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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第5章 絶望編
14/18

二角獣ビトライアル

「と言うことだから、明日勇一君を連れてくるように」

 生田は優しく、かつ端的に比呂子に指示を出した。


「分かりました」

 比呂子は答えた。そしてやや不安そうに


「先生、これで勇一さんの記憶は戻るんでしょうか」

「可能性はあると思う」


 比呂子は思った。今回受ける治療法で勇一は救われるかもしれない。

 記憶さえもどれば傷ついた彼の心も治るかもしれない。


 でももし勇一の記憶が戻ったなら、彼の過去が明らかになれば、本当にそれが幸せにつながるのだろうか、もし記憶を無くす前に、今より辛い思い出があるとしたら、彼は思い出さない方が幸せなのかも知れない。


 でもなぜ今回はこんなに悲観的なんだろう。比呂子は考えた。

 もしかしたら勇一ではなく、自分が傷付くかもしれないから…… 兄の言葉をまた思い出した。


『奴の正体が分からない以上は好きにならない方がいいぞ』

 そう、もし勇一が結婚していたら、記憶が戻ったことで、その事実が判明したら、本当は自分が傷付くのが怖いだけかも……


「大丈夫、彼の記憶が戻ることを信じよう」

 生田らしい優しい笑顔でそう話しかけられた。

 その笑顔に比呂子は安心感を覚えた。


 生田は若いが優秀な医者だ。その腕は誰もが信頼している。

 自分も生田に救われた沢山の患者を見てきた。


 そう、この先生に任せよう。きっとうまく行く。

 勇一の記憶がよみがえれば全てが上手く行く、必ず。


   ×   ×   ×


 病院の小さな庭には春の日差しが降り注いでいる。

 その日差しに誘われた幾人かの患者たちが散歩をしたりベンチに座って読書をしたりしている。


 比呂子は庭の一辺に植えられている桜の花が全て散っているのに気がついた。

 ここ最近忙しくて桜が咲いていたことすら覚えていない。


「比呂子先輩はここ最近の生田先生を見てどう思います?」

 昼休み、可愛い小さなお弁当箱を広げながら同僚の美雪が聞いてきた。


「どう思うって、いつもながらカッコいいなって思うけど」

 比呂子は病院の売店で買った野菜サンドを一口かじりながらそう言った。


「そうじゃなくて、相変わらず先輩は鈍感ですね」

「鈍感とは失礼ね」

 サンドイッチでもごもごした口を缶コーヒーで流し込みながら比呂子は反論した。


「とにかく、最近の生田先生は疲れてます。なんか元気ないんですよ」

「あの先生は優秀だからね、仕事が集中するんだよ」

「大丈夫かな、倒れちゃわないかなぁ」

 美雪の目が潤んだ。


「そうね、美雪は生田先生のファンだから心配よね」

 少し落ち着くために美雪は自分の可愛い水筒のお茶を飲んだ。


「そう言う先輩こそ、前に生田先生のこと素敵って言ってたじゃないですか。それとも乗り換えたんですか、勇一さんに」

 比呂子は慌てて食べかけの野菜サンドを落としかけた。


「なっ、何言ってるの。あれは我が家のただの居候よ」

 比呂子は慌ていたせいで適当な言葉を口走った。


 本当は勇一のことをただの居候とは思っていないのに。

 ならば何と思っているのだろう?


「とにかく生田先生よ、あんないい先生に何かあったらこの病院の損失よ」

 比呂子はその場を取り繕った。


「そうですよねぇ」

 美雪はピンクの水筒の蓋を握りしめながら涙目になっている。


「泣くことないでしょ。私たちがしっかりサポートすれば大丈夫よ」

「それはそうですけど……」

 美雪は納得いかない表情だった。


 美雪のことはともかく、確かに生田は働き過ぎだと比呂子も思っていた。

 彼は優秀な医者である。


 午前中は外来で、手が足りていない担当外の小児科まで診ている。

 午後は手術に回診、必要に応じて往診までしている。

 生田が休んでいる姿を見た記憶がない。



 地方の病院の医師不足は深刻な問題である。

 まして病院の経営がおもわしくないのも事実である。

 人も金もない中、それでも生田は笑顔を忘れない。

 特に一人一人に掛ける彼の言葉には、患者を勇気づけるものがあった。


 美雪でなくても誰しもが憧れる存在である。

 なにより患者を救いたい、そんな優しい気持ちは勇一にも通ずるところがある。


「でもあいつ、ただの食堂のバイトだからなぁ」

 ボソッと比呂子が独りごとを言った。


「何か言いました?」

 比呂子は首を小さく横に振った。


 そもそも勇一はただの居候、医者と比べても意味がない。

 比呂子はそんなことを考えるのは止めて今はハムサンドに集中した。


   ×   ×   ×


 生田は目の前にある書類をうんざりとした顔で眺めていた。

 それは町の有力者からの紹介状である。

 一人緊急で入院させて欲しいとの依頼が来ていた。


 これが本当の病人ならば喜んでベッドを提供する。

 だが違うのである。

 収賄の容疑を掛けられた地元選出の議員を入院させて欲しいと言う依頼であり、当の本人はいたって健康なのである。


 でも病院としては断れない。

 有力者は病院経営にとっては重要な人物である。

 理事たちは入院を許可し、偽の診断書を書くよう生田に要求してくる。

 書かざるを得ない。しかしペンはなかなか動かなかった。


 話はこれだけではない。

 ベッド数を減らすために患者の入院日数を減らせ、外来診療者への投薬を増やせなど、とかく理事たちは医療に関係ない要求をしてくる。

 もううんざりする。生田は疲れていた。


 彼は患者の為ならどれだけ働いても平気である。

 そのために過労死しても悔いはない。


 それほど高い理想を持って医療の現場に当たっているのに、金勘定しかしない病院経営者たちは患者を病人として扱おうとはしない。

 なんて醜い、なんておぞましい。


「それも、もうすぐ終わりだ」

 生田は引き出しから封筒を出し、その中からレントゲン写真を取り出した。

 封筒にはクランケ、朽木勇一と書かれている。

 そのレントゲン写真を見ながら半年前のことを思い返していた。


 それは朽木勇一が運び込まれた日のことである。

 生田は勇一の体になにか異物が埋め込まれているのを発見していた。


「これは何だ! 手術で取り出さなければ」

 レントゲン写真を前にして生田は一人部屋で治療計画を考えていた、そんな時、不意に後ろから不気味な声が聞こえる。


「その男の秘密を公表しないでいただきたい」

 振り返るとそこに見知らぬ黒衣の男と白いコートを着た美しい女が立っていた。


「あなたは誰です」

 生田はいつものように町の有力者からの要求を彼が伝えに来たのかと思った。

 そんな理不尽な要求は受け入れられない。


「私は医者です。彼を治療する義務がある」

「ほう、大そう御立派なご発言ですな、さすがは生田先生、私が見込んだだけのことはある」

 黒衣の男は不敵な笑みを浮かべた。


「なぜ私の名前を知っているのです。あなたとは面識がないと思いますが」

「知っていますよ。あなたが誰よりも患者を救いたがっている立派な先生であることも。でもなかなかそれが実現できなくて悩まれていることも。それにここ最近は無意味な依頼で疲れていらっしゃることも」

 黒衣の男は生田の肩をポンポンと二回ほど叩いた。


「私ならあなたが願う医療の実現ができると思いますよ。例えば死んだ人間を生き返らせるとか」

「冗談でしょ、そんなことができる訳がない」

 黒衣の男はポケットから紙きれを出した。

 それは新聞記事の切り抜きである。


「これを見てください」

 生田はその記事を見た。

 彼の顔が青ざめる。


 そして黒衣の男の横の女の顔をじっと見つめた。


「これは……」

「お分かりでしょう、これはトリックでもマジックでもありません」

 そう言うと黒衣の男は手に持っていた封筒を渡した。

 受け取った生田が中を確認すると普通の人間のレントゲン写真が入っている。


「彼のレントゲン写真をこれと入れ変えて欲しいんです。それと彼のことについては内密に願いたい。これを条件にあなたにこの素晴らしい医術をお伝えいたしましょう。これであなたの願いが叶うはず」

 男は薄笑いを続けていた。


 あれから半年、今度の計画が実現すれば黒衣の男が言っていた最先端医学の装置を受け取ることができる。

 そうすれば自らで開業し煩わしい要求を撥ね退けて本当の病気治療に専念できる。


 もう少し、もう少しの辛抱だ。生田はそう自分に言い聞かせた。


   ×   ×   ×


「今日は検査だけで、明日治療して、夕方には帰れるから」

 病院の待合室で比呂子は勇一に注意事項を伝えていた。


 この時間、外来診察は終わっている。

 いつも人が大勢いる待合室に二人だけ、何か奇妙な感じを勇一は覚えた。


「今日はここで泊りになるわ、部屋は二〇三号室。半年前と違って四人部屋だから、周りの人とは仲良くしてね」

「ところで明日の治療って何するの」

 少し不安そうな勇一に


「んー、実は私もよく分からないんだけど、催眠療法の一種みたいよ」

 勇一の表情が更に硬くなる。


「大丈夫、痛くないから」

 比呂子は満面の笑みで答えた。

 勇一には何の不安解消にもならなかった。


「心配しなくっていいよ、生田先生は優秀だから」

「比呂ちゃんは生田先生のファンだからね」

「なんで勇一さんそんなこと知ってるの」

「玄さんから聞いたよ」

 あのおやじ、と比呂子は心の中で叫んだ。


「まぁいいや、記憶が戻るんなら」

 勇一は少しおどけてそう言った。

 記憶が戻る、その言葉を聞いて比呂子の心がざわめきだした。


「怖くない?」

 比呂子は優しく問いかけた。


「怖いよ、だって僕が何者なのか、僕自身が分からないんだ。怖くない訳ないよ」

「そうだね……」

 やっぱりこのまま勇一の記憶が戻らないで、今のままの生活が続く方が幸せなんじゃないだろうか。


「でも、なんかの拍子に頭の中に思い出す風景があって、富士山が見える景色に赤い屋根の建物、その近くに植物園みたいな温室があって、その植物たちが赤く染まるんだ。その風景が頭に浮かぶ時、気分がすごく悪くなる。

 これって記憶を無くす前に何か悪いことがあったのかもしれないと思うと、よりいっそう怖くなるんだ」



 そう言えば以前にもこの話を聞いたことがある。

 その際にも思ったことだが、勇一にはまだまだ謎が多い。

 記憶が戻ることが勇一にとって、そして自分にとって本当に幸せなんだろうか。


 ふと比呂子は自分が不安な顔をしていることに気が付いた。


「大丈夫、大丈夫」

 意味もなくその言葉を繰り返し、無理やり笑顔を作りながら、自分がダメな看護師だと思い知らされた。


 勇一を信じよう、彼のような優しくて誠実な人間が不幸になる訳がない。

 何か根拠がある訳ではない。だが信じよう。彼を。


「早く記憶を取り戻して、元気になって帰っておいでよ。そうしたら私、勇一さんのこと好きになってあげてもいいよ」

 って、自分は何を言っているんだろう。焦ってそれ以上言葉が出て来ない。


「ありがとう、とっても良い励ましになったよ」

 勇一は笑った。さっきまでの硬い表情は取れていた。


   ×   ×   ×


 夕方の海岸沿いを一人比呂子は歩いていた。

 いつもの帰宅時間より少し早い。

 今日は勇一がいないから店を手伝えと坂田に言われたからである。


 日没は日に日に遅くなっている。

 暗くなってからの帰宅が多かったので、この時間にまだ太陽が沈み切っていないことにさっき気がついた。


 太陽が西の海に傾き海面が黄金色に輝く。

 そういえば勇一が初めて入院した時、彼はよく病室から夕陽を眺めていたっけ。

 そんなことを思い出しながら、比呂子は昨日思った不安のことについて考えようとしていた。


「勇一さんの記憶が戻ってもし普通の人間でなければ、私は彼のことが嫌いになるのか。でもなんでそんな結論になるんだろう。彼のことが嫌い?」


 母を失った直人を遠くで見つめる寂しそうな勇一の姿、助けないで良い人間なんているんだろうかと呟く彼の苦痛の表情、そのどれもが彼の不安な気持ちを物語っている。そんな彼を救ってあげたいと自分は思っている。


「じゃあ彼のこと好きなの」

 比呂子は胸に奇妙な感じを覚えた。

 やっぱり頭の中が整理できない。


 ならば例えて生田は好きなのか。


「生田先生の嫌いなところ、特になし。好きなところ、仕事熱心なところ……」

 なんか実感がない。

 なにか胸に来るものがない。

 生田はやはり憧れだけなのだろうと比呂子は思った。


「すみません」

 まだ頭の中が整理しきれていない比呂子に声を掛ける一人の女性がいた。振り向いた比呂子は息を飲んだ。


 彼女の目の前に本当に息を飲むほど美しい、白いワンピースを着た女性が立っている。


「あなた、坂田比呂子さん?」

「えっ、はい。そうですが……」

 なぜこの美しい女性が自分の名前を知っているのであろう。

 私はこの人を知らない。


「主人がお世話になっています。私、朽木勇一の妻で里子と言います」

「妻?」

 いきなり周りの音が無くなった。

 比呂子は耳を疑った。脳みそをいきなり殴られた、そんな感じがした。


「お、奥さんなんですか、勇一さんの……」

「はい」

 里子は笑顔で回答した。


 その美しさは自分には敵わない。白い服装のせいだけではない、

 彼女はまるで輝いているように見える。

 同性である自分が見ても惚れてしまいそうな、そんな笑顔で里子は話を続けた。


「主人がこの町で働いているとのことでやって来ました。比呂子さんのところの食堂で働かせて頂いていると聞きまして……」


 比呂子は手に汗を感じる。

 体全体から力が抜けて行く。

 そして里子の声も遠くで喋っているかのように良く聞こえない。


「半年前にも一度こちらに寄せて頂いたんですけれども……」

「えっ」

 勇一は比呂子に里子の存在を一言も喋ってはいない。


 半年前? そう言えばロープテールが襲来した時、勇一は自分の知っている人に会ったと言っていた。

 それが里子だったのか。


「今日は勇一さんから新しい治療で記憶が戻るかもしれないって話があって、それで来たんですけど」

「……」

 比呂子の耳には金属音のような耳鳴りが聞こえる。


 相変わらず周りの音は聞こえない、海の音も、海岸通りを走る車の音も。


「勇一さんなら病院にいます。治療は明日からです」

 やっとの思いで言葉が出てきた。

 里子は相変わらずの美しい笑顔で、


「そうですか、じゃぁまた明日にでも病院へ伺います、では」

 里子は軽く会釈をし、その場を離れた。

 里子の後姿を見送る比呂子の耳にはまだ何の音も聞こえない。


 勇一は結婚していた。

 しかも妻と名乗る女性は美しい。

 更に彼は奥さんと会っていた。そのことを自分には何も言わずに。


 夕日はもう水平線に半分以上隠れていた。

 夜の闇が少しずつ周りを包んで行く。

 比呂子は何もせずその場にしばらく立ちすくんでいた。


   ×   ×   ×


「頭痛い……」

 出勤前、鞄がいつもより重く感じられる。

 そんな鞄をいつものように担いで比呂子が二階から降りてきた。


「大丈夫か」

 坂田は朝の仕込みをしながら比呂子の様子を伺った。


「あんまり大丈夫じゃない」

 比呂子はやや前かがみでふらふらと歩いている。


「二日酔いだよ、だいたい昨日の夜にあんなに飲むから」

 比呂子は正直昨夜のことは覚えていない。

 どれだけ飲んだのかも分からない。


「昨日はえらく荒れてたけど、何かあったか、勇一とでも喧嘩したか」

「違うわよ!」

 声を出すと頭に響く。不機嫌そうな比呂子に坂田も問い詰めるのを止めた。


「行ってきます」

 フラフラながらも比呂子は家を出た。


 病院に着いても比呂子は勇一の顔を見に行く気にはなれなかった。


 なんでこんなに気持ちが悪いんだろう、二日酔いのせいではない。

 原因は勇一だ。

 そもそも自分は勇一のことが好きなんて結論を出した訳でもないのに。

 それに勇一が私のことを好きだと言った訳でもない。

 何をしてるんだろう自分は。


「先輩、顔色悪いですよ」

 美雪が声を掛けた。


「ちょっと二日酔いでね」

「勇一さんがいなかったから寂しかったんですか」

 美雪は比呂子の気持ちも知らずに更に茶化す。


「今朝、勇一さんも比呂子先輩が顔を出さないから寂しそうにしていましたよ」

 美雪は笑った。

 比呂子も愛想笑い程度でお返しをした。

 本当は笑える状態ではないのだが。


 笑えない笑顔を作っている比呂子の肩をポンと叩く手があった。

 振り返るとそこに上条が笑顔で立っている。


「なに、勇一君と喧嘩したの。いいね、恋する二人ってやつは」

 こいつまで嬉しそうに人の心を引っかき回すのか、と思いつつ、できるだけ冷静になろうと比呂子は心がけた。


「今日はどんな御用件ですか」

「御、用件ってほどでもないんだがね、この病院で派遣労働者失踪事件の犯人らしき黒衣の男を見かけたもんでね」

「へぇ、こんな田舎にいるんですか」


 比呂子は半信半疑である。ただこの上条と言う男、どこか抜け目がない。

 彼は勇一を付け狙っている、気を許すのは危険な気がする。


「ここの病院の医者と話していたところを見かけたんだ」

「誰です、その医者って」

「名札には生田って書いてあったけど、比呂ちゃん知ってる?」

 生田先生? 彼がなぜそんな怪しい男と。


「それにさ、変なことがあって。それで比呂ちゃんに知らせに来たんだけど」

「変なこと?」


「実はその医者と黒衣の男が車に勇一君を乗せて出て行ったんだ」

「今日は生田先生、勇一さんの治療をするからその関係なんじゃあないのかなぁ」

 そう言いながらも病院以外で治療することなんてありえない。

 比呂子は何か嫌な予感がした。


「でも勇一君眠ってたみたいだよ、ストレッチャーで運ばれてたからね。まるで泥棒みたいにこそこそと黒いワゴン車に乗せて行ったんだ。あれは病院の車じゃないな」

 上条は不思議そうに首を傾げた。

 なぜ生田がそんなことを、比呂子はにわかには信じられなかった。


「それで、その車どこに行ったか分かる」

「車の後を付けてみたら、岬の手前のプレハブ小屋みたいなところに彼を運び込むところを見たんだ」

「連れってって! 今すぐ」

 比呂子は上条の腕を掴んで走り出した。


   ×   ×   ×


「これで良いんだな」

 生田は黒衣の男に問いかけた。


 暗いプレハブ小屋には何も置かれていない。

 唯一部屋の中央に置かれた簡易ベッド以外は。

 そこには勇一が横たわっている。


「ありがとうございます。これで私たちの計画が上手くいきます。あなたに感謝致します」

 黒衣の男は深々とお辞儀をする。


「これで私の役目は終わったはずです。例の装置を……」

 焦る生田を抑えるかのように黒衣の男は彼の肩に手を置いた。


「まあ、そう急がない。ここまで来たんだから、仕上げに焦っては困りますよ。手術とかでも一緒でしょう」

 黒衣の男は勇一の横たわるベッドの周りを回りながら、


「彼が病院を抜け出したことがばれる前に処置をせねばなりません。装置はそれからでも遅くはない」

「私はこのことに掛けているんだ。こんな悪事に手を染めてまでもこの現状を変えなければいけないんだ」

 訴えかける生田をたしなめるように黒衣の男も落ち着いた声で喋る。


「分かってますよ。もうすぐです」

 生田は長い息を一つ吐いた。

 黒衣の男は生田が落ち着いたことを見届けた上で今後の処置について語り出した。


「まずこの男は我々の研究室に運び込みます。まぁ空間移動を使えばすぐでしょう。そこで我々は彼にある処置を施します。

 計画では夕方五時には終了する予定です。なので、それまで病院には彼がいなくなったことがばれないよう先生のお力で宜しくお願いします」

 生田は頷いた。


「彼は夕方になれば元気に帰ってきますよ。記憶も戻って」

 黒衣の男がほくそ笑んだ。


 その時、小屋のドアが大きな音を立てて開いた。

 二人の男女が駆け込んできたのである。


「先生、これはどう言うことですか」

 比呂子が恐ろしい剣幕で生田の前に立った。

 上条は後ろでその様子を伺っている。


「なんのことだね」

 生田はしらばっくれた。


「勇一さんをどうするつもりですか」

「治療だよ、記憶を戻す」

「こんなところでですか」

「そうだ」

 あくまで白を切る生田に、比呂子は黒衣の男を指さした。


「あの人は何なんです。上条さんの話だとこの間の派遣労働者失踪事件の犯人らしいじゃぁないですか!」

 黒衣の男は薄笑いを浮かべた。


「邪魔するな! これは人を救うために仕方がないことなんだ」


 生田が反論をしている隙に黒衣の男が勇一に近づき、彼を連れて逃げようとした、その瞬間、上条が手に持っていた砂を彼に投げつける。

 黒衣の男は怯んだ。


 上条は彼を取り押さえようと飛びかかる。

 黒衣の男は、上条から寸でのところで彼の腕を掻い潜りそのまま部屋の外へ逃げて行く。


「勇一君、起きろ!」

 上条は勇一の体を揺すり、頬を二・三回叩いた。薄らと目を開ける勇一。

 彼が目覚めたことを確認して、上条は黒衣の男を追いかけるべく小屋を出て行った。


「なぜだ、君なら分かるはずだ。今この病院は汚れている。患者を患者として扱わない、この醜いものを変えなければならないんだ」

 生田は比呂子に向かって叫んだ。

 比呂子も生田の言い分はよく分かる、しかし……


「でも先生は患者さんを大事に思う優しい人だと思ってました。なのになぜ勇一さんをこんな目に」

「君には酷かもしれないが、彼は普通の人間じゃないんだ」


「えっ!」

 比呂子は生田が何を言ったのか理解できなかった。

 普通の人間ではないって?


「でも、入院中の検査でも異常は……」

「それは私がカルテを書き変えたからだよ」

 比呂子は更に混乱した。勇一が普通の人間ではない。

 それは半年前から分かっていた事実なのか。


「彼の体にはある特殊な装置が埋め込まれている。その装置は銀色の特殊スーツで身を包み、巨大化し、空も飛べる」

「それって……」

 比呂子は勇一を見た。

 勇一は目覚めたばかりで状況が理解できていない様子である、


 だが比呂子が、自分が普通の人間でないことに気付いたこと、そのことは理解できたようだ。

 悲しそうな目をしている。


「こいつは人間じゃない、だから彼らに渡しても構わないんだ!」

 生田は比呂子を説得すると言うよりも自分を説得するかのごとくそう叫んだ。


「違います! 勇一さんは涙も流すし、心も傷付く、そんな普通の人間です!」

 比呂子は叫んだ。

 そうだ、勇一は普通の人間だ。それは自分が一番良く知っている。


「先生は間違っています。勇一さんを見殺しにして病院を変えても意味がありません」

 生田は黙った。

 彼は握りこぶしを固く握りしめ、ゆっくりと絞り出すかのように、


「もう少しだったのに。こんな醜い現状を変えられるはずだったのに。君が邪魔をした。私が信頼する看護婦から私は裏切られた。君のせいだ、君がいなければ……」


 体を固くする生田に赤い炎が被さった。

 その炎は勢いを増し生田の姿が見えなくなる。


 炎は上に伸びた、そして天井を突き破る。その火柱が消えた時、プレハブの外に二本の鹿の角を持つ四足の怪獣が現れた。


 比呂子は恐怖で動けない。

 怪獣がプレハブを踏みつぶそうとする。


 その前に青い光の柱が上がった。

 怪獣はその光を恐れて仰向けに倒れる。


 光が消えると同時に今度はシルバーマンが現れた。

 シルバーマンは手に握った比呂子を離れた場所に下ろす。


 振り返るシルバーマンにビトライアルが飛びかかる。

 二本の角の間が放電する。


 その光が放たれた瞬間、シルバーマンは感電したように痙攣をおこし体が動かなくなる。

 ビトライアルがシルバーマンを後足で蹴り飛ばした。

 岸壁を越え海に沈むシルバーマン。


 再び海上に浮かび上がったシルバーマンが改めてビトライアルに飛びかかる。

 馬乗りになるシルバーマンに、なんとか撥ね退けようと暴れまわるビトライアル。


 シルバーマンは角を持ち、ロデオさながら振り落とされないようバランスを取っている。

 しかし暴れまくるビトライアルに最後には振り落とされてしまった。


 倒れたシルバーマンに今度はビトライアルが覆いかぶさる。

 牙でシルバーマンの首もとを狙うビトライアル。


 シルバーマンは両足を全力で伸ばしビトライアルを空中に投げ飛ばした。

 仰向けになりジタバタと手足を動かすビトライアル。


 そこにシルバーマンが覆いかぶさる。

 そして何度も拳を振り下ろす。

 苦しむビトライアルの角が光った。

 シルバーマンは感電してビトライアルから弾き飛ばされる。


 よろけるシルバーマンにビトライアルが突進する。

 そして前かがみのシルバーマンの腹の下から突き上げた。


 シルバーマンが空中高く飛ばされ落下、地面に叩きつけられる。

 立ちあがろうとするシルバーマンの足元に再び突進するビトライアル。

 足元をすくわれ転倒するシルバーマンであったが、それでも一回転して素早く立ちあがった。


 そして再度突進してくるビトライアルに体をかわして攻撃を避ける。

 通り過ぎたビトライアルの背中にもう一度飛び乗るシルバーマン。


 比呂子は息を呑んでその様子を見つめている。

 目の前に見えるのは二本角の怪獣とシルバーマン、でもその正体は生田と勇一である。


 暴れるビトライアルの角を持ちシルバーマンはなんとか振り落とされないように再びバランスをとっている。

 角が放電しようとしたその時、シルバーマンはそうはさせまいと角を一本へし折る。

 暴れるビトライアル、シルバーマンが弾き飛ばされた。


 態勢を立て直したシルバーマンは、苦しむビトライアルの折れた角に目がけ光線を発射。

 苦しみ暴れていたビトライアルの動きが止まった。

 その視線の先には比呂子がいる。

 比呂子の耳に怪獣の哀しそうな鳴き声が聞こえた。


 その声が消えると間もなくビトライアルは姿を消して行った。


   ×   ×   ×


 波打ち際に生田が倒れている。比呂子はその哀れな姿をただ茫然と見つめていた。そこへ勇一が歩み寄る。


「比呂ちゃん……」

 勇一が声を掛けても暫く比呂子は声が出ない。


「どうして、なんで生田先生を助けてあげられなかったの」

 比呂子は思いを絞り上げるようにその質問を勇一に投げかけた。


「僕は君を守ろうとして……」

 勇一も苦しそうに回答する。


「でも、殺すことは……」

「それでも……」

 そんな元気のない勇一を見て比呂子は苛立ちを覚えた。


「あなたはシルバーマンなんでしょ! 普通の人間以上の能力を持っていてどうして彼を救ってあげることができなかったの!」

 比呂子は自分が何を言っているのか分からない。


 混乱の原因は生田の死か、勇一が普通の人間ではないことか、それとも優しい勇一が生田を殺したことか。


「一度怪獣になった人間は僕の力では元に戻せないんだ」


「なら、もし私が怪獣になったら勇一さんは私を殺すの」

「それは……」

 勇一は反論しない。独り目を閉じ、拳を握りながら比呂子の言い分に耐えている。


「生田先生は患者思いの良い先生だったのに。どうして、どうして戦ったの!」

 勇一は下を向いて耐えている。でもそれも限界なのか、彼は口を開いた。


「僕は、君を守りたかっただけなのに、僕は、僕自身が死にたくなかっただけなのに、でも君はそれを許してくれないんだね。それとも僕が怪獣にやられれば良かったと思っているの、そうすれば生田先生は死なずに済んだはずだから……」


 比呂子は何も言えなくなった。彼は悲しんでいる。それは自分が……


「もし生田先生を倒してなかったら代わりに僕が死んでいた、君はその方が良かったって思っているんだ」

「それは違う、私は勇一さんが他人を傷つけるようなことはしない普通の人間だと思ってたから……」


「僕はね、僕は普通の人間じゃないんだ。僕は……」

 勇一は言葉を詰まらせた。

 比呂子は困惑した。


 自分が勇一を苦しめていることに気がついた。

 だがもう遅かった。


「そうだね、普通の人間じゃぁないなんて、そんなの嫌だよね。そうだよ、僕が勝手に比呂ちゃんに期待したのが間違いだった」

 比呂子は何も言えない。

 勇一は自分に何を期待していたのだろう。


「もし、もしも比呂ちゃんが怪獣になったら、僕は喜んで殺されるよ」

 そう言い残して勇一は町の方角へ歩き出した。

 比呂子は彼を追わなかった。いや、追えなかった。


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