第5話
「こちらが演習場です」
セクオールに連れられ、圭介は演習場へ足を踏み入れた。
演習場の広さは小学校のプールぐらいだろうか。周囲には観客席らしきものが並び、中央から少し離れた場所には王が座るであろう立派な玉座まで設置されている。
しかし、客席にも玉座にも、誰の姿も見えない。
「本来であれば我らが王も直接ご覧になる予定でしたが、あなたに余計な重圧を掛けないよう配慮されたため、見ての通り誰もいません」
(よかった......。誰かが見てたら完全に公開処刑だよ)
何をどうすればいいのかもわからない状態なのだ。王の配慮には感謝するべきだろう。
「それで、『勇者の祝福』を確かめるってどうするんですか?」
圭介が不安そうに尋ねると、セクオールは表情を変えずに答えた。
「かつての勇者たちは皆、魔王を討つほどの強大な力を宿していました。当然、あなたも例外ではないはずです」
「はぁ......そうですかね......」
「実際に戦闘を行い、その力を引き出してみるのが最も手っ取り早い方法かと」
「いきなり戦えってことですか!?」
圭介は慌てて周囲を見渡すが、この演習場には圭介とセクオールしかいない。
セクオールと戦えということなのか。この鎧も武器もガチガチに装備している相手と。
「先に申し上げておきますが、私が相手をするわけではございません」
「じゃ、誰と?」
「あちらと戦っていただきます」
セクオールが指さした先には、巨大な2枚扉があった。重厚な金属製の扉は、まるで牢獄の入り口のように厳重そうだった。
耳を澄ませると、微かな唸り声が聞こえてきた。
1体ではない、少なくとも2体はいる。扉の奥で蠢く何かが確かに存在している。
重厚な扉が開くと、巨大な鉄格子の箱が現れた。
その箱の中には、背丈こそ低いが全身が筋骨隆々とし、緑色の肌をした奇妙な生物が2体収容されていた。
ゲームとかで散々見てきたゴブリンそのものだ。
2体のゴブリンは餌を前にした獣のように目を血走らせ、絶えずよだれを垂らしている。
「あれは我々が捕獲したゴブリンと言われる魔獣です」
どうやらゴブリンと言う名称はこちらでも共通のようだ。
「捕獲してから一切餌を与えていません。極度の空腹状態なので、目に映るものすべてが食事に見えていることでしょう」
「何してるんですか?」
そう突っ込んだが、さっきからゴブリンが放つ殺気が肌を刺す。痛いと感じるほどだ。
奴らの右手には無骨な棍棒が握られている。あれが当たれば痛いでは済まないだろう。
「あれと戦うんですか? 一人で?」
「ええ、でも、ご安心ください」
「安心って......どこに安心する要素があるんですか?」
「素手て戦えとは言いません。この剣をお貸しします」
セクオールは背中に背負っていた剣を圭介に差し出した。
圭介が剣に意識を向けると、またもや空中に説明画面が現れた。
『イニティウム王国・近衛兵の剣:イニティウム王国の近衛兵が使用している剣。扱いやすさと切れ味を重視している。
効果:稀に攻撃の威力が少し上がる』
(イニティウム? 今いる国はイニティウムって言うのか)
聞いたことのない国名だ。
それよりも効果の説明があまりにも曖昧過ぎる。『稀に』というのはどれぐらいの頻度なのか、『少し』もどのぐらい上がるのか。具体的な数字もないのは不親切極まりない。
圭介がじっと剣を見つめているので、セクオールが不思議そうに首を傾げた。
「どうされました? 特別な剣ではありませんが」
「あ、いや、なんでもないです」
「そうですが。では、始めましょう」
セクオールは半ば強引に剣を圭介に押しつけると、軽々と観客席に飛び移った。
(嘘だろ!? 人間ってあんなにジャンプできるもんだっけ!?)
そんな圭介の困惑をよそに、セクオールは涼しい顔で告げる。
「それでは始めます。あなたに死なれては困りますので、死ぬ気で頑張ってください」
死ぬなって言っているのに死ぬ気でやれって、一種のパワハラではないだろうか。
こっちの気を知る由もなく、鉄格子の箱が重い音を立てて格子の部分が地面に倒れた。
圭介が視線を向けた瞬間、箱から腹を空かせたゴブリンたちが解放されていた。
「冗談きついだろ......」
圭介も慌てて剣を構えたが、引け腰のせいでまったく様になっていない。
ゴブリンたちは唸り声をあげながら、じりじりと距離を詰めてくる。
その強烈な殺気に押され、圭介は無意識のうちに後退していった。
「ギャオォォォ!」
ゴブリンが耳障りな雄叫びをあげ、圭介へ襲い掛かってきた。
応戦しなければ殺される。頭の中では理解しているが、腕も足も、全身が恐怖で震えて思うように動かせない。
目の前でゴブリンが棍棒を振りかぶった。
(やばい、このままじゃ本当に殺される!)
「くそがぁ!」
衝突の直前、圭介は必死に剣を掲げて防ごうとした。しかし、凄まじい衝撃が剣ごと圭介の体を弾き飛ばす。
ろくに運動していない体が、ゴブリンの攻撃に耐えられるはずがない。たった一撃で、圭介はそれを悟ってしまった。
「ギャアアァァ!」
尻もちをついた圭介に、ゴブリンたちは攻撃の手を緩めることはない。
圭介は慌てて立ち上がり再び剣を構えた。
だが次の瞬間、ゴブリンの棍棒による力強い一撃によって圭介の剣は遠くへ弾き飛ばされてしまった。
「やべっ!」
剣を失ったことで、攻撃手段どころか防御手段も失ってしまった。
その隙を逃さず、ゴブリンが勢いよく棍棒を横薙ぎに振るう。棍棒は鋭い風切り音と共に圭介の無防備の鳩尾に叩き込まれた。
「ぐぅ──!?」
痛みと衝撃で声すら出せず、圭介の体はまるでボールのように宙を舞った。
受け身を取る余裕もなく、無防備なまま地面へと叩きつけられて、激しく転がる。
「ゲホッ! ゲホッ!」
息が詰まり、激しくせき込んだ。地面に垂れた自分の唾液には、明らかに赤い血が混じっている。
(これは......やばい......!)
体中の内臓や骨が悲鳴を上げ、呼吸をするだけで激痛が走る。
今の攻撃で生きていることが奇跡だ。むしろ幸運だと言えるかもしれない。
ふと視線の先を見ると、地面に叩きつけられた衝撃で落ちたのだろうか、自身のステータスが書かれている名刺が目に入った。
『HP:50/150』
(たった一撃で100も削られたってことかよ......)
HPがゼロになったらどうなるか。考えるだけで恐ろしい。
「ギャア......ギャア!」
力を振り絞り、首だけ何とかゴブリンの方へ向ける。ゴブリンたちは既に棍棒を手放し、大きく口を開けながら圭介ににじり寄っていた。
(こいつら、俺を食おうとしているのか......!?)
瀕死の獲物を前にして、攻撃することすらやめ、本能のまま食らいつくことしか考えていないようだ。
一匹のゴブリンが「いただきます」とでも言うかのように、勢いよく飛び掛かってきた。
(殺される!)
圭介は本能的に這いずってでも逃げようと地面を掻きむしった。その時、右手に何か固い感触が伝わった。
弾き飛ばされた剣だ。幸か不幸か、再び抵抗する手段が手の中に戻った。
「うおぉ!」
圭介は無我夢中で剣を掴み、勢い任せに身体を捻りながら振り抜いた。
「ギャッ──!」
偶然にも剣先はゴブリンの首元を深く切り裂き、ゴブリンの体は空中で崩れ、圭介の体に覆いかぶさるように倒れ込んできた。
今の圭介の状態ではゴブリンの重さでも、まるで巨石がのしかかっているかのように息苦しさが倍増した。
倒れ込んだゴブリンの顔がすぐ真横にある。すでに息絶えているはずだが、まだ鋭い牙をギラギラと覗かせており、それが余計に恐怖を煽った。
(こんなのに噛まれたら、一瞬で終わりだ......)
そんなことを考えていた瞬間、頭に衝撃が走った。
いや、これは衝撃ではない。何かが脳の奥へ直接流れ込んでくるような、奇妙な感覚だった。
『レベルが2に上昇しました。各ステータスが上昇しました。スキル「ファイア」を習得しました』
(何を言ってるんだ、今はそんな場合じゃない......!)
もう一匹のゴブリンが、いまだにギラついた目を向けている。
圭介は動揺を振り切り、片手で重くのしかかるゴブリンの死体を何とか押しのけ、ふらつく足で立ち上がった。
身体中に激痛が走るが、立ち上がるだけの力は残っているらしい。
残ったゴブリンは、飢えた獣のように牙をむき出し、口を大きく開けて圭介を貪り尽くそうとじりじりと距離を縮めてきている。
「そういえば......さっき『ファイア』を習得したとか言ってたな......」
圭介は震える左手をゆっくりとゴブリンへと向けた。
さっき頭に直接流れ込んできた謎のメッセージ。それが現実であるのなら、この状況を切り抜ける唯一の手段になるはずだ。
「頼むぞ......! ファイア!」
叫ぶように唱えた瞬間、左手から赤く眩い光が放たれ、火炎放射器のような猛烈な勢いで火球が飛び出した。
その反動はあまりに強烈で、弱っている圭介は耐えきれず再び尻もちをついてしまう。
「う、嘘だろ......? 本当に出た......それに全然熱くない!」
圭介は驚愕しながら自分の左手を凝視した。火球を発射したはずなのに皮膚には一切の火傷も熱も感じない。
一方、火球をまともに食らったゴブリンは演習場の壁まで吹き飛ばされ、そのまま火だるまとなって激しく燃え上がる。絶叫と共に苦しそうに暴れたあと、やがて動かなくなった。
圭介は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
「ハハ、今のが『勇者の祝福』ってなら、優しくない能力......だ......」
圭介は力尽き、意識を失った。