瞿麦
文机の上には、一輪の花。
それが父の性格を端的に表しているような気がして、私はふと微笑んだ。
低い脚の机の上には、その簡素な花の他に彩どりを添えるものは何も無い。無骨な石造りの卓上には、軽く錆の浮いた筆壺、それに差されたままの幾本かの筆に、角の取れた硯、あとは丸めて積み上げられた幾つかの竹簡。そんなものがきちんと整理され、動かし難い雰囲気を伴ってでん、と鎮座している。人間である私を前に、いくらお前が自由に動けてもこの屋敷では自分が先輩だ従って無闇に動かすなと言わんばかりに。
そんな中で頼り無さげに佇むたった一輪の花は、周りの相容れない雰囲気と不思議に調和し、かつては楚々と匂い立つような風情を出していたのかもしれない。奈何せん、水を取り替える者がいなくなって久しい館である、茎は力なく垂れ下がり、繊細な薄紅の花びらは黄ばんではいたが。
名門・陸家出身で、都督・丞相の地位にまで昇り詰め、その気になればどんな豪奢な生活をも望めたであろうに。実際に好んだのは質素で清潔感のある実用的な空間であり、どこにでも生えているような儚げな野花をひっそりと愛しむ。
私の父とは、そういう人だった。
「さて、と。そろそろ始めるか」
私は軽くひとりごちると、部屋の中を見渡した。
いつ来ても寂れた館だ、と思う。
おおっぴらに来ようとすると父が嫌がったので、ここを訪れた回数は片手で数えるほどしかない(いやもっと少ないかもしれない)。今にも崩れそうな木造の柱と部屋の狭さに辟易するのもその都度である。父が書殿兼居間として使っていたこの部屋も、立派にその一角を成しており、まさにオンボロ屋敷の名が相応しい。
日当たりこそ良いものの、室内はひどく狭く、大人が数人座れるか否かといった程度の空間を有するだけだ。当然のことながら目立った調度品は無く、粗末な敷物が敷いてある床上には大きな文机が一つ、その存在感を誇示しているだけである。
まあ、その机上に綺麗に整理された品々を見てわかるように、父は室内の物を皆きちんと整頓し、定期的に掃除もしていたようなので、狭い部屋ながら清潔な雰囲気があることがせめてもの救いか。そんなところも本当に、あの人らしい。
(こんなところに元・大都督が住んでいたなんて誰も信じちゃくれないだろうな)
ましてや、当の本人が自ら望んでわざわざここに住んでいたなど、一体誰が信じるだろうか。
いくら左遷され、都から遠ざけられた身とはいえ、もう少し広く豪奢な館を望めばそれなりのものが宛がわれたであろう。父にはそれが許されるだけの燦然とした肩書き、そして多大な実績があったのだから。
しかし、「流された者が派手な暮らしをしては示しがつかぬ」という父自身の希望により、結局落ち着いたのはこの古ぼけた庵ともつかぬ小さな館であった。
しかも余財等は一切持たず、付き人さえ断り、自由に出入りを許したのは身の回りの世話をする年老いた侍女一人だけという徹底振りだったから、呆れる。もう歳だったというのに……本当に父らしいというか、なんというか。
こちらが呆れるくらい、生真面目な人だった。
紐が緩んでいたのか、手に取った竹簡の端がぱたりと垂れ、軽くあおられた。簾を開け放した窓から風が入ってきたらしい。
頼りなげな花が、思い出したように、揺れた。
父が急逝したのは、つい先月であった。
元来身体があまり丈夫でなかった父は、日々の激務からくる不摂生が祟って、かなり以前から病むようになっていたらしい。らしい、というのは、誰にもそのようなことは仄めかさず、悟らせもしなかったからである。
昔から、痛々しいほどに我慢強い人だった。
そんな父だったが、宮中で世継ぎに関するいざこざが起き、それに図らずとも巻き込まれる形となってしまったのだから不運としかいいようがない。
世は三国鼎立の情勢であり、膠着状態とはいえ、まだ乱世の感が抜けきらぬばかりか、我が国の勢力も決して有利とはいえぬ状態にある。そのような中、些細な後継ぎ問題などで陣内の団結を乱していては天下の覇を狙うどころか、国自体を潰しかねない。私の父は度々その事を進言し、折をみては上奏文を陛下に送り、その非を諌めた。あらぬことを企んでいた周りの者からすれば、それが気に入らなかったのであろう。やがて覚えの無い罪状が突きつけられ、左遷の勅令が下ったのである。
いわれの無い罪を着せられ、辺境の地に流罪というあまりに理不尽な件となり、さすがに心身共に堰が外れてしまったのだろう。
突如の訃報を私が聞かされたのは、父が転居してから半年もしないうちのことだった。
父を看取った者は誰もおらず、いつものように身の回りの世話をしに訪問した侍女がそのさまを発見したらしい。胸を病み、胃も破れていたようで、牀の上は血だらけであったというから、さぞ苦しんだのだろう。なぜ唯一の肉親である息子がそばに居てやらなかったのかという周囲の人々からの言に、私は返す言葉が無かった。陸家の跡取りであり、孫呉に仕える者が罪人を軽々しく見舞うものではない、断り無しに訪ねてくるようなら親子の縁を切るとまで言ったのは他ならぬ父本人だったから。
「おいたわしや。あれほど功績をあげなすった大都督どのがかのような最期とは」
「陸都督殿は病に倒れたという話だが、実のところはあまりの扱いに耐え切れず自刃なされたのではなかろうか」
「あり得る話だ、高きご矜持が屈辱を許さなかったのだろうな」
そのような噂言が飛び交う中、私はひとり宮中で、喪に服すための休養を申し出た。陛下は二つ返事で了承なされたが、かつての腹心を失ったはずのその表情からは何も伺い知ることは出来なかった。
私の母は、私が幼い頃若くして亡くなり、兄も今の私の齢に届かぬうちに病で命を落とした。父は側室を持たず、妾なども囲わず、後妻も娶らなかったので異母兄弟もいない(このあたりが、父が珍しい人たる所以のひとつだろう)。従って、自ずと次男の私が陸家の後継ぎであった。ようやく二十になったばかりの経験足らずの若僧に、世間の目は形ばかりの憐憫と同情、そして「親の七光りでのし上がろうとてそうはいかぬ」というような実に判り易い視線を向けた。まあそれは当然の反応だろう。
それよりも、父自身の死後の世間の評も良いものばかりではないという事実が私を居た堪れない気分にさせた。
「ああ、せいせいした。目の上の痰瘤が取れたというやつだな」
「陸都督どのは確かに偉大な御仁であったが、物事に厳しすぎるのが難点であったからな」
「あの方の定めた法令を見てみろ、がんじがらめで息が詰まるわい」
「ここらでいなくなって正解だったのかもな」
確かに私の父は、人からは煙たく思われるほど厳しい人だった、それは事実でもある。
だが、しかし。
「今回の件も口煩く嫡男騒動に首を突っ込んだということではないか。おとなしく口を噤んでいればよかったものを」
「まあ所詮は‘名門様’だからな、世廻りにさほど頭が回らなかったのよ」
彼らは知っているのだろうか。今は亡きその男が、他人に厳しい以上に自分に厳しかったことを。陛下はおろか家臣の多くを敵に回すことさえ承知で進言していたことを。…そうすることで、私達全員を守ろうとしていたことを。いや、知らないだろう。知るはずがない。
私でさえ、知らなかったのだから。
やっとの思いで父を見舞ったのは、父が死ぬ半月ほど前の日だったか。
「幼節、なぜ来たのですか」
そう言って、かつての大都督は牀(寝床)の上からむすりとこちらを睨んだ。壮健な頃の父だったらその一瞥で私は凍り付いていたであろうが(何しろ普段穏やかな父が怒った表情はぞっとするほど冷ややかなのだ)、いかんせん、床中の病人である、全くといって良いほど恐怖も迫力も威厳も無かった。久し振りに見る繊細な貌は幽鬼のように蒼白く、はっきりそうとわかるほどに痩せていた。病魔が暗い翳を落とすそのやつれた顔をなるべく直視しないように私は言葉を紡ぐ。
「息子の見舞いです。好きにさせて頂けませぬか、父上」
「要らないお世話です。こんなことより、もっと他にやることがあるでしょう」
手伝おうとした私の手を制し、一人でゆっくりと半身を起こした父は、衝立てに軽く背をもたれた。痛々しい容貌とは正反対な辛辣な言葉が私を射抜く。
「言ったはずですよ。勝手に来るようなら縁を切ると」
知っている、だからこそこちらもここまでこぎつけるのに相当苦労し、且つ言い訳をちゃんと考えてきたのだ。
「ですからちゃんと許可は取ってあります。景庸に」
「彼女は私の侍女です。まず私に許可を取りなさい」
大体、一日の大半を床で過ごす病人に、どう許可を取れというのか。
「景庸に所用を任せているのは父上でしょう。彼女が良いと言ったんです」
「しかし」
「それに今回は陛下の命もあります。この地の監査と、‘罪人’への書状の手渡しです」
「………そう、ですか」
はっきり「罪人」と口にするのは正直心苦しかったが、当の本人が断言したことである、不承不承といった顔で父は黙り込んだ。
暫くの沈黙の後、相変わらずの渋面でぽつりと一言。「今回だけですよ」、と。
そのどこか拗ねた様子がやけに子供っぽく、私は心中でくすりと笑った。勿論、実際に外に出したわけではない、そんなことをしたら存外矜持の高い父がますます不機嫌になってしまう。なぜだろう、この人は幾ら歳をとってもまるで少年のような雰囲気をたまに覗かせる。沈着冷静にて聡明、その戦略は孫子にも劣らぬとまで謳われたというに、時折私より年下に思えるときがある。いつまで経っても相変わらず、不思議なひとだった。
暫くぶりの暖かな気持ちに包まれながらも、そのとき私はうっすらと、感じ取っていたかもしれない。
これが、私と父にとっての最期の面会になると。
「建業(呉の都)の様子はどうです?大事はありませんか」
ありません、と答えると、そうですか、と言って安心したように息をつく。実際に大事があったとしても、今の父には知らせたくなかった、というのが事実であるが。
「もし口上を賜る機会があればの話ですが、陛下に―――孫権様にお伝えなさい。ご自愛を、お忘れなく。御身体を大切にと。」
「……はい」
穏やかに、まるで自分が今置かれている立場を忘れているかのように言葉を紡ぐ父。その表情に険は無く、実際のところ何を考えているのか掴めない。けれど。
私はどうしても聞きたかった。
「父上は……怨んではいらっしゃらないのですか」
何を、とは聞き返さず、父は怪訝な色を浮かべた。
「幼節?」
「陛下に他に仰ることは無いのですか?知っていますよ、父上の元に、毎週のように詰問状が届いているのを。今回の書状も、そういった内容なのでしょう」
「……」
父の眉は僅かに寄せられただけだったが、それが肯定を示していることを私は知っていた。
「私は、納得いきません。だってそうでしょう、父上は何もやましいことはしていない。寧ろ正当なことをなさったのは周知の事実。なのにどうしてですか、なぜ陛下はお解りにならないのですか。なぜ、宮中の方々は存ぜぬ振りをなさるのですか」
「幼節」
「陛下は周囲の者達の諫言で猜疑心に凝り固まっておしまいです。父上が流されて、これ幸いとばかりに専横を続ける輩を止める者は宮中に殆どいません。はっきりと無実を弁明なさるべき、いや弾劾すべきです、不貞の義は他に在りと。本来なら流されるべきは、」
「幼節、口を慎みなさい」
静かな、しかし確かに厳しさを孕んだ声に、止まらなくなっていた私の弁舌が中断した。いや、中断させられた。
息を呑んだ。父がこちらをまた睨んでいる。見覚えのある、壮健であったころとなんら変わりない、怒りの表情。
「陛下への暴言、仲間への不信感、そのようなことは貴方であっても許しませんよ。教えたでしょう、忘れたのですか」
私は勘違いをしていた。病気をして鋭気が削げたなどとんでもない。父はただ単に、つい先程まで本気で怒っていなかっただけのことなのだ。
「『仲間を信じられずに、乱世など乗り越えられない』と」
……やつれた細面の父の二つの瞳は、其処だけが病魔などものともせず、煌きを全く失ってはいなかった。諭すような眼差しの、そのくせ少年のように穢れの無い綺麗な瞳。
「怨むなど……筋違いというものですよ」
それだけ言い、父はその双眸で私をじっと見つめる。
(ああ、まただ)
「申し訳……ありません父上」
「いいのです。以後気をつけるように」
ふっと表情を和らげ、父は長い睫毛を伏せた。青くなっている私を見、少し困ったように微笑む。「それはそうと、」とさり気なく話題を変えて。
小さな頃から不思議に思っていた。この人はどうしていつも「こう」なのだろうか、と。
父は本当に不思議な人であった。そう回想が出来たる所以は、他にもある。
私と父は、非常に容貌が似ていた。
親子ゆえ、ある程度似ているのは当然のことと思う。しかし周囲の人々の言曰く、「その酷似振りは尋常でなかった」らしい。そのように言われる風潮は、私が成長して外見が父に近づくたび色濃くなった。
十五、六の多感な頃そのように評されるのは心外であった。なにせ私は父が壮年になってからの遅い子供であり、歳は下手をすれば孫と祖父ほども離れている。非常に似ているということは、私が相当老齢に見えるのか、と当時は軽く憤慨したものだ(尊敬と畏怖の対象に似ていると繰り返し言われ、正直こそばゆかった気持ちも否めない)。
しかし歳月を更に重ねるにつれ、あまりに「似ている」真の理由に私は気付いた。勿論、周囲が言う顔の造作の面で似ているというのは前提にある。しかし、更にもう一つのことが大きく理由として関与していた。
私が老けているのではない。父が相当に若々しいのである。
父が健康だったある時、古くからの友人が訪ねてきた。用事は大したことではなかったが、父に会いたいというので書堂に通す際、その斜め後ろから覗く鬢の白髪を見ながら、私はある種の引っかかりを感じていた。この年頃の御方はこれほどまでに髪が白いものなのかとか、確かそんなことを考えていたように思うが、当の父に面会させたとき、はたと気付いた。同年代であるはずの父には白髪が殆ど無いのだということに。
かの友人と父とは確か同じ齢であったはずである。にも関わらず、両人並べてみるとまるで親子のように外見が違った。父は前述したように白髪が殆どない。顔にも目尻に皴が多少あることを除けば、年相応の年輪が刻まれていなく、若者のようにつるつるとした肌をしていた。そしてそのくせ、雰囲気と貫禄は十分に年配のそれである。私は納得すると同時に驚愕していた。自分の父は、なぜこんなにも外見が若く見える人なのか、ということに。
景庸―――古参の侍女官長―――は、その問いに対してこんな事を言っていた。
「あの方は昔から変わってらっしゃらない、それだけのことなのですよ坊ちゃま」
どういうことか、と聞き返しても、父より二つばかり年下の老女は穏やかに、どこか寂しげに微笑むだけであり、私はそれ以上聞くことは出来なかった。
錆を強く布で擦ると、青銅の筆壺がほんの少し綺麗になったような気がした。
筆や硯と一緒に木箱に収める。何年も使い込まれていたのだろう、どれも手垢で黒く汚れており、硯なぞは角が取れていた。そんなところにも、几帳面で物の捨てられない父の性格が表れていて、思わず苦笑する。
竹簡を布紐で括り一纏めにしたものと合わせると、もうそれだけで机の上は一掃されたらしい。元より、この屋敷に有る家具品々が少ないのだ。あとは袍や寛衣の入った箪笥がひとつ加われば、本当に父の遺品はそれで終わってしまう。
喪に服すための休養を申し出たとき、当然のように宮中で聞こえよがしに囁く声があった。
「陸都督殿の遺品整理か。さぞかし跡継ぎ殿も楽しみにしてらっしゃることでしょうねぇ、お父上の莫大な御遺産を受け取ることを」
「何せ罪状を叩きつけられた元丞相殿の財産だ、さぞかし裏で儲けた余財がおありになることでしょうよ」
(何が莫大な財産だ。裏で儲けた余財だ)
今ならば、その言葉を一笑に伏すことが出来る。粗末な木の文机と必要最低限の文具に衣服、政業一辺倒のためだけの幾つかの竹簡。それらだけが存在するこの質素な空間において、父が何を考えていたのかなど、翡翠や玉の埋め込まれた豪奢な白木の卓で会合を続ける彼らにとって、永遠に理解できないだろう。
「これで全部か」
確認のために口に出して呟き、私はその場に座り込んだ。どうせ父の遺品は少ないからと、供の者に別方向の使いを頼み、この屋敷には一人で踏み入れた。実際遺品整理はものの数刻で落ち着いたが、やはり石の文机を一人で運ぶには無理があったようだ。軽く走ってきたかのように身体が火照っており、じっとりと汗がわいてくるのを感じ、私はそのまま硬い木目の床にごろりと横になった。
初夏の香りを帯びた風が、さらさらと頬を撫でていく。私の髪と、そして傍らのあの野花が、また風に遊ばれた。結局、父の遺品はほぼ全て纏めて外に運び出したものの、小さな竹筒に生けられたこの野花は、なぜかすぐに処分する気になれなかったのである。敷布も何も取り払った硬い床に、それはぽつんと置かれたまま、傍らに寝転がった私を見つめていた。
「……どうしてだろうな」
不意に、言葉が口を次いで出た。傍で揺れる萎れかけた花に向かって、私は知れず話しかけていた。それはまるで人に向かっているかのように。
「どうして、父上はあんなひとだったのだろうな」
お前は知っているか?と野花に聞く。私自身、相当感傷的な気分になっていたのかもしれない。野花に向かって独り言、なぞ。
「私が父上について知っていることは本当にわずかなんだ。そう、本当にちっぽけなことしか知らないんだ」
私が知っていること、それは。
「父上は……真面目で、我慢強くて、」
怒ると相当おっかなくて。
「信じられないくらい若作りで」
それから。
「………やさしい、ひとだった」
それだけだ。
父は誰に対しても改まった言葉遣いをする人だった。そのことは生真面目な父らしく徹底しており、たとえ息子である私にさえ敬語を滅多に崩すことはなかった。
景庸に言わせると、このことも昔から変わっていないのだという。
「坊ちゃまがお生まれになる遥か昔から、そう、庸が若様にお会いしたときは既にそのお言葉遣いをされていました。侍女風情にそのようなお気遣いは無用ですと何度も申しましたが……」
かぞえで十程の少年だった父は恥ずかしそうに笑ってこういうだけだったという。「癖なのですよ」と。
父の幼少期の過程は複雑だと聞いている。
両親を物心つくころに亡くし、血縁にあった盧江の太守のもとに数年置いてもらっていたそうだが、間もなく、やむを得ない事情によりそこも離れることになる。叔父である盧江の太守が、袁術の一軍に攻め寄せられ、抵抗の甲斐なく陥落したからである。軍を率いていた将は当時の孫呉の前身を率いる身であった先代の長―――孫策様であった。
叔父と、その嫡男は捕らえられ、処刑されたそうだが、当時の父をはじめ、その他の者の多くは解放された。父は生き残った家族や親戚を引き連れ、孫呉に帰順したのだという。絶対の忠誠と覚悟を示すため、養父であった亡き叔父からもらった諱をも、改めて。
父の、誰に対してもきっちりと固まっている慇懃な態度は、そこから形成されていったのかもしれない。
ただ、私はほんの少し思う。せめて息子に対しては、その態度を崩してくれても良かったじゃないかと。
家族を、居場所を奪った敵の下へ、臣下として仕える……正直なところ、私にはそのときの父の胸中が推し量れない。
私だったら、父のような道は選べなかったかもしれないからだ。
(そのような道など、私には無理だ)
そのような……辛い道など。
わかってはいる。父の選択は至極正しく、立派なものであった。父には解っていたのだ。自分から家族を奪った孫策という男の軍が、(彼が天寿を全うできるのであれば)いずれこの天下を分けるほどの威勢をもっていたことを。孫家を敵にまわしてはいけない、そのことを父は肌で感じ取ったのであろう。先見の明があったといってもいい。ゆえに、陸家のあらたな長となった十余歳の少年は、一族を説き伏せ帰順の道を選んだのである。
全ては、目に映る人々を守るためであった。
(そう、いつだって父上はそうだった)
いくら陸家のためとはいえ、敵のもとへ帰順するのだ。非難の声もあっただろう。
(でもきっと父上は)
沈黙し、一人でその非難を受けたのだろう。自分がどう思われるかなどものともせず、黙ってその道を選んだのであろう。皆を、守るために。
(いつだって父上は、そんなひとだったのだ)
罪状をあえて受け取った。そしてひとり、沈黙した。
宮中でのこれ以上の分裂を防ぐために。
流されてからは外界からの者――特に陸家の者を近づけさせなかった。(あの時の見舞いはやはり最初で最後だった)
親戚を、家族を、……私を巻き込むまいと。
誰にも真意を言わず、冷たい態度をとりつづけた。
守るべきもののために、泥を被っていたのだ。
そう、父は私たちを守ろうとしていた。
恵庸の言っていたことが今ではわかる。
「なのに私は、最後まで気付かなかった」
横になったまま呟く。私の頬の位置にある花が、相槌を打つように揺れる。静かに流れる時間の中で、野花は黙って私の懺悔を聞いていた。
「私は………父上のことをもっと知りたかった」
真面目で、我慢強くて、厳しかった私の父は、ただ、なきたくなるくらい、やさしいひとだった。
(………)
じわりと広がった想いに、私は瞼を下ろした。目尻を、熱いものが伝わって流れた。
滲む視界の片隅、風に吹かれる花弁だけが優しい光景だった。