第3章 1・
咲坂高校冒険部活動報告書
第3章『切歯扼腕しか感じないクソ野郎達』
1.
労働基準監督署は労働者の人権を守り、経営者の良心を守るための公的機関であり行政組織だ。
労働基準法という労働条件の最低条件を定めた法律を守っているか監視し、時に対処を行う組織である。
ダンジョン――ディープ・フロンティアスペース――の登場はそんな彼らにも変化をもたらした。
「…………」
目の前で組み立てられるのは対物ライフル。すぐそばの男性が運び込むのはセミオート散弾銃が取り付けられ、またそれとは別に手榴弾が1個取り付けられた
武装化ドローン。
労働基準監督署の腕章をつけた人々が身に着けるのは前面に防弾プレートが入った防刃コート。
「いや、なんすか、これ……」
大学を卒業したばかりで公務員試験に落ち、代わりに非常勤の行政職員となった『川上 達也』にとって、普段の書類業務とはまた違った風景に引きつり笑いを浮かべる。
先輩というか直属の上司というべきか、指導役というべきか。『長谷川』という男に「今日は現場だ」と言われて来てみればこの異常な風景。
非常勤とはいえ、労働基準監督署、すなわち労基職員になったのは早まったかと思わず天を仰いでいると、『長谷川』がやってきた。
「今どきはどこの行政職もこんなもんだ」 「うっそでしょ」
「さすがにどこもかしこもはホラだよ。けど、ダンジョンって代物があるから大なり小なりみんな数年に一度は武道だの射撃訓練だの普通になってきた。
何しろ、企業どもは次々とダンジョン内部に支店をや工場の類を出し始めているからな。厳密にはそういう名目の強制労働施設だけど」
聞き捨てならない言葉が飛び出してきた。強制労働施設? なんじゃそりゃ。
「ダンジョン、ディープ・フロンティアスペースはロケット打ち上げより安いなんて言われているんだぜ。そんなところに社員を連れていくだろ?
で、投入コスト分のお仕事をここでやれと命令されるわけだ。反発しようにも場所次第では永遠に帰れないと錯覚してしまうような場所だ。
モンスターだの見慣れない地形だのそういう空間で。ついでにそこで妙な葉っぱの観葉植物でもお世話させりゃ告発もできない」
「……待ってください。妙な葉っぱの植物?」
川上のすぐ隣をかわいらしい女性が走っていく。話が重くて思わず癒しを求めて彼女を目で追って後悔する。何故なら彼女もまた腕章を身に着けている。
『厚生労働省:麻薬取締官』という腕章を。
「ダンジョン内部の殺風景を何とかするためにダンジョン内部で売られている観葉植物を買っただけです! 知りませんでした! 二度とこんなことが無い様に注意します!
ってそういう企業の上司どもは発覚時に言うわけだが、連れてこられて茫然自失の社員どもはそうはいかない。ましてや水やりだのそういう世話をやらされてりゃ……告発したとき、告発者も自動的に逮捕しなくちゃいけない、されなきゃいけないというトラップになる」
「あの……吐き気を感じてきたんですけど」 「順法意識が高くて素晴らしい感性だ。大事にしなさい」
そういう問題ではないと川上は思う。もはや悪徳企業のレベルを超えた所業が続々と聞こえてくるわけだが、というか、それらは完全に警察のお仕事ではないか。
「まぁ、葉っぱは警察の仕事でもあるけどよ」 「いや、それに限定しないで」
「ダンジョンに連れてきたのを拉致監禁とみなせば警察にも対処は出来るけど」 「ほら、だから、警察の――」
「――――でも業務命令で来たって言われちゃ労働条件の話になるよな」 「それ、絶対縦割り行政の縄張り意識の問題でしょ!?」
「おいおい、ここには俺ら労基以外にもいろいろな行政官庁が参加しているんだぜ、縄張りじゃない。連合だ」
確かに労基の自分たち以外にも麻薬取締官だの入国管理局だの税関だのの腕章をつけた一団がいる。まさに行政連合だ。
とはいえ、あきらかに警察がいない。自衛隊もいない。海上保安庁も境界線保安庁もいない。
治安維持機構がこの場に誰も現れないのである。故に思う。
「やっぱり縦割り行政の縄張り意識でしょ!? これって!」 「違う。警察も海保も境保もそれこそ自衛隊もどこもかしこも人手不足で自分らでやるならやってくださいなんだ」
「嘘でしょ!?」
驚愕の新事実に絶望感を感じている『川上』を見る『長谷川』は自分にも若いころがあったなーとか、考えながら自分の装備品に不備がないかチェックする。
すなわち、『現代化刀剣類』の一種であるビームレイピアを。ビームとついているが、要するにプラズマを射出する機構がついているだけのレイピアだ。
「でもって、最悪な話だが、アバターは簡単には死なないし、妨害装置を使えば、アバター全損による強制送還の時に特定のダイビングスポットに送ることが出来る。
つまり、ブラック企業は、一度ダンジョンに放り込むカネを払う覚悟次第で、最低時給以下、安全無視で働かせても逃げられない奴隷を用意出来る訳だ」
「何ですか……それ、今時スマホはダンジョンの中でも当たり前に使えますし、そもそも動画配信とかやってますよね!?」
「有線ケーブルとアンテナをあちこちに立てた上でな。当然慈善事業じゃねえ。大なり小なり皆がカネを払っている。当然、トラフィック量に応じた額になるから、払わない奴らの端末の電波なんて遠慮無く遮断する。
つまり、スマホはつなげることが出来るが別で金と手続きが必要なんだ。最低時給以下、安全無視で働く奴隷にそんな事出来ると思うか?」
新人の絶句の表情。だが、この程度の話なら、実の所いくらでも転がっている。もはや労働災害、人災と呼ぶ規模に達したダンジョンを活用した不法行為は後を絶たない。
結局ダンジョンを管理出来ていないのが実情だ。
当たり前と言えば当たり前だ。領土が4倍になったのだから。
Tips:『領土4倍』……境界線条約により、レベル3まで、現実世界で領土と見なした座標レイヤーをそのまま領土として扱えると言う条約は、事実上世界中の国の領土が4倍に増えたことを意味している。
日本なら日本列島が3個増えたって意味になるのだから。おまけに領海部分もついてくる。
「けれど、ダンジョンに入るには凄いカネがかかる。黎明期なんかロケット打ち上げより安いなんて当たり前みたいに言われていたんだ。
1キログラム打ち上げるのに100万円するって世界での安いだぞ?」
当然のように発生するのはいわゆる人員不足。
「元々自衛隊も警察も下手すりゃ地方のお役所全てが元々人手不足だ。だって言うのにいきなり担当区画が4倍になる。管理出来ると思うか?
一応言っておくが、深刻度の違いはあれど、何処の国も人手不足で管理出来てないのは同じだぜ。ロシアなんか戦国時代やってるしアメリカは西部劇時代に戻ったって有名だしな」
それが、ダンジョン。投入コスト、つまり入場料は膨大で、初心者が1回潜る程度なら大赤字だが、ちゃんと準備をした上で2~3回潜れば黒字に出来る世界。
一攫千金を夢見るアウトローはもちろんの事、なけなしのお金かき集めて突撃する輩、そしてこちらの世界に色々な意味で居場所の無い連中の最後の世界。
アバター故に死亡リスクが少ないが故にそういった人々が流れ込んでいる。
「管理出来ない領土なんて、無法地帯も同然だよ。必死に最低限の法秩序こそ維持しているが、結局日本国民の皆様の良心のおかげでしか無い」
『長谷川』はそう言いながら、自分のスマホを見る。予定時間だ。
対象となるブラック企業は『代々木ダンジョン村』の『東部区画』に存在する2階建てのプレハブ建築。
そこはちょっとした町工場も兼ねているという。前情報だけで早速怪しくなってくる。
「プレハブで危険作業をやってるとして、もしも火を扱う作業なら火災の原因だな。消防の連中と一緒に踏み込むか」
と、そこに『長谷川』の顔見知りを発見し、彼女に話しかける。美人の女性2人組で、『川上』の知らない人たちだった。
「おや、あっ、どうも村井さんお久しぶりです」
「長谷川さんも?」 「ええ、労働基準監督署がこんなものもって何だってんだってたまに思います」
その美人さんたちも役人、つまりは私服警察官なのだという。彼らの行き先も決まっている。県下最大のダンジョン村、『代々木ダンジョン村』。
かくして、行政連合はダンジョン、『ディープ・フロンティアスペース』の『第1階層』の『代々木ダンジョン村』へと。