第3章 4.
4.
『川上』にとって、ダンジョン、正確にはディープ・フロンティアスペースは正直関わり合いになんかなりたくなかった。
知れば知るほど余計にと言う奴だ。そして、仕事とは言え、そのダークサイドを嫌と言うほど見せられている。それどころか命の危険を感じている。
段ボール箱を抱えながら、走る。レベル0、つまりリアルならとっくに息切れしている距離を走っている。
「こ、ここまでく、れば」
ひとまず、あの場所から数百メトールは離れ、そして、銃声も減った。
ここなら安全だろうと周囲を見る。猫耳、尻尾にメイド服という趣味が見える服装をした女の子がやたらでかい斧を構えている。
途端に恐くなった。可愛い女の子であろうと、やたらばかでかい斧を振り回せるのは純粋に恐怖だ。
(なんでこんなところではたらいている……んだろう)
哲学的な問いさえ、心の中を占拠する。自分と『長谷川』、その他大勢の役人達に目の前の猫耳尻尾メイド服にでかい斧の少女。
何でこんな場所にいて、仕事しているのだろう。別の仕事してても良いのに。
銃声は恐い。刃物は恐い。暴力は恐い。ここはそこら中に溢れている。
「――!」
空気が変わった。スマホが鳴り響く。目の前の少女は全方位を警戒する。こちらを一瞥し、どうやら『使い物にならない』と判断したらしい。
いったい何の警報なのかとスマホを見る。表示は『モンスター発生警報』。
肩を叩かれる。いきなりのことに驚いて、飛び上がる。そして見る。
自分がいた。自分が驚いた表情をしている。
いったい何事かと、自分に近づいて見る。
アレ、何で足が止まらないんだ? 自分との距離はもう目と鼻の先。
自分が手を挙げる。『自分』の手が上がる。
自分が笑う。『自分』も笑う。
目と目が合う。相手……いや自分の目はこちらを映している。
空気が重い。これは湿気? それとも汗と周囲の温度がもたらした不快感をそう感じている?
水面に水滴らしきものが跳ねる音がする。
肩を叩かれる。『自分』の右腕が自分の左肩を叩いている。重い。
視界が揺れる。自分と『自分』、どちらが自分自身なのかわかりづらくなっていく。
逃げ出したい気分だ。少し下がろう。
あれ
足が、
動かない。
瞼が重い。
呼吸が浅くて、酸素が足りない――
――息苦しい。
な ん で ?
瞼が重い。体から力が抜ける。
あっ、ダメだ。自分の言うことを聞かない右腕が動く。
これはダメだ。その先はダメだ。何故かわかる。
自分の名前が奪われる。……いや、自分の名前ってなんだっけ。
酸素が、体に足りてない。自分の言うことを聞かない右腕が自分の首に指先を伸ばす。力が入る。
右腕が、自分で自分の首を絞める。右腕が、言うこと、聞かない。助け、求められない。
下が動かない。自分の思うように。
目の前に『自分』が笑っている。
(??)
なんで笑っているんだろう? そう思った。左手が動く。自分の顔を触る。ああ、自分も笑っているんだ。いつの間にか。
体の自由がどんどんなくなっていく。
――息苦しい。
目の前の『自分』が、自分の呼吸に合わせて胸を膨らませる。そして、止める。
呼吸 とまった 息 したいのに 体が 言うこと
効かない。
このまま、何もかも全部、うばわ……
「いつまで無抵抗に奪われているんだ、このタコ!!」
いきなり横から出てきた例の少女が『自分』の首を斧でぶった切ったのはその次の瞬間であった。
Tips:『ドッペルゲンガー』……モンスターの一種。ドイツ人が発見したことから自国発祥のモンスター名を名付けた。
特定の人間の容姿や行動をまねることで、相手の神経系の制御を乗っ取っていく。
その在り方から、本人が出会えば死ぬ怪物、ドッペルゲンガーという名称に異論はなかったようだ。
「そのうち、これ以上自分を奪わせないためとかそんな思考で自分の頭を自分で吹っ飛ばすぞ。さっさとドッペルゲンガーなんか撃ち殺せよッ!!」
猫耳尻尾にメイド服、デカい斧。そんな属性山盛りの少女に罵られながら、助けられたらしい。
「こいつは速攻で頭を吹っ飛ばさないと、色々と乗っ取られる。だから、こいつにだけはケチらず速攻で銃弾で対処しろって言われているんだ。
もしかして、素人か? 素人がこんな場所来るんじゃねえよ!! ここは北九州最大のダンジョン村で、たまに大陸連中と殴り合うこちら側の『傭兵企業』の拠点でもあるんだぞ!」
怒鳴り散らかす少女は、言いたいことだけ言ってどこかへ行く。あちこちでモンスターが出現しているらしい。
ただでさえ、人間同士で争っているのにモンスターの乱入まで、いい加減にしてほしいものだ。
「なんなんだよ、もう……!!」
盛大に吐き出す本音。絶対やめてやる。こんなブラック役所。
固い決意の元で周りを見渡す。何やら水のようなものがこぼれていた。つい、そのこぼれている水を見ていると、その水は広がって、ある所から途端に広がらなくなる。
(地下室?)
水はどうも地下の空間に落ちているらしい。何故か、強い興味にひかれて動く。
そこは一見どこにでもある砂利のちょっとした空間に見えた。なのに、水は広がらず、下へと流れている。小さな隙間。
まるで隠しているようだ。近づく、そして遠くで響く地響き、どこかで何かが爆発した振動。たったそれだけで、陥没が発生した。
「っ痛っててて」
落ちた場所は、少し開けていて、TVや動画サイトで見かける発展途上国の鉱山の坑道を思わせる横穴が広がっていた。
「?」
おまけにこの横穴、いや通路は自分が逃げてきた方向からつながっている。
(すっげぇ、嫌な予感)
その嫌な予感は当たっていた。銃口をこちらに向けた一団が走ってきたのだから。しかもその中に先ほど見かけた人間がいる。
労働基準監督署が査察に入った会社の偉い人だ。
「なっ! 何故ここに!?」 「あー純粋に偶然といいますか……」
「あっ、いえ、私は見ての通り盗賊に拉致されてましてね!! オタスケー!!」
(いや、どうみても一緒に逃げてる……いや、そういうアリバイ作りなんだろうけど)
ふと、一団に経営側ではない人間たち、つまりは労働者、いわゆる従業員も混じっているのに気づく。
1人の従業員と目が合う。けれどそれだけ、相手は何かを見ているという感じではない。本当にただ偶然目線が重なっただけ。
こんな戦場みたいな場所で、何も考えず、ただ時間に追われて黙々と駅前をただ歩くサラリーマンのような表情。
(なんで、働いているんだ)
ここにきて何度となく繰り返した自問自答。
「あの、大丈夫ですか?」
つい、その従業員に聞いてしまう。
「えっ、なんですか? ごめんなさい、よくわかりません。上司に伝えます。申し訳ございません」
(えっ――――)
――場違いな回答。絶句。
判断能力の有無を疑う言葉。別に変な事が起きているわけではない。それでも絶句してしまう。
「『川上』!」
『長谷川』の声が聞こえた。その声が、衝突の合図になった。