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青と赤の炎 -戦え!シルバーマン-  作者: 水里勝雪
第4章 死闘編
10/18

鍬形怪獣セリオ(後編)

 冬の太陽の軌道は低い、今日も校舎の影が校庭の半分以上を包み込んでいる。

 さらに冬の光は弱い、日の当たる所ですら地面を温めきれない。

 日陰なら尚の事、その場所には温かみが全くない。


 そんな寒々とした日陰のグランドで泰人は一人ドリブル練習をしていた。


 今日は珍しく剛が練習を休んだ。中心となるキャプテンがいないため、二先生は一年生の練習を早々に切り上げさせ、その二年生も泰人を残して皆帰宅して行ったのである。


 泰人は一人でボールを追いかけた。

 ボールは足に絡まらず、進行方向からは大きく横に逸れ、今度は前に蹴り出したボールに追いつけずにいる。


 ボールは彼を無視して転がって行った。

 それでも泰人はそれを追いかける。誰も見ていない、誰も相手がいない、誰も気にかけない、そんな中でも彼は一人でボールと格闘していた。


 ボールがまた彼をあざ笑うかのように横に逸れて行く。

 追いかける泰人。その先にボールを足元で止めて待っている人がいる。


「一人でなに真面目にやってんだよ」

 泥汚れが付いたジャージ姿の泰人とは対照的な制服姿の翔太が声を掛けた。


「何って、来週の試合に備えてるんじゃないか。俊哉もいないし、キャプテンは怒っていて全然みんなも 練習に身が入らないし。誰かがなんとかしないと……」

「萬年一回戦負けの俺たちが真剣に練習した所でたかが知れてるじゃないか」


「それはそうかもしれないけど……」

 翔太はボールを泰人の方へ蹴り返した。泰人はそのボールを受け止めた。


「そんな深刻に考えるなよ。もっとサッカーを楽しもうぜ。だからお前も俺と一緒に砂浜の練習に参加しろよ」

「砂浜の練習? それってもしかして俊哉とやっている練習のこと?」


「そう、面白いぜ。やっぱり天才と一緒にやると新しい発見が一杯あって、こんな校庭で下手なコーチからの意味のない指導よりよっぽど為になる」

「そんな、先生や先輩たちに悪いよ。それにキャプテンがまた怒り出す。そしたらまたみんなバラバラになってチームワークが取れなくなる」

 泰人はボールを足で受け止めたまま動こうとしない。


「そんな周りに気を使ってたら楽しくないじゃないかよ。特に剛のことなんか放っておけよ。確かに頑張ってるのは分かるけど、でも頑張ってもダメなものはダメだし。だから来いよ、砂浜へ」

 泰人は少し考えた。そして


「やめておく」

 と、小さな声で答えた。


「そうか、残念だな」

 翔太は目を閉じて少し首を軽く横に振った。


「ところで俺と俊哉が砂浜で練習していることを剛にチックったのはお前か」

「……」

 泰人は無言のままだった。


「別にお前を責めるつもりは全然ない。それにそのことで俺自身何も変わらないから」

 翔太は冷静に答えている。その様子に居た堪れなくなったのか泰人が重い口を開いた。


「僕は別に翔太を落としめるつもりでキャプテンに言ったんじゃなくって……」

「分かってるよ。お前は真面目だから、何か問題があればキャプテンに相談しろって言われていることを忠実に守っただけだろう」

 泰人は何も言えなくなった。


「じゃあな。真面目も良いけど、ほどほどにしないと疲れるだけだぞ」

 翔太は泰人を置いて校庭の暗い側から明るい側へ歩いて行く。泰人は一人、日陰から翔太の後ろ姿を眺めていた。


   ×   ×   ×


 勇一が砂浜を眺めている。

 その彼の視線の先には俊哉がサッカーボールを蹴り続けている。


 足を砂に取られながらも懸命にボールを追いかける。いつも以上に黙々と、走る、蹴る、ボールを制御する。それは無心に、そしてストイックに。


「あの少年は孤独そうね」

 勇一の隣で声がした。声の方に目をやると、そこに白いコートの女性が。


「里子、どうしてここに」

「心配しなくても大丈夫よ。私が現れたからって、そういつも怪獣が出現するとは限らないから」

 里子は勇一を見ずに砂浜を見ながら話を続ける。


「勇一さんは彼の心の痛みが分かるの?」

 勇一も砂浜の方へ目をやった。


「彼は自分の境遇を恨んでいる。それは自分が悪いわけではなく周りの環境が悪いと」

「そうね、それは勇一さんも怪獣が現れなければ平穏な生活ができるのに、って思うのと事と同じね」

 勇一はチラッと里子を見返した。里子は相変わらず俊哉を見つめている。


「僕とは違う。

 彼は所属するチームに、自分と同じレベルの選手がいないんだ。

 だから君の言う通り孤独なんだよ。


 でも本当はチームメイトと仲良くしたいと思っているし、彼の気持ち次第でそれは可能だと思う。

 サッカーで成功することだけが大事ではない。

 彼は彼の手で環境を変えれるはず。そこは僕とは明らかに違う」


 俊哉がボールを大きく蹴り出した。

 ボールは大きな弧を描いて勇一と里子の目の前を通過して行く。


「そう、勇一さんには彼の孤独が理解できないのね」

 里子の声が少し力を失う。


「私には分かる気がする。彼の孤独が。若い頃の私も同じだった気がするから」

「え?」

 勇一はもう一度里子の美しい横顔を見直した。


「がむしゃらに勉強した、だから誰にも負けないと思っていた。周りにいる人はみんな無能だと思っていた」

 里子がゆっくりと目を閉じる。


「どうしても見返してやりたい人がいたの。

 その人に勝つために自分を捨てる覚悟で仕事を続けた。

 私よりも優秀な人はいたけれど、そんなの直ぐに追い越す、そんな傲慢なことさえ思っていた。


 だからたとえ孤独でも構わない、自分を高めるために誰にも頼らなかった。

 そう、今、砂浜で一人練習している彼と同じように」


 勇一は里子横顔を見ながら不思議な気分になった。

 彼女の過去の話を聞くのはこれが初めてである。


 いつも謎めいていて、何処か影のある女性。

 そんな彼女にも過去が、思い出がある、自分と違って。


「で、今はどうなの」

「今でも同じ、誰にも頼らない。でも一人だけ違う人がいる」


「一人?」

「そう、その一人は勇一さん、あなたの事。勇一さんだけが私を救ってくれる唯一の存在」

「僕が?」


 勇一は更に不思議な思いで心が一杯になった。

 自分が誰かを救う? 今まで誰一人として救えた人はいない、それが救う? しかもそれが里子だと言う、自分の質問には何も答えてくれず、怪獣がいるところにいつも現れる、そんな謎めいた彼女を自分が救う?


「君は以前に僕に行ったじゃないか。『あなたには誰も救えない。誰も幸せにはできない。いや、誰かを不幸にさえしている』と。なのに僕が君を救えるというのか?」


 その言葉に反応した里子が勇一の方へ向き直した。

 彼女の表情はいつも以上に真剣な面持ちに勇一には見えた。


「そう、あなたは私以外の誰も救うことができない。このままだとあなたの周りの人すら不幸にすることになる。だから早く帰ってきて欲しいの、私を救いに」

 里子の目に憂いを感じる。それもやはりいつも以上に。


「僕が君を救う唯一の存在なら、どうすれば君を救えるんだ」

「それは……」

 里子はその先の言葉をなかなか出そうとしない。


「それは、あなたが記憶を取り戻すこと。そうすれば、私は救われるわ、きっと」

「それならどうして僕に記憶を失う前のことを教えてくれないんだ」

「……」

 再び里子の言葉が途切れる。


「それは、勇一さん自身で記憶を取り戻さなければ、本当のあなたには戻れないから」

「本当の自分?」

 本当の自分とは何だ? 今は本当の自分ではないのか。

 里子は勇一の言葉を無視してもう一度砂浜の方を見る。


「兎に角、私には彼の苦しみが分かるの。全ての人が無能で、役立たずで、そう考えている限り彼は孤独から抜け出られない。そしてそのことに気づかず更に自分を高めて、ますます孤独を深める」

 相変わらず里子はじっと俊哉を見ている。

 その目が少し動いた。


「でも誰かが彼を救うかもしれない」

 その言葉に勇一は再び砂浜に目をやる。

 俊哉に向かって一人の学生服を来た男子が走ってくる。


「僕は俊哉君の心が君の様に成らない事を期待するよ」

 勇一はそう言って横を見た。


 しかしそこにはもう里子の姿はなかった。


   ×   ×   ×


「なんで私を置いて先、帰るのよ」


 中学校から海へ続く自動車道路、未だ五時近いと言うのにもう既に光を失いつつある。街灯はまだ点灯していない。

 ライトを点灯している車もポツポツと増えてきた。

 東側、山裾から少しずつ闇が進行して来る。


 そんな夜でもなく昼でもない曖昧な明るさの中、歩道を一人で歩く剛に自転車に乗った香帆が追いついてきた。


「ねえ、さっき話があるから教室で待っててって言ったじゃない」

 自転車から降りて、香帆は剛の横を歩いた。剛は何も言わず前を見て歩き続けている。


「まだ、怒ってるの?」

「怒ってなんかない」

「だったら何で私を置いて帰ったりするの」

「それは…… それはお前に興味がないから」

「興味があるとかないとかの話じゃないでしょ!」

 香帆の声が大きくなる。


「剛ちゃんは翔太君のことどう考えてんの」

「翔太?」

 剛の歩が止まった。


「翔太君、サッカー部を辞めるって言ってるらしわいよ」

「どうせ俊哉にそそのかされたんだろう。そんな奴辞めればいい。俺は知らない!」

 再び剛の足が動き出した。


「どうして! 剛ちゃんはそんな人じゃなかったのに。どうして翔太君の思いを考えてあげないの。あなたはリーダなんでしょ。彼は淋しいのよ」

 剛の足が再び止まった。


「奴の家は揉め事が多いらしい。親父さんが飲んだくれで働かないって聞いた」

「知ってたの?」

 香帆は剛に小走りに駆け寄り彼の腕を掴んだ。


「そこまで知ってるんなら何故助けてあげないの?」

「翔太には、同じように家庭の問題を抱える俊哉の方が共感できるんじゃないか。俺が出て行って中途半端に励ましたら、そっちの方が逆に奴の心を傷つけることになるかもしれない」


「そんなことないよ。翔太君、剛ちゃんのことリーダとしてすごく頼りにしてるよ」

「なら、なんで辞めるって言うんだよ」

 剛の語気が上がる。

 しかし香帆は冷静に答える。


「きっと剛ちゃんと俊哉君とが仲直りして欲しいんだと思う」

「俊哉と、仲直り?」

 剛の目が太陽の沈む空をじっと見つめた。


「俺なんかより俊哉の方がキャプテンになったほうがいいんじゃないか。あいつの方がサッカー上手いんだし」

 剛の語気が弱くなる。

 そんな剛の弱気を他所に香帆がカバンの中から小さな箱を取り出した。


「これ」

「?」

 剛はその箱を受け取った。


「昨日渡しそこねたから」

「昨日?」

 香帆が少し下を向いた。


「一応マネージャーとして部員全員に渡しているガンバレチョコだから、でもね、今年は二つだけみんなと違うチョコを作ったの」


「二つ?」

 剛はもう一度箱を見返した。


「一つは今剛ちゃんが持っているチョコ、もう一つが俊哉君にあげたチョコ」

 香帆が少し下を向いた。


「勘違いしないでね、別に好きとかじゃなくて、剛ちゃんと俊哉君が仲良くなればいいと思って二つ作ったの。手作りチョコ」

「手作り?」

 剛は箱を開けてみた。


 そこには星の形をしたチョコレートが入っていた。


「それを俊哉君にしかあげてないみたいに剛ちゃんが勘違いするから」

「それは、普通勘違いするだろう。それにこんなもん二人に渡して仲直りするって、お前の考え浅すぎるだろう」

 剛の表情が少し緩んだ。


「でもどうして俊哉君にチョコ上げたことを知ったの?」

 香帆が小首を傾げる。


「机の上に手紙があったんだ。『学校内での贈り物禁止』なのにチョコを渡した人と受け取った人がいるって」

「えっー、誰、そんな告げ口する人」


「誰だかわからないんだ、でもまぁいいや、そんなこと詮索してもしょうがない」

 剛は軽く首を横に振った。


「まぁその事は良いとして、それよりも俊哉君にチョコ渡したとき、彼、剛ちゃんのこと褒めてたよ。リーダシップがあるキャプテンだって」

「俺が?」

 香帆はぴょんと剛の目の前に立った。


「剛ちゃんはもっと自信持っていいよ。チームのみんなも剛ちゃんがリーダシップがあるって思ってる。

 それに剛ちゃん自身もリーダとして俊哉君のことも翔太君のことも考えてるし、なんとかしたいと思ってる」

 香帆が少し微笑んだ。


「だからさっき見たいな投げやりな剛ちゃんは見たくない。私はみんなのことを考えてなんとかしようと思っている剛ちゃんの方が好き」

「好き?」

 香帆はくるりと後ろを向いた。


「なんてね」

 そしてもう一度剛の方へ振り向くと


「でもあながち嘘じゃないよ。私から来年以降も特別なチョコもらえるように精進しなさい。だから俊哉君と仲直りして、来週の試合に備えましょう」

「そうだな」

 剛の口元が更に緩んだ。

 香帆がもう一度剛の方に向き直した。


「頑張れキャプテン。まずは翔太君をチームに引き止めましょう。彼はサッカーをやっていればお家の揉め事なんて忘れれるはずだから」


「そうだな。でもどうしてうちのチームにはそう言うややこしい奴が多いんだ。泰人のように真面目でなんの問題もないやつばかりならもっとやりやすいのに」


「そう言えば」

 香帆の表情が少し強ばった。


「昨日、泰人君にチョコ渡すの忘れててね、悪いことしちゃった」

「それで、今日渡したのか」

「渡そうとしたんだけど剛ちゃん追いかけてきたからまだ渡しきれてないのよ」

 香帆は少し口を尖らせた。


「まぁ、『学校内での贈り物禁止』に拘ってるから、真面目なあいつだから受け取らないんじゃないか。まぁそんなに慌てることないよ」

「そう、怒ってなきゃいいけど」

 落ち込んだ感じの香帆の肩を剛が二回ほど叩いた。


「大丈夫だよ、香帆の優しさは部員全員が分かってるし、泰人も理解してるよ」

「そう、そうならいいけど」


「それよりも、翔太のことを今は一番に考えよ」

「そうね」

 そう言うと、香帆が剛の横の位置に戻った。


 少し時間がたっただけなのに山の方からの闇が街全体を包み込もうとしている。

 そんな中二人はまだ明るい夕日の方に向かって歩いて行った。


   ×   ×   ×


「パスは相手の選手の背中側から通す、人が反応してから体を反転するまでには時間がかかるから」

「ふん、なるほど」


 砂浜に書かれた四角い枠に、折れた枝を使って俊哉が解説をする。


「もし俊哉が監督だったら、今の俺たちのチームの布陣はどうする?」

 翔太が身を前に乗り出して砂浜に書かれた四角の中に十の丸を書いた。


「二宮と松本は足が早いから今と同じセンターバックでいいと思うんだ、でもディフェンスは大野より翔太、お前の方がいい」


「俺がディフェンス? でも俺、身長ないから競り負けるかも」


「いや、ディフェンダが必ずしも身長が必要とは限らないと俺は考えている。

 それよりも得点を取るために相手陣地に押し上げた時に、仮にカウンター攻撃を受けたとする、その時にどれだけ自陣のピンチにゴール前まで戻ってこれるかが鍵だと思う。

 普通ならバテて試合終盤にはゴール前にしかいなくなる、これでは点が取れない。翔太なら今回の砂浜の練習で持久力が付いたと思うから、一試合十分その体力が続くと思う」


「なるほど、すごい作戦だ」

 翔太は四角の中の丸に、松本、二宮と書き込み、そしてディフェンス位置の丸を二重丸に書き直した。


「それから司令塔の位置は剛がいいと思う」

「キャプテンがボランチ? 今までフォアードだったのに」


「あいつは結構周りがよく見えてる。選手のキャラクターや能力なんかを分析できる。だから俺よりよっぽどゲームを組み立てれるはずだ」

 拓哉が四角の中央付近の丸に剛と書き入れた。


「俊哉はキャプテンのことどう思ってんだ?」

 翔太が剛と書かれた円を枝で突き刺した。


「俺は奴が良いリーダと思ってる。

 そりゃサッカーの能力は高いと言えないが、サッカーはチームプレーだから一人では戦えない。

 剛のような自分のことよりもチームのことを優先するような奴がいないと結局は勝てないんだ」


「なら、なんで反発すんだ?」

 拓哉は大きく息を吐いた。


「俺を頼りにしすぎる奴らにもっと活をいれて欲しいんだ。

 他のメンバー達は明らかに自分を高めようとはしていない、俺に頼って試合で楽することしか考えていない。

 そんな奴らをちゃんと叱りつけて欲しいんだ」


「そうか……」

 翔太は剛と書かれた場所に指した枝を抜いた。


「俺もそうだったかもしれない」

 翔太が立ち上がって波立つ海の方を向いた。


「俺、オヤジが飲んだくれで、かあちゃんもいなかったから、なーんか人生嫌になるっていうか、何やってもこんなもんかなぁって中途半端だった気がする。

 だから試合も適当でいいやって。

 今思えば妙な意地張って自分自身でつまらなくしてただけかもしれないって気がする」


 翔太は手に持っていた枝を海へと放り投げた。

 枝は波の起伏で上下に激しく揺らめいている。


「そう言う意味では俺も同じかもしれない」

 そう言うと俊哉も立ち上がった。


「俺も、結局は街を離れることになってやけになってた。

 だからうまくいかないことをチームメイトのレベルのせいにして、本心でもないのにチームを辞めるなんて言っちまった」

 俊哉も翔太が投げた揺らめく枝をじっと見つめた。


「でも結局のところ意地張って一番面白くないのは自分自身だ。そのことを翔太、今のお前の言葉で気付かされたよ」

 翔太が俊哉の方に向き直った。


「俺も、中途半端だった自分に本当のサッカーの面白みを教えてくれたのは俊哉、お前だと思ってる。俺こそ感謝しないとな」

 俊哉は少し照れるように下を向いた。


「でも、本当に感謝しないといけないのはキャプテンなのかもしれない。

 奴が翔太のことで俺を殴ったとき、この男は本気でチームのことを考えてる、前に居た街のチームはみんなライバルで、自分が前に出ることしか考えてない奴らばっかりだった。

 本当にチームに必要なのはサッカーの能力だけではなくチームメイトを思う熱意なんだと、この前キャプテンに思い知らされたよ」

 俊哉が顔を上げる。そして遠くに流されていく枝を見つめた。


「謝らないとな…… 奴に」

 枝は更に遠くへ流されていく。もうほとんど見えない。


「さっきの作戦の続きを考えようぜ、今度はフォワードだ、誰が良い?」

 翔太は再び砂浜の四角と丸が描かれた所に戻っていく。


「フォワードは桜井だろう」

 俊哉も振り返って翔太のいるところまで戻る。


「大野はどうだ、やつも突進力あると思うが」

「大野なら相葉の方がいいと思う」

 二人の話は尽きない。そして海に漂う枝はもう完全に見えなくなっていた。


   ×   ×   ×


 すっかり暗くなった海沿いの道に家路を急ぐ俊哉の姿があった。

 辺りには建物もあまりなく、点々とある街灯と彼の横を通る車のヘッドライトだけが闇の中から周りの物を映し出してくれる。


 闇の中なのに俊哉には不安感がなかった。

 自分は一人ではない。翔太が救ってくれた。


 そして剛を始め自分には仲間がいる。

 今までこの街に来て心に蟠っていた物が取れたような気がしていた。


 家族が心配するから急がないと、と足を早める俊哉の目の前に急に男の姿が現れた。


「わぁ」

 驚いた俊哉が尻餅をつく。


「何を驚いているのです。私はずっとここに立っていましたよ」

 よく見ると男は黒い衣装に身を包んでいる。

 いきなり地面から湧いてきたのかと思ったが、周りの闇に溶け込んで、目の前まで近づかないと気が付かなかったのだろう。


「すみません」

 俊哉は立ち上がり、土汚れを落とすため尻をポンポンと叩いた。


「私がここに立っていたのは、あなたを待っていたからですよ」

「待っていた?」

 俊哉がまじまじと黒衣の男を眺める、すると男は無気味に笑いながら


「あなたのその悲しみ、怒り。私は知っていますよ。あなたがチームメイトに憎しみを覚えていることを」

「え? いや、俺はもう……」

 俊哉が一、二歩と後ずさりする。


 しかし黒衣の男はその不気味な笑を絶そうとはしない。


「あなたは忘れようとしているだけです。サッカーを続けたいから、だからチームメイトへの怒り、憎しみに蓋をしようとしている」

 俊哉は何かを振るい落とす様に首を大きく横に振った。


「違う! 俺だけが苦しいだけじゃないと気付いたんだ。だからもう怒りなんてない」


「本当ですか?」

 黒衣の男の薄笑いが消えた。


「試合中のことをもう一度思い出してください。

 どれだけあなたが頑張ってゴールに迫っても、チームメイトは助けに来てくれましたか? 

 あなたがどれだけパスを渡せと言ってもボールはパスされましたか?

 あなたのパスをどれだけチームメイトは取り損ねましたか?

 一体一試合にどれだけの人があなたの足を引っ張りましたか?」


 黒衣の男は俊哉との距離を縮めようと一歩、また一歩と近づいてくる。


「どれだけあなたが頑張っても試合には勝てない。

 この街に来る前のことを思い出してください。


 あなたはスターだった。あなたのプレーは周りの優秀なチームメイトによって引き立てられ思いどおりの試合運びができていたはず。

 そこであなたは更なる高みを目指そうとしていた。


 でも今はどうですか、あなたの夢はこの街のチームメイトからは得られない、いやそれどころかあなた自身の能力すら下がっていくかもしれない」


「それは……」

 俊哉の脳裏に前回の試合のシーンが浮かぶ。


 彼は黒衣の男から視線を外した。

 それは心の奥底を覗かれたくない衝動から。


「そうやって君自身が傷ついても周りは知った事ではない。

 それどころか君を頼り、君に依存し、自分さえ良ければ君がボロボロになっても構わないとさえ思っている。

 思い返してみたまえ、きっと心当たりがあるはずだよ。それでも君はチームに戻るのかね」


 俊哉は黒衣の男の言葉に急に胸が苦しくなってきた。


 自分が相手ディフェンダに囲まれていても、それでも自分にパスを回そうとした奴。

 なんとか相手を交してパスを出したにも関わらずボールを後ろに逸らし、笑って誤魔化したあいつ。

 全く攻めに参加しないディフェンス。守備をしないフォワード。


 俊哉の胸に熱いものがこみ上げてくる。

 何かが暴走しそうな、彼はそんな自分を抑えようとズボンのポケットの辺りの生地をぐっと握った。


 その時、手に固い紙のような感触が。


「君はもっと怒りを露わにするべきだ。そうでなければ君の将来はない」

 黒衣の男は更に俊哉に近づいてくる。


 闇が更に深くなっていく、

 そして目の前の男と闇が一体になって行く。

 視界から黒衣の男がどんどんと周りに溶け込み見えなくなって行く、俊哉は目の前のことが幻覚ではないかと錯覚する。


 だが現実に目の前には黒衣の男が薄笑いを浮かべていた。


   ×   ×   ×


 次の週の日曜日、天気は快晴で二月にしては珍しく春を思わせる陽気、隣町の総合運動公園にもたくさんの人々が各々の楽しみを求めて集まってくる。

 楽しくランニングをするカップル、スケートボードではしゃぐ若者、犬連れで散歩をする老夫婦、公園にはたくさんの笑顔が溢れていた。


 そんな中、浮かない顔をした集団が陸上競技場の隅に固まっていた。


「来ないね、俊哉」

 香帆が剛に向かって心配そうな声でそう言う。


「昨日の電話では来るって言ったたんだけどな」

 剛も心配そうに辺りを見回す。


 今日の隣町の中学との試合、久しぶりにサッカー部員が全員集まる予定であった。


 剛の呼びかけで、この試合は全員で戦おうと先日ミーティングで宣言した。

 もうこれ以上俊哉に頼るのはやめよう、自分たちは能力が低くても全力で与えられたポジションに責任を持つ。

 そして退部を願い出た俊哉と共に戦う。そう決めて今日の試合に望むことにしたのだ。だが……


「まぁ、しょうがないんじゃないのかな。あいつ我侭だし」

 和義がそうぼやいた。


「あいつはそんなヤツじゃない!」

 ぼやく言葉の方向に向かって翔太が強い口調をぶつけた。

 その言葉に和義は一瞬ひるんだが


「でも、急に辞めたいって言った矢先に今度は復帰するって言うんだぜ。それを我が儘って言わなきゃなんて言うんだ」

「それは……」

 反論しようとする翔太を剛が制した。


「俺が頭を下げてあいつにこの試合に参加するように頼み込んだんだ。俊哉は我が儘なんかじゃない」

 和義は少し納得いかない様子だったが


「まぁ、キャプテンがそう言うなら仕方がない」

 と言って引き下がった。


「でももうすぐ試合だし、このまま待ってても」

 落ち着いた声で泰人が剛に語りかけた。


「それにこの間のミーティングで俊哉なしでも僕たちだけで戦っていけるって決議したじゃないですか」

「それはそうだけど……」

 剛は言葉を濁した。


「そうだ、俊哉には頼らないってみんなで決めたよな」

 誰かが泰人の言葉を後押しした。


「そうだ、そうだ!」

 周りの数人のメンバーも応呼してそう叫んだ。


「待ってくれ、俊哉に頼るつもりは毛頭ない。それは以前決めたことだし。でも今日は全員で戦いたいんだ。だからもうしばらく……」

 剛が電光掲示板の時計を確認した。


「でも、もし俊哉が来なかったら、泰人、お前が先発メンバーに入れ」

「分かりました」

 泰人の声が明るく響いた。

 と、その時、さっきの泰人以上に明るい声が響き渡った。


「来た! 俊哉君が来たよ」

 それは香帆の声だった。


 皆が周りを見渡す。

 すると遠くからユニフォーム姿の俊哉が駆けてくる姿が見えた。


「よし、俊哉が来たぞ」

 翔太の声も明るさを取り戻す。


「ごめん、遅くなった」

 息を弾ませ駆け寄る俊哉に、


「遅いぞ、俊哉!」

 翔太が笑顔になって彼に駆け寄る。

 周りのチームメイトも同じように彼に駆け寄った。


「何やってたんだ!」

 剛の問いかけに、


「訳の分からない黒い服を着たおじさんに引き止められてたんだ、チームを裏切れって」

「おじさん?」


「お前はこのチームにいれば将来はないって、毎日ひつこく現れて、そんな意味の分からないことを言うんだ」

 少し息を切らしながら俊哉が話す。


「どこかのスカウトかしら?」

 香帆が小首を傾げる。


「おじさんの話なんかはどうでもいい。俊哉、お前はどうなんだ。このチームに残っていいのか」

 剛は俊哉をじっと見つめた。


「正直心が揺れたよ。でもな」

 俊哉はポケットから一枚の写真を出した。


「何それ?」

 香帆が覗き込む。その写真にはシルバーマンが映っていた。


「昔、砂浜で知らない人だったけど言われたことがあるんだ。僕はシルバーマンより恵まれている。君一人で戦ってる訳じゃない。君がチームの仲間を守るんだ、それが君の特殊能力だって」


「特殊能力?」

「そう、自分ではどうにもならない力、でももしチームメイトみんなを守れる力が本当に自分にあるのであれば、それを使って僕自身成長したい」

 俊哉はチームメイト全体を見回した。


「よし、今日の試合は俊哉の特殊能力で完勝だ、行くぞ!」

 剛が力強く叫ぶ。

 そしてそれに応呼するように「オッー」と言う声が合唱される。

 剛はチームが一丸になっている感触を得て嬉しかった。


「よし、試合だ。ベンチへみんな集合」

 剛がみんなを先導すべく走り出そうとした、と、そのとき


「ちょっと待てよ」

 冷めた声が集団の端から聞こえる。


「俊哉が来たと言うことは、僕の先発はなしってことかよ」

 声の主は泰人であった。

 全員がベンチの方向から泰人の方へと向き直る。


 殆どのチームメイトは唖然としていた。

 泰人が何か文句を言っている、そんな事は過去にはなかった。


「すまない、今日はベンチで控えておいてくれ」

 剛が泰人のもとに近づく。


「すまない?」

 剛の言葉に泰人の眉間に皺が寄った。


「何故だ、どうして。毎日マジメに練習して、規則も守って、何の問題も起こさない、誰も傷つけない、そんな僕が控えで、散々人に迷惑かけて、我が儘言う奴が先発?」

「まぁそう怒るなよ。実力が違うんだからさ」

 翔太が泰人の肩に軽く手を置いた。


「ふざけるな!」

 泰人が翔太の手を振り払った。

 翔太も今まで見たことがない泰人の怒りに二歩、三歩と後ずさりをする。


「どうして、僕だって頑張ってるのに。何故みんな我が儘な奴や

、いきがっている奴に注目が行くんだ?

 悪いことでも目立った奴が勝ちなのか?

 どうしてみんな僕のことを忘れる?」


「忘れてなんかないわよ。みんな泰人の真面目さには感心しているもの」

 その言葉に泰人は香帆を睨みつけた。


「だったらなんでキャプテンや俊哉にバレンタインの手作りチョコを渡して僕にはくれない?」

「どうしてそのことを?」

 香帆が慌てた表情でそう問い返す。


「黒衣のおじさんが教えてくれたんだよ。で更にその挙句、みんなに配った義理チョコを僕にくれたのは二日後。なんか言い訳してたけど単に僕のこと忘れてただけだろう。僕だって香帆のこと気にかなっているのに、香帆自身、全然僕のことを見てくれてない」

「そんな……」

 香帆もそれ以上言葉が出てこない。なぜなら今初めて泰人の思いに気が付いたからだ。


「兎に角、みんなで試合に臨もう。泰人、お前もチームメイトなんだから一緒に戦おう」

 剛が必死に訴える。


「いや、もういい。どうせベンチに入ってもどうせ目立たず、みんなから無視されるだけだ。クッソ、お前ら全員恨んでやる。僕をこれだけ怒らせたことを後悔させてやる」

 泰人の周りに炎のようなものが揺らめいた。


「泰人!」

 剛が叫ぶより早く泰人の周りの炎がどんどん大きくなる。


「逃げろ!」

 翔太が叫んだ。その声に反応してチームメイトが泰人から離れていく。


「剛ちゃん、逃げて!」

 香帆が剛の手を引っ張る。


「でも、泰人が」

「キャプテン、香帆まで巻沿いになるぞ」

 俊哉が叫んだ。

 その言葉に弾かれるように剛は俊哉と共に香帆の手を引いて泰人から離れようとする。


「ガォーーー」

 咆哮が後ろから聞こえる。剛達が振り返る、

 そこには以前に街に現れた二本の顎を持つ怪獣が三人を見下ろしている。


「キャー」

 香帆が恐ろしさのあまり座り込んでしまった。


「急がないと、踏み潰される!」

 剛が必死で香帆を引っ張ろうとする。

 だがすぐには前に進めない。怪獣が彼らに迫ってくる。


「わぁー! ダメだ」

 俊哉がそう叫んだ時だった。

 怪獣が後ろ向きに轟音を立てて倒れ込んだ。


「シルバーマン!」

 俊哉は自分たちの前に盾になるように仁王立ちするシルバーマンを目にした。


「よし、今のうちだ。逃げろ!」

 剛は香帆の手を引き、怪獣から離れて行く。


 豪たちが離れてたことを確認するように、シルバーマンが怪獣セリオに挑みかかる。

 セリオとヨツに組み合うシルバーマン。

 そのままセリオを上手投げで投げ飛ばす。


 セリオ地面に叩きつけられもんどりをうつ。

 シルバーマンはセリオに覆いかぶさり拳を何度も振り下ろす。

 しかしセリオが大きく首を振り、その鋭い顎がシルバーマンの顔面を直撃する。

 弾き飛ばされるシルバーマン。


 立ち上がったシルバーマンに今度はセリオが襲いかかる。

 二本の顎でシルバーマンの体を挟み込んだ。

 身動きがとれないシルバーマン。

 しかも顎は段々と締まっていく。

 体がしびれ息も苦しくなっていく。


 意識が薄れるシルバーマンの耳にあの声が囁く。


「セリオの弱点は右顎の付け根」


 シルバーマン、両足をセリオの腹に向かって蹴り上げる。

 その反動でかろうじて両顎から逃れることができた。横転するセリオ。


 シルバーマンは苦しさから立ち上がれない、その四つん這いになったままのシルバーマンに、素早く立ち上がったセリオが突進してくる。

 シルバーマンがなんとか左手を前につき出す。

 そして青い光線が発射。その光線が右顎の付け根に命中する。


 セリオの動きが止まった。そしてゆっくりと膝を就き四つん這いになった。

 そして少し顔を上げシルバーマンを見上げる。

 やがてその首も力なく項垂れると、その姿のまま音もなく、そして跡形もなく消えて言った。


   ×   ×   ×


 勇一がいつものように砂浜を見ている。

 砂浜には中学生がサッカーの練習をしている。

 その中には勇一が知る俊哉の姿もある。


「香帆ちゃんの話だと、俊哉君、もう辞めたいとは言わなくなったみたい。よかったね」

 勇一の隣にいた比呂子が勇一と同じように砂浜のサッカーを見ながらそう言った。


「彼は自分にとって何が救いなのかが分かったんじゃないのかな」


「救い?」

 比呂子が勇一の方を不思議そうに向き直った。


「サッカーをすることが彼の幸せ、それをするためにはチームメイトが必要。つまりチームメイトがいなければ彼は幸せにはなれない。彼を救えるのはチームメイトだけだってことを」

「そうね、一人じゃサッカーできないもんね」


 比呂子が再び砂浜を見る。

 二人の視線の先でサッカーボールを必死で追いかける中学生の姿がある。

 砂に足を取られてもボールを前に運ぼうと幾人の選手たちが前に向かおうとしている。


「でも、この間の怪獣襲撃でひとりチームメイトが亡くなったんだって。とっても真面目な子だったのに可哀想って、これも香帆ちゃんから聞いたんだけどね」

「えっ」

 勇一は比呂子の方に向き直った。


「その亡くなった子はどんな子だったの?」

「兎に角真面目で、練習も熱心で、親に心配なんかかけたことないらしくって、どれだけ遅くても夜の八時以降に家に帰った来たことなんかないらしいよ」

 比呂子は少し鎮痛な面持ちで、


「でも真面目だから目立たなくって。で、亡くなる前に真面目で目立たないからみんなから無視されているみたいだって爆発したらしいの。

 香帆ちゃん自身も無視した気なんて全くないのに、もっとみんなで話し合いすれば良かったって悔やんでた」


「そう、怒りが爆発したんだ」

 勇一は溜息をついた。あの怪獣は……


 そしてもう一度砂浜の香帆達の方に目をやった。


「たぶん周りの子達も意識して無視したわけじゃないんだろうね。

 でも本人からは発信できなかったんじゃないのかな。俊哉君みたいに自己主張できる子は良いけど、そうでない子は苦しいのかしら。

 私は自己主張するタイプだからその辺り分からないんだけど」


「その子にも救いになる仲間がいただろうに。そのことに気づいていれば……」


 勇一はまた砂浜を見た。

 そこには直向きにボールを追いかける少年たちの姿があった。


 それはまるで泰人の存在を忘れたかのように、今までと変わらないサッカーへの情熱をそして更なる高みを目指して少年たちは走り続けていた。


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