぜその写真を彼女が。

 里子が自分の唯一の記憶の断片である光景の写真で持っていた。

 それは何を意味するのか、やはり里子にはどうしても会いたい、その気持ちがますます強くなって行った。


   ×   ×   ×


「徳さんはなんでここにいるんですか」

 仰向けに寝ころんでいるチビの腹をさすりながら勇一はそう質問した。


「ここしかいるところがないから、ここにいる訳です」

 サンタクロースのような白い髭の奥からその答えが返って来る。


「妻も子も捨てた人間なので、自分の欲に振り回された結果のなれの果てがわたしの今の姿です」

 徳さんはそう言うとチビを抱きあげた。


「この子の飼い主と同じことをわたしは家族にした訳ですなぁ。自分の夢の為に家族に対し無関心になり、そして無視した、今ではわたし自身が誰からも無視される存在になった訳です」

 チビが徳さんの顔をぺろぺろと舐め出した。


「人は欲望を持つと周りが見えなくなる。

 ある者は何かを捨て、ある者は無関心を装う。わたしも自分の欲望以外のことは、他人が何とかしてくれると思ってしまっていました。


 欲望にかられている時は良いが、その望みが断たれた時、初めて周りが見えた。

 自分と同じように、やりたいことだけやって他は他人任せ、って言う人が大勢いることを。


 そんな人間が嫌になった、でも今更帰るところもない、だから一人でここに住むことにしたんです」


 勇一は少しだけ徳さんの言い分を理解できる気がした。

 なにか昔に同じ思いをした気がする。


「でも、それも人間社会に興味を失って無関心を装っているだけでは」

 徳さんは地面にチビを下ろした。


「きついことをおっしゃいますなぁ」

 チビがテクテクと勇一に近づいて来る。そして足にまとわりついた。


「そうかもしれません。人間なんてそんなに簡単に変われるものではないですから」

「すみません、分かったようなことを言ってしまいました」


「いやいや、でもそう言うあんたはないんですかなぁ、自分に関わりたくないことを他人任せにすることは」

「思うことはありますが……」

 勇一は言葉を詰まらせた。


 怪獣と戦うことなど、できれば誰かに変わってもらいたい。

 できれば無関心でいたい。しかし無関心ではいられない自分がいる。

 それはなぜなのか、いまだに答えが出ないままである。


 足元で臭を嗅いでいチビがいきなり走りだした。


「チビ、どこへ行くの」

 勇一が後を追った。チビは公園の隅に植えられた古木の前まで来ると、今度は急に木に向かって吠えだした。


「チビ、吠えちゃだめだよ。さぁ徳さんの所に戻ろう」

 勇一はチビを抱きあげてもと来た方向に歩きだした。

 木の影から白いコートの女が見つめていることも知らずに。


   ×   ×   ×


 クリスマスイブの夜はいつも以上に光が溢れていた。


 人々の心も更に浮つき、港の商業施設の周りのカップルも男は女にいつも以上に待望し、女はそれをいつも以上に心待ちにしている。


 光はカップルだけでなく多くの人の心をいつもと違う世界に引き込んでいるようだ。


 酔った若い男どもが大声でいつも以上に騒いでいる。

 それを誰もが咎めようとはしない。

 誰もが今の自分の幸せに浸り、それ以外のことについては無関心を装っている。それはいつも以上に。


「チビ、ご飯にするか」

 徳さんはチビの頭をポンポンと二回ほど撫でながら、目の前に犬用のジャーキーを置いた。

 チビはジーっとジャーキーを眺めているが食べようとしない。


「チビ、食べてよし!」

 その声を合図にチビがジャーキーにむしゃぶりつく。


「チビ、お前は行儀がいいなぁ」

 徳さんはまたチビの頭を撫でた。

 ジャーキーを勢いよく食べたチビが今度は徳さんの口元を舐める。


「よしよし、良い子だ」

 徳さんもチビを愛おしく抱きしめた。

 チビが徳さんの口元を舐めるため精いっぱいに背伸びをしている。

 徳さんは満足げにチビの背中を撫でている。


 この闇深い公園のここだけに街灯の光が優しく照らしている。


「チビ、どこへ行く!」

 徳さんを舐めていたチビが急に走り出した。


 公園に無作法に侵入してきた酔っ払い、若者五人組に向かって駆け寄っていったのだ。

 大声を上げ、ふらふら歩く若者たちにチビは大声で吠えたてた。


「なんだ、こいつ、今日は俺たち不機嫌なんだ」

 そう言うと一人の男がチビを追い払おうとする。

 チビはその手を掻い潜り、逆にその腕に噛みついた。


「イッテ! なにすんだこいつ」

 噛まれた男が手に持っていた鞄をチビに投げつけた。チビは怯んで近くの木の影に隠れる。怒った男が追いかけてきた。


「やめてください!」

 徳さんが駆け寄って来た。チビはすかさず徳さんの腕の中に逃げ込んだ。


「なんだ、さっきの犬はこのホームレスの男の犬か」

「こいつ、サンタクロースみたいな髭してるぞ」

 別の男がはやし立てる。


「おい、サンタ、プレゼントなんかくれよ。できれば女がいいな」

「俺は金がいい」

 男たちが徳さんを囲んでその後も口汚い言葉を吐きかける。

 チビは身を小さくして徳さんの腕の中に隠れている。


「おい! サンタ、なんとか言えよ!」

 一人の男が徳さんを小突いった。

 急に現れた手に驚いたチビが、その腕に再び噛みつく。


「イテ、こいつぶっ殺す」

 チビを徳さんが四つん這いになって庇った。


「えーい、この犬と一緒にこのサンタもやっちまえ!」

「そうだ、プレゼントを持たないサンタなんか存在意味がかない!」

「そもそもホームレスなんか街のゴミだ! 掃除しようぜ」

「やっちまっても誰も文句言う奴はいないしな!」


 大声を上げて徳さんを取り囲む男達。そのうちの一人が叫んだ。


「俺はシルバーマンだ! 街に有害な怪獣は俺が退治する!」


   ×   ×   ×


「おやすみ、記憶を取戻す機械をサンタさんが持ってきてくれるといいね」

 笑顔で比呂子は自室へ入っていった。

 勇一は思う、比呂子の笑顔が何よりのプレゼントだと。


 そんなことを考えながら自室に入ろうとした瞬間、手に熱い物を感じる。

「また……」


 勇一は左手を見た。いつものように青い炎が燃えている。しかし今回は更に嫌な予感がした。なにか嫌な……


 目を開けた勇一が見たのは、チビのいる公園の風景と、ホームレスが数人集まっている姿である。

 その中に徳さんはいない。また勇一は嫌な予感がした。

 あの嫌な臭いが彼の周りにまとわりつく。


 勇一は恐る恐る近づいて行った。

 男たちは一点を見つめている。

 勇一もその視線の先に目をやる。


 その先にはまるで甲虫の幼虫のように体を丸めて倒れている人間が転がっていた。


「徳さん……」

 勇一は声を失った。


「ホームレス狩り、ここ最近の若い奴はひどいことしやがる」

 勇一の隣にいた浮浪者の男がポツリとつぶやいた。


「あいつらは俺達を人と思ってないんだ。俺もいつ徳さんと同じ目に遭うか分からない」

 浮浪者はそう言うと勇一の側を離れて行った。

 それに応呼するように他の男たちも散らばって行く。


「ホームレス狩り、徳さん……」

 徳さんを見つめる勇一がハッとなって周りを見回した。


「チビ! チビ、どこ行った」

 勇一が闇に覆われた公園を見回す。

 暗くてよく分からない、チビらしき姿は見えない。


「チビ! チビ!」

 勇一は叫び続けた。その叫び声をかき消すようにサイレンの音が響き渡った。


「怪獣だ! 怪獣が出たぞ!」

 公園の横を人々が走り逃げて行く。

 勇一は人々が走る反対側の方向を見やる。

 そこに2本足に巨大な牙を持つ、栗色の怪獣がこちらに迫って来る。


「チビ……」

 怪獣エゴセントが一歩、また一歩と勇一のいる方向に近づいて来る。

 その目は飼い主を殺された怒りに満ちている。


 一歩、また一歩。商業施設に併設する観覧車に手がかかった。

 その怪力で観覧車は意図も簡単に倒れて行く。

 崩れ落ちた観覧車の近くから女性の悲鳴が聞こえる。


「戦うのか? チビは何も悪くないのに」

 勇一は左手を眺めた。しかし青い炎が消える気配はない。


「シルバーマンは何やってんだ!」

 遠くで男の声がした。


「遅い! シルバーマン早くきてよ!」

 別の所で女が叫んでいる。


 エゴセントは商業施設をめちゃめちゃに破壊する。

 その周りで男女の悲鳴がこだました。


 戦うのか、勇一が自問自答を繰り返す。


「怪獣エゴセントと戦うの」

 振り返る、そこには里子が哀しそうな目で勇一を見つめている。


「あなたが戦えば、エゴセントを倒すことができるでしょ。でも本当にそれでいいの? あの仔犬にどんな罪があると言うの」

 勇一は答えられない。


「本当に悪いのは人間よ、あの子が死んでも、あなたがそのことで傷付いても、誰もが無関心、そして明日からまた快楽を求めて身勝手な振る舞いをする。

 あなたが助けた人たちはまた間違いを犯すのよ」


 里子の訴えに勇一の心が揺れ動ごく。

 人間は醜い、何か同じ思いを過去にしたような気がする。


「里子、君の言う通りだ。でも、僕は戦わなければいけない」

「どうして! あの仔犬を怪獣にした人間が憎くないの!」

 里子が怒りを露わにした。しかし勇一にその怒りの感情は現れなかった。


「僕は戦わなければいけないんだ。

 なぜだか分からない。戦わないといられない、自分でもどうしようもないんだ。

 僕はこの能力を受け入れることにしたんだ」


「なぜ! あなたには怒りの感情がないの!」


「ごめん、僕は行くよ」


 勇一が振り返る。

 エゴセントは飽きることなく商業施設を壊し続けている。

 勇一が静かに左手を掲げる。


 シルバーマンが現れたことも気付かずにエゴセントは建物を破壊し続けている。

 シルバーマンはしばらくその様子を見ていた。足元で誰かが叫んでいる。


「なぜだ! なぜ戦わないんだ、早く怪獣を倒してくれよ。そうでないと俺の店が壊されるじゃないか!」


 シルバーマンは一歩ずつエゴセントに近づいて行く。

 エゴセントがシルバーマンに気付いた。

 雄叫びを上げるエゴセント。


 勇一は話しかけた。


「チビ、帰ろう。僕だよ、勇一だよ」


 エゴセントはその声が聞こえていないのだろうか、シルバーマンに突進して行く。

 体当たりを喰らったシルバーマンが海へ倒れて行く。

 エゴセントはシルバーマンに更に飛びかかる。


 シルバーマンが倒れている上に、更にエゴセントが覆いかぶさろうとする。

 シルバーマンは海中に潜りエゴセントから離れた。

 そして海上に再び体を浮上させた時、エゴセントがシルバーマンに再び突進してくる。

 今度は体をかわしやり過ごすシルバーマン。


 翻ってみたび突進するエゴセント。

 シルバーマンがエゴセントを受け止めた。

 エゴセントの勢いで少しずつ体が後へ押されて行く。


「チビ、チビ、お願いだからおとなしくしておくれ。僕は君を殺したくない」


 勇一は叫んだ。

 しかし一度怒り狂ったエゴセントにその声が全く届かない。

 エゴセントが頭を持ち上げる、そしてシルバーマンの左肩にその鋭い牙を突きたてた。


 強烈な痛みに苦しむシルバーマン。

 片膝を付き右手で傷を抑える。


 そこにエゴセントは覆いかぶさって来る。

 更に牙でシルバーマンの胸を突き刺そうとする。


 その牙を両手でつかみなんとか持ちこたえるシルバーマン。

 両手の使えないシルバーマンをエゴセントが彼の両肩を持ち力一杯投げ飛ばす。


 海に放り投げられ海中に沈んで行くシルバーマン。


 海中で肩の痛みに苦しむ勇一の耳に声が響く。


「エゴセントの弱点は牙の根元」


 勇一は躊躇した。どうしてもチビを救えないのか、なんとかできないのか。


 海上に浮上したシルバーマン、目の前で怒り狂うエゴセントにもう一度声をかける。


「チビ、帰ろう。徳さんのもとに帰ろう」


 エゴセントが凶暴な鳴き声を上げている。

 もしかすると徳さんのもとに帰るなんて無理だと言っているのだろうか、それとも……


 勇一は目を閉じた。

 そして重い左腕を前に突き出す。

 青い光線がエゴセントの牙の根元に命中する。


 その時、エゴセントの凶暴な鳴き声が

「キューン、キューン」

 というチビの甘えた時に発する声に変わった。


「チビ!」

 勇一は倒れるエゴセントを抱きかかえた。


 エゴセントは相変わらず

「キューン、キューン」

 と鳴いている。


 そして勇一の腕の中で静かに消えて行った。


   ×   ×   ×


 勇一は破壊された商業施設の前に立っていた。

 その腕にはチビが眠っている。


「チビ、徳さんのもとに帰って行ったんだね」

 チビは答えない。


 勇一達の横を怪獣からの難を逃れた男女がふらふらと歩いて行く。


「なんだよ、シルバーマンもこんなになる前にもっと早く来いよな」

「本当よ、危うく死ぬところだったわ」


「第一、俺の車が怪獣に踏まれてぺちゃんこだよ。どうしてくれるんだよ、ローンも残ってるのに」

「あの怪獣、本当に憎ったらしいわ」


 男女は更に怪獣への憎しみを露わにする言葉を吐きながら勇一達から離れて行った。


 どこか遠くで鐘が鳴った。どうやら日付が変わったらしい。

 今日はクリスマス。

 勇一はサンタの徳さんがチビのひくそりに乗って天へ召されて行く、空に二人の姿が見える、そんな気がした。


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