勉強の場合
それからちょうど二年の時が経過し、中高一貫校に通っていた爽と華乃は、中学二年生から高校一年生になっていた。
「「「涼風くん、優谷さんと付き合い始めて二年目の記念日、おめでとう!」」」
翌朝、爽が教室のドアを潜ると、数人の女子達から囲まれた。
爽は二年前から成長し、背は高く伸び、制服から覗く身体の各所がかくばっていた。顔も精悍で爽やかな青年の印象を与える。爽はその端正な見目と相応に、学年の女子達、いや、全校生徒の女子達からモテる。ただし、全女子にウケがいいというわけではない。それは普段の爽の態度に由来するものだ。
「ありがとう。邪魔だから退いてくれる?」
爽はお礼を述べてから、本音を冷淡に伝えると、彼女達の間をすり抜けて自席へついた。しかし、爽が明らかに悪い印象を与える態度をとっているというのに、先程の女子の集団は黄色い歓声をあげている。耳を澄ますと、なんとまあ爽が謝礼の言葉を述べたことが珍貴らしい。
朝だけの一連の言動からも読み取れるように、爽は人との関わりを好まないのだ―ただ一人を除いて。出来るだけ目立たぬよう、ひっそりと生きていた。そういう所以で、無論万人受けはしないが、クール系を好む一部の女子層から絶大な人気を得ていた。
「あ、爽くん! おはよう〜。」
爽が荷物を机の横のフックにかけていると、前方からウェーブのかかった髪を揺らして華乃が駆けてきた。華乃は二年前より身体に丸みを帯びていて、より女性らしく、誰もが振り向くような美女へと成長していた。途端、無表情だった爽の表情が打って変わって柔らかくなる。周囲から黄色い声が聞こえてきた気がするが、空耳だと思っておく。
「おはよう、華乃。今日も可愛いね。愛してるよ。」
爽はさらりと朝の挨拶と共に華乃を褒め、さらに愛の言葉を並べる。
「ふふ、ありがと。私も大好き。」
対する華乃は特段驚いた様子もなく、ふんわりと大輪のように微笑んでそう返した。
なぜなら爽は毎朝、いや隙さえあれば華乃に愛情を伝えるからだ。すっかり日常茶飯事となってしまったが、爽の華乃への感情は嘘偽りないものだ。大衆の面前で当たり前のようにそんな会話をするので、元より容姿の優れた二人は言うまでもなく注目される。今や全校生徒で有名なおしどりカップルで名が知れている。華乃は爽とは違って人当たりが良く、誰に対しても隔たりなく優しいため、特定の層にしか需要のない爽の何倍もモテる。
キーンコーンカーンコーン
ホームルーム開始のチャイムが鳴り、暫時の後、担任が入室してきた。華乃はその間に自室へと舞うように帰って行く。爽の瞳には華乃の仕草一つ一つがたおやかに映り、うっとりしながら頬杖をついていた。日直が号令をかけて、再び席に着く。そして、担任が大きく声を張り上げた。
「今日はこの間受けた中間テストの成績表を返却するぞー。」
その声に、あちこちで喋り声が聞こえ、一斉にクラス中が騒がしくなる。
出席番号順に成績表を受け取り表を返すと、点数は五百点満点で四百九十二点、学年順位二位、クラス順位二位という文字が記載されている。なんてことない、想定通りの結果である。
爽は既に友人に囲まれていた華乃の元へと駆け寄る。爽がやってくるのを見て、彼女らは爽が苦手なのか、早々に引き返して行った。
「爽くん、どうだった? 私と何点差?」
すると、華乃が顔を上げてそう尋ねてきた。普通ならば何位か聞くものだが、彼女の問い方は特殊だ。それもそのはず、華乃は爽の順位など聞かずともわかっている。又、爽も華乃の順位、そしても点数までも把握している。
「数学で六点、化学で二点落としてるから、八点差。華乃は聞くまでもないけど全科目満点でしょ?」
爽が念の為確認すると、華乃はいつも通りの微笑で頷いた。
そう、爽や華乃にとって、群を抜いて成績が良いのは当たり前なのだ。決して高慢なわけではない。世界の理屈的に、〝そうでなければおかしい〟のだ。
「華乃〜! 私、華乃のおかげで一桁入ったよ! 本当にありがとう!」
華乃の背後から彼女の友人が抱きついてきた。
「えぇ、ほんと? よかったね! 私も役に立てて嬉しい!」
華乃は彼女と抱き合って喜ぶ。
(役に立てて嬉しい…か。やっぱり、僕には理解できないな。そもそも僕らには、他人と交流する利点なんてないのに。…でも、それが華乃の魅力の一つなんだよな。)
爽は心中で密かにそう漏らしてから、
「〝華乃のおかげ〟って、何かしたの?」
爽が華乃に向けて尋ねた。すると、予想外にも華乃の隣にいた友人が代わりに答える。
「ああ、そうなの。実は華乃、私のために勉強会開いてくれたんだ。何日も付き合わせちゃってごめんねー。でも、そういう華乃はいつも通り―、」
「うん…全教科満点。」
「うわ〜、その申し訳なさそうな微笑がまた憎たらしいわ〜。私賢くてごめん的な? ま、もちろん冗談だけどね! 華乃はそうでなくっちゃ! 本当にありがとうね!」
友人は冗談めかしてそう言い、再び華乃に強く抱きついてから、自席へと帰って行った。
(賢くてごめん…か。)
しかし、爽は知っている。華乃が申し訳なさそうな微笑を浮かべる、その本当の理由を。友人に手を振る華乃に、爽は先程思っていたことを、そのまま尋ねてみる。
「前にも聞いたことがあっただろうけど…華乃はなんでそんなに他人に親切に出来るの?」
「なんでって…困っている人がいたら助けたくなるのは当たり前でしょう?」
爽の質問に、絵に描いたようなお人好し、優等生然とした模範解答が返ってくる。
「〝普通の人〟ならその回答で納得するけどさ。僕らは普通じゃない。他人と仲良くして、いいことなんて何一つないよ。」
「爽くんの言うことは一理あると思ってる…というか、それが正しいんだと思う。だけど、私は今の自分の在り方が好きなの。」
そう主張して相合を崩した華乃は、いつも以上に華やかで、輝いて見えた。