プロローグ
「失敗した!」
和志は大声で叫ぶ。狂騒。心は慌てふためき、焦燥をも和志の胸を覆う。朝美も急いで銃機具類を片付けていく。
路上では、暗殺を免れた高橋首相が騒ぎ立てる聴衆を宥めるように、車から降りて、皆へ話し掛けている。
何が? 何が自分達のミスを誘発したんだ? にわか仕込みの知識、技術のせいか。それさえも断定出来ない和志と朝美。
朝美は口元を右手で覆い、ショックをひたすらに覆い隠す。銃機具類をケースに全て仕舞いこんだ和志は、うめくように呟く。
「早く姿をくらまそう。山形の麗華。冬は冷える」
逃げる。逃亡。未だ見知らぬ場所、北の国へ。漠然とした不安が二人を襲う。だが選択肢はそれしかない。
ビルから出た和志と朝美は、急ぎ車に乗り込む。
フラッシュバックされる光、光景。移り変わる景色。それらが和志の目に飛び込み、そこで和志は回想から目覚めた。
窓の外からは陽射しが差し込んでいる。今日は、8月17日。何度目の8月17日だろう。
憂鬱だ。倦怠と気怠さが和志の胸を覆う。茫洋とした思いにとらわれて、和志の視線の先はあてどもない。
和志は何とか体を起こすと、習字の筆を取り、習字紙へと向かっていく。
それがやるべきこと。今やれる最低限のこと。仕方ない。時間は過ぎていく。何かをしなければ。
和志が筆を滑らせると家屋のインターフォンが鳴る。そう。分かっていたことだ。今日は「麗華」での「繰り返される一週間」の最初の日。簑島薫。彼女がシフォンケーキを持って自分達を持て成してくれる日だ。
和志がケーキ自体は歓迎しない。時の流れをはっきりと確認する目安にしているだけだ。
そんな和志を差し置いて、朝美がドアのノブに手を掛けて扉を開ける。そこには和志が、朝美でさえ予想していた通り、簑島がいた。簑島はシフォンケーキを手にしている。
「さぁ、また新しい一週間の始まりよ。今度はどういう風に過ごす?」
陰鬱な話だ。だがそれなりに自分も一週間を充実させる「何か」をしなければならない。それが有意義な時間の使い方。
それしかない。平穏に生きようとするならば。今自分達に残された過ごし方は。
和志はあらためて習字の筆を取る。こうして麗華での繰り返される一週間が今一度始まった。だが和志の胸には、最後のチャンス、この麗華を抜け出すための最後のアイデアが燻っていた。