満月の夜に
「うー、寒い。」
「だから言ったじゃないですか、寒いからやめときましょうって。」
「えー言ったっけー?」
「言いましたよ。強く!!」
ルームメイトのハナさんに誘われて、お月見をするために近所の芝生のある公園にやってきたはいいものの、あまりの寒さに満月どころではなくなっていた。私は本当に断れば良かったと後悔していたが、時すでに遅かった。
ハナさんは私と肩を組みながら、左手でビニール袋をくるくると回していた。あぁ、その中には先ほどコンビニで購入した団子が入っているのに。食べ物が入った袋は大事に扱ってほしい。
「とにかく月を見ながら、団子を食べたい気分だったんだよ。この欲求は誰にも止められないのである!」
「そんなこと別にアパートのベランダからでもできるんじゃ?」
「このあんぽんたん!!ポカンっ!」
ハナさんはポカンと言いながら、私の頭を叩く。口ではポカンと言っているが、実際にはドカン!くらいの衝撃があった。
「痛っっ!このバカハナ!やりやがったな!」
「うるせー!捕まえてみろ!」
そう言ってハナさんは私から走って逃げていった。芝生をおよそ成人女性とは思えないスピードで走る様は、夜中でなければ通報されているであろう異様さを感じた。
〜〜〜
しばらく芝生の上をチェイスしていた私たちは、すぐにお互い体力の限界を迎え、芝生の上にゴロンと横たわっていた。
「はぁ、はぁ。月、綺麗ですね。」
「だ、だろう?はぁはぁ。こう、運動した後の見上げ月は綺麗なんだよ。はぁ。それを伝えるためにわざと運動させたのさ。」
「もう疲れて突っ込む気にもなりませんよ。」
「満月はいいなー、やっぱり。」
「…。」
私は知っていた。満月は昨日であると。今日の月は正確には満月ではない。少し欠けた月だ。確かに綺麗ではあるが、よーく見ると満月ではないのだ。私は、そのことをいつハナさんに伝えてからかってやろうかと画策しているのだ。ふふふ。抜群のタイミングで言ってやるぞ。
「月にさ、うさぎがいるって言うだろう?」
「うさぎ?あの餅つきしてるやつですか?」
「そうそう、あいつら餅つきしてばっかで餅食ってるところ見たことないよな。」
「まぁ、確かに。でも、あれは月の影の模様ですから。」
「つまらない事を言うな、君は。だからモテないんだぞ?」
「んなっ!!」
モテないのはハナさんも一緒でしょう!と喉元まで出かけたが、その言葉を言う前にハナさんが続けて話す。
「あれはさ。うさぎは知らないのさ。餅が食べ物だって。うさぎは餅をつくのが楽しくてしょうがないんだよ。それが月で唯一の娯楽なんだ。」
「月に娯楽が餅つきしかないんじゃ、アポロ11号も行った甲斐がないですね。」
「ははっ!確かに!でも、アポロ11号はすごいものを持ち帰ったのさ。」
「え?なんですか?」
「これがそのうさぎがついてた餅さ。」
ハナさんはそう言ってビニール袋をガサゴソとして、中の団子を取り出した。ハナさんは一本を早速頬張り、残りの一本を私に渡してくる。
「ほうれ、うまいぞ。月のうさぎに感謝して食えよ。」
「月のうさぎさん、ありがとう。日本のコンビニに団子を送ってくれて。」
運動した直後の団子は少し喉につかえたが、甘さが体に染み渡って最高に美味しかった。
「いやぁ、団子はうまいし、月は満月で綺麗だし最高だ!」
ハナさんはあっという間に団子を平らげて、芝生に大の字で寝っ転がって背伸びをしていた。それを見て、私ははっと思いついた。満月ではない事を指摘するならば今なのではないか?よし。私は寝転がって体をゴロリとハナさんの方に向けて話しかけた。
「ハナさん、さっきから満月満月って言ってますが実はーーー。」
「あ?!え?!なんだ??」
私がニヤニヤして話しかけた瞬間、ハナさんが怪訝な顔で鼻をスンスンと鳴らしながらキョロキョロと見回しだした。
「なんですか?どうしたんですか?」
「いや、なんか臭くないか?犬のしょんべんみたいな臭いが…。」
「え…??」
そして、私は右肩のあたりに違和感を覚える。先ほどハナさんの方に向き直ってから、右肩あたりが湿っている。まさか…。恐る恐る臭ってみるとーー。
「臭っっ!最悪!これ犬のおしっこなんですか?」
「この辺りは犬の散歩する人も多いからね…。ご愁傷様…。」
「もーう!ハナさんが、月見しようなんて言うから!」
「ごめんごめん!でも私に良いアイデアがあるよ。」
「なんですか?」
「ほうれ。」
そう言うと、ハナさんは手を空高くに上げて、月を摘むようなジェスチャーをし、そっと月を絞るのだった。
「…。なんですか?それ?」
「犬のしょんべんはアルカリ性だから、酸性のレモン汁をかけると臭いを中和できるんだよ。」
「月がレモンに似てるから?」
「そう。えへへ、どうかな?」
気まずそうに笑うハナさん。私はそんな彼女に右肩を近づけながら迫る。
「中和されたなら、私の右肩臭えやー!」
「わー!逃げろー!」
結局ハナさんの月レモン汁では、私の右肩の異臭は中和されずに臭いを撒き散らし続けるだけであった。
〜〜〜
私はスマートフォンで動画を見ながら、ハナさんとのことを思い出していた。一緒に住んでいた時期、あの頃は毎日が騒がしかったけど、毎日がキラキラと輝いていたな。
ふと部屋の窓から空を見上げる。そこにはまんまるのお月様が光り輝いていた。
ーー綺麗な満月だなぁ。
そう思っていると、テレビから天気予報の音声が流れてくる。
『明日は満月になる模様です。気温も低すぎず過ごしやすく、絶好のお月見日和になる模様です!』
ーー今日満月じゃないんかい!
あの日のハナさんとの同じ勘違いをしながら、私はあの日のハナさんのように月に手を伸ばしてみる。月を指先で捕まえて、キュッと絞る。こうすることで、私はいつでもあの日の甘酸っぱい香りを楽しむことができる。
ーーハナさん元気にしてるかな。
私の右肩は月の匂いに中和され、もうあの日の臭いはしなくなっていた。