【不機嫌の理由】
「ほんとにゲーム機借りちゃっていいの?」
結局終電一個前の丸ノ内線で南阿佐ヶ谷駅で降りた。松澤君の家はそこから徒歩2分くらいの場所にあった。ゲーム機を借りて私の家まで並んで歩き始めた。
「中に入ってるゲームもテキトーにやっていいですからね」
「時間吸われちゃいそう」
「ゲームって一回やり始めたら止まらないですからね」
終電が終わった後でも、駅前の居酒屋は何軒か開いていて、騒がしい声が中から聞こえた。
「ここからだったら10分くらいで家だから一人で帰れるよ」
「いや、俺が終電まで飲みたいって言ったんだから送りますよ。女の子だし」
「女の子扱いしてくれるんだね」
フフっと少し笑みがこぼれてしまった。
「女の子でしょ、陽香さんは」
帰りの電車あたりだろうか。松澤君は私のことを『陽香さん』と下の名前で呼ぶようになった。私も特には指摘することもなかった。後輩に慕われるのは悪い気はしないからだ。
「ありがと」
夜中でもむしむしとていた。お酒のせいか荷物のせいか、いつもよりも歩くのが遅かった。
「陽香さん!俺今ホラーゲーム作ってるんですけど、陽香さんお化けのキャラデザしてくれません?」
「お化け?」
「要は化け物に追いかけられるのから逃げるっていうゲームなんですけど」
「陽香さんの好きな化け物でいいですよ。和モノであれば」
「楽しそうだね」
「陽香さん好きでしょ?あとで設定とプロット送っとくんで。まあ、興味なかったら全然やらなくてもいいっすけど」
「ちょっとやってみたいかな。3Dにおこすのは無理だけど」
「キャラデザだけでいいっすよ。3Dはこっちでやるんで。陽香さんの好きに描いちゃってくださいよ。別に期限とかもないんで。ゆる~く」
「うん」
昔の自分を知ってる人がいるというのは恥ずかしいような嬉しいようなそんな感覚になった。そして自分の黒歴史を共有できる人がいるというのは思ったよりも心が軽くなるんだと思った。
「そうだ、ゲームのお礼に私の家にある本貸そうか?私デッサン系と背景資料と色彩設計の本とか色々あるけど、何か必要そうなのある?」
「えっ、マジすか?背景の本はめちゃくちゃ借りたいです」
「いいよ、家着いたら渡すよ。ちょっと玄関で待っててくれれば」
「あざーっす」
―――
「ちょっと待っててね、本取ってくるから」
松澤君を玄関のドアの前に待たせて家の鍵を開ける。開けると家の電気は点いていた。玄関にはスーツ用の革靴が揃えて置いてあった。
「あっ、ホタちゃん来てたの?」
「ようちゃん遅くない?もう終電も終わってる時間だったから心配してたんだけど」
少しムスッとした不機嫌そうな顔でホタちゃんが玄関を覗いた。
「あっ、会社の後輩。送ってきてもらっちゃった」「今本持ってくるね!」
私は松澤君を軽く紹介して家に入った。部屋の本棚から背景資料と美大時代に書いた風景画も一緒に紙袋に入れた。思ったより量が多くなり、重くなったから丈夫そうなブランド物の紙袋にした。その間、玄関ではホタちゃんと松澤君が何かを話していた。外面のいいホタちゃんだから、何か無難な話をして私が本を持ってくるまでの間繋いでくれているのだろう。
「これ、背景資料の本ね。CD-Rも入ってるからそのまま読み込めるのもある。これは私が美大時代に描いたやつ。使えそうなら使って。すごい重いから気をつけてね」
「陽香さんの絵まで入ってるんすか?最高じゃないっすか!」
「風景画だけね。背景に使えそうなやつ」
「別に陽香さんの絵全部入れてくれてよかったのに」
「死ぬほどあるから入らないよ」
「じゃあ、ぼちぼち見せてくださいね!これありがたく借りますね」
「返すのいつでもいいよ」
「そういうこと言うと俺永遠に借りますよ」
「ハハハ、もうあんまり使わないからいいよ」
「ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさいっす、陽香さん。あっ、藤原さんも」
軽くお辞儀をして松澤君は帰っていった。
「外暑かったからシャワー浴びてくる~」
私は荷物を玄関に置くと早々に脱衣所に入った。終電終わりに帰ってきた私に少し怒っているのか不機嫌だった。私からすれば来てるなら一言メッセージくらいしてくれればいいのに、と思った。何せ今日は野球を見に行くからと予定を伝えていたのでまさか家に来ているとは思わなかった。さっきまでちょっといい気分だったのが少しテンションが下がってしまった。
シャワーを浴びて部屋着に着替え、髪も乾かし、歯磨きまでして部屋に戻った。時間は午前2時になろうとしていた。週末で疲れているだろうからホタちゃんはもうベッドで寝てると思ったらベッドに座ってボーっとテレビを眺めていた。
「寝てていいのに」
会社の鞄から松澤君に借りたゲーム機とタブレットを出す。
「ようちゃんゲームするの?」
「これ、松澤君に借りたの」
「えっ、一緒にゲームやりましょう的な?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
松澤君の作ったゲームをするためと言おうかと思ったが、一応秘密ということになっていたし、隠してるということは他の人に言いたくないということだから黙っておいた。私が漫画を描いていたことを勝手に他人に話されたら嫌だし。
言葉を濁してベッドの下に座ってタブレットの電源をつけ、ペイントソフトを起動した。
ホタちゃんはベッドと私の間に滑り込むような形で座ってきた。体育すわりをして絵を描く私に後ろからお腹に手を回して抱き着いてきた。私の首筋に顔をうずめている。不機嫌になったり甘えてきたりと今日は随分と感情の起伏が激しい。眠いなら寝たらいいのに。
「ようちゃん、何描いてるの?」
「う~ん、化け物?」
「仕事?」
「仕事じゃないよ」
「趣味?」
「そんな感じかな」
「ようちゃん、ボディクリーム変えた?」
「うん。桜から柑橘系にしたよ。夏だし」
「俺、こっちの方が好き」
「ありがと」
「ようちゃん?」
「ん?」
「好き」
「うん」