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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第6章 エピローグ編
16/18

高熱怪獣ソリチュード

 一日に五本しか運航していないバスを降りた時、勇一は雄大な山の緑に目を見張った。

 間もなく五月、新緑の季節。そんなありふれた言葉がぴったりの美しさがそこにある。


 ここは岡山と兵庫の県境にある内陸の村、山に囲まれた小さな盆地には田畑と数軒の人家しかない。

 まさに田舎としての典型的姿である。


 何の目印になる建物もないなが、停留所の看板目当てにバスは止まった。

 さすがに道路は舗装されているものの、すぐ脇の道は地道である。


 そのバス停で降りるのは勇一ひとり。

 彼が降りると同時に古いバスの自動扉はきしむような音を立てて閉った。

 そして黒い排煙を噴き出して彼から遠ざかって行く。

 勇一は去って行くバスを少し心細く見送った。


 バス停には二人の老人がベンチに腰かけている。

 二人のうち女性の方が勇一を見つけて立ちあがった。

 もう一人の男性の方はそれを見てから立ちあがった。


「朽木勇一さんですか」

 老女は少し不安げに勇一に声を掛けた。


「はい、そうです」

 と答えると、老女は安堵したように笑顔を見せた。


「そうですか、あなたが勇一さんですか。坂田浩二さんから連絡もらいました。私が浩二さんの義理の母で、戸塚初、言います。こっちは連れ合いの洋三です」

 初は丁寧に頭を下げた。

 それに遅れて洋三は仏頂面をしたまま頭を下げた。


「しばらくご厄介になります」

 勇一は初に負けじと丁寧にお辞儀をした。


 彼がこの地を訪れたのは他ならぬ坂田の願いである。

 坂田はこれ以上、比呂子が傷付くことが心配だった。

 勇一が普通の人間ならば、坂田はそんな物の言い方をした。


 勇一は複雑な思いであったが坂田の申し入れを承諾した。

 それは坂田の心配を取り除くためではなく、彼 自身も比呂子に傷付いて欲しくなかったからである。


 そう、自分は普通の人間ではないのだから。


 しかし坂田は約束してくれた。全ての怪獣を、そして怪獣を送り込んで来る真の敵を倒し、勇一が普通の人間として暮らせる、

 その時期が来たら比呂子のところに帰って来ても良いと。


 勇一にその約束を果たせる自信があった訳ではない。

 だがそれは一つの希望として坂田の申し入れを承諾するきっかけにもなった。


 次の住まいとして坂田は、妻の祐子の実家を提案した。

 身元不明の彼を引き受ける先などそうそうない。

 彼は、祐子が亡くなってから音信不通になっていた、義理の両親に援助を求めたのである。

 坂田としては、祐子を思い出す義理の両親に連絡することは辛かったはず、と勇一は察した。

 それでも坂田が動いたのはそれ以上に比呂子のことが心配だったのだろうと。


 坂田は勇一に、祐子の両親にはくれぐれも危害が及ばぬようにと懇願された。

 坂田にしてもこの二人に何かあれば、天国の祐子に顔向けができない、特に初は心臓が弱く、今でも病院に通うほどで、何かショックを与えるような出来事がないようくれぐれも、と念押しされたのである。


 戸塚家は古民家である。

 建てられてからどれほどの時が経ているのか分からないが、テレビで見るような縁側や土間がある。

 庭はどこまでが個人の庭か分からない、隣と区分けする塀も存在しない。

 比呂子たちと住んでいた町も田舎だったが、ここは更に輪を掛けて田舎である。


 勇一は初に連れられて戸塚家の一番奥の部屋に通される。

 そこは小さな文机が置いてあるだけの質素な和室であった。


「こんな広い家やけど、二人しか住んでないと部屋が余って困りますんや」

 初は部屋の隅に置かれていた座卓を部屋の中央まで持ってきた。


「お構いなく、僕がやります」

 年寄りに仕事をさせてはと、勇一は自分で座卓を運んだ。


「構いませんよって、今日ぐらいはお客さんでよろしいがな」

 初は笑みを浮かべてそう言った。


「こんな田舎やと若い人はほとんどおりませんから、まあ私もうれしゅうて」

 相変わらずニコニコしながら勇一を見ている。

 勇一は恐縮するばかりである。

 自分にもこんな優しい祖母がいたんだろうか、それはともかく今はこの老女に甘えよう。


「今日はゆっくりしてもろうて、明日からは田植えを手伝どうてもらいますから」

「はぁ」

 田植え? 勇一はしたことがない。その不安を口にする前に初が答えた。


「まぁ、心配せんでも、ここ最近は機械が全部やってくれますよってに」

 初は押し入れから座布団を出してきて座卓の前に置いた。

 初の様子を見ながら勇一はさっきから気になっていたことを問うた。


「洋三さんは、どこか具合でも悪いんですか。さっきは何も喋らなかったですが……」

「あゝ、あの人は無口ですよってに気にせんといてください」

 初は部屋の中をぐるっと見回して手抜かりがないかどうか確認をし、


「ゆっくりしてください。夕飯出来たらまた呼びますから」

 と言って部屋を出て行った。


 独り残された勇一は、手に持っていた鞄を部屋の隅に置き、小さな窓を開けてみた。

 外から春のさわやかな風が吹き込んでくる。


 外を見れば、さっき見た山々の緑が眩しい。

 周りには小鳥が囀る以外は何も聞こえない。

 静かだ。この静けさが逆に勇一の心を不安にさせた。


 何も起こらなければこの自然の中で穏やかに過ごせるのに。

 なぜ自分だけが安らかな気持ちになれないのか、いつになれば落ち着いた暮らしができるのか。 


 こんな不安に陥った時はいつも彼女の笑顔が癒してくれた。

 そう、比呂子は今、何をしているんだろう、何も言わずに町を出たことを怒っているだろうか。


 彼の憂鬱とは関係なく自然は寛容に暖かい春風を運んでくる。

 早く安らぎを得たい、春風を感じながら勇一はそう願うことしかできなかった。


   ×   ×   ×


「兄さんはそれでもいいの!」

 比呂子の剣幕が勢いを増した。


 坂田は動じず仕込みを続けている。

 それでも比呂子は坂田に詰め寄った。


「勇一さんは傷付いているのよ、体も心もボロボロになって、それでも私たちを守ろうとしているのに!」

 坂田は野菜を切り分け終わり、まな板を洗った。

 そして業務用冷蔵庫から豚肉の塊を出して別のまな板に乗せる。


「勇一さんはどこに行ったの」

「知らない」

 中華包丁に坂田が体重を掛けた。鈍い音と共に豚肉の塊が二つに割れた。


「彼には味方がいないの。独りでもがいているの。誰かがそばにいてあげないと」

「それはお前でなくてもいいんじゃないか」

 坂田は二つになった肉の塊を、同じようにして四つに分けた。


「そんなぁ。だって家族じゃないの」

「やつは単なる居候、赤の他人だ」

 比呂子はカウンタの椅子に座りこんだ。


「勇一にはお前じゃなくて、里子さんって言う奥さんがいる」

 比呂子の脳裏に里子の笑顔が浮かぶ。

 その美しさは自分でもかなわないと思う。

 もし勇一が里子のことを思い出して、自分よりも好きになったとしてもそれはそれで構わない。


 自分は彼を愛している。彼を救いたい。それだけでいい。


「いいか、奴は普通の人間ではないんだ。命も狙われている。

 そんな奴をお前の側に置いておく訳にはいかない。あいつのことは忘れろ」


 肉の塊はもう塊と言えないほどにこま切れになっている。

 彼はその血を流し台で洗い落とした。


「もう、これ以上肉親を失いたくない……」

 坂田は流れて行く血を見ながらそう言った。


 比呂子は坂田の気持ちを察した。

 確かに自分に何かあれば坂田は独りになる。それは分かる、分かるけれど……


「兄さんは私の気持ちをちっとも考えてくれてない」

「?」


「確かに父さんと母さんが死んでから、兄さんは大学まで中退してこの田舎に帰って来て私の看護学校の学費まで用立ててくれた。

 それは感謝してる。

 なによりも尊敬する兄さんの言いつけは守ろうと思った。

 だから兄さんが、勇一さんのことを好きになるなって言ったから、私もそうならないように抑えてきたの。でももうダメ、抑えきれない」

 比呂子はすっくと立ち上がった。


「やっぱりダメ! 見捨てられない。私は勇一さんを守るの。誰が何と言おうと」

 彼女はそう言い残すと走り出すように店を出て行った。


 坂田は溜息をついた。

 予想できたこととは言え、彼女の思いの深さを。

 そして恐らく自分がどれだけ反対しても勇一を探しだすだろうと。


   ×   ×   ×


 勇一がここに辿り着いてから一週間が過ぎた。

 村の人たちも勇一のことを歓迎して親切にしてくれている。


 そして何事も起こらない、何も現れない、変身しない、戦わない、そのことが何よりも心を落ち着かせる。


 もしかして此処にいれば普通の暮らしができるのかも、そう思わせるほど平穏な日々が続いていた。

 ただ今のままでは比呂子に会えない。


 その不安だけが胸に引っ掛かる。


 田植えはほぼ終わっていた。

 一面に緑の苗が植わっている。

 それらは風に揺られて不安定に揺れている。


 田んぼの水が風に吹かれて波紋を起こす。

 それは海の波と違って小さい。

 海が見たい、勇一は心でそう呟いた。


 田植えの休憩中、初がお弁当を持ってきてくれた。

 初、洋三、そして勇一の三人が昼食をとっている。


「浩二さんは元気ですかね」

 初が勇一に話しかけた。


「ええ、とても元気ですよ」

 勇一の『元気ですよ』という言葉に洋三がじろっと睨んだ。

 相変わらず洋三の口数は少ない。


「祐子は不憫な娘やったのう」

 ポツリと洋三が呟いた。


「あんた、またそんな昔のことを」

 初が少し怒った声で言う。


「あんな男と結婚したおかげで、死んでしもたわ」

 勇一はすぐに【あんな男】が坂田であることを理解した。


 ただ結婚したから死んだ訳ではない。

 洋三にとって祐子の不慮の死と坂田の存在を結びつけているのだろう。


 坂田が昔似たようなことを言っていた。

 人間誰でも自らに降りかかった不幸に理由を付けたがるものである。

 洋三にとってその理由が坂田なのである。


 初めてこの村に来た時、洋三が無口だった理由が分かった気がした。

 彼は坂田から紹介されてここにやって来た自分を不幸の使者とでも思ったに違いない。

 そもそも坂田と言う言葉すら聞きたくなかっただろうに。


「洋三さんは坂田さんのこと恨んでるんですか」

 勇一は不意にそんな質問をしてしまった。

 言葉を発した後にまずいことを聞いたかもしれないと思ったが手遅れであった。


「ふむ、まぁ、でも一年以上経ったからのう。細かいことは忘れた」

 洋三は表情を変えずにそう答えた。


 勇一は洋三がもっと怒るのかと思いハラハラしたが、思いのほか洋三が冷静であることに安堵した。

 だが彼が本当にどう思っているかは量りかねた。


「ひとり娘で、本当に可愛かった」

 洋三は目を閉じた。それ以上なにも言わない。

 思い出の中で幼いころの娘と遊んでいるのだろうか、勇一はそれ以上、声を掛けなかった。


   ×   ×   ×


「で、君は勇一君がシルバーマンだと思っている訳?」

 上条は比呂子の顔を覗き込んだ。ここは病院の待合室。


 いつものように老々男女が持病の話で盛り上がっている。

 そんな部屋の隅に場違いな雰囲気の上条と比呂子が立ち話をしている。


 比呂子が上条を呼び出したのは、勇一を探すために彼の協力を仰ぎたかったから。

 上条以外に協力者が思いつかなかったとも言える。


「それは言えません」

「それじゃ協力できないな」

 上条は素っ気なく答えた。


「でも私、上条さんしか頼る人がいなくって、お願い」

 上目使いで懇願すると、


「比呂ちゃんらしくない、色仕掛けですか。でもごめん、比呂ちゃんには似合わない。俺も暇じゃないから……」

 上条は相変わらず相手にしない。


 ただ、本当に上条しか頼れそうな人間がいないことも事実である。

 なんとかここで彼の心を掴まなければ、比呂子は考えた。


「植物園、富士山、赤い屋根」

 咄嗟に比呂子がこの三つのキーワードを口にした。


「なに、その暗号?」

 上条は立ち去ろうとした足を止めた。


「勇一さんがたまに頭の中にその光景が浮かんでくるらしいの」

「うむ、でもそれだけじゃなぁ」


 彼は腕組みをする。

 その三つのキーワードから言えることを考えてみた。

 しかし周りの老人たちが語り合う擦れた声が耳に付き集中ができない。


「後、勇一さんには里子と名乗る奥さんがいるの」

「ほう、それは初耳だなぁ」

「しかもとっても美人なの」

 上条は美人と言う言葉に反応した。


「そう、美人ね。そのひと勇一君になにか話したの」

「勇一さんの話だと何も教えてくれないって言うの。私も一度しか会ったことがないから良く分からない」

 上条は力説する比呂子を眺めた。

 比呂子の目は真剣だった。


「比呂ちゃんは、どうして勇一君を探し出したいの」

 比呂子は思わず下を向いた。

「それは……」

 上条は一つ溜息をついて腕組みを解いた。


「切ないねぇ。俺、結構そう言うの弱いからなぁ。まあ、今のキーワードを繋ぐだけでも何かが分かるかもしれない…… 分かったよ、協力するよ」

 と優しく答えた。


 比呂子は顔を上げて「ありがとう」と笑顔を見せた。


   ×   ×   ×


 この村にはこんなに人がいたのかと思うほど村人が集まった。

 さすが田舎だけあって通夜には村人総出で対応している。


 今朝、同じ村に住む谷口の爺さんが階段から落ちて頭打った。

 病院へ運ばれている最中にこの世を去ったらしい。


 勇一も当然の如く谷口家の通夜に呼ばれた。

 村に住む人間として欠席は許されない。


 谷口家も戸塚家同様の旧家で、家の中の襖を全てはずし、大広間を作り、祭壇やらなんやらを整えて行く。

 初も洋三も誰に頼まれた訳でもなく何かしら用事をしている。

 まるであらかじめ分担が決められていたかのようである。


 勇一が何か手伝おうとしてもみんな親切そうに「何もしなくっていいから」と決まったセリフを言った。

 とりあえず勇一はその場に立っているしかなかった。

 周りは勇一がいないかの如く忙しく動き回っている。


 勇一の周りだけが時が止まったように何も動かない。

 

 午後七時には読経やら焼香が始まり、八時には食事の振る舞いとなった。

 初に即され勇一も末席に座った。

 みんな通夜とは思えないほど陽気に酒を酌み交わしている。


「そういや、三日ほど前にカラスが大量に山で死んどったらしいな」

 酒を飲みながら勇一の隣に座っていた爺さんが喋り出した。


「誰かが農薬を山に捨てたらしいわ。それをカラスが啄んだらしい」

 更にその隣の爺さんが答える。


「なんか不吉やなぁ」

 斜め前の男がチラッと勇一を見た気がした。


「まぁ、この村は年寄りばっかりやから、いつ誰が死んでもおかしないわ」

 誰かが茶化すように答える。


「そうやな、次は誰やろ」

「縁起でもないこと言うな」

 その後も他愛のない会話が続けられる。

 勇一は心細さと退屈さの中、昨日の洋三のように頭の中で空想を広げていた。


 怪獣は全て退治され世界は平和になる。

 砂浜に二人の姿がある。

 青い海はいつまで見ていても見飽きない。

 穏やかな時間が流れる。


 二人は肩を寄せ合っている。

 二人を邪魔するものは何もない。そ

 んな時間が永遠と続く……

 そんな勇一の空想は通夜の間延々と続いた。


   ×   ×   ×


 比呂子はいつもの勇一のように海岸沿いの道路から荒れる海を見ていた。

 勇一は今、どこでどうしているのだろう。

 まだ独りで苦しんでいるのだろうか。救いたい、彼を。会いたい、彼に。


 ふと背後に人の気配がした。

 振り返るとそこに白く輝く女性が立っている。


「里子さん!」

 里子の表情には以前の微笑みはなかった。


「里子さん、あなた、勇一さんの居所を御存じないですか」

「知っていてもあなたには教えない」

 里子は比呂子をキッと睨みつける。


「どうして」

 比呂子は里子に向かって言った。

 そして彼女に詰め寄りその両肩をもって、


「知りたいの、たとえあなたが勇一さんの奥さんだとしても、彼の行方を知りたいの!」

 里子は比呂子の手を払いのけた。


「今日私がここに来たのは、あなたを殺しに来たの」

「え!」

 比呂子は数歩後ずさりした。


「どうして? 私に嫉妬しているの」

「嫉妬? 違うわ。あなたを殺せば、勇一さんは憎しみで一杯になる」

「勇一さんを怪獣にするつもりなの」

 その言葉に里子は鼻で笑った。


「彼はある意味、もうすでに怪獣になっているわ。シルバーマンって言う怪獣に」

「そんな…… 彼は誰よりも傷付きやすい、普通の誠実な人間よ」

「そう、誠実すぎるの」

「誠実すぎる?」


 比呂子には、誠実すぎることが普通の人間ではない、と言う彼女の言い分が理解できなかった。


「だから彼の中に怒りのエネルギーが生まれれば、普通の人間が持つ善悪の気持ちが同居する。そうすれば勇一さんは本当に普通の人間に戻れるわ」

「……」


 比呂子は混乱した。

 ただ里子の言うことが正しいのであれば……


「もし、私が死ぬことで勇一さんが救われるのであれば、どうぞ私を殺して下さい」


 比呂子は里子を真っすぐに見つめた。

 その視線を浴びて、里子は急に笑い出した。


「止めた、あなたを殺すことは」

「なぜ?」


「あなたを殺せば勇一さんは憎しみの感情が生まれる。その感情はあなたのことを一生忘れさせないでしょう。そうなれば【あの人】も勇一さんに同調してあなたを殺した私を憎むことになるでしょう。私はそんなことで【あの人】の愛を失いたくないの」


 比呂子には里子が言う【あの人】とは誰なのかが分からない。

 なぜ【あの人】と勇一が同調するのかも分からない。

 混乱のまま一番聞きたい質問を投げかけた。


「里子さん、あなたは勇一さんの妻として、彼のことを本当に愛しているの」

「分からない。私の愛している人はただ一人、それは【あの人】でもあり、勇一さんでもある」

「どう言う意味? さっきからあなたの言っていることが理解できない」

 里子は遠い目をした。


「そうね、私にも理解できなくなってきた。

 最初は勇一さんが戦うことを止めてくれれば良いと考えていた。

 でも怪獣が現れると無条件に戦って傷ついてしまう彼を見ていて【あの人】の本当の優しさに触れた気がした。

 もし、もっと早くにその優しさを知っていれば、今頃私と彼は平凡な夫婦として幸せな生活を送れたのかもしれない。

 さっき私は比呂子さん、あなたに嫉妬していないと言いました。

 でもそれは嘘。私は、あなたが一途に勇一さんを愛している姿に嫉妬してる。

 勇一さんの優しさを本当に理解できるあなたを本気で殺してやりたいぐらい憎んでもいる。

 勇一さんに怒りのエネルギーが生まれた時、【あの人】が私を選ぶのか、あなたを選ぶのか、もしあなたならば、そのときは躊躇なくあなたを殺しに来る」


 そう言うと里子は背を向けて海岸道路に向かって走り去った。


「待って!」


 比呂子が里子を追いかけようとした時、海岸道路に数台の車が通り過ぎた。

 車の陰で道路を横切った里子が一瞬見えなくなる。

 車が走り去った後、もうそこには美しい白い影はなかった。


   ×   ×   ×


 不思議なことに悪いことは重なるものである。

 谷口家の葬儀が終わった翌日から降り続いた雨は、近年よくある集中豪雨に変わった。


 この村でも川が氾濫し、せっかく植えた苗も流されてしまった。

 更に崖崩れも発生し、ケガ人はでなかったにしても、家が二件ほど土砂に埋まった。


 人々は誰彼なしに不吉と言う言葉を口にするようになった。

 それはこの村に何か変化が起こったからだと、その変化とは。


「朽木さんには出て行ってもらった方がいいかもしれんな」

 勇一は襖の陰に隠れて洋三と初の会話に聞き耳を立てていた。

 洋三の言葉に初が


「なに言うてるんです、村の噂なんか気にしたらあきませんよ」

 と反論する。


 勇一は薄々感付いていた。

 ここ最近の出来事で村人たちが不吉の元凶を自分ではないかと疑っていることを。


 ただでさえよそものを嫌う閉鎖的な村の環境では、勇一の存在は明らかに違和感を持つだろう。

 彼らが自分のことを疫病神だと思っても無理はない。

 それほどいつも平穏な村には、いつもと違う不幸が続いていた。


「あの人には気の毒やけど、やっぱり村のもんはもうこれ以上黙ってへんで」

「そやかて……」

 初は洋三に何かを言おうとして止めた。

 しかし止めた言葉はすぐに洋三の口から吐き出された。


「そもそも、わしは坂田から話が来た時から気に入らんかったんや。祐子のこと殺しといて」

「そんなこと今更、あれは事故で……」

「そんなもん関係ない! 俺はあの男を許さん!」


 勇一には洋三の周りに赤い炎が見える。

 彼は坂田を恨んでいる。

 その思いは一年経った今でも変わってはいない。


「それとこれとは関係ないやないですか、あの人は無関係ですよ」

 怒る夫に対し初が反論する。


「なんでお前はあの男のこと許せるんや」

 洋三の周りの赤い炎は更に大きく勢いを増して行く。


「娘が好いた男はんやからです。祐子は幸せやったと思いますよ」

 その言葉を聞いて洋三の炎は勢いを失った。

 初は続けてこう付け加えた。


「女は好きな男と一緒にいるのが一番幸せなんです。自分が死のうがどうしようが、その側におった方が幸せ。そやから祐子は死ぬまで幸せやったと思いますよ。その幸せを味あわせてくれた人を恨むやなんて私にはできません」


「勝手にせい!」

 そう言い残すと彼は立ちあがった。

 それを追いかけるように初も立ち上がる。そのとき初が胸を押さえて蹲った。


「初、どないしたんや!」

 洋三が初に駆け寄る。勇一も慌てて初に駆け寄った。初の息が荒い。


「救急車、呼んできます!」

 勇一は電話のある部屋へ駆けだした。


   ×   ×   ×


 勇一は独り戸塚家の庭から山々の緑を眺めた。

 救急車を見送って数時間、付き添って行った洋三からはまだ何の連絡もない。


 やはり自分は疫病神なのだろうか。

 ここに来る前も比呂子を不幸にした。

 いや、比呂子だけではない。

 今まで倒してきた人、怪獣達を含めて。

 そんな折、玄関先でなにやら大声で怒鳴っている声が聞こえる。


「あの若いもんはどこや!」

 勇一が玄関を出た、向うから村人が大挙して押しかけて来る姿が見えた。

 彼らはかなり殺気立っている。


 一人ひとりに赤い炎が重なり大きな炎はまるで天にまで昇ろうかという勢いで迫って来る。

 勇一はたじろいだ。


 一人の男が叫んでいる。


「怪獣や、怪獣見たんや! あいつや、あいつが怪獣連れてきたんや」

 そう叫びながら男が勇一の方に向かって来ようとする、それを慌てて周りの人たちが抑えつけようとした。

 

だが押さえつけている人たちも口々に、


「あいつ、前住んでたところでも怪獣出た言う噂やで」

「あいつ、怪獣使いの疫病神や」

「なんでもええけど、これ以上何か起こるの嫌や」

「あの男が来てから、ほんま悪いことばっかり起こる」

「そうや、あいつが怪獣連れてきたんや」


 そして男たちは口々に


「そうや、そうや」

 と同調している。


 彼ら一人一人から出る炎は更に勢いを増す。

 男たちはみんな昨日まで勇一に親切にしてくれた村人たちである。


 勇一は言いようのない恐怖を覚えた、それは怪獣と戦っているとき以上に。

 男たちは次々に勇一の前に立ち、


「出て行け!」

 と声を上げる。さっきまで押さえつけられていた男が勇一に殴りかかった。


 勇一はうつ伏せで倒れる。

 そこに数人の男たちが一斉に勇一を足蹴りにする。


 どれぐらいの時間暴力を受けていたのだろう、やがて彼らの気が済んだのだろうか、


「早よ、出て行け!」

 そう口汚い言葉を吐きかけ男たちは勇一から離れて行った。


 勇一はしばらくその場から立ちあがれなかった。

 自分は村人に恨まれることをしたのであろうか。

 これほどの仕打ちを受けるほど自分は村人たちにひどいことをしたのであろうか。


 そう言えば村人のひとりが、怪獣が出たと言っていた。

 ここにも怪獣が自分を追って出現したのであろうか。

 ならば彼らが自分にしたことは仕方がないことなのか。


 そう考えながら、痛む体と心を庇いつつ勇一は立ちあがった。

 立ちあがった目の前に赤い炎が見える。まだ誰かが目の前にいる。


「あなたは!」

 彼の目の前には洋三が立っている。


 勇一は不審に思った。

 洋三は初と一緒に病院にいるはずである。

 

 なぜここに?


「初さんは? 初さんはどうしました?」

「初は死んでしもうた」

「え!」


 洋三の声には元気がない。

 それでも洋三は鋭い目つきで勇一を睨んだ。


「もうこれで、祐子も初もおれへんようになった」

「……」

 勇一は何と声を掛けて良いか分からない。

 しかし洋三は勇一を睨み続ける。


「あんたが来てから、ほんま悪いことばっかり起こる。あんたが坂田の所からきたせいや、そうや、そうに違いない」

「そんな、それは……」


 それは言いがかりである、と言い訳をしようとする勇一を無視するかのように洋三に赤い炎が重なる。

 そしてその炎は徐々に大きくなる。


「祐子も、初も、みんなん坂田が殺した。あいつにはわしと同じように家族を殺され思いを味あわせなあかん。確か妹がおったはずや。その妹を血祭りにあげたる。それからあいつを殺す」


「やめろ、比呂ちゃんは関係ない!」

 勇一の声に洋三は恐ろしいまでの眼で見返しながら


「お前も坂田の仲間や。許さん……」


 炎が彼を覆い、その姿が見えなくなる。

 そして炎は更に巨大化する。

 炎が消えた時、そこには背中に赤い鰭をもつ四足の怪獣が現れた。


 勇一は愕然と立ちすくんだ。

 恐ろしいからではない。


 坂田との約束が守れなかったからだ。

 祐子の両親には危害が及ばないようにして欲しいという約束が守れなかった。

 そのことが何を意味するのか。


 勇一の左手が熱い。

 彼は左手に燃える炎を黙って見つめた、そしてその手を静かに挙げた。


 シルバーマンが巨大化する。

 怪獣ソリチュードは目の前にいた。

 シルバーマンはソリチュードに飛びかかり馬乗りになる。

 背に付いた鰭を掴み、弱点を見つけようと試みた。


 赤い鰭が光った。シルバーマンの体に猛烈な暑さが襲う。

 その熱が原因でシルバーマンは吹っ飛ばされて地面に叩きつけられる。

 ソリチュードが発した熱はかなりの温度らしく周りの木々一斉に燃えだす。


 シルバーマンに覆いかぶさるソリチュード。

 シルバーマンがそれを両足で跳ね除ける。


 仰向けに倒れたソリチュード。

 そこにシルバーマンが飛びかかろうとする。

 その瞬間また鰭に光が、シルバーマンがその強烈な熱を浴びて再び倒される。


 ソリチュードが手足をじたばたさせて起き上る。そして倒れているシルバーマンに尻尾が振り下ろされる。間一髪、シルバーマンは起き上りその攻撃をかわした。


 みたびソリチュードに突進するシルバーマン。

 しかしまた鰭に光が、思わず屈みこむシルバーマン、そこに尻尾が鞭打つ。


 その一撃が彼の頭上に振り下ろされた。

 痛打され意識を失いかける勇一、その場に倒れ込み動けなくなる。


 ソリチュードは動かないシルバーマンをおいて、村の方に進撃して行く。

 勇一が苗を植えた田圃を踏みつぶす。そして周りの家々を焼き払う。


「くそ! なぜだ、洋三さん、なぜあなたは怪獣になった。初さんが亡くなったことは僕が原因なのですか! 僕は何もしていない、ただあなた方と一緒に暮らしていただけじゃないですか! なのになぜ!」


 勇一は絶望感に襲われた。

 人が憎しみを持つ限り怪獣は現れ、倒しても、倒しても奴らは現れる。


 坂田との約束である祐子の両親を守れなかった、

 それだけではなく怪獣を全て倒して比呂子のもとに帰る、

 そんなこと、できる訳がない。


 人間から憎しみを消し去ることなど出来ない。

 怪獣は現れ続ける、こんな無限地獄をいつまでも味わい続けなければならない。


 比呂子の笑顔が浮かぶ。もう彼女には会えない。


「その妹を血祭りにあげたる」

 洋三の形相が思い起こされる。

 このままでは比呂子が危ない。


 勇一の脳裏に村人たちによって痛めつけられた比呂子の姿が浮かぶ。

 その比呂子が十字架に張り付けられる。

 横にはソリチュードが、村人は比呂子が張り付けられた十字架の周りに薪や枯れ草を積んでいく。

 男達たちが「殺せ!」とソリチュードに対して声を上げる。

 鰭が光った。十字架が炎に包まれる。

「助けて! 勇一さん!」

 比呂子の叫び声が、


「止めろ!」

 勇一の中で誰かの目が開いた。


 勇一が力一杯握った右手に熱いものを感じる。


「憎い、あの怪獣が憎い!」

 シルバーマンは右手を一直線にソリチュードの方へ伸ばす、その右手から赤い光線が、そして光線はソリチュードの背中に命中する。


 ソリチュードは動きを止める。

 やがて仰向けになって痙攣を起こし出す。

 そして音もなく消えっていった。


 消えて行く怪獣を見ながら勇一の意識が薄れて行った……


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