チョコレートプリン
「あの……どうかなさいまして?」
街で偶然行き会ったミチタカの表情に意外さを感じて、ヘンリエッタはついそんな声をかけてしまった。
冬真っ只中、雪に埋もれたアキバの街だ。普段であれば道ゆく人もどことなく寒さで俯きがちである。
が、バレンタインの今日ばかりは勝手が違った。すれ違う者は皆そわそわと落ち着きなく、街全体をお祭りムードが支配している。
そんな中での、ミチタカのやけに厳しい顔。
それを意外と断言できるほど普段の彼を見知ってはいないが、それにしても彼が見るからに不機嫌そうというのは珍しい、とヘンリエッタは思う。
かけられた声に視線を向けたミチタカは、彼女を見てようやく眉間に寄っていた皺を消した。
「なんだ、あんたか」
「こんにちは、ミチタカさま。何かありましたの?」
再びの問いに苦笑が返る。
「いいや、別に何もないさ。このところどの小売部門もいい数字出してきやがるから、少し虚しくなっちまってただけだ」
ぼやきとも取れるいい方に、けれど理解が及ばずヘンリエッタは瞬きをする。
「あの……いい数字とはつまり、売り上げが好調ということですわよね? それは喜ぶべきことなのでは?」
この質問にミチタカは大仰なため息で応えた。
「勿論、物が売れてくれるのはいいさ。だが、そのほとんどが恋人への贈り物かと思うと、気ぜわしく働く我が身が情けなくもなるってもんだろ?」
「あら、失礼ですけれどミチタカ様ならたくさん頂くんじゃありませんか? バレンタインの贈り物」
「情けなさが加速するようなことを言わんでくれないか?」
話を聞くにどうやらミチタカの不機嫌の要因は、この時期特有の「リア充爆発しろ!」というアレであるらしい。
が、数千人のトップであり、人の面倒見もよさそうなミチタカが、義理ですらもらえていないとはとても考えられない。
「もしかして、本命でない物はカウントしない、とか?」
「まさか、そんなんじゃない。本気の偽りなくゼロなんだ。義理も本命も一切まるでなし!」
その答えに今度こそヘンリエッタは瞠目してしまった。
めずらしく率直に感情を面に出したヘンリエッタを見て、ミチタカが気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あー……まあ、一応理由もあるんだがな。今年、うちのギルドでは仕事場でのチョコの配布を全面禁止にしたんだ」
「あら、それはまたどうして……?」
聞き返しつつ、ヘンリエッタはすでになるほど、と得心している。
チョコがアバター同士で受け渡すコレクションアイテムだったゲーム時代と違い、この世界のバレンタイン事情は今や現実そのままだ。<三日月同盟>程度の中規模ギルドであるならともかく、<海洋機構>のような大手がバレンタインに浮かれたらどんな騒ぎが起きるか知れない。裏で何が起きるにしたって、自己責任と切り捨てられるよう保険をかけたい気持ちは分かる。
ヘンリエッタが悟ったことが伝わったのだろう、やれやれとでも言いたげにミチタカが肩をすくめた。
「まあ、お察しの通りってやつだ。しかもまあ、そのせいで下からの突き上げがきついのなんのって。俺が好きで禁止した訳じゃねえんだがなあ。まったく、ギルドのトップってだけで割に合わん」
「それはお疲れ様ですわ。……ああ、でしたらこれ」
少しくらいは同情したい気持ちになって、ヘンリエッタは手に持っていた包みをひとつ差し出す。
首を捻るミチタカに、にこり、と微笑みかけて「差し上げますわ、おすそわけです」と強引に持たせた。
「ここは、仕事場ではないという認識で構いませんでしょう? バレンタイン限定のチョコレートプリンです。マリエのおねだりですけど、せっかくだからと多めに買ってありましたの」
「いや……、だがしかし、これは……」
途端、動きがぎこちなくなるミチタカに気づかず、ヘンリエッタは彼を見上げる。
「色気のないバレンタインで申し訳ありませんけれど、何もないよりマシと思ってお許しくださいな」
「いや! そんなことはない。ありがたい、ちゃんと何か返せるように考えておく」
「あら、楽しみですわ。……ふふ、以前も思いましたけど、甘いものお好きですのね?」
ミチタカが喜ぶ理由を完全に誤解して、ヘンリエッタが楽しそうに笑う。
訂正しようかと口を開きかけたミチタカだったが、その屈託ない様子に諦めて苦笑いを返した。
「まあ、うん、そうだ。ああ……じゃあ礼のかわりに今度甘いものめぐりにでも付き合ってくれないか? この風体だとなかなか居心地が悪くてな」
「お誘いいただけるなら喜んで」
あまり本気にもしていない様子で会釈をすると、ヘンリエッタは辞去の意を告げる。
人ごみに紛れていく真っ直ぐな背筋を見送りながら、ミチタカは高いハードルについてしばらく考え込むのだった。