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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第6章 エピローグ編
17/18

新型怪獣デスペアー

 勇一は目覚めた。


 目覚めた時の風景は今までのものとずいぶん違う。

 天井は病院のものより白く、電灯は蛍光灯でなくシャンデリアを思わせせる豪華なものであった。


 ここはどこ? 勇一は上体を起こしてみる。

 起き上ってみて初めて自分がベッドで眠っていることに気付いた。

 それも病院のベッドとは比べ物にならない豪華なベッドで。


 頭が痛い。頭に手をやると、そこには包帯が巻かれている。

 誰が包帯を? と思った時、


「大丈夫ですか、まだ寝ていらっしゃった方が良いのでは」

 優しい声がした。


「どうぞそのまま寝てらして下さい」

 勇一が声のする方を向くと、白いワンピースを着た女性が近寄って来る。


「里子?」

 寝起きで少しぼやけた目を見開いてみる。

 そこにいたのは里子とは別人だった。

 里子より華がないものの清楚な雰囲気を醸し出し、そして里子と同じく色が白い、いやそれ以上に肌が透き通っており、触れれば無くなってしまいそうな、そんなか弱い女性が立っていた。


「ここはどこですか」

 勇一は朦朧とする頭を整理しようとするが、なぜここにいるのか分からなかった。


「ご心配なさらず、ここは私の別荘です」

「あなたは?」

「佐々木悠美と申します」

 悠美の口調は丁寧で、彼女の清楚さと合わせて考えれば良家の御令嬢なのだろうと勇一は感じた。


「僕は朽木勇一と言います」

 悠美は微笑んで頷いた。

 そして彼のベッドの横のこれも恐らく高価だろう椅子に腰かけた。


「すみません、あまり覚えていないのですが、僕はどうしてここにいるんでしょう」

 酔っ払いの次の日のセリフのようで聞くのを一瞬ためらったが、聞かない訳にはいかない。


「昨日の夕刻、この近くの河原を散歩していたらあなたが倒れてらしたんです。慌てて応援をお願いしてここまで運んできてもらいましたの」


 勇一は河原と言う言葉をキーワードに記憶の糸をたどってみた。


 確か、ソリチュードが姿を消し、自分が人間の姿に戻った後、できるだけ村から離れようと言う思いで歩いた記憶がある。

 ソリチュードが襲ってきた時の尻尾の一撃で頭が壊れるほど痛く、朦朧とする中、どこをどう歩いたか全く覚えていないが、確かに川を見た記憶がある。


 ただそこから先の記憶がない。

 恐らくそのまま倒れて悠美に発見されたのだろう。


「すみません、ご迷惑をおかけしました」

「いえ、お気遣いなく。この家には私と家政婦の貴美さんと運転手しかいないので御遠慮なさらずゆっくりしてください」


 悠美の申し出に勇一は甘えるかどうかの判断を迷った。

 またここにいては彼女に悪いことが起きるかもしれない。


「嬉しいんです。ここには訪ねてくる人もあまりいないですし、特に私と同じぐらいの年齢の方が来られることはめったにないので」

 悠美が嬉しそうにほほ笑んだ。

 そしてその笑みに嘘はない気がした。


 勇一にとって、自分の来訪を喜んでくれる、そんな人がいるなんて驚きでもあった。


「本当にご厚意に甘えても良いんですか」

「もちろんです」

 優しい笑顔できっぱりと悠美が答える。


「でもご家族の方が心配なさっているかもしれないわ。ご連絡先を教えていただければこちらからお電話を差し上げますけど」

 家族? 勇一の脳裏に比呂子の姿が浮かんだ。しかし……


「すみません、家族はいないんで連絡は不要です」

 勇一は悠美が更に不審に思わないか心配になった。

 が、しかし悠美はやはり笑顔で、


「何かご事情があるようですね。いいですよ、連絡しなくても」

「すみません」

 と恐縮する彼に、相変わらず笑顔でいてくれる悠美。


 なんて優しい、この得体の知れない男を受け入れてくれる寛容さ。

 勇一は感謝するばかりである。


 ただ少し気になることがあった。

 気のせいか彼女には哀しさを感じる。

 さっきの話にあったような孤独から来る寂しさとは違う気がする。

 彼女の肩のあたりに青い炎が見えた気がした。



「もしよろしければずっといていただいても構わないですよ」

 少しおどけて悠美がそう言った。

 もう一度肩のあたりをよく見直したが、青い炎が再び現れることはなかった。


   ×   ×   ×


「兵庫の山の中にいたよ、勇一君」

 病院の小さな庭には、つつじの花が満開になっている。

 季節は五月に入り良い日和の天気が続いている。


 だが今夜あたり雨が降るとの予報のせいか、つつじの咲く道を歩く人の姿が庭の脇にあるベンチからは見受けられない。

 そのベンチに腰掛けながら上条は煙草を一本ポケットから取り出した。


「兵庫の山の中って、もしかして」

 比呂子はベンチに座らず上条を見降ろすようにそう言った。


「そう、君の義理の姉さんの実家だよ」

「やっぱり、兄さんはちゃんと勇一さんがいるところを知っていたのね」


 比呂子は勇一の所在がはっきりしたことにホッとした。

 だが、そもそも兄が勇一のことを隠していた事に沸々と怒りが湧いて来た。

 しかしその怒りを後回しにしてもまず聞きたいことがある。


「で、勇一さんはそこで何をしているの、元気なの」

「残念ながら、もう、そこにはいない」

 比呂子の体から力が抜けて行く、そしてベンチへと座り込んでしまった。


「二日前その村に怪獣が出たことはテレビで知ってるだろう」

「そう言えば…… 今思えば、あの時、兄さん、少し慌ててた気がする」

 比呂子はその時の見過ごしを悔やんだ。


「怪獣騒ぎの後、彼は姿を消したらしい」

「消した? どこに行ったの!」


 上条は比呂子の質問に答える前に、まずライターに火を着けた。

 炎が彼のくわえていた煙草の先に向かって行く。


「村人の話だと、怪獣が現れたのは勇一君が来たからだという噂が流れたらしい。そんなことがあったから村を出て行かざるをえなかったんだろうって言ってた。まぁ早い話、追い出したんだろう、村人みんなで」

「そんなぁ」


 比呂子はいた堪れない気持ちになった。

 ただでさえ心が傷付いている彼を追い出したなんて。

 怪獣だって彼がいたから現れたかどうか分からないのに。


 勇一は更に傷付いただろう。

 今どうしてるのか、自分が側にいれば慰めることができるのに。


「それで、今どこにいるか分からないの」

「分からない、誰も知らない」


 煙草の灰が伸びてくる。

 上条がポケットから携帯灰皿を出してその中に灰を落とした。


「兵庫の山の中に朽木勇一はいた。そしてそこに怪獣が現れた。シルバーマンが去ると勇一君も行方不明。やっぱり勇一君はシルバーマンだよ」

 上条は大きく息を吐いた。煙草の煙であたり一面が白くなる。


「記事にするの」

 不安そうに上条の表情を覗き込む比呂子を無視するかのように、上条が煙草の灰をまた携帯灰皿に落とした。


「赤い屋根、富士山、植物園」

 上条の唐突な言い方に比呂子は困惑した。


「あったんだよ、そう言う場所が」

「えっ」

 比呂子の顔色が落胆から希望に変わる。


 上条が左手に持っていた茶色の鞄から一枚の封筒を取り出し、比呂子に手渡した。

 中を見ると紙が三枚、印刷されたインターネット記事だった。


「便利だねぇ、今の世の中は。三つのキーワードで検索すると該当しそうな場所が三か所あったんだ」

 比呂子は上条の解説が耳に入っていない。


 彼女は三枚の紙に見入りながらそれぞれ比較していた。

 たしかに3枚とも【富士山】【赤い屋根】【植物園】に関する場所だった。

 『富士見台植物園』『スルガ牧場』『東阪大学植物研究所』と書かれている。


「この三つのうちどれかが勇一さんに関係しているの」

「俺は東阪大学が怪しいと睨んでる」

「どうして」

 上条が吸い終わった煙草を携帯灰皿に入れると、東阪大学の紙を比呂子の手から自分の方へと引き寄せた。


「七カ月前、その植物園で殺人事件が起きている。その被害者の名前が佐々木里子。この女だ」

 上条はポケットから一枚の写真を出し比呂子に渡した。


 比呂子が写真を手に取ってその女の顔を見る。

 その瞬間、体にゾッと冷たいものが走った。

 写真の女は里子、そう、勇一の妻と自称している女、その人だったからである。


   ×   ×   ×


 悠美の家に来て二日が過ぎたころ、勇一はベッドから起き上がれるほどに回復していた。


「ずいぶん回復したようで良かったです」

 白いテーブルを挟んで悠美が勇一に話しかけた。


 二人の間にあるテーブルには黄色が鮮やかなオムレツ、瑞々しいレタスが乗ったサラダ、トーストの横には、小さくサイコロ状になったバターに、赤々としたジャムがそれぞれ綺麗に整列して置いてある。


〈ほとり〉でもオムレツはメニューにあったが明らかに食材の質が違う。

 あまりの色合いの美しさに食べるのを躊躇するぐらいである。


 豪華な朝食を目の前に、悠美と勇一が向かい合っている。

 広いダイニングルームにも二人しかいない。

 静かな空間が広がる中、悠美は楽しそうに勇一に話しかけていた。


「いつも食事は独りなので、こうやって誰かと頂くのってとっても嬉しいです」


 春の日差しが悠美の後方の窓から差し込んでいる。

 その光が、白いワンピースと、彼女の透き通るような白い肌に反射して美しい。


 それは白衣で優しく声を掛けてくれた比呂子とも、暗闇の中に白く浮かんで見えた里子とも違う、どこか弱々しさを感じる光、そのハレーションと共に消えて行きそうなそんな儚さを感じる。


 昨日、家政婦の貴美から教えてもらったのだが、悠美は子供の頃から心臓が弱く、二十歳を超えたころから外出もままならないらしい。

 ここ最近は発作の回数も増え、いつそうなってもおかしくないとのこと。


 肌が白いのも生まれつきであろうが、それ以上に太陽を浴びていないことが原因なのだろう。だが不思議なのは、そんな不幸を背負っているにも関わらず悠美には陰のようなものが全く感じられない、あくまでも純白なのである。


「勇一さんはここへ来る前、どこにいらっしゃったんですか」

 悠美は相変わらず優しく、それ以上に嬉しそうに喋っている。


「はぁ」と勇一が生返事をした。ここの前は山の中の村、そこで村人から追い出された、それは思い出したくない忌まわしい記憶である。


「ごめんなさい。あまり詳しいことは聞かない約束でしたね」

「はぁ、すみません」

 勇一はそんな約束をした記憶がないが、そう言うことにしてもらえるとありがたい。


 喋りかけてきてくれる悠美に返事しかできない勇一、当然食事中も全然会話が弾まない。


 彼も何か話題はと思うが、これと言って出てこない。

 これまでの彼の話と言えば、怪獣と戦ってきたこと〈ほとり〉で仕事していたこと、それ以外ないのだから。


 だが言葉の弾まない勇一に対して笑顔の悠美はとても楽しそうに、このあたりの美しい風景や、家の庭に咲く花の話などの話をしてくれる。


 それでも勇一は何か話さないといけないと思い、話題を求めて部屋の中をぐるっと見渡してみた。


 ダイニングルームには目の前にあるテーブル以外にも高級そうな家具や調度品が置かれている。


 テレビでしか見ることのできない暖炉まである。


 ふとその暖炉横の飾り棚に写真立てが幾つか並んでいるのが目に入った。


「あの写真には私の大事な人たちが写っているんです」

 勇一が写真に目を止めていることに気付いた悠美が立ち上がってその写真立てを持ってきてくれた。


「見てもいいんですか」

「どうぞ」

 悠美から三枚の写真を渡してもらった。

 一枚目には悠美と貫禄の良い男性と品の良い女性が写っている。


「父と母です」

 なるほど、立派な屋敷にぴったりな二人である。

 たぶん父親の着ているスーツも母親が来ているブラウスも高級なんだろう。


 二人の間に立っている悠美は今よりも少し血色が良い。

 おそらく数年前に撮られた写真なのだろう。


「お父さんは何をなされているのですか」

「製薬会社を営んでいます。でも製薬会社の社長の娘が不治の病なんて変ですよね」


 悠美は相変わらず笑顔が絶えない。

 本当に不治の病なのだろうか、絶望することがないのだろうか。


 二枚目を見てみる。


 そこには温室のような建物の前に立っている悠美と男性の写真であった。

 横の男性は少し悠美より年上に見える。


 ただそれ以上にやぼったいシャツに作業ズボン姿。

 服装だけでなく見た目もぱっとしない感じの男性だった。


「それは私が憎むべき相手、でも本当は大事な人」

 今まではずんでいた声が急に沈んで行く。


 彼女が悲しい表情をすると本当に消えてしまうのではないかと思ってしまう。


「憎むべきとは」

 彼女の持つ真っ白な雰囲気とはまったく似合わない言葉である。


「彼が私の姉を殺したのです」

「殺した!」

 思いがけない言葉だった。

 自分の肉親を殺したのならば憎んで当然である。


 だが彼女は「憎むべき相手」と言った。と言うことは、彼女はこの男を憎んでいないことになる。


「さっき、大事な人とも言われましたよね」

「私は彼が殺したとは思っていません。あの優しい人がそんなことするはずがないと思っていますから」


 彼女の顔から笑顔が消えた。

 勇一は写真の話をすべきではなかったと後悔した。

 なにか辛いことを彼女に思い出させてしまっている、そう感じたからである。


「彼は優しい人です。誰かが困っていれば必ず手を差し伸べる。そんな彼が人を殺す訳がありません」


 これ以上辛い思いをさせてはいけない、話題を変えないと。

 そう思い三枚目の写真を見た、その瞬間、勇一の全身が凍りついた。


「こ、これは」

 三枚目の写真を見ながら悠美に震えた声で尋ねる。


 悠美は勇一の様子が少しおかしいことに気付いたのか少し小首を傾げながら彼の質問に答えた。


「それは、私の姉です」

 姉? と言うことはさっきの話の被害者。つまり一年前にこの世を去った人物。


「名前は?」

 語気を強めた勇一に悠美は少しびっくりした表情で、


「佐々木里子ですが」


 勇一が息を飲む。


 心臓が破裂するかと思うほど脈拍が上がる。


 そう、その写真に写っていたのは、勇一の妻を自称する、あの里子だったのである。


   ×   ×   ×


「来週には休みがもらえそう」

 比呂子が携帯電話に向かってそう答えた。


 今朝は小雨、咲いていたつつじの花もいくつか地面に落ちて泥を被っている。

 そんな病院の庭に人影はない。比呂子のみである。


「そっちは何か分かった?」

『おいおい、そんなにせかすなよ。俺は君に雇われている訳じゃないんだから』

 電話からは上条の声が漏れてくる。


『佐々木里子は独身で、彼女のことを知っている人間に聞いてみると、森田智也っていう恋人がいたらしい。彼は今アメリカのノースワシントン大学で研究を続けいてる。インターネットで写真を見たけど勇一君とは全く別人だね』


 比呂子は上条の言葉に安堵した。

 里子は勇一の妻ではなかった。


『里子は津嶋研究室でその森田と言う人物と、もう一人、柏木和之という男と生命エネルギーの研究をしていたらしい』


「生命エネルギー?」

 聞きなれない言葉であった。


『俺も良く分からないけど、簡単に言うと生き物の体は器でしかなくって、それを動かすエネルギーが別にあるって考え方らしい。なんだかそれは素粒子の運動から伝わるエネルギーで、それが体内の元素に働きかけて単なる炭素の化合物が動き出す。それが生命を持つってことらしい。分かるか?』


「分かんない」

 比呂子には全く興味がなかった。


「それより、その柏木って人は」


『良い質問です。その男が七ヶ月前に里子を殺した。彼女を石で殴りつけるところを学生が目撃したらしい。動機は不明だが目撃証言がある。だから犯人であることは間違いないだろうな。ただその後に行方をくらましているんだ。今も捕まっていない』


 比呂子はもしかしてこの人が勇一ではないかと疑った。


『一応、指名手配の写真も見たけど勇一君とは別人だね』

「そうなの」


 質問しようとする前に上条の方から答えが返ってきた。

 比呂子は落胆したが、勇一が殺人犯ではないならば喜ばしいことだと切り替えることにした。


『まぁがっかりしなさんな。兎に角この森田と言う人物と柏木っていう男を追えば何か分かるはずだから。それにちょうど森田が今アメリカから一時帰国しているんだ。来週休めるんならちょうどいい。会いに行こう』

「そうね、何か聞き出せるかもしれない」


 比呂子は少し希望が湧いて来た。

 勇一に会えるかもしれない、そんな根拠のない希望が。


    ×   ×   ×


 悠美の話をまとめるとこうなる。


 佐々木里子は悠美の三つ上の姉で、生きていれば二十七歳。

 東阪大学の大学院博士課程で生物学を専攻していた。

 七ヶ月前、山梨にある同大学の津嶋研究室の施設で、研究室の同僚、柏木和之によって殺害された。

 学生が里子を殴りつける柏木を目撃している。


 柏木はその後行方を眩ました。警察も指名手配を掛けているが、今もって逮捕には至っていない。動機は分かっていない。


 佐々木里子は結婚してはいないが、恋人がいた。

 柏木の同期で森田智也と言う人物で、今はアメリカの大学で研究を続けている。


 勇一は悠美の家の庭に咲く花々を眺めていた。


 里子は結婚していなかった。

 やはり彼女は自分の妻でなかった。

 欺かれたことよりも妙に安堵する気持ちの方が強い。

 しかし問題は彼女が七ヶ月前に死んでいるという事実である。

 佐々木里子が死んでいるのであれば自分が会っていたあの女性は誰?


「勇一さん?」

 不意を突かれて振り向いたために植木にぶつかり花びらが舞い落ちた。


「ごめんなさい。脅かすつもりはなかったんですけど」

 悠美の方も勇一の動揺に驚いたようだった。


「いや、こちらこそごめんなさい。花を散らしてしまいました」

 彼女は勇一の視線の先にある地面に落ちた花びらを見た。

 そして優しく首を横に振った。


「あまり立ち入ったことは聞かずに於こうとしていたのですけれど、やはり姉のことなので気になって」

 悠美にさっきの笑顔がない。真剣に勇一を見つめている。


「姉とはお知合いなんですか」


 勇一は躊躇した。

 本当のことが言えない。

 たぶん信じてもらえない。

 死んだはずの里子が自分の前に現れて、自分の妻だと言っていたことなど。


「たぶん人違いだと思います。とても良く似ていたので」

「そうですか……」

 悠美が少し肩を落とした。

 勇一の回答が真実を言っていないことを悟ったかのように。


「どうして気味悪がらないのですか」

 勇一は里子の話を詮索される前に話題を変えようとした。


「気味悪い?」

 悠美が小首を傾げた。


「だっていくらケガ人でも、どこの誰とも分からない人間を家に入れるって、普通じゃあできないですよね」

「私、普通じゃないんですよ、きっと」

 悠美にさっきまでの笑顔が戻った。


 そしてポケットから一枚のカードを出した。

 そこには車輪のような絵柄が描かれてある。


「これは?」

「タロットカード」

「占い?」

「私の占い、当たるんですよ」

 悠美はカードを勇一に差し出した。


「一週間前に占った時のカードがこれ、運命の人と出会うって言う意味のカードです」

「運命の人?」

「そしたら勇一さんと出会った」

「僕が運命の人とでも」

 勇一は困惑した。悠美はそんな勇一を見て照れくさそうに、


「変でしょ。この年になって少女趣味すぎて、笑っちゃいますよね」

「そんなことないですよ」

 勇一は否定した。

 だが本気で悠美が信じているのかとも疑った。


「大丈夫ですよ、いわゆる私の片思いですから……」

「いや、その……」

 勇一は何と言って良いか分からない。

 その時さっきの写真のことを思い出した。


「でも悠美さんには、僕以外に好きな人がいるんじゃないですか」

 悠美はその言葉に反応しなかった。


「ごめんなさい。河原で勇一さんを見た時、本当は彼が倒れていると思ったんです。でも違った。運命の人はあの人ではなかったんです」


 勇一は思った。

 悠美が期待したのは、彼女が本当に河原で倒れていて欲しかった人は、朽木勇一ではなく柏木和之なのだと。


「悠美さんは柏木さんのこと、好きなんですね」


 彼は写真で見た柏木を思い出した。

 お世辞にも良い男とは言えない。

 だが悠美が彼のことを愛していることに間違いはないと勇一は確信していた。


「姉の研究所を訪ねた時、初めて彼に会ったんです」

 悠美は勇一から視線をそらして花壇を眺めた。


「秋でした。彼は宿舎の建物の横で、トンボに水をあげてたんです」

「トンボに水?」


 勇一は〈ほとり〉の脇で動かなくなっていたトンボのことを思い出した。


「彼は、死にかけていたトンボに水をあげていました。そうすると生き返るんだと言って。彼が言った通り、水を吸ったトンボは、秋の空に飛んで行きました」

 同じである。勇一が半年前にしたことと同じことを柏木はしていた。


「私、本当にこの人は優しい人なんだなぁと。それに彼は私にどんな時でも親切でした。それは私が病気を抱えていることの同情だと分かっていても、それでも嬉しかった」


 悠美の目が潤んでいるように見えた。

 勇一は悠美が涙を零せば消えてしまうのではないかと心配してしまった。


「どうして同情だと」

「彼は姉が好きだったんです。彼の口から直接聞きました。たぶん私の気持ちには気付いていなかったんだと思います。もし気付いていたら、私に本当のことは言わなかったでしょう。優しい人でしたから……」


 勇一は悠美の片想いの辛さを思うと自分までが辛い思いをしているような感覚に陥った。


 これは同情なのだろうか、柏木が悠美の言う通りの男であれば、彼もまた今の自分と同じような思いで彼女と接していたのだろうか。 


「でも、短い時間ですけど、私、勇一さんと接していて思ったんです。あなたも優しい。そう彼と同じだと思うんです。勇一さんといるとまるで彼と一緒にいるような、そんな気持ちなんです」


 悠美は勇一の方を向きなおした。

 そして潤んだ瞳で見つめた。


「そんな、僕は悠美さんの運命の人じゃ……」

 そう言いかけた時、悠美がよろめいた。

 勇一は慌てて彼女の肩を支えた。


「大丈夫ですか」

「ごめんなさい」

 悠美は勇一の胸に体を預けた。


「家に入りましょう。外の空気は毒かもしれない」

 勇一は彼女を支えながら家の方向へ歩こうとした。


「もうひとつ、占いの結果があるんです」

 悠美のその声は本当にか細く消えそうだった。


「私はもう長くないって」

 勇一は悠美を見つめた。

 そしてゆっくりと首を横に振った。


「やっぱり、悠美さんの占いは当たらないんじゃないんですか。まず僕は運命の人じゃないし、悠美さんもまだまだ元気ですよ」

 悠美が微笑んだ。

 勇一も微笑んだ。


「もう少しこのままでいさせて下さい」

 悠美が全身の力を抜いた。

 勇一は彼女の体をしっかりと包み込んだ。


   ×   ×   ×


 夜勤明け、家に帰った比呂子は眠い目を擦りながら自分の部屋のパソコンで里子の事件について調べていた。


 事件が発生して以降、特にインターネットの記事にこの事件が扱われていることはない。

 世間的にはさほど興味を引く事件でもないからだろう。


「駄目か……」


 少し落ち込む比呂子だったが、何かを見落としているような気がしてしょうがない。

 勇一は里子殺害事件と関係があるはず。

 だから里子の周りを調べれば彼が何者かが分かる。


 いや、彼が何者なのかは関係ない。


 彼に会いたい。

 彼は今どこにいるのか。


 もし勇一も自分たちと同じ事実を掴めば、必ずそこに現れるはず。

 だから少しでも情報が欲しい。


 しかし結果は何も得られず仕舞い。

 落胆と共に眠気が彼女を襲う。


 パソコンを見るのを止めて静かに目を閉じた。

 目を閉じるとそこに勇一の姿が映る。

 勇一は今頃何をしているのだろう。


 元気なのだろうか、

 相変わらず心が傷付いたままなのだろうか、

 彼はまだ私のことを好きでいてくれているのだろうか、

 それよりなにより、彼と再び会えるのだろうか、


 不安が彼女の中で膨れ上がった時、病院で勇一に抱きしめられた時のことを思い出した。


『大丈夫、必ず戻って来るから。だって比呂ちゃんが僕のこと好きだって言ってくれたんだよ、だから大丈夫』


 そう、彼は必ず帰って来ると言った。

 彼は約束を破る人ではない。

 大丈夫、絶対に大丈夫。彼女はそう心に言いきかせた。


 比呂子が再び目を開けた時、机の上に置いてある新聞の半分ぐらいの大きさで、新聞より遥かに薄い交通事故遺族会の会報誌が目に入った。

 先月坂田が大阪へ出向いた時の年次集会の内容が書かれている。


 このあいだ坂田がいつもと違って妙にじっくり読んでいることが気になった。

 なので比呂子も内容を確認したくって自分の部屋に持って来てそのままになっていたのである。


「兄さんが真剣に見てたのは真ん中ぐらいのページだったような……」

 比呂子が薄い会報誌を二ページほどめくってみる。


 恐らく坂田が真剣に読んでいたと思われる部分には、女性が壇上で口演している写真があった。

 写真の下には弟を事故で亡くした枝本さんと書かれている。

 事故の様子については写真の右横に書かれていた。


 内容は山道を運転中の乗用車が無理な追い越しをしてバスと正面衝突、バスが横転しそのまま谷底へ落下、乗客三十人中五人が死亡、十人が重傷、二人の男女が行方不明と書かれている。


 そう言えば思い出してきた。そんな事故を昔ニュースで見たことを。

 確か行方不明の男女は見つからなかったはず、その行方不明の男性の姉がこの人なんだろう。


 更に読み進めると講演内容の全文が載っている。


「私の弟は大人の癖をして、持ち物にはなんでも名前を書く変な習慣を持っていました。彼曰く、自分はすぐに物を無くすので持ち物全てに名前を書かないと気が済まないと言っていました。鞄でも靴でも、彼はありとあらゆる物に名前を書いていました。そんな彼が事故後、現場から発見されていません。……」

靴に名前? 枝本?


 比呂子は勇一の名前が、「朽木勇一」と靴の内側に書かれていたことだけが唯一の拠りどころであることを思い出した。

 彼女が慌ててパソコンからバス事故を検索してみる。

 何件か出てきた検索結果から詳しく書かれていそうな地元新聞のサイトをクリックしてみる。


 行方不明者の氏名、三波小夜子(二五)、枝本勇二(二八)。

 事故後一カ月経っても発見されなかったと記事は伝えている。


「枝本勇二?」比呂子が勇の字に着目した。


「勇二の二の字、もし線が一本消えていたら勇一!」

 比呂子は近くにあったメモに枝本と書いてみる。


「枝」の字の線を幾つか消してみる、すると「朽」に見える。

 本は中の一本線を消せば木になる。


 そう、枝本勇二と書かれた字が擦れたり汚れたりして一部の線が消えれば朽木勇一になる。


 比呂子は行方不明者の写真を探した。


「あった」


 同じ新聞社の別の記事に写真が載っている。

 でも小さい。

 写真の下に「クリックすると大画面になります」と書かれている。


 比呂子の動悸は高鳴った。

 そして写真をクリックしてみた。


   ×   ×   ×


 悠美を部屋まで連れて行く途中に雨が降りだした。

 雨音は静かに部屋の中に浸み込んでくる。


 悠美はベッドに上体を起こし、窓の外を見ている。

 勇一はベッドの傍らの椅子に腰かけた。


「雨の日は好き」

 悠美は勇一の方を振り向く。

 いつものように弱々しい彼女の体は、いつ消えて無くなってもおかしくない。


「どうして?」

 勇一はできるだけ優しく答えた。彼女が消えてしまわないように。


「雨で外に出られないって言えるから。それに晴れたら皆外に出かけるでしょ、雨ならみんな家にいるもの」


 彼女は独りなのだと勇一は思った。

 その孤独を自分は癒せているのだろうか、いつも周りの人を不幸にしてきた自分がもし彼女の助けになっているとすれば、彼女の幸せに少しでも役に立っているのであれば、それは嬉しいことである。


 悠美はポケットからタロットカードを出した。そしてベッドの上に広げた。


「勇一さんの将来を占ってあげましょうか」

「ごめんなさい。僕は生年月日も血液型も覚えていないんです」

「大丈夫」

 悠美は慣れた手つきでカードを広げて行く。


「勇一さんが目の前にいてくれれば、それで大丈夫」

 悠美は一枚一枚丁寧にカードを裏返して行く。

 彼女が最後にめくったカードには中心に女性が、その四隅に獣が描かれている。


「このカードは《女帝》うん、勇一さんは幸せになる」

「幸せ?」

 勇一はその言葉を疑った。

 自分はその言葉にもっとも縁遠い人間だと思っていたからである。


「将来が幸せになる。これって希望ですよね。人間は希望さえあればどんな辛いことでも乗り切れる、ってあの人が言ってました」


 悠美は柔らかい笑顔でそう語りかける。

 そこには他人が幸福になることの妬みのような表情はどこにもない。

 今までに出会ったどの人よりも幸福そうな表情である。


「悠美さんの希望は何ですか」

「秘密」

 悠美は控えめに笑った。


「悠美さんも幸せになりますよ」

「私は幸せですよ、勇一さんと一緒だから」

 悠美はカードを集めた。


 彼女は集めたカードをシャッフルしている。

 そして勇一の方を見ようとしない。

 彼女は本当に幸せなんだろうか。

 勇一は彼女の本心を知りたかった。


「勇一さんには恋人がいらっしゃるんでしょ」

「えっ」

 勇一は言葉に詰まった。


「隠しても無駄です。占えば分かりますもの」

 悠美はシャッフルし終わったカードを再び並べ出した。


「きっと、その人と幸せになるんだ。さっきのカードの意味はそれを暗示しているから」


 比呂子が浮かんだ。彼女と幸せになれる。

 それは占いの結果であっても勇一の心に希望が芽生える。

 もしかしたら…… でも今は目の前の悠美の方が心配である。


 悠美は並び終わったカードの最後の一枚をめくった。

 絵柄は大きな鎌をもった髑髏。


「何を占ったんですか」

「秘密」

 と悠美は冷静な、何の感情も入っていない声でそう言った。


 でも何を占ったにせよその絵柄を見ればおおよそ結果は想像がつく。


「あの人が教えてくれたんです。

 人間は未来を予測しようとすることが本能の生き物。


 最善の予測が希望。

 最悪の予測が不安。


 人間は希望を妨げるか、あるいは不安な状態に追いやった人や物を排除しようとする。

 それが怒り。


 でもね、私には不安も怒りもないんです。


 なぜならもうすぐ死ぬってわかっているから。

 最悪の予測を回避する手段がないから。


 だから今の私は心やさしい勇一さんと一緒にいることが一番の幸せ」


「悠美さんも、きっと柏木さんと再会できますよ」

 勇一は彼女を希望によって勇気付けようとした。


「勇一さんはやっぱり優しいですね。

 柏木さんと再会できることが私の希望になると思ってくれているんでしょ。

 確かに私の希望は柏木さんの側にいられること。

 でもその希望も今となっては叶うかどうか……」

 悠美はやや伏し目がちになった。


「そもそも私の希望を妨げたのは姉の里子。

 姉さえいなければ柏木さんは今も私の側にいてくれたかもしれないって。

 でも怒ったところで姉はもういない。


 人間は往々にして本質を忘れて何か理由を付けて怒りだけを残す。

 私は死んだ姉すら殺したいとまで思ったこともありました。


 でも気付いたんです。

 柏木さんの行方が分かっても、彼が愛したのは姉だけ。

 私が望んでも側にいてくれるとは限らない。


 だから、姉を憎んでも希望が叶わないのなら怒りを持つ意味がないって。

 だから今私は誰も憎んではいない、怒りもない」


 悠美は残っているカードの山から一枚だけカードを引いた。

 そこには今度は女神がラッパを吹いている絵だった。


「それに柏木さんは、私の側にいる。そんな気がするの」

 悠美は微笑んだ。

 そして彼女はその女神がラッパを吹くカードをポケットに仕舞った。


「彼は本当に優しくて、色々なことを教えてくれた。たとえば自然に暮らしている動植物がどうやって共存しているか、目に見えない生物が私たちにどんなに有意義に働いてくれているかとか」


 悠美は少しだけ哀しい顔をした。

 何かを思い出したようだった。


「ある日、研究所近くの里山に住んでいたタヌキの親子が死んだ時のことを話していました。

 彼は二頭の仔ダヌキと母親の三頭をいつも見守っていたそうです。

 そんな中、一頭の仔ダヌキが病気で死んだらしいの。

 でもこれは自然界の出来事だからって、病気のタヌキを助けなかった。

 彼は辛かったらしいの。

 でも残った一頭と母ダヌキは変わらず見守っていた。

 それなのに、その二頭が里山に不法投棄された薬品を口にして死んだ。

 その話の時に珍しく彼が怒った表情をしたの。

 人間なんていない方がましだって。

 その彼の表情が怖かった」


 彼女の目から涙がこぼれた。本当に彼女が消えてなくなりそうになった。

 勇一は慌てて彼女の手を握った。消えてしまわないように。


 彼女は勇一を見つめた。

 その目に青い炎が見える。


 勇一はその炎に魅入られた。

 なにか吸い込まれるような。


 彼の中の青い炎が彼女の炎と応呼した。

 悠美は勇一の胸に体を倒した。


 勇一は彼女の青い炎と自分の青い炎が一体になる感覚を覚えた。


   ×   ×   ×


 タヌキが死んでいる。大きなタヌキと小さなタヌキ。

 勇一はそれを目にして悲しさと怒りが湧いて来た。


「人間なんてそんなもんですよ」

 振り返るとそこには黒衣の中年男が立っている。彼は悲しそうにタヌキの死骸を見ながら話を続けた。


「私も宇宙からこの美しい星を見ていていつも思うんです。人間がこの星を汚している。彼らはいなくなった方が良い」

 勇一は本心から彼の意見に賛同した。

 そう、人間なんか醜い、そう殺したいぐらいに。


 黒衣の男が指さした。

 その先には里子がいる。


 周りにはいつの間にか熱帯性の植物が生い茂る温室になっている。

 外には赤い屋根の建物と富士山が見える。


 勇一の手にはなぜか石が握られている。


 その時、里子が笑った。

 おかしくてたまらないと言わんがばかりに。


 勇一の手に力が入った。

 そして里子を殴りつける。

 帰り血が自分に向かって飛んできた。


 ハッとして目が覚めた。


 勇一に宛がわれている部屋は静かだった。

 時計を見る、午前一時。勇一は夢だったのかと安堵した。


 しかしリアルな夢だった。

 なにか本当に経験したかのように。


 ただこれは悠美から聞いた柏木の話である。

 それが記憶に焼き付いて見た夢であろう。


 彼はそう思って額の汗をぬぐった。

 気がつけば全身汗だくである。

 よほど夢の体験が怖かったのだろう。


 ふぅ、と息を吐いた時、彼は左手が熱いことに気が付いた。

 それは夢のせいではない。

 現実に熱い。


「現れたのか!」

 彼は目を閉じた。暫く何も感じない状態が続き、その後、潮の匂いがした。


「海?」

 彼が目を開けると見たことのない海が広がっている。

 ここは比呂子たちと見ていた海ではない。


 雨は止んでいる。

 悠美の家からは西に遠く離れた場所なのであろう。

 切り立った岸壁には白く大きな建物が並んでいた。


「あれは見たことがある。原子力発電所?」

 その建物からサイレンの音が聞こえる。


 そしてライトが海面を照らした。

 ライトの先には、円錐形の針のような腕を持つ怪獣が進撃して来る。


「原子力発電所を襲うつもりか」


 怪獣は腕を振り下ろし海面を打つ。

 すると盛り上がった海水が発電所に向かって猛烈な勢いで進んでくる。

 その波は発電所の壁を打ち壊し中の原子炉がむき出しになった。


「まずい。このままだと原子炉がやられる」

 勇一は左手を天に向かって突き出した。

 みるみる自分の体が大きくなり怪獣デスペアーと同じ大きさになる。


「発電所からやつを引き離さないと」

 シルバーマンはデスペアーに飛びかかる。

 そして背後から抱きかかえ発電所から引き離そうとする。

 しかし重くて動かない。


 シルバーマンがデスペアーに腕を掴まれ投げ飛ばされる。

 海中に沈むシルバーマン。

 デスペアーはまた一歩ずつ原子炉に向かって行く。


 海中から浮上したシルバーマンが今度はデスペアーの足にしがみつく。

 歩みを止めるデスペアー。

 しかし動きを止めるのが精いっぱい、逆にデスペアーがしゃがみ込みシルバーマンの頭を掴んで海中へ何度も沈める。


 息が出来ない、苦しい中思わず手を放してしまった。

 すると今度は足でシルバーマンを踏みつけるデスペアー。

 シルバーマンは自ら海中に沈みデスペアーの攻撃をかわす。


 デスペアーは何事もなかったかのようにまた原子炉の方向へ歩みを進める。

 その眼前からシルバーマンが飛び上がりデスペアーの顔面に飛び蹴りを喰らわす。

 さすがのデスペアーも海上に倒れ込んだ。

 そこに覆いかぶさるシルバーマン。


 拳を振り下ろす。

 デスペアーが苦しそうに暴れる。

 するとシルバーマンの振り下ろした腕を捕え、その腕を締めあげた。


 痛みで倒れるシルバーマン。

 そこに今度はデスペアーが覆いかぶさる。

 何度も顔面を海中に沈められ苦しむシルバーマン。


「どこだ、この怪獣の弱点は!」


 勇一は頭の中で繰り返した。

 だが答えはいつものように囁かれない。


 今度はシルバーマンがデスペアーの腕を取りその動きを止め、両足を伸ばして投げ飛ばす。

 海上に叩きつけられるデスペアー。


 振り返ると原子炉の周が水蒸気で白くなってきた。

 このままでは炉心溶融を起こす。

 そうなればこの辺りは放射能で汚染される。


「どこだ!」

 再び勇一は心に問いかけた。

 それでも答えは囁かれない。


「なぜだ、この怪獣の弱点をなぜ教えてくれない!」


 起き上ったデスペアーがシルバーマンに突進してくる。

 その勢いで体当たりされたシルバーマンが再び海上へと飛ばされていった。


   ×   ×   ×


 この光景を少し離れた崖の上から里子と黒衣の男が眺めていた。


「あの怪獣は?」

 里子が黒衣の男に尋ねる。


「デスペアーのことですか」

「見たことない、あの怪獣を」

 黒衣の男は含み笑いを浮かべた。


「【あの人】が目覚めたんですよ」

「目覚めた!」

 里子は驚きを隠せなかった。

【あの人】が、私の愛する【あの人】が。


「【あの人】が目覚めれば、新たな怪獣を次々と生み出せる。これで勇一君も用済みだ。デスペアーの弱点を彼は知らないはずですから。これでシルバーマンも最期です」


 シルバーマンはこの怪獣の弱点をしらない、

 ならどう戦う。里子は無表情で再びシルバーマンを見る。

 そして黒衣の男に聞こえない声で囁く。


「死なないで、勇一さん!」


   ×   ×   ×


 シルバーマンは海の中から立ちあがってデスペアーを追っている。

 デスペアーは原子炉のすぐ手前まで来ている。


「どうする、何とかしなければ」


 そう考えた勇一に一つのアイディアが浮かんだ。

 勇一はデスペアーの頭の上を飛び越えた。

 陸上に着地したシルバーマンは、原子炉を手でつかんでデスペアーの口に押し込む。


「ごくり」デスペアーは原子炉を飲み込む。

 腹がみるみる赤くなって行く、そしてもがき苦しみやがて全身が赤くなり動かなくなった。


「このまま怪獣が消えれば、原子炉の放射能がまき散らされる」

 シルバーマンは動かなくなったデスペアーを抱えあげ空へ。

 どれぐらい高く飛んだのだろう。


「間に合うだろうか」

 勇一は不安を抱えながら更に高く飛ぶ。


 すると青い海の上に暗黒の世界が見えた。

 自分の体が軽い。

 そう、大気圏を出たのだ。

 シルバーマンはデスペアーを力一杯突き放した。


 デスペアーは滑るように飛んで行く。

 そして大きな光となって消えて行った。


   ×   ×   ×


 目が覚めた時、勇一は悠美に発見された河原に横たわっていた。


 どれぐらい時間が経過したんだろう。

 悠美のところに戻らなければ。

 勇一は痛む体を引きずりながら悠美の待つ別荘へと向かった。


 しかし別荘の前ではいつもと何やら雰囲気が違っている。


 まず見かけない高級車が止まっている。

 すると家の中からどこかで見たような貫禄のある男性が貴美と一緒に出てきた。

 そして男だけが車に乗って走り去った。

 そう、あれは写真で見た悠美の父親ではないか。


 勇一は急に不安な気持ちになった。そして貴美に駆け寄った。


「貴美さん!」

 ハッとして貴美は勇一の姿を探した。

 そして彼を見つけるなり、いきなり悲しげな顔になり、そして勇一を睨みつけた。


「あなた、どこへ行っていたんですか」

「すみません。小用があって……」

 勇一の言葉が終わらないうちに貴美の口から


「お嬢さんは昨夜亡くなられました」

 勇一は何も言えずその場に立ちすくんだ。


 貴美も肩を落とした。

 これ以上怒りをぶつけても意味がないと言わんばかりに。


「お嬢様は死の間際まであなたにお会いしたいとおっしゃっていました。私はあなたをお怨みいたします」

 そう言うと貴美は勇一を残して家の中に入って行った。


 彼はその場に佇んだ。


 勇一の中で笑顔の悠美が、あの白い肌が更に透き通り、あの弱々しい青い炎がどんどん薄くなりやがて消えて行く。


 そして悠美の影が消えた後、そこにくっきりと白いコートの里子が現れた。


「あなたには誰も救えない。誰も幸せにはできない。あなたの周りの人はみんな不幸になる。あなたは私の妹まで不幸にした。これ以上不幸な人を作らないで」

 そう言い残すと里子の影も消えて行った。


 勇一はその場に座り込んだ。

 そう、自分の周りはみんな不幸になる。

 自分は存在してはいけない人間なのかもしれない。


 ふと春の暖かい風が彼の耳元を吹き抜ける。

 弱々しい声だが確かに聞こえる。悠美の声が。


「勇一さんは大丈夫。きっと幸せになれる。私も絶望の中で勇一さんと出会えた。だから勇一さんも大丈夫。だって私の占いは当たるから」


 勇一は涙が止まらなかった。

 そしてひとしきり泣いた後、彼は立ちあがった。


 あの場所に向かって。


本編にて原子力発電所の下りに対して、一部の方には不快な思いをされた方がいらっしゃったかもしれません。もしそうであればお詫び申し上げます。

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