蓑島薫 1
夕刻、ついに痺れを切らした和志は、ソファを跳ねのけるように立ち上がる。
彼のもどかしさはピークに達している。和志は大きな身振りを交えて朝美に視線をやる。
「午前4時をとっくに過ぎたぞ。俺達が麗華に着いた頃だ。確かめてくる」
和志はいてもたってもいられない様子だ。駆け出して家屋を出ようとする。
だがそれとほぼ同じタイミングでインターフォンが鳴り響く。
誰が? このタイミングで。この時間帯に?
朝美と和志に緊張が走る。和志は、朝美に息を潜めるよう目配せすると、ドア越しに銃を構え、尋ねる。
「どなたですか」
相手は、二人には聞き覚えのある声だった。
それは、一週間前のあの日、8月17日にシフォンをご馳走に来た簑島薫の声だった。
和志と朝美は、簑島が何を話すのか、胸の鼓動を波打たせながら、息を飲む。
返ってきた返事。それは一週間前と同じようなフレーズだ。だがそれは二人を動揺させるに十分だった。
「ケーキをお持ちしましたわ。少し……、奇妙なことに気が付いている?」
和志は視線を一度宙にやり、朝美と顔を見合わせる。
和志は、自分達に誰か質の悪いイタズラでも仕掛けたとでも思ったのだろうか。和志は咄嗟に蓑島に訊く。
「簑島さん。シフォンか……。私は甘いものが苦手でしてね」
蓑島は自分達のことを知っている。それならば時間が戻ったわけではない?
そう朝美は一瞬考えるも、簑島の返事は、やはり朝美と和志を戸惑わせるものだった。蓑島はドア越しに小声で囁く。
「何か気付いた?」
和志の顔色が変わる。より緊迫して和志は訊き返す。
「何のことだ」
和志は扉をゆっくりと開くと、簑島を招き入れる。簑島は、ケーキ一式を一週間前と同じように持ってきている。
和志は警戒心を解くことなく蓑島に尋ねる。
「聞こうか。この奇妙な出来事について。もし知っているのなら。一体何が起こっている?」
簑島は、不可解であるはずの、和志の質問にも慌てる様子はなく、落ち着いた様子で居間へと向かう。
和志は疑うように簑島を見つめている。簑島は手慣れた様子でケーキを切り分ける。朝美は和志に目配せすると、ソファへ座るように促す。
蓑島は和志と朝美にケーキを勧める。
「どうぞ。とりあえずシフォンでもいただきましょう。お話は、その後でも」
簑島のペース、事情を知っているだろうにも関わらず、穏やかにする蓑島。彼女を見て、朝美は少し落ち着いたのか、歩調を合わせる。
「それじゃあ簑島さん。私は紅茶を用意しますね」
「それじゃあ朝美さん。お願いしようかな」
「朝美さん」。簑島は確かにこう言った。
蓑島は朝美の名前を知っている。
ならば時間が逆戻りしているというのは、和志の思い違いか。それとも。
和志は口元に手をやり、様々な考えを巡らせる。だが淡々として穏やかな様子の簑島に観念したのか、ソファに腰を降ろす。
その様子を見届けて、簑島は和志に呼び掛ける。
「甘いものは気持ちを和らげてくれるわ」
和志はぶっきらぼうに返事をする。その瞳はどこか苛立たしげだ。
「一週間に一度もケーキはいらない」
和志は明らかに簑島を不快がっている。だが文句を言うわけにも、彼女を急かすわけにもいかず、憮然として簑島のペースに合わせるだけだ。
朝美が紅茶を持て成すと、決して和やかとは言えないティータイムが始まる。
それはまるで一週間前と同じ光景だった。違うのは、目晦ましのような謎に朝美と和志が巻き込まれ、その謎を繙く鍵を簑島が握っている。その事実だけだった。




