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第16話

「セクオールは、引き続き上を頼む」


「承知しました」


 地上には狼が2匹、ゴブリンが1体。空には鷹が2羽。

 鷹はセクオールに任せるとして、今は地上の敵に集中するしかない。

 レベルは上がった。けれど、過信は禁物だ。

 ステータスが上がっているのは確かだが、数値を確認できない以上、力の加減も分からない。

 慎重に、確実に倒すしかない。

 まずはゴブリンだ。動きは単調で遅い。狼より先に仕留めたい相手。

 圭介は地を蹴り、一直線にゴブリンへ向かって走り出す。

 聖剣を大きく振り抜き、狙うは首元──だが、ゴブリンは棍棒を突き出し、それを迎え撃った。


「チッ!」


 聖剣の刃は棍棒の半ばまで食い込んだ。

 その手応えは重く、だが確かに手応えがあった。

 演習のときなら、ここで手元を弾かれていたはずだ。今は──違う。


「……切り込める!」


 切り込もうとして足に力を入れた瞬間──視界の端で何かが走り出した。

 狼だ。だが狙いは圭介ではなく、足が震えて動くことが出来なくなっていたリペラにだった。

 

(このまま斬り込んだら、間に合わない......! なら──)


 圭介は聖剣を手放し、迷わず狼に向かって跳びかかった。

 普通に走ったところで、狼の速さには追いつけない。

 せめて尻尾にでも触れれば、軌道を逸らせる――それだけでもいい。

 聖剣は声に反応して、手元に戻ってくるので問題はない。


「──捕まえた。暴れるんじゃない!」


 跳びかかった圭介の手が、狼の尻尾をしっかりと掴んだ。

 狼は狂ったように身を捩り、尻尾を振り回して振りほどこうとするが。圭介の握力はそれを許さなかった。


「ッ、この……!」


 狼がギラついた目でこちらを睨み、牙を剥いてくる。

 そして、尻尾を掴む圭介の手に、勢いよく噛みついてきた。


「……待ってたぜ、それ」


 さっきまでは、ファイアを使うのにリスクが大きかった。

 外す恐れや、MPの消費量が読めないという懸念もあった。

 しかしゼロ距離なら必中。MP消費量も後で確認すればいい──今しかない。

 圭介は左手を狼の顔面に向け、力を解き放つ。


「ファイア!」


 掌に紅い火の粉が集まり、瞬く間にサッカーボールほどの火球が形成されれ、狼の顔面を容赦なく貫いた。

 火球の爆発が路地を揺らし、炎に包まれた狼はもがくように倒れ込んだ。


 聖剣はゴブリンの棍棒に深く食い込んだままだ。

 圭介は手を伸ばし、静かに呼びかける。


「聖剣、こっちに来い」


 すると、聖剣がブルブルと震え始めた。

 その振動は棍棒を通じてゴブリンの手にも伝わり、思わず握力が緩む。


「──よし!」


 タイミングを見計らって手を引くと、棍棒ごと聖剣が圭介の元へと勢いよく戻ってきた。

 予想外の結果に、思わず笑みが漏れる。


「思わぬ収穫だな……」


 聖剣を棍棒から引き抜きながら、棍棒に意識を向ける。すると、いつものように空中に説明が浮かび上がった。


『ゴブリンの棍棒:ゴブリンが愛用している棍棒。長年使っているのか、大小さまざまな傷が刻まれている。

効果:頭部に攻撃を当てると、威力が1.2倍になる。その後、棍棒は破損する』


 ゴブリンは棍棒を奪われたことに激昂し、耳をつんざくような雄叫びをあげた。

 目を見開き、よだれを垂らしながら、両手を突き出して突進してくる。まるで「返せ!」と叫ばんばかりに。


「……やっぱり大事だったか」


 圭介は棍棒にもう一度視線を落とす。

 説明文には、『長年使っている』とあった。どうやら冗談抜きで、相棒のような存在らしい。


 圭介は棍棒を軽く放り投げ、一回転させてから手の中でしっかりとキャッチする。

 そして、地面を力強く踏み込み、渾身の力を込めてゴブリンの頭上へと棍棒を振り下ろした。


 「これで終わりだ!」


 ゴブリンの頭に命中した瞬間、棍棒は鈍い音を立てて粉々に砕け散った。

 その場に崩れ落ちたゴブリンは、白目を剥き、口から泡を吹きながら動かなくなる。


 地上に残る敵は、狼が一匹。

 その狼は攻めてくるでもなく、背を低くしてじっとこちらの動きを伺っていた。


 「来ないなら、こっちから行くぞ」


 圭介が踏み出そうとした瞬間、狼は素早く体を反転させ、そのまま駆け出していった。

 しかし、その動きには怯えや恐怖は感じられない。ただの逃走ではない。

 まるで、勝機なしと判断した上での──戦略的撤退。


 追うべきか──そう考えかけたが、セクオールがまだ鷹と激しく交戦中だった。

 圭介は視線を上げ、上空を見上げる。


 セクオールは建物の壁を蹴って跳躍し、鷹を槍で突き刺し、そのまま壁に押し付けていた。

 鷹の体そのまま痙攣し、まるで壁に張り付いたように動かなくなった。


「おーい、大丈夫かー!」


 声を掛けると、セクオールがこちらに顔を向けた。

 額には汗が滲んでいたが、その目はまだ鋭く、冷静だった。


「ええ、なんとか。そちらは?」


「狼が一匹逃げたけど……それ以外は、なんとかなったよ」


 圭介が息を整えながら言うと、セクオールが壁から軽やかに飛び降り、音もなく着地した。


「ひとまず、この場は切り抜けられたようですね」


「思いっきり殴られたけどな」


 圭介は冗談めかしつつ、ゴブリンの棍棒で打たれた腹をさすった。

 ズキリとする痛みに顔をしかめるが、立っていられるうちは大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「リペラは……」


 ようやく落ち着いた空気の中、圭介が振り返る。

 リペラは地面にしゃがみこみ、両手で頭を抱えていた。肩は小刻みに震え、呼吸は荒い。

 圭介は急ぎ足でリペラに近づき、低い声で声をかけた。


「奴らは、なんとかなったよ」


 圭介が声をかけると、リペラはゆっくりと顔を上げ、辺りを見回した。

 倒れた獣たち、血の跡、焦げた地面。それらを視界に収めると、彼女はまた俯き、肩を震わせながら顔を隠した。


「すみません……何も、できなくて……」


「気にしないでください。私たちは戦うのが専門ですから」


 セクオールが優しく言葉をかけ、手を差し出す。

 リペラは躊躇いながらもその手を取り、立ち上がろうとした──が。


「いっ……!」


 思わず短く悲鳴を上げて、リペラは片足を抱え込むようにしゃがみ込んだ。

 足首を押さえている。どこかでひねったのか、それともぶつけたのか──。


「足……捻ったか?」


「……わかりません。でも、力が入らなくて……」


 無理して立たせるわけにはいかないな。

 リペラの顔はまだ青ざめていて、呼吸も浅い。足首を押さえる手にも力が入っていない。


 ――そういえば。


 圭介はポケットに手を突っ込み、自分の名刺を取り出した。

 レベルが上がったとき、頭の中に流れ込んだスキルの一つを思い出す。


「……確か、『ヒール』ってのが使えるようになったんだったな」


 名刺を見つめると、やはりそこには新たにスキルとしてこう書かれていた。


『ヒール:自身の体力を小回復する。他者に使用する場合、軽傷なら完治可能。それ以上の怪我の場合は応急処置を施し、悪化を防ぐ』


 読み終えた圭介は、そっと名刺をポケットに戻す。



「痛いのはどっちの足だ?」


「み、右足です……」


 圭介はしゃがみこみ、そっとリペラの右足首に左手をかざす。

 彼女の足首はほんのり腫れていて、触れるのもためらうほどだった。


「ヒール」


 静かにそう呟くと、圭介の手のひらから淡く緑色の光があふれ出した。

 光はふわりと舞うように広がり、リペラの足首をやさしく包み込んでいく。

 数秒間――光は穏やかに彼女の足元で揺れていたが、やがてすっと消えていった。


「どうだ、痛みは?」


 リペラはゆっくりと足首を動かしてみた。最初はおそるおそるだったが、すぐに目を大きく見開いた。


「い、痛くないです! さっきまであんなにズキズキしてたのに……すごい、ほんとにすごいです!」


 声を震わせながらも、リペラの顔には明るさが戻っていた。

 まさか、他者にも効果があるとは。本当に、まるでゲームに出てくる回復魔法そのものだ。

 圭介は自分の腹をそっとさすった。ゴブリンに殴られたあの一撃が、今もじんわりと痛みを残している。

 服の上から腹に手を当て、もう一度静かに言葉を口にした。


「ヒール」


 淡い緑色の光がふわりと手のひらから広がり、彼自身の腹部を包む。

 不思議な温もりとともに、痛みがすうっと引いていく――まるで、最初から何もなかったかのように。


「……マジで、すげぇな……」


 圭介は再び名刺を取り出し、ステータスを確認する。


──

天野 圭介 勇者 Lv.3

HP:230 MP:40/60



【スキル】

ファイア:炎を自在に扱えるようになる。MPの消費量に応じて、炎の威力や規模が変動する。

ヒール:自身の体力を小回復する。他者に使用する場合、軽傷なら完治可能。それ以上の怪我の場合は応急処置を施し、悪化を防ぐ

──

 

 HPは全快していた。戦闘で負った痛みも、今はすっかり消えている。

 一方でMPは40。戦闘中にファイアを一発、ヒールを自分とリペラにそれぞれ一回ずつ――合計三回の魔法を使ったことになる。


 ファイアは威力によって消費量が変わるし、ヒールはおそらく1回あたり5ポイント前後。

 おおよその感覚だが、使い方を誤ればすぐにMPが底をつきそうだ。


「うーん……。回復手段があるのはいいけど、使いどころを間違えたら詰むな、これ……」


 名刺を胸ポケットに戻し、圭介はひとつ息をついた。


「あの、勇者様の名前って……ケイスケさんで合ってますか~?」


 場に少し和らいだ空気が流れる中、リペラがおそるおそる尋ねてきた。

 圭介は「あれ?」と小さく首を傾げ、ようやく気づいたように頬をかいた。


「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったな。俺は天野圭介。こっちは――」


 視線をセクオールに送ると、彼女もすぐに察し、軽く一礼して名を告げた。


「セクオール・テムポーレと申します」


「ケイスケさんに、セクオールさん……はい、ばっちり覚えました~!」


 リペラは小さくうなずきながら、ふらつく足取りでゆっくりと立ち上がる。そして、セクオールが背負う槍へと視線を移した。

 そのまま、じっと槍を見つめる。

 まるで、初めて見るおもちゃに心を奪われた子供のような眼差しだった。


「セクオールさんって、もしかして――『近衛の祝福』を宿してたりします?」


 リペラの問いに、セクオールの瞳がほんの一瞬、かすかに揺れた。

 その反応がすべてを物語っていた。


「……よくわかりましたね。ええ、おっしゃる通り、私の宿す祝福は『近衛の祝福』です」


 セクオールは素直に肯定しつつ、驚きを隠しきれない様子だった。


「ほんの少ししか見られなかったんですけど……槍の扱いがあまりにも自然で、もしかしたらって~」


 リペラは楽しげに微笑むが、言っている内容はただの「かも」で済ませられない鋭さがあった。あの短時間でそこまで見抜けるとは――圭介は内心、感嘆を隠せなかった。

 それと同時に、改めて気になることを口にする。


「ごめん、そもそもその『近衛の祝福』って、どんな能力なんだ?」


 圭介の問いに対して、セクオールは言葉を選びながらゆっくりと説明を始めた。


「簡単に言うと――特定の武器種に対して、高度な技術と知識を得ることができる祝福です。私は槍に適性がありますが、剣や弓など、他の武器にもそれぞれ対応する『近衛の祝福』が存在します」


 なるほど、と圭介は納得する。

 セクオールのあの超人的な動きには、やはり相応の力が宿っていたのだ。


「ケイスケさんがさっき、私の足を治してくれたじゃないですか? あれって……もしかして『治癒の祝福』だったりします?」


 そう問いかけてきたリペラの声は、どこか興味と期待が入り混じっていた。

 圭介は少しだけ首を傾げる。

 『治癒の祝福』。そんな名前の祝福が存在するとは初耳だ。だが、自分が使ったのは明らかにそれではない気がする。


「いや、多分違うな。俺が持ってるのは『勇者の祝福』だけだし……その力の一部だと思う」


 答えながらも、圭介自身確信を持っているわけではなかった。


「なるほど……『勇者の祝福』。確かに、それは宿す者によって効果が大きく異なりますし......となると、ケイスケさんのは……他の祝福の能力を模倣、あるいは統合してるって感じでしょうか~?」


「うーん、今の段階では何とも言えないな。自分でも、どこまでのことができるのか分かってないし」


 まだ未知数。それが圭介の『祝福』だった。

 しかし、この短時間で目の当たりにしただけでも、セクオールの『近衛の祝福』、そしてリペラの言葉から『治癒の祝福』が存在することがわかった。

 それは裏を返せば『祝福』と呼ばれる力には、多種多様な系統が存在するということでもある。


 圭介は、ふと脳裏に浮かんだ人物の顔を思い返す。

 あの――ザビエンもどき。

 彼が放った数々の魔獣たちの動きは、まるで意志を持った一つの軍勢のようだった。

 同時に複数を従え、指揮するあの様子は、明らかにただの奇襲ではない。そこには力が介在していた。

 あれが『祝福』によるものだとしたら──。


「なあ、リペラ。あのザビエンもどきも……何か祝福を持ってたりするのか?」


 圭介の問いに、リペラは視線を落とし、小さく唇を噛んだ。

 すぐには答えず、何かを慎重に選ぶように思案を重ねる。そしてやがて、静かに口を開いた。


「……推測の域は出ませんが。一番あり得るとしたら──『隷属の祝福』、かと」


 その言葉を聞いた瞬間、圭介は小さく眉をひそめる。


 隷属。


 『祝福』とはとても呼べないような、どこか支配的で陰のある響きだった。


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