双頭怪獣ツインネック
勇一が目を覚ました時、彼の目にしたのは、茶色い木目が目立つ天井と、そこにぶら下がった電灯だけであった。
どこかで見た風景、そう、ここは坂田家、勇一が間借りしている部屋である。でもどこか病院で目覚めた時と同じ感覚がある、なぜ? 香り……。
「やっと目覚めたようね」
その声に聞き覚えがある。そう思った時、いきなり勇一の視界一杯に比呂子の顔が覆いかぶさって来た。
「よく寝られるわね、三日間ずっと寝っぱなしよ」
その切れ長の目が睨んでいる、その顔はどう見ても怒っている。
「また全身打撲、いったい何をしたの」
確かに体は痛い、だが前回のような激痛ではない。勇一は以前と違い無理せず上体を起こすことが出来た。そして比呂子の方を向き直り、
「僕はどうしてここに」
「また海岸で見つかったのよ。本当に好きね、海岸沿い」
あきれ顔の比呂子がその先を続けた。
「それで病院にまた担ぎ込まれた訳。でも打撲も以前よりは軽いし、身元引受人もいるし、なにより健康保険の利かないあなたが入院したら誰がそのお金を支払うの、って話になって自宅療養になったのよ」
少し溜息をついて比呂子の話は続く。
「でもね、ここからが納得いかないのよ。先生も兄さんも心配だからって、私に看護しろって言うのよ。分かる! 結局休暇を取って!」
少しずつ比呂子の語気が上がっていく。
「いい! 私の貴重な休暇を返上して! あなたの看護をした訳!」
「それはどうも……」
勇一は何と言っていいか分からずその一言を発した。
「それはどうも!」
彼女の怒りは頂点に達した。火に油を注ぐとはこのようなことを言うのであろう。
「いい! あなたがどこで何をしようと勝手だけど、なんで私があなたにこんなに尽くさなきゃいけないの。奥さんでもなければ母親でもないのに!」
彼女がドンと畳を力任せに叩く。少しほこりが舞った。
「もう気が付いたからいいでしょう! 今を持って看護終了。後は自分でなんとかしなさい!」
そう言い捨てると、比呂子は立ち上がって、勇一を見ること無く部屋を出て行った。
勇一は彼女に申し訳ない気持ちで一杯になった、だがそれ以上に彼女のさっきの言葉が胸に引っ掛かかる。
『奥さんでもなければ母親でもないのに!』
ごもっともな意見である。比呂子と自分は何の関係も無い赤の他人、ただ同じ家に住んで、自分の記憶の最初が比呂子であると言う以外は。
「痛い!」
勇一は肩に痛みを覚えた。
あの怪獣にやられた時の痛みである。
そういえば、彼が比呂子を怒らせた原因は。あれは夢だったのか、自分は本当に怪獣と戦ったのか、勇一は左手を見た。
そこに青い炎はない。そう、夢であって欲しい、いや夢だ、夢に違いない、そう強く心に念じてみる。
しかし勇一が夢だと念じたことはあっけなく裏切られた。布団の横に無造作に置かれた新聞記事に、怪獣と銀色のヒーローの載った写真が一面に掲載されていたからである。
× × ×
後で知った話であるが、あの戦いの後、怪獣は太平洋を南下、自衛隊が追跡するも海底深く潜ったらしく、それ以降の足取りは不明とのこと。
怪獣と戦った巨大戦士はマスコミでも大きく取り上げられた。さっそく名前をどうしようと言う話になり、広く市民から公募することになった。
が、応募名は意味がよくわからない外国語だったり、すでに商標に登録されていたりで思ったよりも選考は難航した。
結局全身が銀色の巨人なのだから『シルバーマン』に決定された。単純と言えば単純であるが、選考委員の人たちは満足げな笑顔で発表していた。
かなり苦労したのだろう。周りからの安直と言う批判は彼らには届かなかった。
ちなみに怪獣の名前についてはすんなり決まった。ロープのような尻尾を持つ怪獣なので、ロープテール。案外こちらの方は世間からの批判はなかった。
シルバーマンよりもちょっとカッコいい名前だったからだろうか。
シルバーマンの活躍はテレビでも大きく取り上げられた。
ニュースやワイドショーは地元のビデオ愛好家が撮ったシルバーマンとロープテールの戦いの映像を何度も何度も繰り返し放送している。
テレビでは生物学の大学教授だけでなく、動物評論家などと言う訳なのわからない類の輩まで解説者として出演している。
怪獣出現については、何かの生き物が突然変異で生まれた説、深海に住んでいた
生物が地殻変動で海面まで現れたと言う説、あるいは宇宙から飛来した生物などと諸説が語られていた。シルバーマンについては? よく分からないと解説している。
が、怪獣にしてもシルバーマンにしても自然の脅威ですね、と大体の番組は結論付けて終わっていた。ただ共通しているのは今回の怪獣以外に同類の怪獣はいないだろうということだけである。
今回の怪獣も深海に潜ったまま、もう現れないかもしれないとの見方をしている解説者もいた。テレビを見上げる勇一も再び怪獣が現れないことを祈った。
怪獣出現から一週間が過ぎ、〈ほとり〉はいつも通り昼は大衆食堂、夜は居酒屋に戻っていた。ただ客の話題がシルバーマン一色であること以外は。
「やぁ、かっこよかったよな。なんか手からビームみたいなの出したよなぁ」
「そうか、結構怪獣にやられっぱなしだったような気もするけど」
二人の男たちが、いつもならば今日一日の出来事で酒を酌み交わすところを今日は怪獣出現のことをつまみに語り合っている。勇一は聞くでも聞かないでもなく厨房で食器を洗い続けていた。
「俺も昔はヒーローに憧れたよなぁ、ああやって怪獣をやっつけたかったな」
「俺も俺も、やっぱり男の子は誰だって憧れるよなぁ」
何なら代わってあげようか、と勇一は思った。実際はかっこ良いなんて考える間もなく、それよりも痛いし怖いし、文字通り死ぬ思いなのであるから。
「でも、テレビみたいに怪獣攻撃隊みたいなの作らないのかなぁ日本政府は」
「そんなの特撮ドラマの世界だけでしょう。自衛隊だけでも防衛費が云々って言っているぐらいなのに」
「世知辛いねぇ、現実は」
片方の男が溜息をつく。
「空想の世界なら、ほら、富士山の麓に秘密基地かなんかあって……」
勇一は〈富士山〉という言葉に耳を留める。なぜだろう? 〈富士山〉という言葉を聞いた瞬間、緑で埋もれるぐらいの木々が生い茂る、なにか温室の様な場所が思い浮かんだ。と同時に富士山を背にした赤い屋根の建物も見える。
温室の風景は以前、病院で目覚めた時にも頭の中で浮かんだ風景である。何か言いようのない恐怖が……
勇一は軽く目眩を起こした。倒れるほどではないがシンクに手を突いて大きく息を吐いた。食器洗の水が流れ続けて泡が排水口に渦を巻きながら吸い込まれていく。
「ちょっと良いですか」
〈ほとり〉の戸を少しだけ開けて男が顔を覗かせた。
「××放送です。怪獣について取材したいのですが……」
「どうぞ」
坂田の判断は早かった。男が安堵の表情を浮かべ戸を全開にした。
彼の後ろにはカメラを持つ人、ライトを持つ人、マイクを持つ人など数人の男たちが控えている。勇一は厨房から出て彼らの様子を伺った。
「お、俺、怪獣見たぞ!」
さっきの客がテレビクルーの前にしゃしゃり出た。
「すみません、どの辺りからご覧になっていました」
「おぅ、ちょうどこの辺りから海の方を見てるとだなぁ……」
男が喋り出すと、連れの男も外に出て
「俺はこっちからだぞ」
と言い出す。テレビクルーたちは彼らに引っ張られて店から離れた。
「しばらくは怪獣騒ぎで騒々しいなぁ」
坂田はカウンタの前まで出て来た勇一にぽつりと言った。明らかに嫌そうである。
「あんたも見たんですか、怪獣?」
勇一は不意を突かれてその声の方向を二度見した。そこには地味な中年男が一人カウンタに座っている。
「テレビの人ですか」
いつの間にそこに座ったのだろう、全く気付かなかった。
「いや、いや。フリーライタです。上条と言います」
上条と名乗る男はポケットから名刺を出し、勇一に渡した。勇一が訝しげに名刺に目をやると、『フリーライタ:上条元男』と書かれている。
再び目を上条に向けると、そこにはご丁寧に坂田にも名刺を渡す彼の姿があった。
「見たんですよねぇ、怪獣」
質問が坂田にではなく勇一に飛んできた。勇一はこの男がさっきからなぜ自分にばかりに質問するのかが理解できない。
「ええ、まぁ」
「すると、あの銀色の巨人も見たんですよねぇ」
勇一は一瞬答えに詰まった。見ていないのである。なにせ自分なのだから。
「シルバーマンって言うらしいですよ」
坂田が言葉を挟んだ。そのお陰で勇一の言葉が出て来なかったことがばれずに済んだ。
「そうそう、そんな名前でしたね」
上条は坂田に軽く相槌を打ちながら、それでも勇一に質問をしてくる。
「見たんでしょ、シルバーマン」
「見ましたよ、もちろん」
今度は心の準備が出来ていて即答することができた。ただ間髪入れずに答えたことが逆に不自然だったかと不安にも思った。
「いや、僕も見たかったなぁ。憧れじゃないですか、巨大怪獣とヒーローの対決。子どものころよくテレビで見てましたもん」
テンションを上げて話す上条に勇一は身構えた。明らかにこの男は自分から何かを聞き出そうとしている、そんな気がしたからである。
「怪獣騒ぎって言いますけど、これで観光客とか呼べるんじゃないですか、怪獣が見られる海辺の食堂、とか言って」
「そんな、しょっちゅう怪獣が出られたらこの店が踏みつぶされてしまいますよ。この間も危なかったのに」
「そうか、でもこの間の怪獣を生け捕りにするか、せめて剥製にできたら商売できたでしょうね」
剥製と言う言葉を聞いた瞬間、勇一の脳裏にまたあの植物の生い茂った温室の情景が浮かんだ。
「どうぞ、精力付きますよ。なんせこの辺の魚は怪獣と一緒に泳いでた奴ですから」
坂田が上条の前に刺身を出した。上条は
「どれどれ」
と口に刺身を運び
「旨い!」
と叫んだ。
「こんな旨い魚には、ぬる燗で頂けますか」
「いいんですか、仕事中なんでしょう」
勇一が問いかけると上条は人差し指を二回ほど横に振りながら、
「それが、フリーライタの特権ってやつですよ」
嬉しそうな上条をよそ目に勇一は日本酒を取りに厨房に入った。
「彼、記憶喪失ですって?」
勇一が近くにいなくなった直後、上条は坂田にそう尋ねた。
「彼が何か?」
「いやぁ、ミステリアスだなっと思って。だって彼が現れたらしばらくすると怪獣が出てきて、そのうえシルバーマンでしょ。もしかしたらって」
「もしかって?」
声の主は坂田ではなかった。上条が振り返るとそこには大きな鞄を担いで、やや仁王立ちになった比呂子が睨んでいた。
「おかえり」の坂田の声も聞かず比呂子が喋り出した。
「彼は人間です。病院での検査でも、血液も流れていて、脈も正常。肺もあって呼吸しています。私もレントゲン写真を見ましたが全くの正常でした。第一あんな頼りない人がヒーローな訳ないでしょう」
最後の頼りないに語気が強調される。徳利を持って戻ってきた勇一は少し複雑な気持ちであった。
「そうか、面白いネタだと思ったのに」
上条ががっかりした表情で刺身を口元に運びながら比呂子を見て
「あんた、彼の恋人?」
「えっ」
比呂子は不意を突かれた感じがした。思ってもみなかった質問だったからである。
「そんな訳ないです。私はここの住人で、彼が担ぎ込まれた病院で看護師をしています」
「ふーん」
上条は納得いかない顔をしながら、
「その割には、彼をえらくかばうな、と思って」
「かばってませんよ、私の患者さんだったから、あなたに説明差し上げただけです。私は患者さん全員に同じ態度で接していることがモットーなので」
比呂子は憮然とした。二人の会話を複雑な気持ちで聞いていた勇一は、取りあえず徳利を上条の前に置いて無言でその場から離れた。
外ではまだ酔っ払いの解説が続いていた。
× × ×
「後の戸締りは任した」
坂田は最後の片づけを終えて勇一にそういった。
「了解です」
彼も最後の丼を洗い終えて、食器乾燥機にセットしたところである。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
坂田は二階への階段を登って行った。
今日もいつも通りの一日、とにかく今日も怪獣は現れなかった、勇一はホッと安堵する。
一頻り片付けが終わって勇一が店の電気を消した後、ふと店の前の通りに出てみたくなった。外に出れば波の音が聞こえるからである。
表はもう冬を感じさせる肌寒さ。今日は空に雲はなく、明かりの少ない田舎だけのことはあって文字通り満点の星が輝いている。
何気なしに足元をみると、トンボが道ばたに落ちている。止まっているのではなく落ちているのである。
もう寒いからトンボの季節も終わりだなぁと思いながらひざまずいて観察して見るとまだ羽がかすかに動く。
「まだこいつ生きてる」
勇一はトンボを手に取って店の中へ入って行く。
「誰かいるの?」
比呂子が二階から降りて来たのは勇一がトンボを拾ってから五分後ぐらい経った頃である。
彼女が目にしたのは、一人店の椅子に座っている勇一の姿だった。彼は手元に集中している。
「何してるの?」
と比呂子が彼の手元を覗き込む。
勇一は比呂子が近付いて来たことに気付いているのか気付いていないのか、手元を見たまま何も答えない。
「トンボ?」
と彼女は不思議そうにそう言った。
なぜなら、彼が割り箸をトンボの口元へ運んでいるからである。
「水を割り箸につけて、水滴をトンボの口元に持っていけば彼はそれを飲もうとする。飲めば生きる望みがある」
確かに割り箸の先に水滴が付いている。比呂子はその箸先に注目した。
するとトンボの口辺りでその水滴が無くなった。
「飲んだの?」
「うん、飲んだ」
勇一は机の上にあったコップに割り箸を浸けて箸先に水滴を付けた。
「へぇ、知らなかった。トンボってそうすると元気になるんだ」
勇一は何度か水滴をトンボに飲ませた。比呂子はその作業を黙って見ていた。
何度かの作業の後、彼が指に挟んでいたトンボの羽を放してみる。するとトンボは一瞬地面に落ちかけたが、そこから羽をはばたかせ、勇一たちの頭の上を飛んで行った。
「本当に元気になったね」
比呂子が勇一を見て微笑む。勇一もまた比呂子に微笑み返した。
「勇一さん優しいね」
「優しい?」
勇一は訝しげに首を傾けた。
「でも、あのトンボが寿命を延ばしたことがいいことなんだろうか」
「どう言う意味?」
「あのトンボ、本当は今日店の脇で静かに死んだ方がましだったかもしれない。今あんなに元気になったおかげで、明日は、例えばカマキリに捕まって頭から食われる苦しみを味わうかもしれない」
勇一は喋りながら今のトンボと自分を重ね合わせた。
そう、自分も海岸で発見されることなくそのまま死んでいれば、怪獣と戦ったりしなくて済んだかもしれない。
もし次怪獣が現れたら、カマキリに食われるトンボのように自分も……。
「それに、彼が生き返ったことで本当なら生き延びたかもしれない小さな虫があのトンボに捕食されるかもしれない。それは小さな虫にとって悲劇だ」
比呂子は不思議そうに小首を傾げながら、
「なら、なんで助けたの、あのトンボ」
コップと箸を片づける勇一の動きが止まった。
「本当だ、なんで助けたんだろう」
そう言えば、なぜか分からない。無意識にトンボを助けようとしている自分に今気がついた。
「なんか哲学者っぽい言い方しても勇一さんは誰かが弱っていたら助けようとする普通の優しい人間なのよ」
「普通の人間!」
普通の人間って何? 巨大化して、手から光線を出して怪獣と戦う。それでも普通の人間なんだろうか。
勇一は比呂子に問いただしたい気持ちで一杯だったが、自分が普通の人間でないことを知られたくない、だからその問いを口に出せなかった。
「優しい人だってほめてるんだから少しは嬉しい顔しなさいよ」
比呂子が腕を組んでむくれている。
「あっ、ごめん」
「そこはごめん、じゃなくて、ありがとうでしょう。相変わらずどっかずれてるね」
比呂子が少し笑った。つられて勇一も笑った。
普通って何だろうと考えながら勇一は左手を見た。
そこに青い炎は見えなかった。
× × ×
次の日は〈ほとり〉は定休日だった。勇一はすることも無く、ぶらぶらと散歩に出た。
まず彼が立ち寄ったのは、自分の発見された岩場だった。
「ここか」と見つめる先には海の波で複雑に浸食された岩があるのみ、それ以上でもそれ以下でもない。
何か手掛かりでもとゴツゴツした岩場を歩いたが、やはり何もない。
自分がどうしてここに倒れていたのか、思い出せない、第一、ここで倒れていた記憶すらもない。目が覚めた時は病院なのだから。
記憶が蘇らない苛立ちの中もう少し先まで歩いてみた。
岩場から少し先には波消しのテトラポットが幾つも並んでいる、それを更に越えると小さな砂浜に出た。
ここは観光地から離れているが、夏になればそこそこの海水浴客が来るらしい。今は冬の入り口なので人は誰もいない。
この砂浜の先にはあの時、ロープテールと戦った海が広がる。
そんな記憶だけは鮮明に蘇った。それは恐怖以外なにものでもないのだから。
砂浜の真ん中あたりに目をやると、小学校高学年くらいだろうか、一人で海を見ている少年がいた。周りには親も友達もいない。
ただ一人で海を眺めている、というより直視している。
足元に太い木の枝が落ちている。勇一は少年に近付いて行った。
近づくと砂に何か文字が書いてある。さっきの枝で書いたのであろう。
勇一は何の気も無く更に近づいた、そして勇一はハッとする。
「シルバーマンのバカ」
砂にはそう書かれてあった。
勇一の目はその文字に釘付けになった。
「あの子の親はね、この間の怪獣騒ぎで親父さん亡くしたらしいよ」
いつの間に現れたんだろう、上条が勇一の傍らに立っていた。
「釣り船の船長だったらしい。あの日は夜釣り客を乗せて海にいたそうだ」
海風が砂を舞い上がらせる。文字の上にも白い砂が被り、字が少しだけ見難くなった。
「海から現れた怪獣のせいで船が転覆。釣り客たちは救助されたが彼の父親だけは見つからなかったそうだ」
上条は淡々と語った。
しかし勇一にはなんでお前が助けなかったんだと責められている気がする。
たぶん上条にはそんなつもりないはずなのに。
「まぁ、今回の唯一の犠牲者だからなぁ。なんで自分の父親だけって思うのも分からないではないがなぁ」
上条が責めないにしても少年は自分のことを責めている。
なぜ父を助けなかったのかと。
「たぶん彼はシルバーマンのこと恨んでますよね」
上条が神妙な面持ちで、
「まぁ、逆恨みも恨みのうちだからねぇ。シルバーマンも気の毒な話だ。全ての人を助けるなんてできないだろうに。役得じゃなくって、役損だね」
「やくぞん?」
自分がその役をやりたければ、その損を甘んじて受け入れるだろう、がしかし勇一はシルバーマンの役を買って出た訳ではない。
「でも君が気にすることじゃない」
その言葉は慰めに聞こえた。風が更に強く吹き、文字は完全に砂に埋もれて見えなくなった。
× × ×
その夜、勇一は自室の天井を眺めていた。
今日見かけた少年はシルバーマンを恨んでいるに違いない。
でも自分は精いっぱい戦った。
と言うより、そもそも誰かを守るために戦った訳ではない。
自分を守るために戦ったのだ。
自分はテレビのヒーローではない。
なのになぜこんなに気持ちが落ち込むのだろう。
なぜ怪獣が現れるのか、なぜ変身するのか、なぜ戦うのか、そしてなぜ責められるのか。なぜはいくらでも勇一の頭の中から浮かんでくる。そして消えない。
勇一は勢いよく立ちあがる。
そして雑念を取り払うかのように頭を左右に振った。
気分を変えようと部屋を出るとテレビの声が階下から聞こえる。店の方からだ。勇一が階段を下りて行くと坂田が店のテレビを見ていた。
「また怪獣が出たらしいぞ」
ぎょっとしてテレビを見上げると、そこには二つのトカゲのような頭を持った怪獣が映っている。
『現在、北九州工業地帯に怪獣は向かっています。あっ、目の前のビルが壊されていきます。付近の皆さんは速やかに避難してください』
アナウンサは絶叫しながら中継を続けている。
北九州と聞いて勇一はホッとした。
ここからかなり離れている。目の前に怪獣が現れなければ戦う必要はない。
『自衛隊の戦闘機が来ました。ミサイル攻撃が始まります』
アングルが離れたところから怪獣を捕える映像に変わった。
小さくなった怪獣へミサイルが撃ち込まれる。
一瞬閃光で怪獣の姿が見えなくなった。
しかし光が収まるとまだそこにはふたつの首のシルエットが浮かぶ。
怪獣にとってミサイル攻撃の効果がないことは専門家でない人間でも一目瞭然である。
『ミサイルは全く歯がたちません』
アナウンサは分かり切ったことを繰り返すのみであった。
『やはりシルバーマンでなければこの怪獣は倒せないのでしょうか、ですがシル
バーマンが現れる気配はありません』
勇一がその訴えに反応した。行かなければならないのか。
なぜ自分が? 自分がシルバーマンだから、だから戦えと言うのか。
「こりゃ駄目だな。シルバーマンでないと勝てないよ」
あきらめ気味の坂田の言葉に勇一は拳を強く握った。
「熱い!」勇一が手の平を見る。またあの青い炎が見える。
「戦えと言っているのか!」
この場で変身する訳にはいかない、勇一は店の外へ出た。
するとどうだろう、彼の体が急に軽くなる感覚に陥り、目の前がまるでテレビのサンドノイズのように変化して行く、怖くて思わず目を閉じてしまった。
体の感覚が元に戻った。ハッとして目を開けた瞬間、自分の前にテレビで見た怪獣がそびえ立っている。
「なぜ、ここにいる」
そう考える間もなく双頭の怪獣が勇一を踏み潰そうとする。
「わぁ!」
と叫んだ瞬間、再びあの心と体が光と一体になって行く感覚が蘇った。
気付けばまた怪獣の視線と同じ高さの自分がいる。
双頭の怪獣はシルバーマンの存在に怒り立っている。
そしてその口から火を吐く。
シルバーマンは避けようとするが周りの建物が邪魔で動けない。
「わぁ!」
火炎が体の横を通り抜ける。火炎の直撃は避けたものの、猛烈な熱さがシルバーマンの腕を襲う。
「だめだ、このままだと殺られる」
シルバーマンは飛び上がった。そして空中で静止する。
怪獣が仰ぎ見て咆号し、再び双頭の怪獣が空中のシルバーマンに火を吐く。
今度は自由度の高い空中のためなんなく避けることができた。
怒る双頭の怪獣、その二つの口から交互に火を吐き続ける。
空中のシルバーマンはそれを右へ左へと移動し、なんとか難を逃れた。
今度はシルバーマンが左手を前に出し、青い光線を片っ端から放った。
そのほとんどは怪獣に命中するも全く倒れる気配すらない。
光線が怪獣に反射して周りの建物が爆発した。その閃光で一瞬怪獣の姿を見失う。気付くと火炎が自分に向けて飛んでくる。
シルバーマンは避け切れず、そのままバランスを崩して墜落した。
「まずい」
墜落時に体を強打して動けない。
双頭の怪獣は再び咆号を上げた。
そして一歩、また一歩と近づいて来る。
今この状態で火炎を吐かれては直撃を食らってしまう。
「もうだめだ!」
と思った時、
「弱点は背中側の首の割れ目の部分」
と勇一の心に囁く声があった。
勇一にはその言葉を疑っている時間はない。
シルバーマンは全力を振り絞り立ちあがった。
双頭の怪獣はその姿を見て更に怒り立ち二つの口から同時に火炎を吐く。
シルバーマンは飛び上がり怪獣の上を飛び越え背後に回った。
怪獣が振り向こうとするより早く、シルバーマンが左手を大きく前に突き出した。
その手から放たれた青い光線が双頭の怪獣の首の分かれ目に命中する。
怪獣は断末魔の声を発した。
そしてまるで空中分解するかの如く跡形もなく消えて行くのであった。
× × ×
勇一は独り海を見ていた。全身が痛い。
昨夜の怪獣の攻撃を受けて墜落した時の痛みだ。
だが寝込む訳にはいかない、これ以上周りに迷惑をかけたくない、いや比呂子に迷惑をかけたくない、だから痛みに耐えて働いた。
どこも痛くないふりをした。おそらく比呂子には気付かれていないと思う。
初冬の太陽はどこか弱々しく、頼りなげに光を海に注いでいる。
今日は風もなく海も穏やかである。
勇一は時間がこのまま止まればいいと思った。
時間が止まればもう嫌なことは起こらない。
怪獣と戦わなくてもいい。だから止まってくれ、時間よ、止まってくれ。
「昨夜のテレビ見ましたか」
驚いて隣を見る。また気付けば上条がいる。
全く気配を感じさせない人間だなぁと勇一は思った。
「いやぁ、やっぱりシルバーマンは強いなぁ、自衛隊じゃ勝てなかったでしょう」
上条の言葉がうわべだけを語ったように聞こえた。
なぜ今もシルバーマンの話題を自分にしてくるんだ、そもそもシルバーマンは強くない。
「そうですか、負けそうになっていたじゃないですか」
勇一は少し苛立った言い方をした。
「あなたはシルバーマンが強くないとおっしゃりたいのですか」
「彼は自分自身のことを強いと思っていない、そんな気がするんです」
本心が口から漏れそうになった。
本当は怖いんです、戦いたくないんです、と。
「ほう、面白い意見ですね。なぜそう思われますか」
少し薄笑いを浮かべながら質問をする上条、勇一は上条が、シルバーマンの正体は自分ではないかと疑っていることを思い出した。
しまった、喋りすぎた、と思いつつ何とかごまかすための言葉を探した。
「だってテレビで見ていたら、やたらと光線を打ちまくっていたじゃないですか」
勇一は嘘をついた。そしてばれないように冷静さを保とうとした。
「あなた昨日どこにいました」
「どこって、店にいましたよ。坂田さんに聞いてみてください」
「そうですか」
上条の薄笑いが、更に唇を歪める。
「すみません、変な質問をしてしまいました。あなたが北九州にいて、シルバーマンと怪獣の戦いを見たのかと思いまして」
「どう言う意味ですか?」
勇一は慌てて聞き直す。
自分の嘘がばれている。なぜ。
「テレビ中継、シルバーマンが現れた直後、電波障害で中断したんですよ。放送が再開された時にはもう勝負がついていましたから」
上条は勇一の肩をポンと軽く叩くと、少しニヤと笑いながら彼から離れて行った。