第18話
路地での戦闘を終えた圭介たちはディスティン川を越え、しばらく歩いた先の宿に身を寄せることにした。
昨日まで泊まっていた宿は、あのザビエンの助言で選ばれたものだった。そのため、もし奴に動向を読まれていれば、すでに居場所がバレている可能性がある。人通りの多い通りに面した宿ではあるが、堂々と襲いかかってこないという保証はどこにもない。
だから宿を変えたのである。そして今回も部屋は一部屋だけだ。
「いやいやいや、さすがに男女混合の一部屋は問題あるだろ!?」
当然、圭介は全力で反対した。
男一人に対して、女性二人。どう考えても世間体的にアウトである。現代日本基準で言えば、だが。
だが、セクオールはきっぱりと返してきた。
「固まっていたほうが何かあったとき対処がしやすいです。リペラさんもいる訳ですし」
その理屈には、ぐうの音も出なかった。
問題は、もう一人の女性リペラである。
圭介があれこれと世間体やら体裁やらを考えていたその横で、彼女はにこにこと笑いながら、信じられないようなことを口にした。
「お泊り会みたいなの、一回もしたことないから楽しみなんですねよ~!」
あの路地裏でガクガクブルブル震えていた少女とは思えないほどの能天気っぷりだった。
重苦しい空気を軽くしてくれるのはありがたい。だが、なにかこう色々と振り回されそうな気がしてならない。
宿の部屋は、まさにシンプルの極みだった。
必要最低限の家具、そしてベッドが三つ。飾り気は一切ないが、一晩を明かすには十分すぎる設備が整っている。
圭介は部屋に入るなり、腰から聖剣を外し、そっと部屋の隅へ立てかけた。
その瞬間、ふぅ……と、思わずため息が漏れる。
聖剣自体は重さを感じない。持っていても疲れはしないし、身体に負担がかかることもない。
けれど、それとは別に、心のどこかにずしりとのしかかる「責任」という重み――勇者として背負わされたものは、剣を外しただけで少し軽くなったように思えた。
リペラはベッドにダイブすると、ふかふかの感触を楽しむように転がった。
一方で、セクオールと圭介は無言のまま椅子に腰を下ろす。短い静寂が訪れたが、それを破ったのはセクオールの真剣な声だった。
「一休みしたい気持ちはあると思いますが……状況を整理しましょう」
その声に、ベッドの上でごろごろしていたリペラが小さく「は~い」と返事をし、のそりと体を起こして体育座りの姿勢になる。
表情にはまだわずかに疲れの色が残っているが、目は真剣だった。
「え~と、ザビエンさんについてですよね」
「ええ。奴は明確な目的を持って、私たちを殺そうとしてきました。今こうして生きていることが奴に知られれば、再度の襲撃は避けられないでしょう」
「それに、狼を一匹逃げちゃったそうですし......。もしあの狼も『隷属の祝福』の支配下にあったなら、もう今頃、私たちが生きてるってバレてるかも……」
リペラの声には、わずかに怯えがにじんでいた。
「『隷属の祝福』って、この国じゃ監視対象なんだろ? だったら、今すぐ城に戻って報告すればいいんじゃないのか?」
圭介はそう尋ねたが、セクオールは静かに首を振った。
「私も、できることならすぐに報告したいところです。ですが――問題は証拠です。それをどう示すかが、最大の障壁となります」
その答えに圭介は眉をひそめた。確かに、言葉だけでは信じてもらえるはずがない。
「でも、奴隷化には体液をある程度与える必要があるんだろ? だったら、奴が最近になって祝福を宿して獣たちを使役してたとすれば……身体に、何かしら痕跡が残ってるんじゃないか?」
可能性を探るように、圭介の声には希望が混じっていた。しかし、その表情はすぐに曇る。
あの男の振る舞いを思い返せば返すほど、単なる偶然や思いつきではなく、計画的にことを進めていたとしか思えなかった。
「あ~、その亡骸をどうやって運ぶか、だな」
想像してみる──勇者の肩にずるずると引きずられる魔物の死体。街中の人々の視線は、きっと冷ややかで、軽蔑すら込められているだろう。
「勇者が白昼堂々と死体を引きずって歩くとか、民衆からの視線は冷ややかなものになるな」
セクオールがすぐさま補足を入れる。
「王都では人に危害を与える可能性がある生物、特にゴブリンのような魔物は厳重に管理されています。街中に現れることはまずありません」
「それに、仮に城から人を呼びに行ったとしても……戻ってきた時には、死体はきれいさっぱり片付いてる。証拠も何も、残らない。計画的に仕組んでたってわけか。証拠を潰す準備までしっかりと。なんとまあ、小癪な野郎だ」
そういえば、と圭介はふと思い返す。
狼や鷹は現実でも画像や映像で何度も見たことがある。だが、ゴブリンに関しては――あくまでゲームやファンタジーの中でしか知らない存在だ。こっちに来て初めて現物を見たし、まして『魔物』なんて言葉、前の世界じゃ使うことなんて一度もなかった。
「……今更だけどさ、魔物って、結局なんなんだ?」
圭介が少し気恥ずかしそうにそう尋ねると、すぐに手が挙がった。
「はいは~い! 説明は私に任せてくださ~い!」
元気よく手を挙げたのは、もちろんリペラだ。目を輝かせながら、教科書でも開くような勢いで語り出す。
「魔物っていうのはですね、今から三百年前に討伐された魔王ドミナが作り出した生物たちの総称なんです。もともとは普通の動物、犬とか猫とか、他にも野生の動物たちだったんですけど、魔王の術で人間を襲うように改造されたんですよ」
そこまで言って、リペラは一呼吸おくと続けた。
「魔王ドミナが倒された後も、魔物たちはそのまま残ってしまって……。普通の生き物と同じで、繁殖して数を増やして、今もこの世界のどこかに存在してるんです」
「なるほどね……つまり魔物って、魔王が残した負の遺産ってわけか」
圭介は腕を組みながら、ふむ、と小さく唸った。
魔物――それはただの野生の脅威ではなく、魔王という存在がもたらした、人間への敵意を受け継いだ存在。
なら、あのゴブリンたちが異様なまでに殺意を持っていたのも納得はできる。
「ってことは、あいつ……魔物を奴隷化したのか? 魔王の術で作られた連中なんだろ? そんなのに効く気がしないんだけど」
「魔物って言っても、あくまで人間を襲うように改造された生物ってだけですから。基本は元の動物と同じなんです」
「改造、ねぇ。いや、でもゴブリンなんか、あれどう見ても動物ってより人間寄りだったぞ? まさか……人間を元に……?」
圭介の声に、ほんのわずかに恐れがにじむ。
だが、リペラはあっさり否定した。
「いえいえ、ご安心を。あれはですね~、文献によるとゴリラを改造したらしいですよ」
「ゴ、ゴリラ……?」
想像してしまった。
筋骨隆々なゴリラが、人間のような手に棍棒を持ち、ニヤリと笑う光景を。
「……最後の一言で、想像以上に怖くなったんだけど」
圭介は肩をすくめ、心底ゾッとしたように呟いた。
「魔物については大体わかったけどさ。王都では厳重に管理されてるんだろ? そんな簡単に奴隷化できるもんなのか?」
圭介の問いに、リペラはどこかもどかしそうに首をかしげた。
「そこも含めて、『隷属の祝福』を持ってるっていう確信が持てない理由なんですよ~」
リペラの声には、どこか歯がゆさが混じっていた。
話を聞けば聞くほど、ザビエンがあの祝福を宿していたって仮説には、矛盾が多すぎる。
そもそも『隷属の祝福』自体、この国では要警戒の祝福として常に監視対象とされている。
加えて、魔物も厳重に管理されていて、王都に入り込むなんてまず不可能だとされている。
──つまり、だ。
「王都って、『隷属』と一番相性悪い場所なんじゃないか?」
圭介のぼやきに、部屋の空気が静かに重くなる。
それでも、奴はやってのけた。複数の魔物を使役し、殺意を向けてきた。
何かがおかしい。いや、何かどころじゃない。
「リペラ殿が言っていた通り、直談判しに行きましょう」
重苦しい空気を切り裂くように、セクオールの静かで確かな声が部屋に響いた。
思わず顔を上げたが、セクオールの表情には迷いの色はなかった。
「明日の昼間、中央図書館にこちらから出向きます」
「昼間に……? 大丈夫なのか? 普通の利用者もたくさんいるはずだろ」
「だからこそ、です。人目のある時間帯を選びます。少々危険は伴いますが確実な証拠がつかめない以上、これ以上引き延ばすわけにはいきません」
まさか、異世界に来て最初に本格的に関わることになるのが魔王討伐ではなく、『隷属の祝福』を宿しているかもしれない図書館館長の捕獲になるとは。
魔王も脅威だが、ザビエンの存在もこの世界の秩序を脅かすには十分すぎる。
「じゃあ、今日はちゃんと休んで、明日に備えましょうか~」
リペラが明るい声でそう言いながらベッドに身を投げ出そうとした、まさにその時だった。
コンコン。
部屋の扉が、規則正しく叩かれる音が響いた。
「……誰だろう、この時間に」
リペラがベッドから身体を起こし、そろそろと立ち上がった。
「私、出てきますよ~」
「いや、俺も行く。念のためな」
昼間の出来事を思い返せば、どこで何が起きてもおかしくはない。




