許されざる誓い
「メリッサ、君が来てくれて本当に助かった」
薄暗い森の中、松明の光だけが二人の姿を照らしていた。
王太子アポロンは剣についた血を拭いながら、少女に微笑みかけた。
「いえ……わたしこそ、お役に立ててよかったです」
メリッサは少し頬を赤らめながら応えた。
数日前のことだった。隣国からの使者が緊急を要すると伝えてきた。
古の封印が解かれ、かつて大陸を恐怖に陥れた魔獣ケルベロスが復活したというのだ。
騎士団長も務めるアポロンはすぐに討伐隊を組織し、自ら先頭に立って出陣した。
だが予想以上に強力なケルベロスの前に、護衛の騎士たちは次々と倒れていった。
絶体絶命の危機に陥ったその時、メリッサが現れたのだ。
彼女は貴族の令嬢でありながら、幼い頃から古代魔法を研究してきた天才だった。
普段は宮廷で静かに暮らしているが、アポロンとは幼馴染でもある。
「この炎の封印式を使えば、しばらくは動きを止められるはず」
メリッサは持ってきた古文書を広げ、複雑な魔法陣を地面に描き始めた。
「でも、これは一時的なものです」
「構わない。あいつを退ける時間が欲しいだけだ」
アポロンが言い終えるや否や、魔法陣が青白い光を放ち始めた。
メリッサの詠唱と共に、ケルベロスの周りに炎の壁が出現する。
「さあ、今のうちに!」
メリッサの声に促され、アポロンは再び剣を握りしめた。
その時、彼らの背後から足音が聞こえてきた。
「殿下!ご無事ですか!」
振り返ると、重傷を負いながらも生き残った騎士たちが駆けつけていた。
アポロンは安堵の表情を浮かべる。
「みんな、よくぞ戻ってきてくれた。しかし油断はするな。まだ戦いは終わっていない」
城に戻ったアポロンは、父である国王に報告を行っていた。
「ケルベロスは封印しましたが、完全な封印ではありません。いずれまた復活するでしょう」
「そうか。だがよくやった、我が息子よ」
国王は満足そうに頷いた。
「ところで、騎士たちによるとそなたは一人の女性の助けを受けたとか」
アポロンは「はい、メリッサです」と答えた。
「ほう、あの魔法の才女か」
国王は思案顔になる。
「彼女は確か、隣国の伯爵家との婚約が決まっているはずだが……」
その言葉に、アポロンの表情が硬くなった。
それは以前から知っていたことだった。彼女が遠くへ行ってしまうことも。
「陛下、その件ですが」
アポロンは静かに口を開いた。
「私は彼女を愛しています。どうか、婚約を取り消すよう手配していただけませんか」
部屋に沈黙が流れる。
「……本気か?」
国王の目が鋭く光った。
「彼女の義父は我が国にとって重要な同盟相手だ。婚約は既に成立しているのだぞ」
「私の心は変わりません」
謁見の間を出たアポロンは、中庭でメリッサを見つけた。
彼女は月明かりの下、静かに花を見ていた。
「メリッサ」
呼びかけると、彼女は驚いて振り返った。
「殿下……」
「今夜はありがとう、君のおかげで多くの命が救われた。もちろん私の命も」
「いえ、わたしの力など微々たるものでした」
アポロンは彼女の横に立ち、同じように月を見上げた。
「陛下から聞いたんだ。君の婚約のことを」
メリッサの表情が曇る。
「……はい」
「私の気持ちを聞いてくれないだろうか」
「何をおっしゃるのですか?あなたは王太子様です。私は単なる臣下の娘にすぎません」
「身分など関係ない。ただ一人の人間として、君を愛している」
風が二人の間を通り過ぎていく。
「昔のようにアポロンと呼んでくれ。頼む」
「……私も殿下を尊敬しております。でも」
彼女の言葉が途切れたとき、突然警鐘が鳴り響いた。
「敵襲!城門より魔物の大群接近!」
二人は顔を見合わせ、すぐさま走り出した。
城内は混乱に包まれていた。
ケルベロスの影響で、各地から魔物が押し寄せているらしい。
「全軍を配置せよ!」
アポロンの号令が響く。
メリッサは宮殿の中央にある祭壇に向かっていた。
「ここで防御結界を張ります!」
アポロンが彼女の側に駆け寄る。
「手伝うよ」
「殿下は指揮を!」
「いいや命令だ、私とともに戦ってくれ!」
祭壇に二人並び、手を取り合って詠唱を始める。
彼らを中心に強力な光の輪が広がり、城全体を覆っていく。
翌朝。
魔物たちを退け、なんとか破壊を免れた街を二人は歩いていた。
「……終わったね」
アポロンの言葉に、メリッサは小さく頷いた。
「これからどうするつもりだ?」
「婚約のことですか?」
彼女は俯いたまま言った。
「父は反対するでしょうけれど……あなたの側にいたいです」
アポロンは彼女の手を取った。
「一緒に父上に話そう。そして王国民にも訴えよう。私たちの思いを」
メリッサは彼の瞳を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「はい、ともに歩みましょう。たとえ道が険しくとも」
太陽が昇り、新しい日の始まりを告げる。
二人の未来はまだ見えないけれど、手を取り合って進む道を選ぶ覚悟はできていた。
しかし、彼らの選択が、王国の歴史を大きく変えていくことになるとは、この時はまだ誰も知る由もなかった――。




