どうせ生きるなら
もう、悲しいことは起きないんだよ。
なんでかって?
決まっているだろ? 私が、そう決めたんだ。
だってさ、私の人生で起きた出来事に対して、感情をつけ、意味づけするのは、誰だと思っているんだい?
決まっているだろ? 私だよ。
だから、私が、悲しいことは、もう起きないって言って、これから起きる未来に、悲しいことっていう意味づけをしなければいい。
それだけで、悲しみは終わるんだ。
でも、やっぱり、悲しいこともあるかもしれない。
そしたら、その悲しみの中にある、喜びに気づこう。
喜びなんてない、悲しみなんてない。
だって、生きているんだ。
悲しいって感じることのできる、心があるんだ。
悲しいって出来事を行える、体があるんだ。
私は、生きているんだ。今、命があって、生きているだけでも、幸せじゃないか。
悲しいことが起きたって、命までは奪えやしない。
それだけでも、喜ばしいことじゃないか。
でも、命まで脅かされる悲しみがあるかもしれない。
そしたら、その悲しみを乗り越えられる可能性があることを、喜ぼうか。
そんなに辛いことを乗り越えられた。あるいは、乗り越えることができる、挑戦権があるって、喜ぶんだ。
だってさ、もし、それを乗り越えられたら、みんなに自慢できるだろう?
私は、これだけ辛いことを乗り越えられたんだって。
それに、みんなだって見ている。
だって、みんな人間だ。
人間は、周りの様子から知った情報を、自分の人生に生かすことができる。
強い人だって評価されたら、良い人だって評価されたら、きっと、良いことが起きるよ。
みんなに、信頼されるし、頼りにされるかもしれないね。
そうやって考えていけば、悲しいことなんて起きない。
少なくとも、悲しいだけの出来事なんて起きやしないんだ。
そしてね、命が終わるとき、胸を張って言ってやればいい。
私は、こんだけすっごい人生を、今日まで生きてこられたんだって。
普通の人だったら、どっかであきらめたかもしれないけど、私は頑張れたって、言えばいい。
そうやって自慢していることは、嘘なんかじゃない。
だって、誰も、その人の人生を、歩めやしないんだ。
だから、それが本当か嘘かもわからない。
だから、嘘にはならない。
さらに言えば、その人生で、多くの人に感謝できたら、より誇れる人生になるだろうね。
でも、みんなに感謝するのは、難しい。
自分を傷つけた人、追い詰めた人、苦しめた人、悲しませた人、そういった人を許すのは難しい。
もし、許してしまったら、怖いことが起きるかもしれない。
もし、許してしまったら、また、自分を傷つけられるかもしれない。
もし、許してしまったら、周りの人は、自分に同情しなくなるかもしれない。
そう考えると、たまらなく怖いんだ。
でも、許すことのメリットのほうが大きいと思う。
たとえば、自分を傷つけた人を、許すことができたら。
そしたら、周りはその人をどう思う?
すごい人だって思うよね?
そんだけ怖いことを、この人はやってのけたって。
周りの、自分を見る目が変わるかもしれない。
それって素晴らしいことじゃないか。
それにね。
仮に、また傷つけられたとしたら、そしたら、そっとその人のそばを離れれば良い。
そんな風に、自分を傷つける人のために、怒りや悲しみで、エネルギーを使う必要もないさ。
だってさ、ふさぎ込んでいたり、怒っていたりする人に、近づこうと思うかい?
私なら、近寄らないよ。
そうやって、傷つける人の近くにいて、周りの評価を落とすこともしなくていい。第一、体に悪いって思うね。そんな、マイナスな感情を、ずっと抱いているなんて。
無理をするのは、よくない。だから、安全な場所に行けばいい。
冒険したいっていうのなら、止めはしないけどね。
さらに言うと、そうやって人を傷つける人には、それなり罰が与えられる。
これは、絶対だよ。
だって、たとえば、いじめについて考えるなら。
いじめている人を、良い人だなんて思えないだろ?
怖くてしたがっているってだけだろ?
もし、その恐怖すべきことがなくなったら、みんな、その人には近寄らなくなるさ。
だって、他人を傷つける人に、好き好んで近寄ったりしないだろ?
誰だって、自分がかわいいんだ。自分を守りたいんだ。
そう考えるとさ、悪いことをした人には、罰が行くんだ。自然とね。
周りから孤立するか、冷たくされるかは知らないけど。
きっと、いつか、そうやって罰が与えられるから。
君が怒って、いちいち与える必要なんてない。
自ら手を下したいっていうのなら、止めはしないけどね。
じゃぁ、人を傷つけたら、許されないか。
そういうわけでもない。
要は、そのあとだね。
たとえば、不用意な一言で、誰かを傷つけたんなら、誠心誠意謝って、そんなつもりじゃなかったって言えばいいんだよ。
誰だってミスはあるんだ。
ただね、逃げているだけじゃダメなときもある。
みんなが、傷つける人には近づかないって考えるわけじゃない。
中には、傷つけてきた人には、同じ傷をって考える人もいるかもしれない。
謝りもせず、何もせず、ただただ、自分が犯した罪におびえているんじゃ、いつか報復されるかもしれない。
だから、先手必勝。傷つけた時点で、わかった時点で、謝ろう。
最初わかってくれないかもしれない。
でもね、人間は周囲の状況から、いろいろな判断や評価を下すから。
本気で謝罪したいっていう気持ちがあれば、いつか伝わるよ。
それでも、伝わらなかったら、そんだけひどいことをやったんだって思うんだ。
そしたら、二度とそんなことしてはいけないよ。
何度も罪を繰り返す人を、信用なんてできないからね。
過ちを犯すのは、一度で十分さ。
まぁ、要は、しっかり生きればいい。
小学校の道徳の時間に教わったことを、しっかり守ればいい。
やってほしくないことは、やらないこと。
人には、優しくすること。
人を、傷つけたり、だましたりしないこと。
そうやって、ちゃんと生きれば、周りもしっかり評価してくれるさ。
そうして、生きていけたら、きっと最期の時に、胸を張って言えるよ。
私の人生は、素晴らしいってね。
それだけで、十分じゃないか。
お金を稼ぐのも難しいけど、同じくらい、そうやって生きるのも難しい。
まぁ、私は、そうやって、しっかり生きれたら良いんだ。
自分の人生だから、私の人生の評価を下すのも、私さ。
私の人生は、素晴らしかった、そういえるために、私はそうやって生きるのさ。
私は、私によって、素晴らしい人生を約束されている。
そんな尊い存在なのだ。
どうせ、生きるなら、そうやって生きたほうが、何倍も楽しそうなので、
私はそう思って、今日も生きてみる。
ただ、それだけさ
要は、自己満足ってことで