第1話
「お疲れさまでした~」
とある金曜日、天野圭介は仕事を終え、軽く伸びた。
いつもならそのまま帰路につくところだが、今日は違う。前々から楽しみにしていた大人気RPGシリーズの最新作の発売日だ。
内容はまさに王道そのもの。勇者が各地を巡り、世界を滅ぼそうとする魔王を討つ──そんな胸が熱くなる冒険譚だ。
このシリーズは幼いころからずっと遊んできた。新作が出るたびに時間を忘れるほどプレイしたものだ。
だからこそ、今作もプレイするのは当然の事。
「よしっ、行くか!」
圭介は意気込みながら、予約していたゲームショップへと足早に向かった。
店に着くなり、一直線にレジに向かった。財布から予約証明のレシートを取り出し、カウンターに差し出す。
「このゲームを予約していたものなのですが」
「少々お待ちください」
店員は軽く会釈すると、後ろの棚に向かった。
「こちらでお間違いないですか?」
数秒後、店員がゲームソフトを取り出してこちらに見せてきた。
パッケージのイラストが目に飛び込んでくる。新作ならではの鮮やかなデザイン。そして、このタイトルロゴ。
「はい、大丈夫です」
興奮を抑えながら答えると、店員は慣れた手つきで袋にソフトを入れ、そっと差し出してきた。
「ありがとうございます!」
圭介は満面の笑みでそう言い、店を飛び出した。
ゲームを手にした喜びで、足取りが自然と軽くなる。
今度こそ帰宅の途について圭介だったが、頭の中はすでにゲームの育成方針でいっぱいだった。
このシリーズの魅力の一つは、勇者の自由な育成システム。自分好みのスタイルに育てられるのが醍醐味だ。
例えば──
圧倒的な物理攻撃力を誇る脳筋勇者。力こそ正義、全てを拳で語るロマン。
魔法を極めた知的な魔術師。MP管理を徹底し、強大な魔法で戦場を支配するスタイル。
デバフ特化の害悪勇者。敵の行動を封じ、ジワジワと追い詰める戦術型。
どんなプレイスタイルにも対応できるのが、このゲームの奥深さなのだ。
「今まで通りオールラウンダーにするか? いや、今回は思い切って特化型にしてみるのもアリだな......悩むな~」
夜の街を歩きながら、ブツブツと呟いた。
家に帰るまでに、育成方針を決められるか、それすらも楽しい悩みだった。
圭介が住むのは、少し古めの1Kアパート。一人暮らしには十分な広さで、不自由なく暮らせる空間だ。
玄関の前に立ち、鞄からカギを取り出す。シリンダーを回し、ドアノブに手を掛けるが──。
「......やっぱり気になるな」
ふと足を止める。
袋に入れられたゲームソフトを取り出し、じっくりと見つめた。
家に入る前に確認したくなるのは、パッケージ版ゲーマーの宿命というやつだろう。
「うっ、冷えるな......」
しかし、夜風は容赦ない。
いくらゲームが気になっても、ここで風邪を引いて『体調不良でプレイできませんでした!』なんてオチはあまりに情けない。
渋々ドアノブを回し、玄関を開けた。
帰宅後のルーティーンは決まっている。まずはカギを玄関に設けた置き場所にポンと置く。
今日はゲームのパッケージを見つめながらだが、いつものことだ。
慣れた手つきでカギを置こうとする。
「ん?」
スカッ、と空振った。
「あれ?」
もう一度、置く。
スカッ。
何度やっても、なぜかカギを置くことができなかった。
「はぁ?」
流石に違和感を覚え、視線をカギの置き場所に向けた。
──なかった。カギの置き場所がなかった。玄関にあるはずの下駄箱が丸ごと消えてなくなっている。
いや、それどころではない。目の前に広がっているのは、見覚えのない石造りの床。
「......?」
自分の頭が状況を理解できていないのが、全身にじわじわと伝わってくる。
目線だけ上げると、床と同じ石造りの壁。その壁には、見たこともない紋章が刺繍された旗が天井から垂れ下がっていた。
「......なんだこれ」
圭介は恐る恐る顔を動かし、部屋全体を見渡した。
石造りの壁に囲まれた密室、窓はない。目の前には場違いなほど豪華な扉がそびえ立っている。
「意味が分からん......どこだよ、ここ......」
戸惑っている場合ではない。まずは外に出ることが最優先。どこかに自分が入ってきた扉があるはず。
圭介は振り返り、入って来たであろう場所を確認する。
なかった。
下駄箱に続き、玄関の扉も消えていた。
最初からそこには何もなかったかのように、壁が無機質に広がっている。
だが、扉の代わりに何かの図形が描かれていた。青白い光を放つ、不可解な模様。
圭介は思わず数歩後ずさりして、全体を視界に収める。
「これって魔法陣?」
目の前の壁一面に大きま魔法陣が刻まれていた。しかも単純なものではない。
精密で、異様なほど美しい。無数の線が緻密に絡み合い、流れるように描かれている。芸術作品のような精巧さだ。
圭介は息を呑んだが、すぐにぐしゃりと髪をかき乱す。
「わけが分からな過ぎる......」
ただでさえ状況が理解できないのに、さらに不可解なものを突きつけられてしまった。
圭介の頭の中は、まるで未整理の書類が散乱するデスクの上のようだった。
何がどう繋がるのか、どこから手をつければいいのか全く分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
これは、普通じゃない。
「異世界転異ってやつか?......いやいやいや、そんなバカな話があるか」
真っ先に思い浮かんだのは、数多くの作品で扱われている異世界転異という設定だ。
主人公が突然、異世界に飛ばされる。今の状況と照らし合わせれば、まさにドンピシャだ。
「待て待て待て......」
自分はただ、ゲームを買って家に帰って来ただけ。
気づいたら見知らぬ石造りの部屋にいた。だが、そんなこと非現実的なことが起きるのだろうか。
いくら考えても、答えは出てこない。
残された選択肢は、豪華な扉を開けてその先に進むこと。
圭介は意を決し、扉の前まで歩み寄った。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
──もし、これで開かなかったら?
この密室に閉じ込められ、出口もなく、食料も水もない。選ばれし未来は、ただの餓死エンド。
「......頼む、開いてくれ!」
圭介は祈るようにドアノブに手をかける。
ギィ、と静寂の中ゆっくりと回る感触が指に伝わった。扉を引くと、動いた。
「......開いた!」
圭介は安堵の息を吐きながら、そっと扉を押し開ける。すると眩い光が流れ込み、思わず目を細めた。
この光は電灯とかではない、太陽の光だ。玄関を開けた時は夜だったのだが。
じわじわと目が慣れ、扉の向こうの光景がはっきりしてくる。
そこには、巨大な部屋があった。
無数の大理石の柱が立ち並び、豪奢な窓が壁を埋め尽くすように並んでいる。
足元には深紅の巨大なカーペットが堂々と敷かれ、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
まるでお城の謁見の間だ。
「お待ちしておりました」
「......うわっ!」
部屋に気を取られていた圭介は、突然の声に思わず飛び上がった。
声の主に視線を向ける。そこにいたのは頭から足先まで銀色の甲冑に包まれた人物。顔は兜で覆われているので、見た目では性別は判断ができない。声を聴いた感じだと男性だろう。
(いや、待て。何故、城みたいな場所で、ガチの騎士に迎えられているんだ?)
そんな圭介の思考をよそに、騎士の手が軽く圭介の腕を引いた。
「我らが王が、あなたのことをお待ちしております。こちらへ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
(王? 王ってなんだよ!)
突然の展開に圭介は必死に踏ん張る。
だが、相手は全身甲冑のガチの騎士だ。軽く引かれただけで圧倒的な力の差を感じる。
「待って! 俺、ただの一般人です! なんで王様とか出てくるんですか!?」
「詳しいことは、王からお話があります。参りましょう」
「うわっ......!」
そのまま母親に引っ張られる子供のごとく、圭介は騎士に引かれて歩き出す。
赤い絨毯の上を、ずるずると進まされる形だ。
抵抗など無理な話だ。騎士の腕はちょっとやそっとじゃ振りほどけそうにない。
次第に、人の気配が増えてきた。
煌びやかなドレスに気品あるスーツ。城の内装といい、どう考えても上流階級の人間ばかり。
騎士が一歩前に進み、厳かに跪いた。
「我らが王よ、お待たせしました」
目の前にそびえ立つのは玉座。そこに座るのは一人の白髪の老人だった。
彼は静かに目を瞑り、何かを思索するように微動だにしない。
数多には王冠、肩からは赤いマント。まさしく王の風格そのもの。
「ご苦労」
王と思われる男が、低く落ち着いた声で呟く。
そしてゆっくりと目を開けた。透き通るような青い瞳が圭介を真っすぐ射貫く。
ゾクリ、と背筋が震えた。
「待っていたぞ、新たな勇者よ」
「......え?」
──新たな......勇者?