第8話
ジャケットを身にまとい、セクオールにつられて謁見の間の扉の前までやって来た。
召喚された時とは打って変わり、扉の向こうから張り詰めた空気が伝わってくる。
厳格で格式ばった雰囲気、式典が始まる直前の空気だ。
隣ではセクオールが自分の鎧をひとつひとつ丁寧に確認していた。無礼のないようにということだろう。
(ネクタイは、ずれてないよな......)
圭介も窓ガラスに映る自分の姿を覗き込み、ネクタイの位置を細かく直す。
一度気になると、どれだけ整えても気が済まない。少しでもズレて見えると、それだけで不安になる。
「緊張するお気持ちは分かりますが、大丈夫。あまり気張らず、自然体でいてください」
セクオールが優しく声をかける。
圭介は胸に手を当て、深く息を吸い込んだ。ゆっくり、そしてもう一度。
緊張をほどくように何度か深呼吸を繰り返す。
ここまで緊張するのはいつ以来だろうか。
思い返すのは、かつて受けた会社の面接。そのときも手汗が止まらなかったが、今はそれ以上だ。
──比較にはならないな。
会社の面接は人生の岐路だったが、今回は世界の運命が掛かっていると言っても過言ではないだろう。
「──時間の様ですね」
セクオールの言葉と同時に、謁見の間の扉がゆっくりと開かれた。
扉の先には、玉座まで一直線に伸びる深紅の絨毯。
その両脇には、豪奢な装飾を施された燭台がずらりと並び、柔らかな炎が荘厳な空間を照らしている。
以前、自分が召喚された時にはなかった来客用の席も整然と並べられていた。どれも一目で高価だと分かる造りだ。
その席には、中世の貴族を思わせるような豪華な衣装をまとった人々が座っている。
中には少し異質な服装の者も混ざっており、他国からきている来賓もいる。
「勇者殿、こちらへ」
セクオールが玉座の方へ向かって右腕を差し出す。
どうやら、先頭を歩けということらしい。
勇者の儀と呼ばれるほどの式典なのだから、主役である勇者が先頭に立つのは当然。頭の中で理解はしても、心はついてこない。
圭介は一歩、謁見の間に足を踏み入れた。
深紅の絨毯の上を歩き、並べられた来客用の席の前を通り過ぎると、周囲の来賓たちが次々と立ち上がった。
(何だこの感覚......)
世界の中心に放り出されたような気分だ。
全身がこわばり、心を落ち着ける要素がどこにもない。
玉座に近づくと、圭介の足は自然と止まった。
「待っていたぞ、勇者よ」
「ああ......どうも......」
圭介は軽く会釈を返したが、その視界の端に紙を手にした男性が歩み寄っているのが見えた。
「これより──勇者の儀を執り行います!」
張りのある声が謁見の間全体に響き渡る。どうやら、この人物が式典の司会進行を務めるらしい。
ついに始まるかと思うと胃が重くなる。早くなった鼓動が耳に響くほどだ。
「初めに、我らが王──イニティウム王国、現国王ドルムス・クレーデス陛下より、お言葉を賜ります!」
司会の合図に応じて、王が静かに玉座から立ち上がった。
その姿は高齢ながら、背筋は見事に伸び、動作に一切の迷いがない。ただ立っているだけで、謁見の間全体に凛とした緊張感が走る。
「この世界に、再び魔王が顕現した。かつて現れた魔王もまた、その禍々しき力を持って森羅万象を蹂躙し、大地は焦土と化した。最後に魔王が現れしは、今より六十五年前──。幼き日の我が目にも、その惨禍は余すことなく焼き付けられている。されど、いかなる時代にも必ず希望は芽吹き、勇者が立ち上がりて魔王を討ち果たしてきた。そして今また、この混沌の世に、魔王を討ち滅ぼすべく勇者が、新たに誕生したのである」
王は肘を伸ばし、静かに手のひらで圭介を指し示す。
「新たに誕生せし勇者は、ケイスケ・アマノ。この世界に生きるすべての民を代表し、そなたに一つの願いを託したく思う。魔王より、この世界を、我らの未来を守ってはくれぬか」
王の言葉が謁見の間に響き渡ると、来賓含むその場の全員が圭介へと視線を向けた。
その目に宿る感情までは分からないが、この場にいる誰もが、王と同じ願いを抱いているような気がした。
魔王というものに現実味はない。
ただ『勇者の祝福』を宿しただけという一般人に、これだけの信頼を寄せている。
期待と重圧が入り混じったその空気を、圭介は肌で感じていた。
だからこそ、裏切るわけにはいかない。
「は、はい。全力で務めさせていただきます」
務めるという言葉がこの場において正しいかは分からない。
それでも、今の自分にできる最大限の誠意を込めて、そう答えた。
「その言葉を聞けて、良かった」
王は静かにうなずきながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「続きまして、かつての勇者が身に着けていた装備、そして聖剣レクス・ダムナティオの贈呈です」
司会の声に応じて、全身を重厚な甲冑で包んだ騎士が二人、謁見の間の奥から静かに姿を現した。
一人は、白を基調とした気品ある装備を両手で捧げ持っている。
もう一人は、一目で只者ではないと分かるほどに精巧に造られた剣。明らかにセクオールから借りたあの剣とは別格の代物だ。
二人の騎士は圭介の前まで進み出ると、ゆっくりと跪き、それぞれの装備と剣を差し出した。
「えっと......ありがとうございます」
思わず少し気圧されつつも、圭介は礼を述べ、ますは装備を手に取った。
広げてみると、上半身は白を基調に、金色の装飾が繊細に施されている。まるで儀礼服と戦闘服が融合したかのようなデザインだ。
下半身は黒を基調としたズボンで、スーツとはまったく異なる素材の質感。そして足元は膝まで覆う、堅牢かつ洗練されたブーツ。
「それでは、勇者殿。失礼いたします」
装備を手にしていた騎士が立ち上がり、圭介に向かって両手を差し出す。
その瞬間、眩い光が溢れ出し、圭介は反射的に目を閉じた。
「うっ......!」
数秒後、光が収まりはじめ、ゆっくりと瞼を上げる。
すると、目の前にはさっきまで自分が着ていたスーツが、騎士の両手の上に乗っていた。
「......嘘、だろ!?」
圭介は慌てて自分の体を見下ろす。
白と金を基調とした勇者の装備が、隙なく全身を包んでいた。
着替えた覚えは一切ない。だが、確かに身についている。
これも祝福の力なのだろう。そう、納得するしかない。
次は、聖剣レクス・ダムナティオ。
自身のステータスが書かれている名刺には、こう記されていた。
この祝福を宿した者は、『聖剣レクス・ダムナティオ』を使用する資格を得る。
圭介はゆっくりと剣に手を伸ばし、その柄を握った。
聖剣は金色を基調に、ところどころに紫のラインが走っている。
聖剣に紫は合うのかと思ったが、目の前の聖剣は不思議と神秘性と威厳を兼ね備えており、違和感はすぐにかき消された。
鞘から剣を抜くと、圭介は思わず息を呑んだ。
──重くない。
目に見える重厚さとは裏腹に、手に伝わる重さはほとんど感じない。
まるで自分の腕の延長のような、しっくりとした感覚だった。
刀身はまるで鏡のように澄んで輝き、刃先には凄みすら宿っている。
見るだけで、圧倒的な切れ味を備えていることが伝わってくる。
これが、歴代の勇者が手にした聖剣。
その現実が、じわじわと圭介の中に染み込んでいった。