お嬢様には勝てない
同じクラスに人気者がいて、その人を一目見るために休み時間なりに生徒が教室に集まってくる。
こんな経験をしたことがある人間はどれほどだろうか?
おそらく多くはないだろうが、ともかく俺はそのマイノリティに属した。今この瞬間にだ。
小学生の時には新鮮に感じたクラス替えというやつも、高校生にもなれば飽きる。誰と一緒になろうが誰と離れようが、友達もいない俺には関係ない。できれば席は後ろの方がいいが。
目新しさのない新学期を迎えようとしていたわけだが、今年は訳が違うらしい。
一緒になったのだ。クラスが。彼女と。
彼女は俗にいう「お嬢様」というやつだ。
どのくらい太い家柄なのかはわからない――というより調べる気がないだけだ――が、なんかもうもの凄いらしい。極太ってやつだ。きっと、ロボットが放つビームくらい太いんだろう。
しかも彼女は容姿も優れている。可愛い系か綺麗系かで言えば中間、儚さもありつつ顔立ちははっきりしている清楚系。まさに良いとこ取りだ。おまけにスタイルまで良いときた。俺が作るバイキングの皿と張り合える全部乗せ具合。
そんな都内一等地タワマンをゆうに越える物件なのだから、当然のように見物に来る。そりゃあもう、クラスのバカがふざけて窓ガラスを割った時よりも来る。
外での会話がうるさい。俺の静かな学園生活は、少なくとも今年は完遂出来なさそうだ。
彼女は過度な人付き合いを避けているようだった。話しかけられれば笑顔で対応する。
しかし、噂によると許嫁がいるようで、異性関係の話はまず聞かない。
(俺とは住んでる世界が完全に違うわ)
頬杖をつき、そんなことを思いながらぼーっとお嬢様の方を眺めていると、ふと、彼女がこちらへ振り向いた。
視線が交差した。正確には、俺はお嬢様を見ているのではなく、お嬢様の方向の虚空を見つめていたんだが、こちらへ向けられる視線に気付いてしまったばっかりに、目が合ってしまった。
一般の生徒なら喜びで卒倒するようなイベントだが、どうして目が「合ってしまった」なんて表現したかった?
この一瞬で、俺の平穏な学生生活が完全に終わりを告げたからだ。
「おはようございます。ふふっ、今日もぼんやりしてますね」
終わりの始まりから1週間と少し……ただ目が合っただけなのだが、彼女は毎日話しかけてくる。
大問題なのだ。これまで自分から他の生徒に声をかけたことがないらしいお嬢様が、唯一自分から、それも毎日、自由な時間ができるたびに向かう先。それが俺の席だ。
噂が噂を呼び、初日よりもさらに多くの見物客が来ている。衰えるどころか、日に日に勢いを増している。許嫁はどこいったんだよ。
「はぁ……」
「どうしたんですか? 何か嫌なことがあったなら、私が潰して――」
「潰すなんて言うんじゃないよ。清楚なイメージが崩れるぞ」
「まぁ、私のこと清楚だと思ってくださってるなんて、嬉しいです」
彼女の反応を文字に起こしたら、間違いなく語尾にハートが付いている。
「他の生徒が思ってるってことな。俺は早く帰ってほしい」
「帰ってほしい……ほしいと言えば、この前新しいイヤホンがほしいとおっしゃってましたよね?」
「会話の流れを変えるには強引すぎない?」
連想とかのレベルじゃない。
「これ、プレゼントです」
またハートが付いてるな。彼女が机の上に置いたのは小さな箱だった。
「なにこれ?」
「開けてみてください」
促されるままに蓋を開けると、見たことのないゴツさのイヤホンが入っていた。
「これは……」
「できるだけ性能を追求したイヤホンです」
「い、いや、こんな高そうなもの、もらえないよ」
「お気になさらず」
「気にするから」
俺がなんと言っても引く気はないらしい。
「これはあなたの耳の型をとって制作させたものなので、使っていただけないとなると捨てるしかありません。勿体無いですね……」
しゅんとした美少女を見るのは心苦しい、と言うのは一般の意見だ。
「どうやって俺の耳の型を?」
「企業秘密です」
そこにハートを付けられると可愛いより怖いが勝つ。
どうするべきか。せっかく俺のために用意してくれたものだし、受け取るしかない。
「……ありがとう」
「いえ! 喜んでいただけてなによりです!」
ちなみに、これは今日だけの出来事ではない。
初日にはずみで「ゲーム機を買おうと思ってる」と言ってから毎日、見た目からは想像できない誘導尋問にも似た巧みな話術で欲しいものを引き出され、渡されているのだ。
「次は何が良いですか? そうだ、お洋服を見に行きませんか?」
「それは『明日の土曜日、一緒に服を見に行かない?』っていう意味?」
「明日の土曜日、一緒にお洋服を見に行きませんか? という意味です」
「明日は家でゆっくりアニメを観る予定だから遠慮しようかな」
「自宅の前にずうっとリムジンが止まっているのって、ご近所さんはどう思うんですかね? 私、ご近所さんがいたことがないので知りたくって」
「それは知識欲じゃない。脅しだ」
翌日。
今まさに、俺は彼女が乗ってきたリムジンに乗り込むところだった。実際には彼女が乗っているかはわからなかったが、平凡を煮詰めまくったような俺の人生で、自宅の前にリムジンが止まることなんてない。
将来の俺が汗水垂らして稼いだ生涯年収をハンドル捌きだけで超えてきそうなスーツの男がドアを開けてくれる。
「おはようございます。約束の時間通り来てくださって嬉しいですっ!」
ツッコミどころはいくつかある。
一つ、約束の時間なんて決めていない。俺が朝起きてだらけて、コンビニにでも行こうかと思ったタイミングでリムジンが止まった。それが窓から見えたのだ。
二つ、そもそも俺は自宅の場所を教えていない。莫大な財産の前ではプライバシーなど存在しないみたいだ。
そして三つ、服を見に行くというのは予想できるが、具体的にどこに行くかは何も――。
「最近、ショッピングモールができたみたいですね」
最近できたというショッピングモールに行くようだ。
こいつは何を言っているんだろうか。
確かに、最近できたショッピングモールだった。昼過ぎだと言うのに賑わっているし、店もたくさんある。しかし、しかしだ。
「わぁ〜! どれもこれも手頃なお値段ですね! 私知ってますよ、プチプラって言うんでしょう?」
「庶民語に直すとハイブランドだよ」
客の組み合わせはたいていがおっさんと美女という胡散臭いものになっているし、店に入ろうものなら、無駄に畏まった店員が出迎えてくる。プチプラ接客の収入でここまでの所作を要求されてたまるか。要するに、ハイブランドが立ち並ぶ商業施設の一角に連れてこられた。
「しかも……」
俺は極力、商品に触らないようにモノを観察する。
「少なくとも高校生の女の子が着る物じゃないと思うんだけど」
「確かに、今の私には似合わないかもしれませんね。ですが、あなたが着る分にはお似合いに――」
「似合うか! よく考えてみろ、友達と休日に遊んでみたら、そいつの胸元にデカデカとハイブラのロゴが刻まれてるんだぞ! 嫌なやつすぎるだろ!」
そもそも俺に友達がいない、とは言わなかった。
「私としては、好きな人に群がる虫が減るから……ありですね」
「ありなわけがあるか」
「……羽虫って言った方が良かったですか?」
「恐ろしい言葉遊びするな」
っていうか、この子は「好きな人に」って言ったか?
やっぱりお嬢様は……人生が薔薇色なやつは感性の時点で違うんだろうな。俺だったら好きな人は「恋愛として好きな相手」という意味でしか使えない。
「……違いますよ?」
「何が?」
「友達として好きって意味じゃ、ないですよ?」
どうして俺の考えていることが分かるんだよ。
「じゃあ、一体どういう意味だって――」
ここまで言って初めて、俺が底なし沼に足を踏み入れていることに気が付いた。
周囲を見回すと、さっきまで冷や汗をかきながら接客してくれていた店員も、ここまで一定の距離を保って付き添っていたボディガード的な人も、誰もがいなくなっている。店の外にも人っこ一人いない。消したのか?
よく考えろ。この雰囲気が恋愛的なものだって、なんの経験もない俺にだって察することができる。
このまま流れに身を任せることもできるが、そうすればおそらく俺は――。
「ちょ、ちょっと用事を思い出した!」
「用事、ですか?」
「そうなんだよ。母親に早く帰ってこいって言われてるのを、今な。それじゃあ、俺はこれで――」
ダッシュで帰ろう。一応財布もある。ここがどこだろうと逃げ切ってやる。
「心配いりませんよ」
えっ? そう聞く前に彼女は言葉を続ける。
「だって、お母様には全てご了承いただいていますから!」
「ご了承……?」
「はいっ! 今朝、お母様と少しお話しさせていただきまして、『どうかあの子のことを、そして私たちをお願いします』と」
「買収されてるじゃねぇか……」
私たちをじゃないよ。
「それはもう、ズブズブの関係ですよ」
俺はこれまで、殺すとかそういう類の言葉が一番恐ろしいと思っていたが、それは違った。お嬢様の口から放たれる「ズブズブの関係」がこの世で最も危険だ。
「いや、あの……でも、いきなり言われても困るというか……」
どうにか逃げる方法はないだろうか。そんな無意味なことを考えていると、突然お嬢様がしおらしくなる。
「そ、そう……ですよね。やっぱり、あなたのような素敵な方は、私のような魅力のない女は嫌いですよね……」
「いやいや、そうじゃなくてね? 君は可愛いし、綺麗だし――」
「スタイルだって悪いですもんね」
「そんなことない。身体のラインだって艶やかで、正直体育の授業の時に少し目で追って――ん?」
「へぇ……そうなんですか」
俯いていたお嬢様が上目遣いで俺を見る。泣いているのかと思ったら、陶器のような肌には涙の跡どころかシミひとつない。
「私をそんな目で、見てたんですね? 艶やかなんていう、官能小説でしか聞かないような言葉で……」
「まっ、待って待って。違うんだよ。これは誤解で――」
彼女は俺の両手を握るようにして、手の中に何かを押し込んでくる。押し込んでくるというか、勢い的にはぶち込まれている。
確認すると、それは黒い金属製のカードだった。
「これ、いくらでも使っていいですからね。他にも欲しいものがあれば、島だって国だって買ってあげます」
「いやいやいやいや、受け取れないって!」
必死に返そうとするが、なぜか俺の動きは全て読まれているかのように先回りされ、結局カードが手元に戻ってくる。
「なんだって言うことも聞きます。だって、私、あなたが好きなんです」
いくら俺の人生を凝縮したようなカードを押し付けられていても、真剣な眼差しで告げられる想いには心が動いてしまう。
「ほ、本当に……?」
「はい、本当です。だから……良いですよね?」
「……良いですよね?」
彼女は俺の両手を掴むと、おもむろに引っ張り出す。
最初は状況が分からずされるがままだったが、これって方向的に――試着室じゃないか?
フィッティングルームは一般的に、店で買うつもりの衣服を試すためのスペースだ。決して二人で入るような場所ではない。
「なにするつもりだよ、おい!」
「この前観た映画で、初体験を納屋で迎えたという女性がいました……! さぁ……こちらへ……!」
「どんな映画だよ! 意外とアクションとか観る系だな!?」
どれだけ拒否しようとしても、驚くほど力が強い。
これはあれだ。護身術とか習わされる系のお嬢様だ。
「なぁ、店の人に迷惑だと思わないのか!」
「買います、全て」
「倒置法の短文で解決するな! く、くそっ……力強いな!」
抵抗しようと勝てる気が微塵もしない。力でも、権力でも。
「そもそも……このショッピングモールは……私の父が建てたものです……っ!」
「連れてこられた時点で俺は負けてたわけか!」
もうだめだ。試着室は目の前、瞬きの間に運命は決する。
「ふふっ……優しくして……くださいね?」
「言葉と行動が噛み合ってないんだよ! う、うおおおおおおおお!?」
試着室のカーテンが勢いよく閉められた。