公爵令嬢は王太子妃ではなく冒険者となって『救国の女神』となった
ベアトリスは将来王太子妃になることが約束されている。
フォンタン公爵家に生まれた彼女は、幼い頃に王太子ルイゾンから求婚され、そのまま婚約者となった。
王太子の婚約者になるということは、将来王太子妃になるということだ。
婚約を結んだ瞬間に始まった苛烈な王太子妃教育にひぃひぃ言いながら、ベアトリスは日々を過ごしている。
だが、彼女の胸の中には別の夢が存在していた。
(私は! 冒険者に! なりたくて!!)
本日も厳しい王太子妃教育でへろへろになって帰宅したベアトリスは公爵家のベッドに倒れこむようにして横になってため息を吐いた。
幼い頃からの彼女の夢。それは『冒険者』になることだった。
本当に小さい頃にベアトリスは攫われたことがある。王太子と婚約をする前のことだ。
攫われた理由は金銭が目的だったのか、あるいは別の理由だったのか、幼すぎた彼女に知らされることはなかった。
攫われた先でべそべそと泣いていたベアトリスを救い出したのは王国の騎士ではなく、一介の冒険者だった。
彼女を救った冒険者はいかにも女傑と言わんばかりのでるところはでてひっこむところは引っ込んでる最高にカッコいい女性で、ベアトリスは一目で「このひとみたいになりたい!」と思った。
頬に走る傷すらカッコよく、貴族の常識では考えられないザンバラに切られた髪すら美しく見えた。
『大丈夫か、お嬢ちゃん』
女性にしてはハスキーな声で呼ばれた時の感動を今でも覚えている。
いま、あの時の女性がどうしているのかベアトリスは知らない。
父にねだっても一切の情報はもらえなかった。
女性の方も、父から報奨金を受け取った後は一切ベアトリスの前に姿を現さなかったから。
「……冒険者に、なりたい、なぁ……」
ぽつんと呟く。十五歳の誕生日を迎えてなお、幼い頃に胸に抱いた夢が消えることはない。
明かりを落とした室内に、ベアトリスの小さな声が溶けるようにして消えていく。
誰かに聞かれたら大騒ぎだ。
だから、本来口にすらしてはいけない。それでも憧れが止まることはない。
ベアトリスはぐっと手のひらを握りしめた。
王太子妃教育の傍らで、どうしてもと頼み込んで剣術の稽古を受けている。その影響で硬くなった手のひらを握って確かめ、浅く息を吐いた。
「……いつか、私も」
カッコよく人を助けるのだ。
そう思いながら、ベアトリスは夢の世界に旅立った。
夢の中で、彼女は大きな剣をふるう立派な冒険者だ。
▽▲▽▲▽
ラドゥメグ王国は竜を信仰する国だ。
竜を神と崇め、祀っている。それは恐れの感情と紙一重だった。
過去、竜による災害に相次いで襲われたため、神として祀ることで機嫌を取り、竜災を防ぐという側面を持っている。
年に一度、竜に奉納する祭りがある。新鮮な家畜の肉や果物をどっさりと竜のおわす森に届け、巫女が舞を踊り、今年一年の安寧を祈願する。
しかし、その祭りで不測の事態が起きた。
王太子ルイゾンが好奇心から竜が守護する卵に手を出そうとしたのだ。
元々頭の弱い王太子ではあったが、ここまで愚かだと思わなかった。それがベアトリスの本音だ。
当然、我が子を害されると判断した竜は怒り狂い、王都は燃えた。
ルイゾンを始めとして、王族を守ろうとした騎士団は全滅、王族もまた竜の怒りによってこの世から全員消えた。
逃げまどっているうちに運よく生き残ったベアトリスは唖然と燃え盛る王都を見て、目を見開き。
そして。
「冒険者に、なろう」
そう、決意した。
王都が燃えて王族はみな死んだと噂されている。
いまのベアトリスの格好は綺麗だったドレスが焦げた上に灰と血で黒ずんでぼろぼろで、だれも公爵令嬢だとは気づかないだろう。
長い髪を落ちていた短剣でばさりと切る。肩につくくらい短くなった頭を左右に振って、ベアトリスは歯を食いしばる。
「冒険者に、なるんだ」
国も王族も、どちらもいない。ベアトリスの公爵令嬢という地位は消えたも同然だ。
父も母も行方が分からない。けれど、きっと生きていない。
なら、自分一人で身を立てていくしかない。
血が出るほど拳を握りしめて、ベアトリスは燃え盛る王都に背を向けた。
目指すはギルドのある別の街だ。そこで、冒険者登録をして、魔物を狩ってお金を稼ぐ。
幸い、剣術の腕は師範にも褒められている。まともな武器があれば、きっと戦える。
震える足で、がれきの山を乗り越える。ベアトリスの目は覚悟の炎が燃えていた。
▽▲▽▲▽
冒険者の世界は、ベアトリスが想像していたよりずっと過酷だった。
きらきらとした評価を受けられるのはごく一部。
最初は草むしりや逃げた猫探し、あるは浮気調査なんて地味な依頼をこつこつとこなした。
街の外で薬草を採取してこい、といわれたときには小躍りするほど嬉しかった。
竜災の影響で人々は街の外に行くことに酷く敏感になっていたし、ある程度の実力が認められないとギルドでも街の外への依頼は回してもらえないからだ。
竜は王都から動く気配はなく、王都以外の人の住む場所は襲われていなかったが、警戒するなというほうが無理がある。
そして、王がいなくとも案外民はやっていけるのだとベアトリスは悟らざるを得なかった。
王都が竜に支配され、政治など機能していなくとも、人々はたくましく日々を生きている。
もちろん、生き延びたわずかな貴族の横柄な態度が問題に上がることもあったが、いまでは民のほうが力を持っていて、下手なことを言えば貴族の方がフルボッコにされる。
そんな現状を憂う日もあったが、ベアトリスは着実に一つずつギルドの中での評価を上げていった。
誰も、彼女が元公爵令嬢だとは気づかなかった。
最初は小さな草食の魔物を倒した。次に子犬くらいのサイズの魔物を。その次は大型犬ほどの魔物を。
少しずつ、堅実に腕を上げたベアトリスは二十歳の誕生日を先日迎えた。
その頃、ギルドに一つの依頼が舞い込む。
それは、すでに国として機能していないラドゥメグ王国からギルドへの最後の嘆願書だった。
『王都の奪還』
簡潔に書かれていた依頼を出した張本人すら不明だった。
王都にはいまだ怒り狂った竜が居座り、人が住める環境ではない。
ギルドの誰もがその依頼に眉をひそめた。だが、そこで立ち上がったのがギルド長。
――かつて、ベアトリスを救った女傑、ナタリーだ。
「いつまでも居座られちゃあ、困るね」
そういって笑った姿は同性から見てもやっぱり最高にカッコよく、志願者だけで組むという竜の討伐チームにベアトリスは真っ先に挙手をした。
実力が足りていない自覚はあったが、それ以上にナタリーの役に立ちたかった。
そして、できるなら。
本当に馬鹿だけれど、そこそこ好きだった婚約者と、大好きな両親の敵討ちがしたかった。
ベアトリスの挙手にナタリーは少し前に隻眼になった目を細めて笑った。
「いい気概だ、お前を連れていく」
「ありがとうございます!」
ギルドの精鋭で組んだチーム。総勢三十名。
竜相手にたったそれだけの人数で挑もうという彼らを街の住人たちはずいぶんと心配してくれた。
王都奪還の目標を掲げて、ベアトリスは剣を片手に出陣した。
▽▲▽▲▽
竜との戦闘は熾烈を極めた。
日中から始まった戦いは、すでに深夜となっている。
魔法使いが拘束魔法で足止めする、僅か一秒で破られる。だが、その隙に前衛が少しでも傷をつけようと戦いを挑む。また魔法使いが拘束魔法をかける。破られる。
一進一退の攻防を続けて、何時間が経過したのか。
一人、また一人と仲間が倒れる中、最後に立っていたのはベアトリスとナタリーだけだった。
「はっ、全くやんちゃな竜だぜ!」
「ナタリーさんっ」
片腕を負傷したナタリーがだらだらと流れる赤い血で防具を染めながら悪態をつく。
「ベアトリス、まだいけるな!」
「はい!!」
ナタリーがずっとベアトリスを庇うように戦っていてくれたおかげで、まだ軽傷だ。
体力は削がれているが、まだ戦えるだけの気力はある。
剣を構えた彼女の視線の先で、竜がひたりとベアトリスを見つめている。
視線が合う。恐ろしい、と思う。だが、それ以上に、怒りが身体を支配している。
それが、身体を動かす原動力となる。
「はああああ!!」
駆けだしたベアトリス目掛けて竜が炎のブレスを吐く。左に飛んで避けた彼女へ、鋭く振るわれた尾が迫る。
後ろに下がるのではなく前に進むことで直撃を避けたベアトリスは、振り下ろされた前足を剣で弾き飛ばした。
(ずっとナタリーさんにしごかれ続けたのよ! 負けるものか!!)
再びブレスを吐こうとした竜の首の下、そこに一枚の逆鱗があることにベアトリスは気づいた。
竜の唯一の弱点。そして、戦いながらみなが探っていたもの。
ベアトリスは躊躇なく剣を竜の首元目掛けて投擲した。
ざしゅ。
本来硬い鱗に覆われているはずの竜の皮膚に簡単に刺さった剣。雄たけびを上げて倒れこむ竜に駆け寄ってきたナタリーが自身の愛剣をベアトリスに差し出した。
「とどめを刺せ!」
「はいっ」
こんなチャンスはきっと二度と訪れない。
だからこそ、ベアトリスが愛用する剣の二倍は重いナタリーの剣を振りかぶって。
ベアトリスは、竜にとどめを刺した。
竜を倒したベアトリスに、ナタリーが浅く息を吐く。
激しい戦闘と、竜の返り血でどろどろのベアトリスに向かって笑った。
「よくやったよ、貴族の嬢ちゃんが」
「え?」
「気づかないと思ってたのかい? アンタ、フォルタン公爵家のお嬢ちゃんだろう」
こんなに小さくてべそべそ泣いてたのになぁ。
感慨深そうに言われて、ベアトリスは頬を赤く染めた。からからとナタリーが笑う。
「国の仇を取るのには最適な人選だ。アンタは救国の女神だよ」
「そんな……!」
「誇れ、胸を張れ。そして国を立て直せ」
厳しいようで優しい言葉をかけられて、ベアトリスはぐっと唇を噛みしめる。
「はい。ありがとうございます、先生!」
「ははっ、先生というガラでもないがな」
明るく笑うナタリーの背後から日が差し込む。朝日だ。日が昇ったのだ。
ほっと息を吐き出して、ベアトリスは満面の笑みを浮かべた。
その笑みは公爵令嬢が浮かべるものではなく、一市民が――もっというなら冒険者が以来の成功時に浮かべる、快活な笑みだった。
再建されたラドゥメグ王家の女帝ベアトリスは、死した婚約者のために剣をとって戦ったと後の歴史書には記載されている。
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