迷車両で行こう26
うP主:どうも。永島光です。今回は前回に引き続き東海道本線のお話。今日は前回ちょっとだけ触れた代償のことについて。東海道本線の中で一番キツイ勾配の連続する関ヶ原。貨物列車はここを通るとき結構な量の石炭を使用することを「強いられているんだ」。ということで、これはいけないと思った政府は大垣から関ヶ原の間に勾配を緩くした線路を新たに敷設することになった。この線路は関ケ原に向かって登っていくだけの東海道本線を走る貨物列車などの重量列車の石炭を少しでも減らすために敷設されたの。
「まぁ、そんな感じだね。」
うP主:そして、この線路は関ケ原に向かっていく側にしか敷設されなかったから、使う列車は自動的に大阪に向かって走る列車のみ。そして、この光景を見た地元住民は国鉄に対してこう言った。「列車走らせるぐらいなら俺たちも乗せてくれ。」。その要望に国鉄は答えこの線路内に新垂井という駅を作った。ここで重要なことを言います。新垂井は町から遠く離れていて、新垂井まで行かなくても町中にある垂井駅を使えば事足りる。そう。新垂井は完全に新垂井の近くに住んでいる人たちだけ用に。しかも大阪方面限定で作ったのだ。
「しかし、この後転機が訪れるんだよね。戦争が始まると全然資源がなかった日本はついに東海道本線の鉄を使うことまで決定。そこで、東海道本線から鉄をもぎ取るために大垣から関ヶ原の間を垂井駅を経由する下り線の線路をもぎ取ったの。ここで、下り列車は新垂井。上り列車は垂井駅にしか発着できないようになった。」
うP主:しかし、平和が訪れると必ずしもこうする必要ないんじゃね。通過不便だと言われたため、国鉄はまた垂井駅へと下り線を敷設。これで垂井と新垂井にはそれぞれ下り列車が発着していた。しかし、時代が流れてくると町のはずれにある新垂井は利用客が減少。ついには駅としてだけお荷物になっていった。だから、国鉄は新垂井を首切り。つまり、廃止して、新垂井経由で運行されていた列車をすべて垂井駅に停車させ、新垂井駅の前を通るのは停車しない貨物列車と特急列車などの優等列車だけが通るようになったの。そして、当時お金がなかった国鉄は新垂井のホームをそのまま放置。そのすぐ後にJRへと移行して、ここら辺はJR東海の持ち物になったの。
「でも、JR東海も新垂井を同にはする理由も意味もないため、ホームは相変わらず放置。草に覆われながら、今日も新垂井駅跡を大阪方面行き限定で特急列車と貨物列車が通過している。
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