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シフォンケーキ 1

 朝美は、簑島を連れて居間へと戻ると、簑島にソファへ座るよう促す。

 簑島は軽くお辞儀をして着席すると、テーブルにシフォンを置く。簑島は小気味良く、シフォンを切り分ける。

 その一連の手慣れた様子が神経質になっている和志には、心地よくなかったようだ。和志は煙草を箱から一度出しては仕舞う。

 蓑島は和志の気持ちを知ってか知らずか、あくまでも自分のペースで二人に尋ねる。

「お名前を、まだ伺ってなかったわね」

 和志は口を閉ざし、答えようとはしない。コミュニケーションを取ろうとするのは朝美だけだ。

 朝美は一瞬本名を言うべきか、迷ったが、正直に口にする。だが一つの嘘を添えて。

「私は野宮朝美です。彼は館山和志。年内に籍を入れようと思っているんですよ」

 朝美がついた咄嗟の嘘に、和志は眉をひそめる。和志は余計な情報、しかも嘘を部外者に伝えるメリットを何一つ感じていない。

 当たり前だ。だけど彼女の気持ちを和らげる意味合いもあるの。許して。和志。そう朝美は胸の内で呟く。 

 簑島は無邪気そのもので、朝美の言葉を素直に喜ぶ。

「それでこの街に。物足りない街ですけど、いい所よ」

 しばらく他愛のない世間話が続く。陽気に振る舞う朝美。楽しげな簑島。その全てに和志は、まるで関心がないようだった。

 和志は早くこの訪問者、彼にとっては余計なおせっかい焼きの女性でしかない、簑島に早く退席してもらいたい。その一心のようだった。

 和志の様子を見て、朝美はたまらず、少し冷静になるように、彼に目配せする。和志はそれを意にも介していない。

 朝美はコーヒーで簑島を持て成し、簑島は喜んでそれを受ける。

「ありがとう。朝美さん。私は簑島薫と言います。何かあったら遠慮なく言ってくださいね」

 和志は時間を持て余し気味に、指先でトントンとリズムを取っている。これでは朝美の配慮も台無しだ。朝美は今一度、和志に視線を送る。和志は「分かってる」という様子で一度頷く。

 朝美と簑島の「二人」はシフォンを口元に運ぶ。和志は冷めた瞳で簑島を見つめて身動き一つしない。和志は明らかに簑島を歓迎していない。

 朝美が和志にシフォンを勧めると。和志もやむなく、ケーキを一口、口にした。

 シフォンケーキは焼き加減も良く、口当たりもとろけるようだった。しばらくの談笑のあと、簑島が物憂げに切り出す。

「それにしても……、大変ですね。暗殺未遂だなんて」

 朝美と和志は、顔を見合わせてしばし黙り込む。

 ナーバスな問題だ。今触れて欲しくない。何よりも和志が。

 そう憂慮する朝美を差し置いて、簑島は一人の女性としての意見を口にする。

「『暗殺』という方法しかなかったのでしょうか。『彼ら』にとっては」

 その言葉を聞いて、限界が来たのだろう。和志はやむなく口を開く。彼のシフォンケーキを味わう手は当の昔に止まっている。

「戦争が始まれば、一人や二人の犠牲ではすみません。『彼ら』は間違っていたかもしれませんが、やむを得ない一面もあるでしょう」

 和志は強い口調だ。だが簑島は動じる気配すらない。

 この女性は何か不思議だ。ただの麗華の一住民ではないの?

 そう朝美の胸に疑問が掠めるも、簑島は意味深に、和志と朝美の二人を見つめる。

「高橋首相、実はラッキーだったと思ってらっしゃるんじゃないかしら。反対する人達にも色々言えるし」

 和志は、触れて欲しくないこと、事の核心を突かれて、軽い苛立ちを覚えたようだ。

 事実、そのことに関しては、彼自身、ナイーブになってもいたからだ。和志は簑島の言葉を切り捨てる。

「私はあなたと政治についてお話するつもりはありせん。ケーキをご馳走してくださるというのでお上げしたのです」

 さすがの朝美も、険のある和志のこの言葉には狼狽える。

「ちょっと和志!」

 和志は自分のスタンス、姿勢を崩そうとしない。蓑島を歓迎しない。ましてや政治談議など。

 和志が煙草の先で机を何度も叩く仕草から、朝美にはそれが分かった。朝美は和志を軽く咎めようとするが、それを蓑島が遮る。

 簑島は穏やかな表情で申しわけなさそうに笑う。

「そうですね。つい出しゃばってしまって。館山さん。あなたを不快にさせるつもりはなかったの。ゴメンなさいね」

 簑島は気まずい雰囲気を和らげるように、ゆったりとマイペースでコーヒーを飲み干すと立ち上がる。

 和志より簑島の方が遥かに人としてゆとりがある。人として大きい。その姿勢をもたらしているのは何か。

 ある種の疑問が朝美の胸を掠めるも、当然答えは出ない。蓑島は軽くお辞儀をする。

「それじゃあ。お暇しますね。今度はもっと軽い話題と、また美味しいケーキをお持ちしますね。お二人と仲良くなりたいから」

 朝美は「ええ」と一言言って微笑むも、和志の目は「来なくても構わない」。自分の置かれた切迫した状況からか、冷淡にそう語っていた。


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