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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第4章 死闘編
11/18

ニセシルバーマン

「シルバーマンの正体は遠藤さん、あなたなんですね」


 夕日が沈もうとする時間のオフィス街、会社帰りの人たちが建物から続々と歩道へ流れ出てくる。

 一人一人の個性は冬の黒いコートに隠され、ほぼ無表情の集団がビルの峡谷を流れている。そしてその流れは駅に向かう地下の階段へと吸い込まれ消えて行く。


 その流れに逆行する場違いな集団が、周りの白い眼を気にせず歩道を占拠し続けていた。

 その集団はマイクを持つ男達、照明道具や放送用カメラを持った男達で構成されており、彼らが追っかけているのは、同じく人々の流れに逆行する一人の青年。

 真新しいスーツに赤系のネクタイ、同じく新品の革靴を履いて颯爽と歩いて行く。


 彼らはこの男にぶら下がっていたのである。

 「遠藤さん、遠藤祐弥さん。どうなんですか。答えてくれませんか」


 遠藤祐弥は何も言わず、黙々と前を向いて歩いて行く。

 どことなく自信に満ち溢れた態度が小柄な彼を大きく見せている。

 彼をぞろぞろと多くの人間が追いかける風景はどこか滑稽であった。


 その滑稽な風景を一変させる咆哮、そして地響き。

 カメラクルーやマイクを持った男は何事かと足を止めた。

 そして辺りを見渡してみる。


「何?」

 その言葉が悲鳴へと変わるまでにそれほど時間がかからなかった。


「わーっ」

「怪獣だ! 怪獣が出たぞ」

 見上げる祐弥、そこには周りのビルと同じ大きさの巨大なトカゲがそびえ立っている。


「わー、怪獣だ。逃げろ」

 歩道の多くの人々が慌てふためいて怪獣から離れようと走り出す。

 今までの流れが大きく乱れる。

 マイクを持った男もさっきまで祐弥を追いかけていた方向と逆方向へ後ずさりする。


 それでもカメラマンだけは踏み留まり巨大なトカゲにカメラを向けた。

 巨大トカゲが一歩、また一歩、彼に近づいてくる。


「わー」

 さすがのカメラマンも思わず尻餅を付いた。


 するとカメラのショットがトカゲから祐弥の姿へ、祐弥は巨大トカゲを見上げている。そして静かに右手を挙げた。


 その直後カメラの画面が紫の光で何も見えなくなる。

 そしてその光が消えた時、カメラに巨大な銀色の足が映った。


 慌ててズームアウトする。

 そこには巨大トカゲと対峙する銀色の巨人がそびえ立っていた。


   ×   ×   ×


「あれ、久しぶりですね」

 坂田の声に奥で洗い物をしていた勇一の目が戸口に向かった。


 普段通りに客の少ない〈ほとり〉の戸を開いたのはフリージャーナリストの上条であった。


 カウンタでいつも通り梅サワーを飲んでいた比呂子が上条の存在に気付く。

 そして彼の口がへの字であることにも。


「どうしたの、なんか浮かない表情だけど」

 その彼女の前に新聞がパシッと鋭い音を立ててカウンタに置かれた。


「何これ」

 比呂子が目の前の新聞を手に取る。そこには『シルバーマンの正体判明』と紙面の半分を占めて見出しが書かれている。

 その横には巨大なトカゲと対峙しているシルバーマンと一人の青年の写真が掲載されていた。


「納得いかないんだよね」

 今まで黙っていた上条がボソッと言葉を吐いた。


「何が納得いかないの」

 比呂子が再び新聞をカウンタの上に置いた。その席に上条が座る。


「この遠藤って男、俺が調べたところ一か月前まで食品工場の派遣で働いていたんだけど」

 上条がそこまで話したところに勇一がおしぼりとお通しを持ってやって来て、彼の前の新聞の横あたりに小鉢を置く。

 上条はチラッと勇一を見た、が直ぐにポケットから手帳を広げ、


「そもそもロープテールとシルバーマンが戦った日、あの時間、彼は工場で働いていたはずなんだ。当然職場の人間も彼を見ている」

「ご注文は」

 勇一の問いが聞こえなかったのか上条は話を続ける。


「他にも横浜に現れた怪獣、あのときも彼は職場に居たし、クリスマスの日に現れた怪獣の時も、職場の忘年会に参加していたって情報もある」

「なるほど、彼にはアリバイがあるからクロとは言えないわけね」

 比呂子が軽くうなずきサワーを口に運ぶ。


「でもどうしてその人がシルバーマンだって分かったの」

 比呂子が新聞に書かれた遠藤という文字を人差し指でつついた。


「新聞社に投函があったらしい、たぶん本人が投函したんだろうね」

「上条さんはどうしてもその遠藤って人が信用できないみたいだね」

 比呂子がそう言いながら、もう一度新聞を拾い上げた。


「でもこの人、実際に変身して見せたんでしょ。何よりそれが動かぬ証拠ってやつじゃないの」

 比呂子の問いに上条は大きく首を横に振った。


「いや、いつもと何かが違う。そもそも相手の怪獣の動きが鈍すぎる。全然狂暴じゃない。それに容貌もいつもの異様さがない。あれは単なる大きなトカゲでしかない」

「たまたまそんな怪獣だったんじゃないの。今回は動きが遅くってラッキーだったとか」


「それだけじゃない。怪獣を消した光線、色がいつもと違う。いつもならもっと鮮やかな青なのに、今回は紫がかってた。何より切迫感がない。あんな無抵抗の怪獣を殺すなんて、やっぱりいつもと違う」

 勇一が少し咳払いをする。


「すみません、御注文は」

 勇一の再度の質問に、


「取りあえずビール、それから枝豆」

「夏じゃないんだから、それに枝豆はお通しに出てるよ。本当にもう、もっと高いもの注文しなさいよ。お造り盛り合わせとか、うちの自慢メニューだよ」

 比呂子が笑いながら言う。


「君たち、この件真剣に考えているかい」

 少し苛立った感じの上条に、


「なんで私たちが真剣に考えないといけないの」

 比呂子が小首を傾げた。


「それは」

 上条がチラッと勇一を見る。


「ビールお持ちしますね」

 上条の視線を避けるかのように、勇一は厨房へと向かった。


 ビールの王冠を栓抜きで開ける。

 泡が勇一の左手を濡らした。


 そう、あの時、あの怪獣が現れた時、この左手に青い炎は現れなかった。

 空間移動もしなかった。もしかしたら。


 ビールをグラスとともにお盆に乗せる。


 もしかしたら彼にシルバーマンとしての魂が移ったのかも。

 そうであればこれから先、自分は怪獣と戦わなくても良くなるはず。

 そうであれば、ここで静かに暮らせる事になる。

 つまり、自分はこれから自由になれるかもしれない。


 お盆を持ち、厨房を出た勇一の口角がいつもよりも上がっている。

 そして熱く語る上条の前にビールを置いた。


「色々違いがあっても、人間があんな簡単に巨大化できないですよ」

 勇一のセリフに上条は軽く首を横に振り


「いや、何か裏がある。あいつは偽物だよ」

 偽物と言う言葉に勇一は引っ掛かりを覚えた。

 きっと彼も本物に違いない。

 そうであって欲しい。


「うーん」

 新聞記事に目を通していた比呂子が、


「まぁどっちでもいいけど、ここでこの人を偽物扱いしても何も解決しないんじゃないの」

 比呂子が新聞をカウンタにポンと置いた。


「それはどうかな」

「どういうこと」

「本物が名乗り出れば解決するはずなんだが」

 上条が再び勇一を見た。


「まぁこの話はここまでね。もしこの話を続けたかったら特上刺盛りでも注文してよ。そしたら話の続き聞いてあげる」

 比呂子が優しく微笑みかけた。


   ×   ×   ×


 祐弥がほくそ笑んだ。


 昨日の新聞、ほとんど全紙と言っていい見出しはシルバーマンの正体判明、そして記事は自分の事一色である。

 どの新聞社も一面にシルバーマンと怪獣の対決写真、それと祐弥本人の写真が大映りで掲載されている。


「これで自分も世の中から認められる人間になった」

 祐弥の目が新聞記事から離れた。

 狭い六畳のアパートの壁、そこにはこの前まで働いていた食品工場の制服が、よれよれとした状態でぶら下がっている。


「そう、もうあの時代には戻らない。あんな時代には」

 あの時代、それは生きていることを忘れていたかのような時代。

 何が悪かったのか、誰が悪かったのか、いやそんな事さえ考えることが意味のない時代。


 あれは就活に失敗したところから始まる。

 正社員を諦めてから派遣として働き始めた4年間、職場が転々と変わった。

 その後はこの地方の食品工場での期間雇用。

 来る日も来る日も冷凍食品の袋詰め。

 何も考えない、何の工夫もない、怒られる事はないが、褒められる事もない。

 そんな一日が延々と続く。


 主任からは今日のノルマは伝えられるがそれ以外の事は何も伝えられない。

 恐らく彼は自分たちの事を人間とは思っていないのだろう。

 主任の声はいつもロボットのように淡々としていた。

 今日作る製品の数、それと今日の就業時間、彼の表情には感情と言うものがない。


 同じ期間雇用者やパートのおばちゃん達ともほとんど話をしなかった。

 そういえば一度だけ参加したクリスマスの日の忘年会。

 あのときもほとんど誰とも話さず酒を飲んでいた。

 隅っこに座った彼に周りからの声掛けなどなかった。


 大勢の中の孤独、それはかなり辛い。


 生まれた土地でもないので知り合いも友達もいない。

 帰ってきても、部屋は出かけたときと変わらない。

 休みの日も疲れて眠るだけ。そんな生活が半年続いた。


 まるで自分が生きているのか死んでいるのか、生の実感が全くない、ただ時間が過ぎて行く、そう、あのことがなければ、あの人に会わなければ、自分はあのまま死んでいたかもしれない。


 北川奈美、彼女がパート職員として職場に入ってきたときのことは今でも覚えている。

 別に美人でもなく、歳は祐弥よりも三つ上、結婚もしていた。

 ただ、彼女の笑顔が祐弥の心に刺さった。

 彼の死にかけていた心が生に執着する。


 パート仲間の噂話を立ち聞きしたことがある。

 美奈の旦那は世にいうダメ夫で働きもせず時には暴力も振るう、そんな旦那の間には男の子がいるらしい。


「子供がね、もう三つになるんだけど、シルバーマンが大好きで、昨日もニュースを釘づけで見てるんですよ。それも経済ニュースの時から待ちどうしいって感じで。円高のニュースの時からずっと。おかしいでしょう」


 会社の帰り際、駐輪場で奈美に偶然出会った。

 彼女の鞄にシルバーマンのキーホルダーがぶら下がっていることに気が付いて思い切って話し掛けた事があった。


「俺も子供の頃、特撮ヒーローは大好きでしたよ」

「そう、男の子はみんな同じですね」

 奈美が笑った。つられて祐弥も笑った。


 何年振りだろう、笑ったのは。

 そう、その頃から自分とその周りが変わりだした。


   ×   ×   ×


 祐弥が食品工場へやって来たのは二週間ぶりのことである。


 誰にも何も言わずに辞めた。

 辞めると主任に言った時も止められることはなかった。

 でも恨みや怒りはない。

 そう、夕日が沈みきった暗い闇の中、あの黒衣の男と出会って人生が大きく変わった。


 それは希望が生まれたから。


 あの頃の自分と今の自分は比べ物にならない。

 二週間前までこの世に遠藤祐弥が存在することすら知らない人が大勢いた、それが今や遠藤祐弥の名前を知らない人はいない。

 誰もが憧れる存在になった、だからあの人もきっと。


「お久しぶりです」

 祐弥は主任に少しだけ頭を下げた。

 昼休みの事務所、数十人はいる人々全員が祐弥に視線を向ける。

 その中には美奈もいる。


「あゝ、久しぶりだね」

 事務机で書類を作成していた主任が祐弥の姿をチラッと見て、


「ロッカーに君の私物が残っていたから、持って帰ってくれないか」

 とそっけなく言う。


「はい」

 祐弥の返事もそっけない。

 その言葉使い、態度、自分が派遣で働いていた時代と何も変わっていない。

 祐弥は、世界を救うヒーローに対しての物言いとは思えない主任の話し方が気に食わない。


「あと、退職した日までの給与は日割りになるから、その旨了承する書類にサインをして欲しい」

 主任が引出しから一枚の書類を出す。


 それを無造作に祐弥に渡した。祐弥も書類を受け取り、近くの机でサインをしようとする。

 その席にいた自分と同じ歳の正社員の男は、彼から身を離すような仕草で彼に席を譲った。

 男の目は自分を崇拝しているようには見えない、まるで畏れているかのようである。


 サインを済ませ、主任に書類を渡すと、主任も無言で受け取る。

 もう一度周りを見た。ほとんどの人がさっきの男と同じ目をしている。

 祐弥はこれを畏敬の念と言うのだろうと思った。

 仕方がない、君たちと自分とは違うのだ。


 ここにいる多くの人々、それは主任を含めてただの人間である。

 自分は違う。世界を救うヒーローなのだ。

 だから彼らが畏れを持った目で見るのは当然である。


、しかし、ただ一人だけ畏れではなく、敬愛して欲しい人がいる。

 美奈は違う方向を向いている。

 彼女がどんな目で自分を見ているかを量ることはできなかった。


「昼の就業が始まるまでには作業を終わらせておいて欲しい」

 主任の言葉に


「分かりました」

 と答える祐弥。


 ロッカー室の方に向かうとき、奈美の方をチラチラとみるが、彼女がこちらを向くことはなかった。


 久しぶりにロッカーを開けた。

 私物と言っても、作業に使っていた靴と、置き傘があるだけ。

 彼がそれを取り上げようとしたとき、祐弥の存在を知らない二人の社員がロッカー室に入ってきた。


「いやー、本物のシルバーマンと会えるなんて感動だよな」

「本当、有名芸能人と会った感じだよな」

 祐弥はその言葉に口元が緩んだ。


「でも、なんか怖いよな。もし怒らせたらやっつけられるんじゃないかって。俺、自分の作業を押し付けた事あるし」


「まぁ、そんなことはないだろうが、触らぬ神に祟りなしだよ。あいつの周りだと怪獣が現れるかもしれないし、まぁ、そういう意味では、俺たちとは住む世界が違うから、かかわらない方がいいんじゃないかな」


 祐弥の心に違和感が走った。

 こいつらは俺を崇拝していない。


 もしかすると他の奴らも同じなのか。

 皆、シルバーマンを称賛している振りをして実は対して崇拝をしていない。

 それよりも係りたくない気持ちの方が強いのだと。


 そこに別の一人の男が入ってきた。


「おいおい、知っているか。主任が再婚するらしいぞ」

「え、前の奥さんと別れてすぐじゃないか。で相手は」

「事務所の北川奈美」

 祐弥の心に衝撃が走った。


「え、彼女も別れたばかりじゃないか」

「まぁ、別れる前から付き合ってたって感じじゃないの」

「彼女もやるね。俺たち期間工と違って、正社員の主任と結婚すりゃ、将来も安泰ってもんだ」

「ほんと、女はそういう意味でいいよな」


 男たちはその会話を続けながらロッカー室を出て行く。

 祐弥は独り呆然とその場に佇んでいた。


   ×   ×   ×


 勇一は夜空の星を眺めていた。

 星がいつも以上に輝く。勇一にはそう見えた。


 自分はこれから先、本当の自由を手にできるのかも。

 持っていた〈ほとり〉の暖簾を握りしめ、何かが変わる、その期待に勇一は包まれていた。


「何してるの、風邪ひくよ」

 引き戸が少し開く、その隙間からどてらを着た比呂子の顔が覗いた。


「そうだね」

 暖簾を手に引き戸を大きく開ける、

 比呂子が肩を窄める、勇一は慌てて店の中へ入り戸を閉めた。


「いくら3月だからって、まだ外寒いよ」

「ごめん」

「何してたの」

 比呂子が少し頬を膨らませた。


「少し考え事を……」

「また難しいこと考えてたのね」

「そうでもないけど」

「んっ?」

 比呂子が意外と言う声を上げる。


「何か心が軽い感じがするんだ」

「どうしたの、急に」

 勇一はもう怪獣とは戦わなくてもよくなるから、とはさすがに言えず、


「ほら、昨日来たお客さんの酒井さん、町内会の役員任期が終わったって喜んでたでしょ。なんか自分がやらないと、って思ってた仕事から解放されて、誰かがその代りをしてくれるって、きっと心が軽くなるんじゃないかって思って」


「何それ、そんなこと考えてたの、暇ね」

 比呂子は腕を組んで少しむくれた。


「ごめん。下らない話で」

 頭を軽く下げた勇一に、比呂子が組んでいた腕を解き


「まぁ、勇一さんの考えは外れてはないと思うよ。確かに酒井さん嬉しそうだったし」

「そうだろう、もしそんな重荷がなくなったら、どれだけ楽になるんだろうって想像して」


「でも、私は違うかも」

「えっ」

 比呂子の言葉に勇一は戸惑いを覚えた。


「確かに責任が重いと辛いよね。でもそれだけ誰かに必要とされているってことの裏返しかもしれない。特にそのことがその人にしかできない事なら」

「そうだけど……」


「私は患者さんのために看護師をしているの。

 確かに人の命を預かっているから責任は重大だし、辛いこともいっぱいある。

 でも私がやらないと困る人たちがいることも事実」


 勇一は力説する比呂子の目を見られなくなり視線を外した。

 自分の考え方は間違っているのか。この辛い戦いは未だ続けないといけないと言うのか。


 勇一は思い出した、シルバーマン任せの人々の声を。

 感謝しているのは上辺だけ、自ら戦おうとしない無責任な人々の声を。


「でも結構謂れのないことで非難する人もいるよ」

「まぁそんな人もいるけど、いちいち気にしてたら限がないし、そもそも感謝してもらおうとするから腹が立つのよ」


「感謝されないで良いって、どう言うこと」

 比呂子は再び腕を組みながら目を閉じた。


「たぶん、誰かに必要とされていると思うことで、自分が救われているからかな」

「救われる?」

 勇一は更に戸惑いを覚えた。


「ん、よく分からないけど、誰かの為に自分が存在する、そう考えると、どんなに仕事が辛くっても気持ちが楽になるのよ」


 誰かの為に戦う、一体誰の為?

 戦わないと困る人がいる。その人の為?

 戦い続けることが救われることにつながる、本当?


 勇一の頭の中が混乱していく。


「ハクション!」

 比呂子がくしゃみをした。


「うん、もう。勇一さんといると、なんか辛気臭い話に巻き込まれるし、風邪もひきそうになるし」

 比呂子が睨んだ。


「ごめん」

 勇一の声は小さかった。


 そんな元気のない勇一を見て少し苛立った比呂子が、


「だいたい、勇一さんにはそんな重い責任もないのに何でそんなこと考えてるの。そんなこと考えないでもっと気楽に生きなきゃ。重い責任のある人から怒られるよ。贅沢だって」

 そう言い放つと、背を向けて二階へ上がって行った。


 勇一の頭の中ではまだ何故が繰り返されている。

 誰かの役に立つ、でも誰からも心から称賛されていない。


 それでも戦い続けることは救われる事につながるのか。

 辛く苦しい戦いを続けないと自分は救われないと言うのか。

 戦いから解放されることは、普通の、人並みの生活は自分を救わないのか。


 勇一は暖簾を手にしたまま呆然とその場に佇んでいた。


   ×   ×   ×


 祐弥は独り部屋で物思いにふけっていた。

 何を落ち込んでいるのだろう。

 自分は世の中から崇拝されるヒーローなのに。


 工場から帰る間際、思い切って奈美に声を掛けてみた。


「あまり、話しかけてくれなかったですね」

 廊下で出くわしたとき、美奈は書類を胸に抱きかかえるようにして祐弥と向かい合った。


「だって、遠藤さん、とっても有名人になったから」

 奈美の声は低く小さく、祐弥には聞き取りにくかった。


「主任と再婚されるそうですね」

「えっ」

 美奈が少し狼狽えたような気がした。


「それをどこで」

「誰かが話していましたよ。立ち聞きしちゃった」

 祐弥が笑った。

 しかし美奈の口元は緩まなかった。


「おめでとうございます」

「ありがとう」

 美奈は手に持っていた書類をぎゅと握りしめた体制で口元を少し緩めた。


「これ良かったら」

 祐弥は鞄からシルバーマンのソフトビニール人形を取り出した。


「お子さんがシルバーマンが好きだと聞いていたので」

「そんな、貰う訳には」

 奈美が人形を渡そうとする祐弥の手を押し戻した。


「いいんですよ。僕のファンに感謝を込めてです」

 再度人形を奈美の胸元まで押し出した。

 奈美も仕方がないと言う表情で


「ありがとうございます。息子も喜ぶと思います」

 人形を受け取ると、書類と同じように胸元でぎゅっと抱きかかえた。


「それでは」

 祐弥は一礼して彼女の横を通り過ぎた。

 彼女はそのまま立ち竦んでいる。


 振り返りざま祐弥が問いかけた。

「主任のどこが良かったんですか」


 奈美が振り返った。

 少し不安そうな表情がやっぱり気になる。


「普通なところです」

「普通?」

 祐弥は予期せぬ答えにたじろいだ。

 普通とは何? それが良いの?


 考えてみれば奈美の事、何を知っていたんだろう。

 そもそも彼女の子供の名前すら知らない。

 彼女が自分の正体がシルバーマンとは知らず、主任を先に気に入ったとしても不思議ではない。


 そう、自分の偉大さにこの先気付いて後悔すればいい。


 黒衣の男は言った。

 これから先あなたの未来が大きく変わる。

 誰もがあなたに畏敬の念を抱き、そしてひれ伏すようになるだろう。

 あなたの望みは全て叶えられ、あなたに敵対する人はおろか、あなたの言葉に誰もが従う、そんな時代が待っていると。


 もうすでに人々はシルバーマンであるこの自分に畏敬の念を抱いている。

 奈美なんて、世の中にいる女性の一人。

 ましてバツイチの子持ち。


 そんな女性ではなく、もっと良い女と付き合えるかもしれない。

 そう、誰もが羨む女性と暮らせるかもしれない。

 なのに、なぜ気持ちが沈むのだろう。なぜ泣きたくなるのだろう。


『ピンポーン』

 玄関のチャイムの音がする。


「はい、遠藤ですが」

 インターホンに向かって話す祐弥の声は相変わらず沈んでいる。


「xx放送ですが」

 祐弥はまたシルバーマンに関する取材かと思い


「すみません、取材はお断りしているんですが」

「いえ、今日は訴訟の件で」

「訴訟?」

 祐弥は何の事を言っているのか分からなかった。


「ご存じないんですか、今日、怪獣被害の会があなたを裁判所に告訴しました」

 祐弥は耳を疑った。訴訟って。

 祐弥はインターフォンをオフにした。そして慌ててテレビをつける。


「今日結成された怪獣被害の会の会長のコメントです」

 アナウンサーが原稿を読んでいる。

 そして画面が変わった。

 そこには年老いた老人がマイクに向かって淡々と原稿を読んでいる。


「我々は人類を怪獣被害から守ってくれているシルバーマンに敬意を払っている。

 しかし、それとこれとは別問題である。


 シルバーマンによって破壊された建物、そのことによって死亡した遺族の悲しみは如何ばかりかと。私も娘と孫を失いました。

 この悲しみは誰が何と言おうとも消えることはありません。


 もしあの時、そう考えると、その思いは今も忘れられず眠れぬ夜を過ごしております。

 この思いを同じくする人々が集まりこの会が立ち上がりました。


 シルバーマンが遠藤祐弥さんと判明した今、我々は告訴を行うことを決定しました」


 前のめりでテレビの音声に耳を傾ける祐弥。

 そんな馬鹿な。人々は自分に畏敬の念を払うはずではないのか。

 なぜ今、世間から非難を浴びる。


 画面が老人から子供に変わる。


「父さんを返してください……」

 誰かが書いた原稿なのか、それとも自分が書いた物なのか、少年は淡々と自分の苦しみを語り掛けてくる。


 玄関のチャイムが鳴り続けている。

 祐弥の頭の中は混乱し始めた。

 自分はヒーローのはずである。

 なのに、世間にはそんな自分に非難を浴びせる奴がいる。

 何故だ? 自分は称賛されるはず。なのに、告訴?


 確かに工場の連中は自分を避けていた。

 それだけではない、自分を無視して他の男に嫁ごうとする女までいる。

 テレビでは別の少年がテレビカメラに向かって叫んでいる。


「シルバーマン、お前が来るのが遅かったから、父ちゃんは死んだんだぞ。なぜもっと早く来てくれなかったんだ。お前なんか居ても居なくても一緒だ!」


 祐弥の頭が真っ白になる。


「居ても居なくても一緒」


 この俺が、人から崇められるはずのこの俺が、居ても居なくっても良い?


「そう、人間なんて勝手なものです。あなたはもっと世間にたいして自分の力を見せつけるべきです」

 振り向く。そこには黒衣の男が立っている。


「なぜあなたが」

「あなたは他人とは違う。素晴らしい能力を持っている。もっと見せつけてやるべきです、この愚かな人たちに」

 素晴らしい能力。そう、自分はヒーロー。


「あなたが人々から崇められるためには、あなたの恐ろしさを知らしめる必要があります。自分の力を見せつけておやりなさい」

 そう言うと黒衣の男は玄関に向かった。そして扉を開ける。


「遠藤さん、今の感想は」

 カメラマン数人とマイクを持った男たちが駆け寄って来る。


「人類のために戦っているのに、訴えられた心境は」

「被害者の会に言いたいことは」

「逆に提訴する考えはないんですか」


 矢継ぎ早に質問が飛んで来る。

 祐弥は何も答えず一歩一歩、部屋の外に向かって歩いて行く。

 記者たちはその後を同じ速度で彼に食らいついて行く。


「子供の夢を踏みにじる事態ではないんですか」

 ある記者の言葉に祐弥の耳が反応した。

 子ども、シルバーマンを信じる子ども。

 それがシルバーマンを嫌いになるかもしれない。


「すみません。コメントを、一言でいいんでコメントを下さい」

「帰ってくれ」

 祐弥が静かに応える。


「そこをなんとか、何か一言で良いんで」

「黙れと言ってるんだよ」

 祐弥の体が赤い炎で覆われていく。


「わぁ」

 周りの記者たちが後ずさりする。

 炎はだんだんと大きくなり、やがて天まで登って行く。

 そしてその炎が消えたとき、そこにはシルバーマンの巨体が。


「逃げろ」

 記者たちは一斉に走り出した。

 それを見ていたシルバーマンがゆっくりと右手を前に出す。

 そしてその手から赤い光が。


「ギャー」

 記者たちは一瞬で赤い炎の中に消えて行った。


   ×   ×   ×


 勇一は破壊された街に一人たたずんでいた。

 辺りにはテレビ局の取材陣が、色々な機材を広げながら中継を行っている。


「今日午後一時頃、シルバーマンがこの街を破壊しつくしました。今まで人類の味方だと思われていたシルバーマンのこの行動に被害を受けた住民たちも驚きを隠せない様子です」


 別の場所からの中継でも


「今まで我々を救ってくれていた正義の味方シルバーマンの突然の豹変ぶりは驚きに堪えません。いったい何があったのでしょう。先日の訴訟騒ぎが原因なのでしょうか」


 ほかのメディアも同じようなことを伝えている。


 勇一の心は沈んでいた。

 遠藤祐弥は自分の代わりに戦ってくれる存在ではなかった。

 それはつまり、これからも自分が戦い続けなければならないと言うこと。

 自由な、平穏な暮らしは手に入らない。

 苦しみは続いて行く、これからも。


「人間って、なんて勝手な生き物なの」

 振り返る勇一の目に白いコートの女性が、


「自分たちの都合の良いものを正義と言い、都合の悪いものを悪と呼ぶ。シルバーマンも一度人間に牙を向ければ簡単に悪に変わる」

 里子はそう言いながら勇一に近づき、手に持っていた新聞を差し出した。

 そこにはシルバーマンが告訴された記事が載っている。


「もし、勇一さんがシルバーマンと分かれば、その団体は遠藤祐弥ではなく朽木勇一を訴えていたんでしょうね」


 勇一は改めて新聞記事を見た。

 記事には小難しい法律論が載っていて、緊急避難の観点からシルバーマンが敗訴する可能性が少ないと書かれている。


 でも、そんなことは問題ではない。

 誰かを傷つけたくって怪獣と戦っているわけではない。

 それよりなにより怪獣を倒すことで一番傷ついているのは勇一本人なのだから。


「あなたなら分かるわよね、遠藤祐弥の気持ちが」

 勇一は首を横に振った。


「確かに言われなき中傷には傷つくと思う。でも街は破壊しない。これ以上誰も傷つけたくないから」

 里子が小さな溜息を吐く。


「あなたらしい。自分勝手で我儘な、こんなにも醜い人間を見ても、怒りが湧いて来ないなんて」


『醜い人間』どこかで聞いたフレーズ。その瞬間、勇一の脳裏に映る植物園。


「やっぱりあなたは、戦い続け、そして自らを傷付ける。その宿命を背負い続けるのね」


 勇一の頭の中に浮かぶ赤い植物たち。勇一は心の中で助けを求めた。

 比呂子、彼の閉じた瞼の裏に彼女の笑顔が浮かんだ。


「遠藤祐弥には、きっと心の支えになる人、彼を必要としてくれる人がいなかったのかもしれない。もしいればこんなことには……」

「何それ」

 里子は鼻で笑った。


「里子、君は、君のことを必要だと思ってくれている人がいるのか」

「えっ」

 里子がたじろいだ。


「何言ってるの、私を必要としている人は今目の前にいる勇一さん、あなたよ」

「僕はまだ里子のことが分からないんだ。君が何者で、何を考えているのか」

「そう、だから私のことは必要ないって言いたいのね」

「いや、そう言う訳では……」

 勇一の言葉を里子の唇が遮った。


「確かに私は、誰も頼りにしないし、誰からも頼られたくないと思っていた、あなたに出会うまでは。私には勇一さんが必要で、勇一さんにも私が必要なはず。なのに今の言葉、少し寂しかった」

「ごめん」


 勇一は里子から初めて寂しいという心情を語った言葉を聞いた。

 彼は今まで里子の感情を慮ったことはない。

 それほど彼女は勇一からは謎多き女なのである。

 だが里子が自分の妻だとすると、今の言葉は彼女を傷付けるには余りある言葉である。勇一は後悔した、自分はまた誰かを傷付けた。


「勇一さんがどう思おうと、私はあなたを支えて生きていく。そして必ずあなたを取り戻す。今の私にはそれだけでいいの」

 里子の言葉は力強かった。


「そう、もう一つ忠告することがあるの」

 里子の目が勇一を直視する。


「ニセシルバーマンと戦ってはいけない」

「どうして」


「彼は今までの怪獣とは違う。あなたの手に青い炎が現れなかったことから、勇一さんも気付いているでしょ」

 そう、今回シルバーマンが街を破壊した時にも、勇一の左手には青い炎が現れなかった。


「彼はあなたと同じ能力を持つシルバーマンなの。それに彼が発する赤い光線は本物のシルバーマンが発する青い光線とは威力が違う。もしまともに光線を浴びたら、シルバーマンといえども無事では済まないわ」


「里子、やっぱり聞きたい。なんで君はあのニセシルバーマンのことをそんなに知っているんだ」

 里子は何も答えない。そして再び彼女の唇が勇一の唇に触れた。


「お願い、死なないで。私にはあなたが必要なの」

 里子は少し勇一から距離を於いた。

 そして笑顔を見せた後、背を向けて勇一から離れていった。


   ×   ×   ×


「痛い、引っ張らないでください」

 奈美が叫ぶ。


 夕日が赤く染める食品工場横のグランド。

 かつてこの会社に野球部があったことの名残である。

 工場からも、一般道からも木々やネットで周りから気付かれない。


 奈美の声も帰宅を急ぐ社員達には聞こえなかったようだ。


「何するんですか、離してください」

 奈美の言葉に耳を傾けようともせず、祐弥は彼女をマウンドあたりまで引っ張っていく。


「いい加減にしてください」

 奈美が腕を振り払う。


「あなたも俺を非難するのか」

 振り向き奈美を睨み付ける祐弥に


「当たり前でしょ、あんなひどいことをしておいて、非難しない人間なんていない」

 奈美は祐弥に負けず劣らず睨み返した。


 二人はしばらく沈黙した。

 二人が向かい合う姿が長い影となってマウンドからベンチまで伸びている。

 夕日はどんどん落ちていく。

 祐弥の睨む目から涙が一粒こぼれた。


「そうやって、誰も俺のことを認めない、今も昔も、だ。君も他の人間と同じだ」

「なぜ、あなたはヒーローじゃないの。今までも無償で戦ってきたんでしょ。だからみんなあなたを称賛して…」

「俺は偽物なんだ。本物は別にいる」

 祐弥が怒鳴るように叫ぶ。


「俺は偽物なんだ……」

 奈美は憐れむような目をしながら、


「だからって、私に何をして欲しいの」

「俺を認めてほしい」

「それはできない」

 奈美はきっぱりと言い放つと、彼から目を逸らし


「自分の息子には嘘つく子供にはなって欲しくない。それに周りから認められないぐらいで他人を傷つける子供にもなって欲しくない。だからあなたを認めるわけにはいかない」

 その言葉に祐弥の拳に力が入る。


「あなたも所詮同じだ。何故俺を認めない。君なら、いつか分かってくれると思ったのに。そう、そもそも君自身、俺に何の興味も持っていない。給料の良い主任ぐらいしか目に入らないんだ。どうせ俺なんて、俺なんて」


 祐弥の体が徐々に赤い炎に包まれていく。

 それを見た奈美は驚きのあまり動けなくなる。


「俺を認めろ、俺に跪け」

 一歩、一歩、奈美に近づく祐弥。


 赤い炎がどんどん大きくなっていく。

 奈美が悲鳴にもならない声を上げる。

 祐弥はもう目の前。彼の赤い炎が彼女を包み込もうとしたとき、


「待て」

 二人の間に青い光線が走った。祐弥が怯んだ。


「それ以上罪を重ねてはいけない」

 その声に我に戻った奈美が、祐弥が自分を見ていない事に気付く。

 そして慌てて立ち上がりグランドの外へ走り出した。


「待て」

 追いかけようとする祐弥の前に勇一が立ちはだかる。


「何だ、お前は、なぜ邪魔をする」

「やめろ、これ以上人を傷付けるな」

 祐弥が勇一を睨み付ける。


 勇一も彼との視線を外さない。

 二人の間に沈黙の時間が流れる。


「そうか、お前はもしかして」

 祐弥が不適に笑う。


「本物のシルバーマンか」

 勇一がゆっくりと頷いた。


「お前が本物……」

 祐弥が笑うのを辞めた。

 赤い炎は一瞬弱くなった。


「本物とか偽物とか、別に関係ないじゃないか。君は君、僕は僕。それだけのこと」

 勇一が優しく語り掛ける。


「お前の言うことは偽善だ」

 祐弥がきっぱりと言い切る。


「俺が偽物であることには変わりない。何故なら、本物のシルバーマンは命がけで人を救ってきた、だから世間は称賛する。でも俺は何もしていない。否、人殺しさえする愚かな男だ。これを偽物と言わなくって何て言うんだ」


「君だって誰かの役に立てる。そうすれば人は君のことを認めてくれる」

「そんな奴はいない。俺を認めるやつなんか」


「そんなことは……」

「お前みたいに世間から称賛を浴びているような人間に俺の気持ちが分かるか」

 祐弥の炎が少しずつ大きくなる。


「僕は誰かに賞賛されたいと思って戦っていない。目の前の災難を逃れるのに必死なだけだ」

「信じられるか。誰だって褒められたい、認められたいんだ。俺だって、きっとお前だって同じなはず」


「確かに褒められたい気持ちがないとは言わない。

 だが、人は自分が思うほど褒めてはくれない。非難すらする。

 だから言えるんだ、認められるために戦っているわけではない。


 でも戦わなくてはいけない。

 何故戦っているか、何故今君の前にいるのか、どうしてこんな苦しい思いをしなくてはいけないのか分からない。

 本当の事を言えば認められたいよりも、戦わず、普通に、そして平凡に暮らしたい、人として、本当に普通に」


「普通?」

 奈美の言葉が思い起こされる。主任の良いところ、それは「普通」

 祐弥は勇一の言葉を遮るかのように耳を塞いだ。


「分からない、お前の言うことが分からない。俺だって普通に暮らしたかっただけなんだ」

 祐弥が蹲った。


 その時、大勢の人の声が聞こえる。

 工場の方から多数の人々が奈美に先導されてグランドになだれ込んだ。


「あの人です。あの人が私に危害を加えようとした人です」

 奈美が叫ぶ。

 駆けつけた人の中には主任もいる。

 その声の方に祐弥が顔を向けた。


「捕まえろ」

 警備服を着た数名の人間が祐弥を取り囲む。


「辞めろ、彼を怒らしてはいけない」

 勇一の叫び声を無視して、人々は祐弥を囲い込む。


「そんなに俺が嫌いか、そんなに俺のことが憎いか」

 祐弥がゆっくりと立ち上がる。

 その体には赤い炎が纏わりつくようにうねりを上げている。

 彼を追い詰めようとしていた人たちが恐怖で後ずさりする。


「こいつは人間じゃない」

 幾人もの憎悪の目が祐弥に集中する。

 祐弥は奈美を見た。

 彼女も怯え震えている。


「俺を馬鹿にした奴に後悔させてやる。お前ら、俺にひれ伏せ。そうしないと」


 一歩ずつ歩き出した祐弥の体を赤い炎が覆い尽くす。

 その炎が天まで伸びていく。


「わー、逃げろ」

 人々が慌ててグランドから逃げようとする。

 その後ろに巨大化したニセシルバーマンが見下ろしている。


「助けてくれ」

 逃げる人々の方向にニセシルバーマンの右手が伸びる。


 そして赤い光線が、


「ギャー」

 主任を含む人々を赤い炎が襲う。


 そして彼らを飲み込んだ赤い炎が消えたとき、そこには形のあるものは何も存在しなかった。


 一人、グランドの隅で震えていた奈美の姿をニセシルバーマンが捕えた。

 そして再び右手を伸ばす。

 その手が弾かれた。

 青い炎が彼の前に現れたからである。


「どけ、シルバーマン。俺はその女が許せない」

「辞めろ。彼女は、君が愛した人なんだろ。だったら」

「うるさい。どうしても邪魔するのなら、お前を倒す」


 ニセシルバーマンは右手を差し出す。

 シルバーマンがとっさにその腕を取った。

 そのまま後ろ手にし、腕を締め上げる。


 痛みを堪えながらニセシルバーマンが肘でシルバーマンの腹を打つ。

 怯んだシルバーマンに今度はニセシルバーマンが頭を抱え込み膝で何度も頭を打ち付ける。


 更にニセシルバーマンが身体を反り返しながらシルバーマンを後方へと投げ飛ばす。


 ふら付きながらも立ち上がるシルバーマン。

 同じく体制を整えるニセシルバーマン。


 二人が睨み合う。

 そしてニセシルバーマンが右手を差し出す。


 発射された赤い光線をかろうじて避けるシルバーマン。

 的を外した光線はグランドそばの倉庫へ命中する。

 倉庫は赤い炎に包まれ、一瞬にして跡形もなく消えていった。


 たじろぐシルバーマンに再び赤い光線が、シルバーマンが咄嗟に左手を差し出す。

 青い光線と赤い光線が中央で衝突し大爆発する。

 シルバーマンとニセシルバーマンはともに後方へ弾き飛ばされる。


「このままだと殺られる」

 勇一の耳に里子の声が聞こえる。


『彼は今までの怪獣とは違う。彼が発する赤い光線は威力が違う。もしまともに光線を浴びたら、シルバーマンといえども無事では済まないわ』


 今更ながらに勇一は後悔する。

 もしかすると目の前の敵には弱点がないのでは、自分の力では相手を倒せないのでは、このままでは本当に赤い炎で後ろにあった倉庫のように消されてしまう。


 シルバーマンとニセシルバーマン、両者再び立ち上がる。

 そしてニセシルバーマンが右手を差し出す。

 その時、勇一の耳に聞こえる声。


「青い炎を身に纏え」


 勇一は咄嗟に左手を自分の胸にあてた。

 シルバーマンが青い炎に包まれる。

 その後に飛んできた赤い光線でシルバーマンの体が赤い炎で覆いつくされていく。


 そしてその炎が消えた後、その場所にシルバーマンはいなかった。


   ×   ×   ×


 先ほどの戦いが嘘のように静寂のみがそこにある。

 死んだのであろうか、勇一は目を少しずつ開いていく。

 そこは先ほどの戦いがあったグランド。

 夕日が相変わらず弱い光で辺りを照らしている。


 グランドの中央、セカンドベース付近に勇一は倒れていた。

 起き上がろうとするが全身に力が入らない。


「さすが本物のシルバーマンは簡単には死なないんだな」

 勇一に声をかけたのは祐弥だった。


「俺に感謝してくれ。さっき教えてくれたお前の苦しみを解放してやる。死ねば全てが解放される、自由にしてやるからな」


 勇一は体に残った全ての力を結集し、身体を持ち上げた。

 肩で息をしながらまるで祐弥に土下座するように両手を地面につき、そして顔を上げた。


「恨むなよ。これもお前の運命なのだから。俺はお前の代わりにシルバーマンとしてこの世に君臨する。敵対する奴は皆殺しにして、この世界を俺の意のままにしてやる」

 祐弥がゆっくり右手を上げる。


 勇一は観念するしかないと思った。

 確かにこれで今までの苦しみから解放される。

 もう戦わなくても良い。


 でも。勇一の脳裏に比呂子の笑顔が浮かんだ。

 もう一度会いたい。そう、会って自分の本当の気持ちを伝えたい。

 死にたくない。まだ死にたくない。


 勇一は必死で左手を伸ばそうとする。

 しかしやはり力が入らない。もはやこれまで、勇一は目を閉じた。


 その時、


「うっ……」


 祐弥の呻き声が聞こえた。

 勇一が目を開く。

 祐弥の後ろには奈美が立っている。


「なぜだ……」

 祐弥が倒れこむ。その背中に草刈り用の鎌が突き刺さっている。


「あなたは私の大事な人を殺した。私の大事な息子の夢も踏みにじった。シルバーマンは一人で良い。だから偽物のあなたは消えた方が良い」

 奈美は両手を膝に置き、肩で息をしている。

 その姿を祐弥が見上げる。


「どうして。俺はみんなから称賛されるはずだった。シルバーマンとして皆から認められるはずだったのに」

 祐弥も最期の力を振り絞るように立ち上がった。

 そして真っ直ぐ奈美を見つめる。


「せめてあなただけでも、俺を認めてくれさえすれば……」

 祐弥の体が赤い炎で包まれていく。


 今度の奈美は一歩も退かない。

 そして真っ直ぐ祐弥の目を見て


「私はあなたを認めない。私はあなたを許さない」

 祐弥の炎がどんどん大きくなっていく。


「止めろ、これ以上人を傷付けるな」

 勇一の振り絞る声にも祐弥は止まらない。

 炎は彼の姿を隠すように更に大きくなっていく。


「シルバーマン、お前は俺と違って苦しみ続けていくというのか。お前だっていつ俺と同じ運命になるかも知れないと言うのに……」

 その言葉が途切れた時、炎も消えて行った。

 その後には何も残っていない。

 何もかもが跡形もなく消えている。


 奈美が気を失ったのか、へなへなと倒れこんだ。

 それを受け止める女性の姿が。


「里子!」

 地面に奈美を寝かせた後、静かに里子が勇一に近づいてくる。

 勇一は力尽き、地面に仰向けに倒れた。


「だから戦ってはいけないと言ったのに」

「彼女に彼を刺せと言ったのは君か」

 勇一は苦しい息の中、彼女を詰問した。


「大丈夫。彼を殺した証拠はないし、充分緊急避難に値するわ」

 里子が勇一の上半身を抱き上げた。


「あなたには私が必要なの。もし私がいなかったらあなたは死んでいたわ」

 里子は優しく微笑みながら


「あなたがどう思おうとこの事実は変えられない。それを覚えておいてね」

 彼女は勇一に口づけをした。


 勇一は意識を失う。

 甘い香りに包まれながら。


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