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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第1章 プロローグ編
3/18

深海怪獣ロープテールⅡ

「あゝ、うまい。仕事帰りのビールはうまい!」

 カウンタで飲み干したグラスを握りしめながら比呂子はそう叫んだ。


「お前な、店で勝手にビールを飲むなよ。飲むんなら金、払え」

「なによ、兄さんのケチ。お客が少ないんだから、花でもないと困るかなぁと思ってここに座ってやってんじゃないの。ちょっとは感謝してよ。ねぇ、勇一さん」


 カウンタに置いたグラスが音を立てる。

「はぁ」と勇一はイエスともノーともどちらとも取れる回答をした。


 店内には客が三人と坂田と比呂子、それに勇一の計六人。

 店員と客、互角の勝負である。


「やっぱり花はいるよなぁ」

 魚屋の玄さんが、中年らしくいやらしい笑顔で比呂子に声を掛け、そして彼女の横に座った。


「そうよね、玄さは分かってるわ」

 比呂子は援軍の登場で勝利したかのように笑みをこぼした。


「で、比呂ちゃんは彼氏できた?」

 味方はすぐに敵に回った。


「玄さんは私の顔を見たらいつもそのことしか言わないんだから」

 不満そうな比呂子に玄さんは相変わらず中年の笑顔を振りまきながら、


「気になるんだよ。お前さんみたいな美人さんが独りって言うのが。この町には若い男もいないし、いつか別の町の男に取られやしないかってね」

 玄さんが少し頭を左右に振って、困ったねぇという表情を見せた。


「別の町でも別の国でも何処でもいいから早く貰って行ってもらいたいもんだよ」 と坂田がそう言うと、


「兄さんなら宇宙人でもいいって言いそう」

 と比呂子は溜息を吐く。


「だめだめ、俺は比呂ちゃんのファンなんだから。そんな宇宙人とだなんて!」

 と玄さんも否定する。比呂子は否定するところが違う気もしたが


「ありがとう玄さん」

 と言いながら彼のグラスにビールを注ぎ込んだ。


「でもごめんね、私には病院に来るお爺ちゃん達のファンが沢山いるから。玄さん一人の比呂子じゃないの」


「そうか爺さんたちか…… やっぱり比呂ちゃんには彼氏出来そうにないなぁ」

 玄さんはそう言うと彼女が継いでくれたビールを口に運んだ。


「そうそう、そこの兄ちゃんなんかどうなんだい」

 玄さんが勇一に向かってあれあれと言いたげに指をさした。


「あゝ、だめだめ。なんかいつ見ても元気ないし、返事もはきはきしてないし、タイプじゃないなぁ」

 比呂子は首をうな垂れた上で手の平を左右に振った。


「私はどっちかって言うとシルバーマンみたいに強い人がいいなぁ」

「そうか、やっぱり男は強くなくちゃ!」

 玄さんは強く頷いた。勇一は玄さんが座っていたテーブルから、食べかけの揚げだし豆腐と焼き鳥の皿をカウンタまで運びながら


「シルバーマンって強いんだろうか?」

 とつぶやいた。そういえばどこかで同じ質問をした記憶がある。


 それは勇一にとって心の底から知りたい疑問なのだから。

 本当に自分は強いのか。


 そのつぶやきに比呂子は驚いた表情をした上ですかさず反論した。

「何言ってんの。怪獣やっつけてるのに、強いに決まってるじゃない」


 たぶん百人に聞けば九十九人がそう答えるであろう。勇一以外は。

「シルバーマンは、実は臆病で、本当は戦いたくないのに、怪獣が現れると、勝手に怪獣の前に自分の意思でない力で連れ出されて、戦わざるを得ないとしたら……」


「兄ちゃん、なかなか面白い発想するね。小説家になった方がいいんじゃないの」

 玄さんがからかうように言う。


「ふ~ん」

 それに比べて比呂子は真面目に腕組みをしながら考えていた。


「もし勇一さんのいう通り、シルバーマンが仕方なく戦っているとしたら……」

 少し首を傾げながら比呂子は続けた。


「諦めるしかないね」

「諦める?」

 勇一は意外な回答に少し耳を疑った。


「だって、自分の意思に関係なく、怪獣の前に引き出されたら、戦うしかないじゃないの。第一、彼でないと怪獣は倒せないんでしょ。

 まぁ生まれ持った特殊能力だと思って諦めるしかないんじゃない」


「特殊能力?」

「そう、特殊能力」

 比呂子は人差し指を立てて解説を始めた。


「特殊能力って言うのは、人それぞれに持っていて、能力もそれぞれ違うの。

 例えばちょっとほこりが目につくと気になって掃除する人っているじゃない。

 だからその人の周りはいつもきれい。それもその人の特殊能力。自分ではやるつもりもないのにひとりでに行動してしまうの。

 それは個性に近いから止められない。諦めるしかないのよ」


 力説する比呂子をよそに勇一は「諦める」という言葉を心の中で繰り返した。

 諦めるとは逃れられないと言うこと、それを認識して受容すること。

 彼女の意見が正しければ自分は今の境遇から逃れられないことになる、本当?


「比呂ちゃんの特殊能力は、お爺ちゃん達から好かれることだね」

 玄さんが相変わらず中年特有の笑い顔でそう言った。


   ×   ×   ×


 酔いつぶれた玄さんを送り届けた帰り道、勇一は比呂子が言った「特殊能力」という言葉を繰り返し考えていた。


 季節は冬に向かい、海風がとても冷たい。

 彼が着ている薄手のシャツでは耐えがたくなってきた。


 町は暗く人影もない。この世界には自分しかいない、そういう錯覚に陥りそうになる。

 そんな誰もいないこの場所で、勇一の耳に突然、奇妙な声が聞こえた。


「何のために戦っているんだ、君は」

 周りを見ても誰もいない。海岸沿いの道路は、波しぶきを浴びて怪しくキラキラと光っている。


 波の音はいつもと同じ、風だけが、いつもより少しだけ甲高い音をたてて響いている。

 そんないつもの音たちをまるで掻き消すかのように勇一に誰かが語りかけてくる。


「君も気付いているはずだ。君が命を懸けて戦って、たとえ殺されそうになっても、誰も助けてくれない。いや、助けようともしない」


 その男とも女とも区別のつかない声が、潮風と共に耳に湿気を含んで侵入してくる。


「誰だ、僕に喋りかけている奴は」

 勇一は当たりを見渡す。


 右手に防波堤、左手にはこの時期ほとんど観光客がくることのない旅館が並んでいる。

 ほとんど明かりがない中、眼を見開いてその声の主を探してみた。


「誰? 君の心の声だよ」

 不気味な声の主が嗤う。


「君も気付いているはずだよ、もう戦いたくないと。なぜ私に本当のことを言わない。君はもっと自分に正直になるべきだよ」

 勇一は下を向いて目を閉じた。


 そして今まで戦った怪獣たちのことを思い出してみる。

 その恐怖、その時に受けた痛み、死ぬかもしれないという思い、全てが勇一の脳裏に浮かんでくる。


 声の主の言葉は確かに自分の気持ちを言い当てている。

 自分は戦いたくて戦っている訳ではない。

 目の前の脅威を取り除きたい、死にたくない、ただ止むを得ず戦っているだけ、なのだから。


「君が助けた人間たちは君を頼っている。自分たちが死にたくない為に君に戦って欲しいと願っている。君がどれだけ傷つこうとも関係ない。自分たちが助かれば」

 勇一は両耳を手の平で抑えた。


「無駄だよ、これは君の声なんだから」

 薄気味悪い声は更に話を続ける。


「そうやって君が助けた薄情な人間たちはどうだ。何食わぬ顔で楽々と生きている。

 中には悪事に手を染める輩もいる。そう、君が助けたトンボと同じだ。

 トンボを生かしたために小さな虫が食われて死ぬ。

 君が助けた人間も同じように誰かを不幸にする。

 そうやって憎しみは連鎖して行くのだよ」


 憎しみ! その言葉に再び温室のような場所が目に浮かんだ、そしていつものように緑の木々が真っ赤に染まる。


 勇一は目眩を覚えた。


「戦うのを止めよ。もうこれ以上自分を痛めつけるな。そして罪深い人間をこれ以上生き長らえさせてはいけない」


 勇一の脳裏に赤く染まった温室の奥に人影が見える。

 誰だ、声の主はお前か! 更にその人影を追う、人影が振り向いた。

 その人物は、自分? やはり声の主は自分なのか!


「もう一度言う、戦うのを止めよ」

「でも!」

 と言おうとした瞬間、目の前がパッと明るくなった。

 はっとして目を開くと一台の車が近付いてくる。


 ヘッドライトが眩しくて、二つの火の玉が迫ってくる錯覚に陥る。

 その二つの火の玉は、一つは青、一つは赤い炎のように感じられた、そして勇一の近くで重なり合ってひとつの光になる。


 その光に包まれた時、彼の体に恐怖が走った。

 車は何事もなかったかのように通り過ぎて行く。


 車が通り過ぎた後は暗闇が更に深くなり、周りが全く見えない。

 それと同時にあの声も聞こえなくなっていた。


 暗闇に目が少し慣れてきた時、勇一は自分と道路を挟んだ反対側に白く輝くなにかがあることに気付いた。

 更に目を凝らすと、それは白いコートを羽織った女性であることが分かった。


「あのぉ」

 と声を掛けようとした瞬間、女性は微笑を浮かべた。

 勇一はその美しさに息を飲んだ。


 女性は何も言わずに振り返ると小走りにすぐ近くの角を曲がる。

 勇一は思わず追いかけた。どこかで見た記憶がある。

 勇一が角を曲がると、そこに誰もいない。女性は消えてしまっていた。


   ×   ×   ×


「君、名前は」

 勇一の問いかけに「向井亮」とだけ少年は答えた。


 十二月に入ってから雨の日がほとんどない。今日も快晴である。波も静かで、砂浜にいると部屋の中にいるより暖かく感じる。


 朝の仕入れの後、少し時間が空いた。散歩ではないけれど海でも見ようと海岸に出た勇一が見かけたのは、以前「シルバーマンのバカ」と砂浜に書いた少年だった。

 彼はランドセルを足元に置いたまま、以前と同じように海を直視している。


「いつも海、見てるね」

 勇一は思い切って声を掛けた。


 まだ彼はシルバーマンを責めているのだろうか、父親を助けられなかったシルバーマンを。


「そうでもない」

 相変わらず亮の返事は無愛想である。


「それに来週には引っ越しする」

「どこへ」

「お婆ちゃんの家。ここからすごく遠い」


「そう、寂しくなるね」

「そうでもない」


「なんで」

「こんな海、もう二度と見たくないから」


 亮は相変わらず海を直視している。勇一は迷ったが一番聞きたい質問をしてみることにした。


「君はシルバーマンを恨んでるの」

「どうして」

 亮は訝しげに勇一の顔を見上げた。


「前に、砂浜でシルバーマンのバカって書いたでしょ」

 彼は何も答えなかった。そしてランドセルを拾い上げた。


「お父さんのことは残念だったね」

 勇一も何を言ってよいのか分からず彼の父親のことを口にした。


「別に、シルバーマンを恨んでないよ。だって恨んだって父さんが帰ってくる訳でもないし」

 今度は勇一の方が何も答えられない。


 自分はこの少年に何もしてあげられない。

 空を飛び、空間移動ができ、怪獣さえ倒す能力を持っているのに。


「遅刻するから」

 そう言うと亮は勇一を残し砂浜を後にした。


 残された勇一はただ海を眺めていた。

 もし自分が普通の人間ならば、こんな思いをしなくて済んだのだろうか、

 単に亮のことを可哀想だと思うだけで、自分の責任と思わなかったのだろうか、

 どうして人の悲しみまで引き受けなければならない、これも特殊能力だから?


 頭の中がまた「なぜ」で一杯になりそうになった時


「苦しむ必要はないわ」

 と勇一の後ろから優しい声がした。


 振り向くとそこに昨日見かけた白いコートの美しい女性が立っている。

 昨夜は暗闇でぼんやりとしか見えなかったが、今日は太陽の下、はっきりと彼女の美しさが確認できる。

 その聡明な顔立ち、吸い込まれそうな大きな目。


 ただ勇一はこの女性にどこかで会ったような気がする、その感覚は昨夜と同じだった。


「勇一さん、あなたが苦しむことはないわ」

「どうして僕の名前を知っている」

 白いコートの女性は微笑みながら勇一に近づいてくる。


「私はあなたの妻だから」

「妻?」

 勇一は驚いて一歩後へ下がった。


「記憶を無くしているから仕方がないけど、私はあなたの妻、奥さんなの」

 勇一が更に後ずさりする。それでも彼女はゆっくりと近づいてきた。


「教えてほしい、僕は誰なんだ。なぜここにいる」

 白いコートの女性は彼の言葉を無視する。そして彼を優しく抱きしめた。


「会いたかった。私、里子のことも覚えていないのね」

 勇一は彼女に抱かれる、なぜかその温かみに心が和んだ。

 なにか懐かしい気もする。


「もう戦わなくてもいいの」

「戦わなくていい? 君は僕の正体を知っているのか」

 勇一は彼女の腕を振り解いた。


「もちろん、あなたの妻だから」

 里子と名乗る女性はそれでも微笑みを浮かべて彼をじっと見ている。

 吸い込まれそうな錯覚、そして鼓動が高鳴る。


「でももう大丈夫、あなたはもう変身しなくていいの」

 彼女が再び彼を抱きしめる。勇一は抵抗しない、いや出来ない。

 何か彼女の言うことを聞いている方が心地良い。


「なぜ変身しないと言い切れる」

 それでも彼は重い口を開いて質問する。

 彼女がなぜ、そんなことまで知っているのかを聞いておかないと。


「今は何も考えないで。頭が混乱するだけだから」

 彼女が抱きしめる腕に力を入れる。


 そして里子は彼女の唇を勇一の唇に重ねた。

 勇一はもう何も考えられない。


 香水? この心地よい香りは? 

 暖かい。彼女の肌が暖かい。

 美しい。彼女はなんて美しいんだ。


 この人は本当に自分の妻なのか? いや妻であって欲しい。


「さぁ、疲れたでしょう。帰りましょう」


 勇一は里子が言うがまま、手を引かれて歩いた。どこへ行くのだろう。どこでもいい。この心地良さがいつまでも続けば……


   ×   ×   ×


「やっぱり夜勤明けは辛い!」

 店に入って来た比呂子の第一声であった。

 相変わらず大きな鞄を肩から提げて、疲れていると思えない大声を上げて店に入って来た。


「もうお肌もボロボロ」

 カウンタの席に座りこみ、大きくため息を吐く。

 新聞を読んでいた坂田が、チラッと彼女を見て再び新聞に目をやった。


「勇一さんは」

 比呂子は店の中を見渡した。


「さぁ、気になるのか」

 坂田は落ち着いた声で冷やかした。少しむっとしながら比呂子は


「そんな……」

 と言う。坂田には「そんな」の後の言葉が聞こえなかった。


「さっきね、浜辺のプレハブ小屋、ほら夏、海の家に使ってたやつ。あそこに勇一さんらしい人が入って行ったのを見かけたから」

「散歩じゃないか」

 とそっけなく坂田は答えた。比呂子は少し納得がいかない気がした。


「やっぱり気になるんじゃないか」

 坂田は新聞から目を離さない。比呂子は少し小首を傾げて、


「そうねぇ。なんか気になるのよね。私って弱ってる人を見ると助けたくなる、ほら、看護師魂って言うの、そういうの強いから」

 そう言いながら弱っているトンボに水をやっている勇一の姿を思い出した。


「まあいいけど、奴の正体が分からない以上は好きにならない方がいいぞ」

「好きって!」

 比呂子が突拍子もない声を上げる。


「私、そんな気持ちないよ。そんな兄さん、変なこと言わないでよ」

 少し彼女の声が上ずっている。

「それならいいが、あいつの記憶が戻らないとな。もしかしたら結婚しているかもしれないし」


「結婚?」

 比呂子が思ってもみなかった言葉だった。


 確かに彼に記憶がない、だから結婚していても不思議でない。

 言われてみればその通りなのだが、なぜ自分がその言葉に動揺しているのか、それは比呂子自身にも分からなかった。


「でも、それならどうして兄さんは、勇一さんの身元を引き受けたの」

「人出が欲しかったから」

 坂田の目は新聞を見たままである。


「でも近所の人が言ってたよ。嫁入り前の妹がいるのに、若い男を家に住み込ませるのはおかしいって」

「お前、嫁に行くのか」

 坂田が再び落ち着いた声で冷やかす。


「そう言う問題じゃなくって!」

 怒る比呂子を見る訳でもなく坂田は新聞を閉じた。そしてフッと息を吐いた。


「お前は覚えていないだろうが、俺には弟、つまりお前には兄さんがもう一人いてな」

 坂田の語りは冷やかす時と同じ落ち着いたままの声であった。


「聞いたことある。五歳の時に事故で死んだって」

「俺が海辺の崖に誘ったんだ。その後、崖から落ちて死んだ」


 坂田の脳裏に幼い弟の後姿が浮かんだ。そこは崖で岩がごつごつしていた。弟は崖の端で下を見ている。その弟の背中を押す自分の腕が見えた。


「俺が小学四年生の時に弟が死んだ、母さんはものすごく悲しんだ。可愛がっていたからな……」

 坂田の言葉がそこで一瞬途切れた。母親の膝で甘える弟の姿が浮かんだ。


「たぶん、弟が生きていれば勇一と同じぐらいの歳だろう。海辺から男が発見された話を聞いた時、一瞬弟が帰って来たのかと思ったんだ」


「だから身元引受人になったの」

 比呂子は納得の表情を浮かべた。

 坂田はそれを見てそれ以上弟について何も言わなかった。

 比呂子もそれ以上聞くのは遠慮した方が良いと思い、坂田の前から新聞を引き寄せた。


 新聞に目を落とすと、北九州では街が破壊された影響で倒産企業や失業者が増えている、

 或いは街の復興財源のために増税するなどの記事が載っている。


「暗い話ばっかりだねぇ」

 比呂子は新聞をテレビ欄までめくった。

 そこにも「ニュース特集、怪獣は人間に対する自然の脅威か!」などその関係の番組ばかりだった。


「おもしろくない」っと新聞を閉じた時、外が何やら騒がしい。

 坂田も気付いて店の戸を開いてみた。


「逃げろ!」

「また出た!」

 人々が口ぐちにそう叫びながら走って行く。


 坂田は彼等が逃げて行く反対方向である海の方を見る。

 そこには巨大な物体が、そうロープテールが以前と同じように家々の上にそびえ立って町を見下ろしている。


 比呂子も店の前まで出てきた。そして坂田が見上げる方向に目をやる。


「兄さん、怪獣!」

「比呂子、逃げろ!」

 二人は慌てて山の方へ足を向けた。


 その時、比呂子が逃げる足を止めた。坂田は気付かず走って行く。

「ごめん兄さん、先に逃げて!」

 比呂子は海に向かって走って行った。


   ×   ×   ×


 里子は勇一の唇にもう一度自分の唇を重ね合わせる。

 勇一も力一杯里子を抱きしめる。

 そしてふたりは貪るように唇と唇を押し付け合う。

 勇一と里子は絡み合い、そして倒れ込んで行く。


 今自分がどこにいるのか分からない。ただ目の前にいる里子しか見えていない。

 勇一は里子の豊満な胸に顔を埋め、何度も体を重ね合わせる。

 それは今までの苦痛を和らげるが如く、孤独な彼は里子と一体化することで安らいでいった。


「もうどこへも行かないで。私の側にずっといて」

 彼女の言葉が勇一の心を捕えて離さない。

 夢うつつとはこう言うことなのか。


 勇一は今、自分が生きているのか死んでいるのかすら分からない。

 自分の心も体も溶けて行くような感覚。

 もうこの時が永遠であれ、誰も邪魔をしないで欲しい。


「愛してる、もう離れない」

 耳元で里子が妖しく囁く。

 勇一の意識が遠のきそうになった時、急にバタンと大きな音がした。


「何してるの、早く逃げないと死んじゃうよ!」

 ハッとなって勇一はあたりを見回した。そこは薄暗い建物の中。

 汚れた机や椅子が片付けられている。


「ここは……?」

 と言いかける勇一に、


「なに寝ぼけてるの」

 と比呂子が一括する。


 里子は? と周りを見回す勇一。

 しかしそこには誰もいない。消えた?


「悪い夢、いつまでも見てるんじゃないわよ、早く逃げないと!」

 比呂子の叫び声に、何が何やら訳が分からない彼は、ただおろおろするばかりである。


「いいから早く来なさい!」

 比呂子は勇一の腕を取って、無理やりに建物の中から引きずり出す。


「あっ!」

 と比呂子が叫んだ。

 その眼前、もうすぐそこにロープテールが迫ってきている。


「だめ、逃げられない!」

 その比呂子の声に、勇一は初めて今自分が置かれた状況を認識した。

 比呂子は恐怖で立ちすくんでいる。


 このままでは二人とも踏みつぶされる、なんとかしなければ。

 勇一は比呂子を庇うように腕に包み込んだ。

 左手に熱い物を感じる。ロープテールが一歩、また一歩と二人に近づいて来る。


「こら、怪獣! 俺がやっつけてやる」

 声の方向に目をやる、そこには亮がいた。

 彼が届くはずもない石を怪獣に投げつけているのである。


「危ない!」

 比呂子は叫んだ。

 勇一は比呂子の腕を取り、まっすぐ亮の方へ走った。


 走る二人を目で追うロープテール。

 そして彼らが走りつく先に少し方向を変え、またゆっくりと歩き出す。


「亮君、あぶない。逃げろ」

 勇一は片手に比呂子の腕を、もう片方の腕で亮を抱え込み、テトラポットが並ぶ先へ走った。


「放せ! 父さんの仇を討つんだ!」

 亮の叫びを聞こうともせず勇一は走った。


 三人がテトラポットの端に辿り着いて身を隠した時、ロープテールもまた浜辺まで辿り着いていた。


「この子を見てて」

 勇一が抱えていた亮を比呂子に預ける。

 亮はまた怪獣に向かおうとする。


「亮君! 君が死んだらお母さんが悲しむ!」

 勇一の言葉に亮は動きを止めた。勇一は亮の両腕を持ち、


「これ以上誰も悲しませてはいけない。お父さんだって亮君が死んだら悲しいに決まってる。いいね、ここでお姉ちゃんと一緒に待ってるんだ」


 亮は何も言わない、ただただじっと勇一の言葉を聞いていた。

 比呂子は亮を抱きしめる。そして勇一の方を見て微笑んだ。


 本当は心臓が飛び出しそうに脈打っている。

 それでも彼女は精いっぱいの笑顔を作って頷いた。


「ここを動かないで」

 彼の顔はそれまで比呂子が見たことも無い凛々しさを称えている。


「大丈夫だから」

 そう言うと、勇一がテトラポットを離れた。


「勇一さん!」

 比呂子の叫びを聞かず、彼はロープテールの目の前まで走って行く。


 ロープテールは勇一の姿を見つけると、彼に向かって歩みを進める。

 勇一は怪獣の動きを見てできるだけ比呂子たちから離れるべく、逆の方向へ、少しでも遠くへ走って行く。

 比呂子の位置から勇一が見えなくなった。


「勇一さん、死なないで」

 比呂子がそう祈った時、青い光が天に向かって延びて行く。

 そして光が消えた後、シルバーマンがその姿を現した。


 眼前に現れたシルバーマンにロープテールは雄叫びをあげる。

 シルバーマンは突進しロープテールとがっぷり四つに組み何とか海上に押し戻そうとする。


 そんなシルバーマンにロープテールは背中を何度も何度も殴りつける。

 そして体をかわしてシルバーマンを海側に投げ飛ばす。


 起き上ったシルバーマンが今度は尻尾をつかみ海へ引きずり戻そうとする。

 しかしロープテールも大きく尻尾を左右に振って抵抗する。


 尻尾の力はシルバーマンの力を上回っている。

 左右に体を振られたシルバーマンはその勢いで再び海に叩きつけられる。


 態勢を立て直してシルバーマンがロープテールの背中に飛び蹴りをする。

 ロープテールが浜辺に前のめりに倒れる。


 その背中にシルバーマンが馬乗りになりロープテールに何度も拳を振り下ろす。

 その時、シルバーマンの首に何かが巻きついた。ロープテールの尻尾である。


 首を絞められ苦しむシルバーマン、なんとか振り解こうと尻尾に攻撃を加える、少し締めつけが緩んだが、その間にロープテールが勢いよく起き上った。


 その勢いでシルバーマンが海上に吹っ飛ばされ、そしてそのまま海に沈んで行く。


 海中に沈んだ勇一は冷静になれと心に言いきかせる。

 言い聞かせる声と同時にあの囁きが聞こえる。


「ロープテールの弱点は尻尾の付け根」


 海面に浮上し海岸を見ると、ロープテールはまだシルバーマンに尻を向けた状態だった。


 ロープテールは尻尾を大きく振り上げてシルバーマン目がけて振り下ろす。

 シルバーマンは海中に潜りその難を逃れる。


 そして再び海上に頭を出した時、ロープテールも再び大きく尻尾を振り上げた。


「今だ!」


 シルバーマンは左手を前に突き出す。

 左手から発せられた光線は見事にロープテールの尻尾の付け根に命中。


 ロープテールは動きを止める。そして断末魔の声を上げながらフェードアウトするように跡形もなく消えて行った。


   ×   ×   ×


 勇一は里子と会っていたプレハブ小屋の前に立っていた。

 小屋はロープテールの襲来で壁に穴があいている。


 プレハブが壊れたこと以外、砂浜は以前と同じか、それ以上に穏やかになった気がする。


 本当に彼女はいたのだろうか、自分が見たのは幻だったのだろうか、里子の美しさ。そして彼女との甘美な交わり。それにしては現実味のある夢だった。


「本当に死ぬところだった。あなたといるとろくなことない」

 彼の背後までやって来た比呂子がそう言った。

 亮も彼女の足元にいる。勇一は振り返って、二人の姿を確認した。


「ふたりとも無事でよかった」

「勇一さんも、ほんと無茶するから、こっちこそ心配したよ」

 比呂子が頬を膨らませて勇一を睨んだ。そんな彼女を見て


「でもお兄ちゃんがいなかったら僕たち死んでたよ」

 と亮が慰めた。


「そうだね、今日はちょっとだけ勇一さんのこと見なおしたよ。でもシルバーマンがいなかったらみんな死んでたね」

 比呂子は亮の思いを知らずにシルバーマンを称賛した。

 亮は笑うとも笑わないとも付かない複雑な表情を浮かべた。


「死ぬところで思い出した。そもそも、ここで何してたの」

「えっ」

 彼は一瞬言葉を失った。

「あゝ、僕のことを知っているって言う人と会ってたんだ」

 勇一は里子とのことを言わなかった。と言うよりは言えなかった。

 何か後ろめたい気持ちがあったから。


 でも、なぜ後ろめたい気になるのだろう。

 が、やっぱり言えなかった。


「でもプレハブの中にはあなたしかいなかったよ」

「そう、でもおかしいなぁ。いたはずなのに」


「幻でも見たんじゃないの」

 比呂子には里子が見えなかのだ。


 彼女の言う通り幻だったのか、いやそうは思えない。

 なぜならあまりにも実感がある。


 里子は現実にいた。そして彼女は明らかに自分のことを知っている。

 そして自分の「なぜ」に対する答えを全て持っているはず。彼女にもう一度会えば、でもなぜか気が引ける。


 勇一は目の前の二人を見た。

 自分に安らぎをくれる比呂子。自分の本当の姿を知っている里子。


「で、いたとして何か教えてもらったの」

「何も……」


「何もないの!」

 あきれたと言わんがばかりの声を上げる比呂子に勇一は一応弁解をした。


「聞こうとしたら、怪獣が現れたから聞けなかったんだ。でも小屋に自分しかいなかったとしたらやっぱり幻だったのかなぁ」


 勇一はこれ以上この話を比呂子の前で続けたくなかった。

 取りあえず幻を見たことにしておこうと思ったのである。


「やっぱりシルバーマンは強いや。僕も憧れるよ」

 亮がカリカリする比呂子の気をそらすようにそう言った。


 勇一は亮の言葉の真意が掴めなかった、

 ただ以前と違いシルバーマンへの思いが変わった気がする。


 なぜならシルバーマンと言葉を発する時、彼に笑顔があったから。

 勇一は思い切って亮に聞いてみた。


「亮君、もうシルバーマンのことは恨んでない?」

 亮が大きく頷いた。


 それはたぶん彼の本心だろう、勇一は安堵した。

 少しでも自分の能力は亮のためになった、そう思えたからである。もしかすると自分の持つ特殊能力は誰かの役に立つのかも、そうであって欲しいと勇一は願う。


 状況を把握できていない比呂子が

「なんのこと?」

 と聞くが「秘密」と亮は答えた。


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