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悪魔の血

三年前の今日、爽は最後尾窓際の特等席で頬杖をつきながら、窓の外から覗く鱗雲が漂う碧天を眺めていた。冷ややかな秋風が肌に触れ、少しだけ窓が開いていることに今更ながら気づく。爽は窓を閉めるためによいしょ、と腰を上げると、中庭を覆う緑色が見えた。


中庭は北校舎と南校舎に挟まれた小さな庭で、思い思いに樹木が伸びて、猫の額ほどの広さの、鬱蒼とした森林のようになっている。外からは人の姿が見えないので、内緒話をするのに格好のスポットである。


しかし、爽がいる場所から見下ろすと、ちょうど葉の重なりが薄くなっており、人の姿を認識できた。


(あの人、一人で何してるんだろう…?)


大抵、中庭には人目を忍んで睦み合う男女が度々やってくる。それなのに、現在見受けられる女子生徒は一人きりだった。周囲に人がいる気配もない。爽はなんだか気になって、しばらく窓際の手すりに両手をかけて、彼女の様子を伺っていた。


(鼻を啜ってる…泣いてるのかな。)


しばらく見つめて、爽は違和感を覚える。鼻を啜っていると思っていたのだが、その仕草がどうもおかしいのだ。右手で鼻を隠すようにして、左手で鼻の根っこを摘んでいる。さらに鼻の上には、内部に透明のものが含まれるビニール袋が載せられていた。


(もしかして…鼻血?)


その考えが思いついた後は、もう他のアイディアは思い浮かばなくなってくる。だが、だとしたらなぜ、あんな人目のつかない場所で止血をしようとしているのか。


(まるで、誰にも血を見られたくないかのような…。いや、普通に鼻血出てるとこを見られたくないだけか?)


普通ならば後者を真っ先に思いつくものだが、爽が前者の考えを想像したのは、爽自身がそうだからである。爽が鼻血を止める時の仕草が、彼女ととてもよく似ていたのだ。


ある一抹の不安と期待を抱いていると、その時、中庭へ足を踏み入れようとする男女の姿が見受けられた。中庭にいる彼女はその二人に気づいていない模様。


(…っ!)


爽は途端に多大なる恐怖に襲われた。もしも爽の抱いた考えが正しければ、人に今の姿を見られたら最後、二度と学校には戻ってこられないだろう。


爽はかられる憂惧に従うまま、体をつき動かしていた。教室から出ようと振り向くも、すぐに動きを止め、振り向き直ると、逆方向に向かって飛び出した。教室内から悲鳴が聞こえる。だが、知ったことではない。幸いにも爽の教室は二階にあった。窓際の壁を蹴って、目の前に映る中庭へと飛び込む。


爽の身体能力、体の頑丈さを考えればなんてことなかった。爽は生まれつき〝尋常でない〟のだから。


スタッと華麗なフォームで着地し、先ほど上から見ていた彼女の方へと視線を向ける。


すると、彼女は豆鉄砲を喰らったような顔をして、その場に硬直していた。その衝撃で、鼻を隠していた右手が外れている。爽は血で汚れた鼻元を見て、爽の思考は正しかったと知る。やがて彼女は我に返り、すぐさま鼻にティッシュをあてて、一目散に爽の横を走り過ぎて行こうとする。そのスピードは想定通り人並みでなかったが、この人種の中でも、特に運動神経に優れて生まれてきた爽にとっては、むしろ遅いくらいである。


爽は素早く右にスライディングし、去ろうとする彼女の体に体当たりするようにして動きを止めた。腕の中の彼女は、眼前で起こった衝撃の出来事に、瞠目して完全に思考を止めているようだった。驚いている所以は、爽のずば抜けた運動神経故の一連の行動ではない。その運動神経を生み出す〝人種〟と遭遇したことに目を見張っているのだ。


「人が来てる。けど、先客がいるって分かったら退散するはず。僕の腕の中にいて。」


爽の呼びかけに、彼女はやっと表情を動かして、恐怖の文字を瞳に映してこくっと頷いた。爽はわなわなと震える彼女を腕に抱き留めた姿勢のまま、暫時その場から動かなかった。


すると、先ほど上から見下ろしていたカップルの足音が聞こえてきて、はたと止まる。そして足音が遠ざかり、早々に退散していった。足音が完全に聞こえなくなり、爽は彼女の背中回していた腕を退ける。


「大丈夫?」

「…うん。」


彼女は徐に頭を上げて、初めてその顔が顕になった。すると、これまた爽の想定通り、彼女はこの世のものとは思えないほどの、人形めいた美しさを放っていた。その形の良い鼻から、つー、と一筋の〝黒い血〟が垂れる。


「あ、まだ鼻血止まってなかったの?」

「ごめんね、さっき止まったんだけど…びっくりしたからかな。また出てきちゃった。ごめん、すぐ止めるね。」


しかし爽は光を吸い込むような暗闇色をした血に対して、一切動揺を見せない。当然である。爽もまた、この〝黒い血〟、通称〝悪魔の血〟を受け継ぐ人種〝悪魔の子孫〟なのだから。彼女は暫時鼻血を止めるのに集中して、落ち着いてきたのか、爽に言葉を投げかける。


「あの…えと、助けてくれて、本当にありがとうございます。私、中学一年生の優谷華乃と申します。あなたも…私と同じ方?」


同じ方、は同じ種族の方、を濁したのだろう。


「どういたしまして。敬語はいらないよ。同い年だから。僕は涼風爽。うん、僕も同じ。」


既に確信していただろうが、爽がはっきりと〝悪魔の子孫〟であると口にすると、彼女の強張っていた表情がふわっと柔らかくなった。へにゃ、と目尻を下げて安心し切ったように口角をあげた華乃は、爽の瞳にとても魅力的に映り、意表をつかれてドキッとした。爽はゴホンと咳払いをして、口を開く。


「それにしてもこんな珍しいことも起こるんだね。まさか同じ学校にいるなんて。」

「そうだよね、私もびっくり。私、同じ種族の人に会うの初めて。親も会った事ないし。今のご時世、見つかったら即殺されちゃうし、いくら能力が優れてても割に合わないよ…。」


爽も全く同意見だった。それに、初めて自分と同じ種族の人と会話することができて、爽は内心舞い上がっていた。


そもそも〝悪魔の子孫〟とは、大昔、とある人間が悪魔を召喚し、願いを叶えてもらった代償に血の色が変えられた、という言い伝えが残っている。悪魔なんて非科学的で信じがたい話だが、実際に現在でも〝悪魔の血〟は遺伝されているのだから、もしかすると存在したのかもしれない。


その伝承では、彼は悪魔に学習面、運動面、容姿等、様々な面で優れた人間になりたいと願った。願いは受諾された代わりにこの血の色へと悪戯されたわけだが、その力は彼の子孫にまで影響した。学習能力や運動能力、容貌や画力までもの習得スピードが尋常ではないのだ。無論、多少の努力は必要であるが。当然の事ながら、人々は〝黒い血〟を求めた。


しかし、ここで問題は起こる。悪魔の血を継ぐ一人の人間が、何らかの所以で激情に駆られた。その時、彼の周辺が黒いもやで覆われ、瞬く間に全てを建物や植物、人間までも全てを破壊し、殺害したのだ。悲劇はそこで留まらなかった。彼を皮切りに、激情に苛まれた〝黒い血〟を継ぐ人々が同様にあらゆるものを破壊した。


それからというもの、世間は一変して〝黒い血〟を流すものを軽蔑し、処刑していった。この頃から、〝黒い血〟を持つ者は〝悪魔の子孫〟、持たない者は〝天使の子孫〟という称号で差別された。現在も〝悪魔の子孫〟は見つけ次第捕まり、処刑される。


その為、爽や華乃達は産まれてすぐに両親と引き離され、〝悪魔の子孫〟の肩を持ってくれる〝天使の子孫〟の養子になるのだ。元々人口が少ない上に身元を偽って生きている為、〝悪魔の子孫〟は基本的に自分以外の〝黒い血〟を見た事がない。爽や華乃のように、偶然互いに素性を共有するのは奇跡のような事象だ。


「激情に駆られると周囲の全てを破壊する…って伝説に残ってるけど、そんなこと今となっては怪しいよね。〝悪魔の子孫〟の始まりと同じように、もはや伝説だよ。誰も黒いもやを出した人なんていないのに。」


爽は〝悪魔の子孫〟のルーツ、そして現在に至るまでの歴史を遡った後、そう口にした。


「うんうん。てか、数年前まではこの種族の人がよく処刑されてニュースになってたけど、最近見ないね。皆上手く隠れてるのかな?」


(もしくは…処刑されすぎて、数が極端に減ってるか。元から〝悪魔の子孫〟って人口が少ないんだから、もうあと数人しか残っていなくても、おかしくはないよな…。)


爽は華乃の発言に、心中でそう呟くが、流石に不謹慎なので口にはしない。実際には、きっとそうだよ、と明るく返事をした。

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