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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第6章 エピローグ編
18/18

宇宙昆虫ヘイト星人

 勇一は茫然とその風景を眺めていた。

「この風景……」


 東阪大学植物研究所と書かれたかなり広い温室と、その隣に併設された赤い屋根の建物。そしてその後方には富士山が見える。


 勇一は悠美から教えてもらった情報と、彼女に教えられた“絶望の中の希望”を持ってここまでやって来た。

 勇一は自分の正体と怪獣出現の謎を解き明かし、戦いに終止符を打つ、そして比呂子のもとに帰る。そう、それが今の彼の希望なのだ。


 併設の赤い屋根の建物はどこの入り口も閉っていた。

 窓もここ最近開けられた気配がない。

 植物園の方も入り口には大きな錠前が掛けられていた。

 中を覗くと熱帯性の植物だろうか、大きな葉が一面に生い茂っている。


「ここはもう使われていませんよ」

 いきなりの声に勇一は驚いた、そしてその声の方向に向き直る、

 そこには黒衣の男がステッキを片手に立っていた。

 この男をどこかで見たことがある。そう、あの夢の中で語りかけてきた男。


「こちらへどうぞ」

 黒衣の男は勇一を温室の扉の方へ手招きをした。

 勇一は一瞬躊躇したが彼が真実を知っていることは明らかだ。

 だから真実を知るために彼の後を付いて行くことにした。


 黒衣の男が扉の前で手に持ったステッキを南京錠に当てる。

 すると鍵を差し込んでいないにもかかわらず鍵が一人でに開き、そして地面に落ちた。黒衣の男が扉を開けて、再び勇一に手招きをする。


 勇一は躊躇なくその後を追う。


 温室の中は熱帯性の植物が所狭しとその枝を伸ばしていた。

 枝には大型の葉が行く手を阻むかのように一面を覆っている。


 黒衣の男がその生い茂る葉と葉の間を縫うように歩いて行く。

 勇一は黒衣の男を木の葉で見失いそうになりながらもその後をしっかりと追っていた。


 少し植物が少ない場所に辿り着いた。

 温室の端まで来たのであろう。ガラスの壁を通して隣の赤い屋根の建物とその後ろの富士山が見える。


「思い出しませんか、ここであなたがしたことを」

 勇一は周りを見渡した。彼の心に恐怖が蘇る。


 そう、此処はいつも頭の中に浮かんでくる風景。

 緑の葉が赤く染まる、そして何とも言いようのない恐怖を抱くその風景。


「この美しい星を人間が汚している。人間なんていなくなった方が良い」

 彼の語りかけで勇一は人間への怒りが、そして里子への憎しみが……


「思い出しましたか」

 男の声が静かに勇一の心に浸みて来る。


 彼は目を閉じた。

 体に生温かい液体を浴びたような感触が。

 血? その瞬間、彼の頭の中がぐるぐると、そして色とりどりの光で溢れかえる。

 その光が消えた時、彼は暗い山の中で息を潜めて足を抱えて小さくなっていた。


   ×   ×   ×


 ホテルのロビーなんていつから来ていないんだろう。

 そういえば誰かの結婚式以来だ。

 比呂子が場馴れしていない緊張感をそらそうと、周りをきょろきょろ見ながら歩いて行く。


「いたよ、あの人が森田智也先生だ」

 上条が指さす方向に若くて上品にスーツを着こなす男が、ソファーにゆったりと座っている。


「なかなかイケ面じゃないか」

「そう」

 確かに賢そうだし見た目も悪くないが、比呂子には単なる鼻につく男にしか見えなかった。


「森田先生ですね」

 上条がソファーの男に声を掛けた。男がにこやかに立ちあがる。


「私が森田です」

「すみません、本日取材を申し込ませていただいた上条と言います」

 上条はすかさず名刺を出した。森田が名刺を一目すると


「今日はどんな御用件ですか」

 と尋ねる。


「すみません、学会の話ではなくて一年前の殺人事件について調べていまして……」

 上条が森田にソファーに腰掛けるよう促す手の仕草をした。

 森田はその手を見ることなく腰を掛けた。


「先生は殺された佐々木里子さんと懇意だったと聞いたもので」

 上条が森田の斜め前のソファーに座る。比呂子はそれを見て、ワンテンポ遅れて慌てて上条の横に座った。


「彼女の死と僕は無関係ですよ」

「それは承知しています。もちろん事件の犯人のことも調べています。ただ……」

「ただ?」

 森田は不審そうに上条を睨んだ。


「ただ、最近里子さんらしい人を見かけたと言う人物が現れまして。見たのは彼女なんですけどね」

 上条はチラッと比呂子を見た。

 それに合わせて森田も比呂子を一瞥した。


「そんなバカな。あり得ないなぁ。僕は彼女の葬儀に出たんですよ」

 眉間にしわを寄せ、森田が比呂子をさげすんだ眼差しで見ている。


 その陰険な視線に比呂子は心が後ずさりしそうになった。

 だがここは勇気を持って主張しなければならない。


「間違いないです。あれは新聞の写真で見た里子さんと同一人物でした」

 森田は少し迷惑そうに、そしてあり得ないと言う感じで首を横に振った。


「死んだ人間が生き返るってことあり得ますかね」

 上条が愚問と言われることを覚悟で聞いてみる。


「ないですね。柏木なら何て言うか分からないですが」

「柏木さんですか」

 上条はその言葉にすかさず反応した。


「柏木さんって、あの事件の犯人ですよね」

「あいつの説では生命エネルギーと肉体の分離が可能だと言うんです。

 つまり移植ができる。だから死んだ人間を生き返らせることもできると言うんじゃないですかね。まぁ何の論拠もないただの妄想ですが」


 森田は鼻で笑った。

 比呂子はここに来る前に森田の論文を読んでみたが、同じように実用性があるとは思えない。


 そう言う意味では森田と柏木は五十歩百歩のような気がする。

 学者とは自分の妄想を認めてもらえれば偉い、そうでなければ駄目。

 なんか自分たちとは住む世界がちがうのだろうと比呂子は感じた。


「あいつは学者としてたいした人物では無かった。だから教授も植物の世話だとか論文の清書とか雑用しかやらせていなかった。そんな人間の言うことですから」

 彼がやたらと柏木の劣ったところを誇張する。

 裏を返せば柏木に敵意がある証拠だと比呂子は思った。


「その柏木さんがまだ見つかっていませんねぇ。事件の動悸が不明と新聞には書いてあったんですけど、何かご存知ないですか」

「知りませんねぇ」


「里子さんから何か聞いてはおられなかったですか」

「さぁ」

 森田は気のない返事をした。


「先生は里子さんの恋人だったんでしょ」

「昔はね」


「昔?」

 比呂子と上条は顔を見合わせた。

 そして森田を見ると、つまらなさそうな顔をしながら


「振られたんですよ、彼女が死ぬ三カ月前に」

「どうして振られたんですか」

 比呂子は思わず率直な質問をしてしまった。


「失礼だな君は」

 森田が苦笑した。


「正直分からない。急に呼び出されて、他に好きな人ができたから別かれて欲しいと。こっちこそ驚きましたよ」


 里子は死の直前、森田と恋人同士ではなかった。好きな人が別にいた。

 比呂子はそれが柏木だと直感する。

 さっきの森田が向けた柏木に対する敵意がその考えを後押しする。


「すみません。森田先生は枝本勇二って言う人をご存じないですか」

 比呂子は不安ながらその名前を口にした。


「枝本、知らないなぁ」

「そうですか」

 比呂子は期待半分、安堵半分でその答えを聞いた。


「柏木さんの行方ですけど、先生は何かご存じありませんか」

「あんまり関わりたくないんで知りたくもないですよ」

 冷たく突き放す森田に比呂子はやはりこの人のことを好きになれないなぁと感じた。


 上条が比呂子の顔を覗き見た。

 これ以上聞いても収穫は無いよ、そう言いたそうだった。


 彼女も同感して頷いた。

 この男から得た情報は、柏木と言う男が生命エネルギーの移植と言う説を考えていたことと、この鼻もちならない男が里子から振られていたこと。


 そして振られた原因が柏木であろうこと。この二点は有意義な情報だ、そう比呂子は考えた。


   ×   ×   ×


 暗い闇の中、柏木和之はただ膝を抱えて怯えていた。

 深い里山の森では彼を匿うには少し小さ過ぎる。


 遠くでパトカーのサイレンの音が、それを聞くたびに心臓が止まるかと思ってしまう。


 季節は秋、それでも今年は日中暖かい、だがさすがに夜になると冬を感じさせるぐらい冷えてくる。その寒さが怯える彼の心を更に凍りつかせた。


 もうここに匿われて既に一週間が経つ。匿われているのは宇宙船の中。

 そう、彼に声を掛けてきた、黒衣の男の地球での住処である。


 この里山の地下に宇宙船を埋め、辺りからは見えなくなっている。

 なので、本来ならどれだけパトカーのサイレンが鳴っても恐れることはない。


 なぜなら彼らがここを見つけることは不可能に近いからである。

 しかしやはり柏木は恐れた、自分が殺人犯として捕まることを。


 彼の目の前が急に明るくなった。

 扉が開いたのである。


 月明かりが部屋の中を隅々まで照らした。

 柏木はそれでも闇を探して近くの机の陰に隠れた。


「柏木さん、私です。大丈夫ですよ」

 扉を閉めた男は部屋の明かりをつけた。

 柏木のいる場所も明かりが差し込んでくる。


 部屋はメタリックな色の壁に、数々の電子機器が取り付けられた如何にも人工的な空間だった。


「すみません、お世話になりっぱなしで」

 柏木が物陰から安堵の表情で出てくる。

 部屋の持ち主である黒衣の男は首を横に振った。


「いやいや、あなたは私の大事なパートナーですから。あなたがいなければこの地球上から人間と言う寄生虫を追い払うことはできない」


 黒衣の男は手に持っていたコンビニの袋を部屋の真ん中にある金属製のテーブルに無造作に乗せられた。


「取りあえず食料です。食べて元気を出して下さい」

「ありがとう、でも食欲が……」

 柏木は物が喉を通ると思えない。

 胃袋は食べ物を拒絶している。


「宇宙人の私が言うのも変ですが、食べないと元気でないですよ。でもそんなこともあるでしょ。そんな時は研究に没頭して嫌なことを忘れましょう」

 黒衣の男が壁際の赤いボタンを押した。


 すると部屋の隅の机が真ん中から割れて、その下から得体の知れない奇妙な動物の剥製が現れる。

 奇妙なとは、首が二つあるもの、尻尾がロープのようなもの、手が針のようなもの、どれも奇妙奇天烈な形をしていた。


「あなたの芸術作品です。

 どんな攻撃にも耐えられる皮膚、あなたが遺伝子の改良で作り出した。

 火を吐ために、体に内蔵しても拒絶反応を起こさないようあなたが移植方法を開発した。

 そして脳をコントロールする装置の開発、これも柏木さん、あなたの作品です。

 これに我々ヘイト星の技術である生命エネルギーの移植装置と巨大化装置があれば、人類の駆逐は簡単なことです」


 柏木がこれらの作品と呼ばれる物体達の前まで進んだ。


「後はこいつらに生命エネルギーの移植をすれば動き出す。ただエネルギーの注入場所がこいつらの弱点になるが……」


「まぁ、それはしかたがないでしょう。人類がその弱点を見破れるとは思えない。そんなこと気にしないでいいですよ。それより実は今日、柏木さんに喜んでもらおうとプレゼントを持ってきました」


「プレゼント?」

 黒衣の男は嬉しそうにもう一つの壁のボタンを押した。

 すると壁の一部から、人間が一人収まることのできるカプセルが2個出てきた。


 柏木は片方のカプセルを見た、

 その瞬間みるみる彼の顔が青ざめて行き、もう少しで嘔吐しそうになった。


 そこに横たわっていたのは殺したはずの佐々木里子だったからである。


「火葬場で空間移動装置を使って彼女の死体を盗んできました。いや、結構骨が折れました。ばれては困るのでバス事故で死にかけていた女を御棺に放りこんでおきましたが……」

 柏木は気分が悪くなり、少しふらついてカプセルに片手をついた。


「で、彼女をどうしようと言うんです」

 黒衣の男は薄気味悪い笑みを浮かべながら、


「柏木さんの思いを叶えて上げようとしているんですよ。だって柏木さん、里子さんのこと好きだったじゃないですか、殺したいほど」

 確かにこの女は自分が殺した。自分を裏切ったから。だからこの手で……


「彼女はこの研究を手伝ってくれましたからね。人出がいるじゃないですか、これからも」

「でも彼女は裏切ったんですよ、我々を」


 そう、彼女は裏切った。森田を振り、柏木に近付いて来た彼女をヘイト星人との研究に招いたのだが、しかし彼女の目的は違っていた。

 この研究を使って自分への名声を高めようとしたのである。


 貴重な資料を持ち逃げしようとしたところを柏木達に見つかってしまった、そして…… そう、この女は自分の研究の邪魔をした、そして自分の心を蔑ろにした。

 更に今こんな状況に追い込んだのも彼女だ。


「彼女はその時なんて言ったか覚えていますか。僕に向かって、怒りのこもった目で、誰があなたみたいな見た目も悪い、能力の低い男に惚れるものかと。その揚句、我々の計画を世間にばらすって言ったんですよ」


 柏木の脳裏にあの里子の彼を見る冷たい目が浮かぶ。

 そして彼女の血飛沫が自分に飛んできた時の感触も。


「だから、あなたが開発した脳のコントロール装置を彼女に装着すればいい。あなたの姿を見れば快感物質(ドーパミン)でも出るようにしておけば、彼女はあなたから放れられなくなる。二人は似合いの夫婦になると思いますよ」


 黒衣の男はニヤニヤと笑った。柏木も彼の言うことに納得した。

 そう、彼女が自分の言いなりになる、あれほど自分を馬鹿にし、蔑んだ彼女が、それは愉快だ。


 ただ彼には里子のことよりももっと大きな問題がある。

 指名手配を受けていることだ。

 これを何とかしなければ外へ出歩くこともできない。


「そうそう、もうひとつのカプセルを見てください」

 柏木は里子のとは別のカプセルを覗き込んだ。

 そこには若い男が横たわっている。


「里子の身代わりの女と同じ事故で死んだ男です。年恰好もあなたに似ているし、まぁ良い拾いもんだと思いまして」

 黒衣の男は、良い物件でしょと言わんがばかりにカプセルの蓋を開けてみた。


「なかなか良い男だし、調べたところ病気や大きな傷は無い。あなたの脳と入れ替えれば十分使い物になります」

 柏木は驚いた。


「脳の移植? 私ならできるが、他に誰ができる」

 黒衣の男は大丈夫と言いたげに人差し指をカプセルに向けた。


「だから、里子さんを蘇らせるんです。彼女ならできるでしょう」

 柏木は不思議な気がした。

 自分の殺した女に命を助けてもらうことになるとは。


「とにかく急ぎましょう。警察がここを発見しないという保証はありませんから」

 黒衣の男は剥製が並んでいるところの近くまで行き、壁際の小さな引き出しからホースの付いた小型の装置を取り出した。


「里子さんの代わりに火葬した女の生命エネルギーをここに採取しておきました」

 そう言うと、黒衣の男は里子のカプセルのところまで行き、彼女の口にその装置のホースをくわえさせた。


「さぁ、里子さんを蘇らせますよ」

 黒衣の男は装置の横のレバーを引き上げた。


 何の音もしない、何の動きもない、しかし里子の肌の色が見る見るピンク色に変化する。

 装置のレバーが自動的に下がった。

 黒衣の男は黙ってホースを里子の口から外した。


「さぁ、起き上りなさい里子」

 その声に里子の目が開いた。そして上体を起こす。

 彼女は生き返ったのだ。


   ×   ×   ×


 里子が蘇って数日が過ぎた。柏木が一人静かに里山で自然を眺めている。

 夏が終わり、木々は赤く色付き、鳥や動物たちも活動的になってきている。


 柏木は死んだタヌキの親子を思い出していた。

 あの親子も秋にはこの辺りで食べ物を探して歩きまわっていたっけ。


 そんな時は仔ダヌキが母ダヌキに常に甘えて、まるで人間の子供のように駄々をこねていた。

 そんな愛らしい仔ダヌキの様子が浮かんでくる。


「そんなところにいると警察に見つかりますよ」

 振り返るとそこには蘇った里子がいる。


 彼を見つめる目は潤んでいる。

 彼女は脳にコントロール装置を埋め込まれており、柏木を見れば反射的に快感物質(ドーパミン)が分泌され心地よい感覚を誘発するよう細工されている。


「ヘイト星人がお呼びです」

「分かった」

 柏木はあの部屋へ向かった。


 歩く柏木に里子は親しげに腕を組んで、更に彼に体をぴったりとくっつけてくる。

 不思議である、あんなに恋い焦がれた相手なのに、こうやって相手がすり寄って来るとどうも思わなくなる。

 やっぱり人間は勝手な生き物だと思った。


 部屋ではヘイト星人である黒衣の男が待っていた。


「準備が出来ました」

 彼は壁のボタンを押しす。再びカプセルが二つ出てきた。

 そこには先日見た男の死体と奇妙な銀色のスーツが置いてあった。


「この男に、このヘイト製の強化スーツを着せます。

 普段は体に内蔵し、必要な時、自動的に皮膚と一体化して体を覆ってくれます。

 ベルトには空間移動できる装置と巨大化できる装置を内蔵しておきました。

 これであなたはどんな攻撃を受けても傷付かず、必要に応じて移動も巨大化することも可能です」


「もし我々が作った怪獣たちが暴走した場合、私がそれを止めるために変身すれば良いのですね」


 黒衣の男は何も言わずただ頷きながら別のボタンに手を伸ばした。

 するとカプセルから奇妙な音がする、

 そして奇妙な色の光がカプセルから漏れ、やがてその光が消えた時、死体の男がさっきの銀色のスーツに覆われていた。


「さあ、後は脳の移植だけです」

 柏木はその言葉を聞いたとき、ふと仔ダヌキを思い出した。

 自分は本当に正しいことをしようとしているのだろうか。


「大丈夫です。里子さんを信用しなさい」

 柏木の体に絡みついている里子が力強く頷いた。


「私は決して柏木さんを殺したりしません」

 そして彼女は彼の胸に顔を埋め「大丈夫、大丈夫」と二回繰り返した。


 柏木の不安げな表情にヘイト星人は少し困惑をした。


「あなたは人間を憎んでいるはずです。思い返してみてください。

 あなたがどれだけ正しい意見を言っても、権力争いに明け暮れる学会の連中は耳も貸そうとしないどころか、あなたに雑用ばかりさせ、あなたの意見を抹殺しようとしたんですよ」


 柏木は森田の軽蔑の眼差しを思い出した。

 そう、なぜあいつだけが認められる。

 彼よりも自分の方が正しい意見を主張しているのに。


 そして里子を見た。そう当時の彼女の行動が今の自分を苦しめている。


「あなたは気付いているでしょ。人間とは愚かで醜い生き物だと。彼らは自分のためなら他の生物を殺すことをいとわない。いや、自分達の都合で罪もない生き物を殺戮していることを」


 柏木の胸に熱い怒りが蘇って来た。

 そう、人間と言う存在は不要である。

 そう結論付けたはず。何をいまさら躊躇しているのか。


 柏木は死体の入っている反対側のカプセルに横たわった。

 しばらくして噴霧状の麻酔剤が彼の体を覆った。


 彼は薄れて行く意識の中で、人間は憎むべき存在、駆除しなければならない、そう言い聞かせるように呟く。


 そして柏木和之は深い眠りに就いた。


   ×   ×   ×


 急カーブがいくつも続く山道の中を上条の車が走る。

 助手席で比呂子はバス転落の新聞記事を見ている。

 道は津嶋研究所に続いている。


 車はカーブに差し掛かるごとに減速加速を繰り返し、左右だけでなく前後にも揺れている。

 この道を進んでいけば勇一に会えるかもしれない。


 でも、もし会えたらなんて言おう。

 あなたはもしかしたら里子と同じ生き返った人間なのかもしれない。

 やっぱりあなたは普通の人間ではない、でもそんなこと……


「あんまり見てると車酔いするぞ」

 上条の忠告を無視して比呂子は新聞の写真を見続けている。


「つまり、勇一君はその記事にある行方不明の枝本勇二ってことか」

 上条はカーブに合わせて慌ただしくハンドルを動かしている。


「里子さんは生き返った。もしかすると勇一さんも同じかもしれない」

「どうやって死んだ人間が生き返るんだ?」


「生命エネルギーの移植」

 比呂子がポツリとその言葉を吐いた。


「でも、それって学会からも無視された説なんだろう」

 比呂子だってにわかには信じられない。


 でも実際に死んだ里子と自分は会っている。

 まぎれもなく彼女は生き返った。だとすれば……


「どっちにしても、柏木って男が何かを握っていることだけは確かだな」


 車の揺れに身をまかせながら比呂子は勇一が自分の悲しい時に包み込んでくれた腕の感触を思い出していた。


 そう、彼が生き返った人間であろうと無かろうとそんなことは関係ない。

 彼は自分を必要としている。


 この道の先には彼が待っている。

 だから何も言わずに彼の傷付いた心を抱きしめてあげよう。

 そう、何も言う必要はない。


 カーブが減り道の勾配も緩やかになってきた。

 前後左右の揺れが無くなってきたころ


「見えてきたぞ、あの赤い屋根だ」

 と上条が冷静な声で言った。


 比呂子が顔を上げる。

 そこには赤い屋根の建物が見える。


 これが勇一さんの言っていた風景? 彼はこの風景を思い出すたびに心が不安定になっていた。

 ここで何があったと言うのだろうか。


 そう考えている間に車は赤い建物近くまで来ていた。

 そして上条は建物横に車を横付けする。


「ここが研究所?」

 比呂子は赤い屋根の建物を見上げた。


「最近は人がいないらしい。あの事件があってからあまり学生を出入りさせないようにしているみたいだ」

 上条は車のエンジンを止めサイドブレーキを引いた。

 比呂子はシートベルトを外しながらすぐ近くに勇一がいる、そう実感した。


「来るかなぁ、勇一君」

「来る、必ず!」

 強い口調の彼女の横顔を上条は眺めた。


「そんなに好きなのかい、彼のこと」

「とにかく会いたいの、会って話がしたい」

「そうなんだ」


 上条は富士山を眺めた。

 比呂子の思いの強さを考えながら煙草を一本ふかし始める。


 比呂子はそんな上条の方を見ることもなく建物を見上げ続けている。

 必ず来る、必ず会えると信じて。


 静かになった車内に遠くから人の声が聞こえたような気がした。


「人の声?」

「え、聞こえなかったけど」

 上条の意見を聴く間もなく彼女はドアを開けて声のした方向へ歩いて行く。


「おい、勝手な行動すんなよ」

 上条も慌てて煙草を消して車の外へ出た。


 温室の壁沿いに歩いて行く。

 外から見る植物園はどこも大きな緑の葉で覆われていてほとんど中がわからない。


 そんな時、少し植物が少ない場所があることに気が付いた。

 しかもそこから男性の声が聞こえる。


 覗き込むと二人の男の姿が見えた。

 一人は黒衣の男、そう、いつか勇一を連れ去ろうとしたあの男、そしてもう一人。


「勇一さん!」

 比呂子の表情が変わった。


「待て!」

 ガラスの壁を叩こうとする比呂子を上条は抑えた。

 そして梁の陰に身を隠した。


「何か緊迫している。少し様子を見よう」

 比呂子は二人を見直した。

 黒衣の男が発言しようとしている。


「思い出したようですね」

 黒衣の男はにこやかに語った。


「僕はあれからどうなったんだ」

 勇一は無表情に、そして微動だにせず黒衣の男に質問をぶつけた。


「脳移植も順調に終わりました。さすが里子さんです。ところがその後、あなたの生命エネルギーを今あなたが借りているその肉体に移植しようとした時に異変が起こりました」


「異変?」

「そうです。生命エネルギーが分離したのです。あなたの体に宿るエネルギーと今も柏木さんの体に残っているエネルギーに」


 比呂子には何を言っているのか分からない。

 勇一は黒衣の男の言葉を聞いても驚きもせずただひたすら対峙している。


「分離したあなたには、恐らく柏木さんの持つ優しさが宿ったんだと思います。でも、あなたは変わった。熱線怪獣ソリチュードの戦いで赤い光線で怪獣を倒した。あれは憎しみの光。そう、柏木さんに残るエネルギーと同じものがあなたにも宿った。これであなたと彼は同調できる」


 その瞬間、勇一の体に何かが巻きついた。

 黒衣の男が持っていたステッキが鞭に変わり彼を巻きつけたのである。


「あなたを柏木さんと同調させられれば、彼は復活する。そうすれば人類駆除の計画が再び始まる」

 比呂子は勇一を助けるため立ち上がりかけた、しかし上条は力ずくで抑えた。


「まだ待て!」

 彼女は拳に力が入る。何とかしなければ。


 黒衣の男が高笑いをする。

 勇一はもがくこともなく静かに目を閉じた。

 すると彼の周りに静かに青い炎が現れる。

 鞭は燃え尽き彼は炎に包まれた。


 炎が消えた時、そこにシルバーマンが立っていた。


「やっぱり!」

 上条が叫んだ。比呂子は祈るように両手を合わせる。

 どうか彼を助けてと。


 黒衣の男が意味不明の言葉を叫ぶ。

 すると彼はまるでゴキブリのような姿に変身した。

 これが彼の本当の姿なのだろう。


「悪あがきは止めたまえシルバーマン。君も怪獣たち同様に弱点があるんだよ。君もそこを攻撃されれば消えてなくなるんだ。消えたくなければ私の指示に従いたまえ」


 そう言うと、ヘイト星人は目から光線を発射する。

 シルバーマンは光線をかわす。


 ヘイト星人の光線はしつこく彼を襲う。

 彼はガラスの壁を突き破り外へ飛び出した。

 しかしヘイト星人の攻撃は止むことはない。


 ヘイト星人も外に飛び出してきた。

 勇一は咄嗟に左手を前へ出す。

 青い光線がヘイト星人の頭に命中する。

 が、ヘイト星人は微動だにしない。


「私はあなたが生み出した怪獣ではないのだよ。そんな光線では私は倒せない」

 そう言うと、再び攻撃を仕掛けて来る。


 シルバーマンはその攻撃を避けるために前後左右に飛びまわる。

 だが避けた拍子に木の根に足を取られて転倒してしまった。


「危ない!」

 比呂子は上条の手を振り払った。

 そして何も考えずまっしぐらにシルバーマンに向かって走る。


「邪魔をするな!」

 ヘイト星人の光線が比呂子に発せられる。


「比呂ちゃん!」


 勇一が叫ぶ前に、光線は比呂子の胸を撃ち抜いた。


 彼女は静かに倒れ込む。

 シルバーマンが駆け寄る。

 そして彼女を抱きかかえた。


「許さない!」

 シルバーマンはヘイト星人を睨みつける。その右手に赤い炎が燃える。


「おう、憎しみの光!」

 そう叫ぶヘイト星人に赤い光線が発射される。


 ヘイト星人はそれを避けた。

 赤い光線は後ろの温室の植物に命中。

 その植物は一瞬にして燃え尽きた。


「いかん、赤い光線は生物を一瞬にして燃やしつくすエネルギーがある。このままでは殺られる」


 ヘイト星人は飛び上がった。

 空へ逃げるつもりだ。


 シルバーマンはヘイト星人に右手の照準を合わせた。

 そして光線が発射され彼に命中する。


「ギャー!」

 と叫んだ後、ヘイト星人は赤い炎に包まれ落下する。


 彼は地面に叩きつけられもがき苦しんだ。

 そして炎が消えた後にはヘイト星人の姿は無かった。


 今回の事件の張本人である男の最期である。


「比呂ちゃん。しっかりして」

 そう叫ぶ勇一は人間の姿に戻っている。


 比呂子は少しだけ目を開いた。そこには勇一がいる。


「会いたかったよ」

 弱々しい声が勇一に語りかける。


「しっかり、あまり喋っちゃだめだ。すぐ病院へ行こう」

「ごめんね、私、あなたのこと守ってあげられなかった」

「そんなことない。今だって……」


 勇一の目から涙がこぼれる。

 勇一は比呂子の手をしっかり握った。


「勇一さん……」

 その言葉と同時に彼女の手から力が抜けて行く。


「比呂ちゃん、しっかり、しっかりして!」

 彼女は静かに目を閉じた。


 そして動かなくなった。


   ×   ×   ×


 勇一は里山の宇宙船の前に立っていた。

 ここがヘイト星人の本拠地である。


 勇一は比呂子を上条に託し、自分に会いに来た。

 そう、ここには憎しみの心を持つもう一人の自分がいる。


 正輝やちひろ達を怪獣にし、亮の父親を殺し、沢山の人たちを殺戮、最後には比呂子までも殺した張本人、柏木和之。

 それが自分の本当の名前。


「よく此処まで辿り着いたわね」

 振り返るとそこに里子が立っている。


「里子、柏木、いやもう一人の僕はどこにいるんだ」

 勇一は彼女を睨みつけた。

 彼女はいつものような優しい笑顔で、


「彼もあなたに会いたがっているわ」

 彼女が宇宙船の壁に触れた瞬間、扉が音もなく開いた。


「里子、君にはすまないことをした」

 勇一の言葉に里子は振り向きもしない。


「君を殺しておきながら、更に宇宙人の手引きまでさせて。どう謝っても謝り切れない」

「あなたが謝ることはないは、私を殺したのは柏木和之、朽木勇一ではないわ」


「しかし……」

 里子はゆっくりと勇一の方へ向き直った。


「謝らないといけないのは私の方かもしれない」

 彼女は勇一から視線を外した。


「私は自分の野心から誰も信用していなかった。

 智也だって本当に愛していたか分からない。


 和之さんの本当の優しさを理解できていたのは悠美だけ。

 もし悠美より先にあなたの優しさに気付いていたら、本当に私はあなたの奥さんになれたかもしれない。


 でも気付くのが遅かったようだわ」

 里子はいつもの微笑みを浮かべた。


「さあ、あの人が待っている」

 里子は扉の向こうに吸い込まれて行く。勇一もそれを追った。


 中は見覚えのあるメタリックな壁に、不可思議な装置がいくつも並んでいる。

 そして見覚えのある不気味な形の生物が、幾体も並んでいる。

 その中には、腕や首が取れてバラバラになっているものもあった。

 そうこれが、自分が戦って倒した怪獣たち。


 里子は近くの壁のボタンを押す。

 すると部屋の一番奥の壁からカプセルのようなものが出てきた。

 その中には見覚えのある男が座っている。


「ようこそ、朽木勇一君」

 男は落ち着き払った声で彼を迎えた。


 勇一はなんと声を掛けてよいか迷った。

 そこにいるのは紛れもなく自分なのである。


「不思議だね、同じ人間が互いに睨みあうって言うのは」

 柏木は笑った。声を出して笑った。


「おかしいね、君の憎しみから出来ているこの僕を君は憎んでいる。君の体から赤い炎がメラメラと燃えているよ。おかしいね、実に愉快だ」


 笑う柏木に里子が近付きキスをする。

 そしてひざまずき彼を優しく抱きしめ胸に顔を埋める。

 勇一はできるだけ怒りを抑えようと必死だった。


「比呂子さんを生き返らせてほしい。あなたならできるはずだ」


「彼女もバカだね、あそこで飛び出しても何の役にも立たないのに。そんな彼女を救いたいって、君も人が良いね。心配しなくても君にもできるよ。なんせ君は僕なんだから」


 勇一は何も言わず歩き出した。

 そして生命エネルギー移植装置が隠されているはずの扉を開けた。

 しかしそこはも抜けの空である。


「どこに隠した!」

 勇一は柏木を睨みつけた。

 それを見た柏木は更にけたけたと笑う。


「君が僕と同調してくれれば教えてあげるよ」

 柏木は自分に絡みつく里子を突き放した。


 よろけて勇一の前に彼女が倒れた。

 彼女はすぐに立ち上がり柏木の方へ向かおうとする。

 柏木の左手から赤い光が、その光が里子に命中する。


「ギャー」

 悲鳴とも何とも言えない声を発して里子は赤い炎に包まれる。


 業火の中、里子は勇一の方を悲しそうな目で見つめる。

 何か言いたそうだった、が、赤い炎が彼女の全身を包んで行く。


 それでもその炎の塊は一歩一歩柏木の方へ近づいていった、ここまでされても柏木を愛していると言わんがばかりに。


 柏木の目の前で炎は止まった。徐々に炎は消えて行く。

 そして炎が収まると里子は跡形もなく消えていた。


「なぜ、なぜ里子を殺した!」


 勇一は叫んだ。里子は柏木が恋い焦がれた女性、殺したいほど愛した女性。


 里子も自分の本意ではない男を愛するように改造された柏木の被害者の一人である。


 なのになぜ何の躊躇もなく殺せる。


 堪えていた怒りが言葉と共に表面に現れてきた。


「あの女は俺を裏切った。憎しみだよ。何度殺しても消えない。その憎しみが、脳みそを持たないこの僕を生かし続けている。分かるかもう一人の柏木和之!」


 分かる気がする。いや、分かってはいけない。

 勇一は堪えた。


 彼と同調してはいけない。

 彼は自分を挑発しているだけなのだ。


「君がソリチュードとの戦いで憎しみの炎を抱いた時、私は目覚めた。君が目覚めさせてくれたんだ。今の私と君は同じ思いのはずだ。さぁ、同調しよう」


 柏木は左手を出した。そこには赤い炎が燃えている。

 勇一も右手を上げる。そこにも赤い光が燃えている。


 このまま彼と同調しても比呂子は助からない。

 同調しなくても助からない。


「どうすればいい、比呂ちゃん教えてくれ……」


 勇一は心の中で叫んだ。

 比呂子の笑顔が浮かんだ。


 そして助けることの出来なかった、憎しみで怪獣に姿を変えた人々の顔が次々と浮かぶ。


 正輝の苦痛の表情、ちひろの死を覚悟した決意の表情、生田の絶望、矢部の手紙、洋三の思い、そして母を亡くした直人の悲しそうな顔も。


 悠美が言っていた

 『人間は希望を妨げる人を排除しようとする、それが怒り。

 でもその人を憎んでも希望が叶わないのなら怒りを持つ意味がないって。

 だから誰も憎んではいない、怒りもない』


「そう彼を憎んでも希望が叶う訳では無いんだ」


 坂田の言葉が頭に浮かぶ。

 『人間は怒りを抑えきれない時がある。

 なぜなら、怒りそのものが生きるエネルギーだからだ。

 だから矢部を殺してやって欲しい、そのことで彼を救ってやって欲しい』


 そして最後に比呂子の言葉が、

 『どれだけひどい人間でも私なら助けると思う。それが私の特殊能力だから』


 勇一は左手に熱い物を感じた。


「そうだね、憎むよりも彼を救ってあげるべきだよね。ありがとう、比呂ちゃん」


 柏木は立ちあがった。

 そして一歩ずつ勇一に近づいてくる。


 彼の左手と勇一の右手が触れようとした時、勇一は素早く左手を彼に向けた。

 青い光線が柏木の体を撃ち抜く。


 柏木はニヤッと笑ったような気がする。

 何か言いたそうだった。

 だが彼は何も言わず倒れる。


 その時、柏木と勇一の赤い炎が触れた。


   ×   ×   ×


 上条は比呂子を車の助手席に乗せてエンジンを掛けた。


 彼は後悔していた。比呂子をここまで連れてくるべきではなかった。

 彼女なら勇一のためにどんなに危険なことでもしてしまうことは予測ができたはずなのに。なぜ連れてきた? 


 勇一がシルバーマンであることを確認したいから、自分だけのスクープが欲しかったから。

 でもそんな理由で一人の女性を死に追いやった。

 悔やんでも悔やみきれない。


 そう思いながら車を走らせようとした時、鼓膜が破裂するかと思えるほどの爆発音が背後から聞こえた。


「何があった!」


 上条は音のした方角を見る。

 すると天に向かって赤と青の光が交差するように登って行く。

 そして数秒後にその光は消えた。


 彼は車をその方角に走らせた。

 光が見えたのは勇一が歩いて行った方角と同じだったからである。


 しばらく車を走らせると黒い煙が見えてきた。

 そしてその先の森が燃えている。上条は燃える森の際で車を止めた。


「勇一君!」

 彼は叫んだ。


 彼がこの火事の中にいるかどうか分からない。

 でもここにいる、比呂子ではないがそんな感じがした。


「勇一君!」

 何度叫んでみても返事はない。


 周りが騒がしくなってきた。

 火事に気付いて人々が集まって来る。

 上条は仕方なく車に戻ることにした。


 ドアを開け、運転席に乗り込む時に比呂子が少し動いたような気がした。


「気のせいだ、そんな訳がない」

 そう思いながらも、微かな期待で彼女の顔に手をかざしてみる。


 息がある! 


 彼は彼女の胸に耳を当ててみた。


 鼓動が聞こえる!


「比呂ちゃん、比呂ちゃん!」

 上条は夢中で彼女を揺さぶった。

 比呂子は苦しそうに顔を歪めた。


「しっかりして、比呂ちゃん!」

 その声に反応するように彼女はゆっくりと目を開いた。


「私、どうしちゃったの」

 比呂子が口を開いた。

 上条は驚きと喜びで思わず彼女を抱きしめた。


「よかった、比呂ちゃん生きてたんだね」

 比呂子は飛び起きた。


「勇一さんは? 彼はどこ?」

 上条は我に返った。


 そして車の外の火事を見た。

 上条は真実を今彼女に言うかどうかを迷った。


「上条さん、勇一さんはどうなったの!」

「あゝ、あの宇宙人は倒したよ」


「それなら無事なのね」

 比呂子が笑顔になった。


 その笑顔は上条の胸を苦しくさせた。

 彼は意を決して彼女に本当のことを告げることにした。


「その後、彼は独りで最後の敵に向かって行ったんだ。その場所がここでね」


 比呂子は周りを見た。

 そこには赤々と燃えたぎる森林がある。

 彼女の顔から笑顔が消えた。


「爆発があってね。俺は現場にはいなかったから分からないが、たぶん勇一君はここにいたんだと思う。さっきから呼んでるんだが返事がないんだ」


 上条の説明に比呂子の顔色が再び死人のように青ざめて行く。

 彼女は慌てて車を降り、燃える森林に向かって叫んだ。


「勇一さん!」

 彼女の声が虚しく響く。やはり返事はない。


「勇一さん!」

 その叫び声も目の前の炎の轟音にかき消される。


 それでも彼女は何度も何度も繰り返し声がかれるまで呼び続けた。

 だが勇一からの返事はない。


 彼女はその場に座り込んだ。

 炎の轟音が彼女の耳から消える。

 枝が弾ける高い音だけが彼女の耳に入ってくる。

 だが勇一の声は聞こえない。


 彼は死んでしまったのだろうか。 


 比呂子の脳裏に勇一の笑顔が映る、

 そして寂しそうに海を眺める彼の姿も。


 彼は傷付きながらも私たちのために戦ってくれた。そして命までも……

 勇一の苦悩を私は一番理解していた。


 だから彼を守れるのは自分だけだと思っていた。

 それなのに私は彼を救えなかった。あんな良い人を。


 違う、良い人だからではない。

 傷付いた人を助けたいと言う同情でもない。


 私にとって命に代えても守るべき人、愛している、そんな大事な人を救えなかった……


「勇一さん、どこに行ったの」


 もう比呂子の耳には何も聞こえない。

 目の前の炎もまるで映画を見ているように全く実感がない。


「勇一さん、本当に死んじゃったの……」

 彼女がポツリと言葉を零した。


 ふとどこからか微かに声が聞こえる。


「勇一さん?」


 比呂子は耳を澄ませた。


『此処にいるよ』

 勇一の声だ。


「どこ! 勇一さん、どこにいるの」


 比呂子は周りを見渡したが勇一はいない。


「僕は此処だよ。君の心の中」


「あっ」

 と彼女は叫んだ。


 宇宙人の光線に撃ち抜かれた私が今此処にいる。

 恐らくその際に自分は死んだはずである。

 なのに私は生き返った。


 なぜか。そう、彼の命が自分の中に、だから……


「勇一さん、あなた私のために」

「比呂ちゃん、僕のせいで危険な思いをさせてごめんね。でももう大丈夫。敵はいなくなった。だからこれからはずっと一緒だよ」


 比呂子は胸に手を当てた。

 比呂子は複雑な思いで彼の言葉を噛みしめた。


 信じられない。

 いや信じたくない。

 なぜならもう勇一には会えないのだから。


 でも彼はいつも自分の中にいる。

 いつでも声が聞ける。


 それは幸福なことなのかどうか分からない。

 ただ何だか心が安らかな気がする。


 そう、もう彼は苦しまない。

 そして彼をいつまでも守ってあげられる。

 それでいい。それが幸せなのかも。


「そうよね、これが幸せよね」

 比呂子は心の中の勇一に話かけた。


   ×   ×   ×


 その後、怪獣はどこにも出現することなく、またシルバーマンが現れることもなくなった。


 マスコミからもその話は少しずつ消えていき、人々が話題にすることも減って来た。


 日常が戻った。

 坂田は〈ほとり〉で料理を作り続け、玄さんは魚をさばいている。


 夜の〈ほとり〉はいつも通り二・三人の客がビール片手に、一日の出来事をさも大事件が起こった如く、熱く語り合っている。

 そこにはもうシルバーマンの話題はない。


 坂田はテレビを見ていたが、ふと気になって厨房の洗い場に目をやる。

 そこには誰もいない。


 上条は自宅でシルバーマンの取材ノートを開いていた。

 そこには朽木勇一の行動、言動などが書かれている。


 彼はそれを眺め、そして溜息を吐いた。

 脳裏には比呂子の笑顔が浮かぶ。

 そして最後の敵に向かう勇一の姿が。


 彼はノートを丸めた。

 そしてゴミ箱へそのノートを放り込んだ。


 病院の待合室には、大勢の持病を抱えた老人達が所せまし、と集っている。

 部屋の隅のテレビが天気予報で今日の天気は晴れだと伝えていた。

 でも周りの老人達はそんなことは聞いてはいない。

 ひたすら持病の話で盛り上がっている。


 比呂子は病院で忙しく働いている。

 待合室の顔見知りの爺さんが彼女に声を掛けた。


「坂田さん、今日は一段とべっぴんだね」

「ありがとう、そう言う野村さんも今日は血色良いよ。病院来なくってもいいんじゃないの」


「なに言ってるの。俺は坂田比呂子さんに会いたくて病院に来てるのに。そんなつれない態度は寂しいなぁ」

「ごめんね、野村さん一人の比呂子じゃないの」


 彼女は笑顔でその場を離れた。


 日常が彼女にも戻って来た。

 比呂子はこの半年の出来事が夢ではないかと思うことがある。

 あまりにも信じられないような出来事ばかりだったからだ。


 しかし自分の胸には勇一の青い炎が燃えている。

 それを感じない日はなかった。


 病室の前を通った。

 そう、ここは勇一と初めて会った部屋。


 誰もいない空っぽのベッドに比呂子は近づいた。

 勇一がそこにいるような気がしたから。


 でもいるはずがない。彼は今自分の中にいるのだから。


 窓が開いていた。勇一がいつも見ていた海。

 今日も病院から見る海は青い。


 どこまでも続く青に彼女の青い炎も同調する。

 そんな時はいつも勇一の笑顔が浮かぶ。


 そして勇一が比呂子に優しく語りかける。


「僕はいつでも一緒だよ」


 不意に後ろから美雪の声が聞こえた。


「先輩、先生が探してましたよ」

「分かった、すぐ行く」


 比呂子は慌てて窓を閉め、部屋を出ようとする。

 その時、焦ってベッドの手すりにぶつかって手に持っていた資料をまき散らしてしまった。

 仕方なく資料を一枚一枚拾い上げる比呂子の耳に勇一の声が聞こえた。


「慌てないで、大丈夫、僕がついているから」

 その言葉に比呂子はいつも反論する。


「何言ってんの、あなたを守るのは私よ。勇一さんは私の心の中でお休みなさい」

 比呂子は少し笑った。

                                    

                  〈了〉


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