【年相応の表情】
「矢護さん、定時いけそうっすか?」
「大丈夫だよ~」
金曜の夕方。今日は松澤君と野球のナイターの試合を見に行く約束をしている。ここ最近は毎週ホタちゃんと会っていたから久しぶりにホタちゃん以外の人と過ごす週末だ。ホタちゃんに金曜は会社の人と野球見に行くことを伝えると「いいね~楽しんでね」と言っていた。正直、松澤君と二人で会話が続くかは不安要素ではあるけど、野球を見るという目的があれば会話はあまり必要ないかなとも思った。
―――
「神宮球場初めて入るかも」
「俺もっすね。てか、プロ野球初めて見るっす」
「私もだな~」
なんなら野球のルールすら怪しいであろう二人がプロ野球を見に来るって、と思った。チケットもったいないかもしれないけど、来ないという選択肢もあったであろうになんで松澤君は先輩の私を誘ってまで来たんだろう。
「松澤君、何部だったの?」
「中学は科学研究部です。ほぼ帰宅部っすね。高専では部活入ってません」
「そっかそっか。私は中高ずっと美術部だよ。まあ、私も帰宅部みたいなもんかな。コンクールとかは出してたけど」
野球場の席は思ったより狭く隣の松澤君の肩がくっつきそうなほどだった。仕事の資料やタブレットが入った大きなバッグを膝に置き腕で抱えるようにして体に寄せる。入口で買った生ビールを持ってマウンドを見る。協賛の会社の社長による始球式が始まろうとしている。有名人じゃないおじさんの始球式は盛り上がらなそうだな、と思った。
隣を見るとビールの入った紙コップを口につけたまま、ボーっと前を見ている。私の視線に気づいたのか目が合う。
「矢護さん、めっちゃ荷物多いっすね。家でも仕事する気っすよね」
少し呆れた顔で言い放つ。
「分かんないけど、一応持って帰ってきた」
「マジでワーカーホリックじゃないっすか」
「でも、仕事だけしすぎててもアイデア浮かばなそうだしって今日野球見に来たんだよ」
「どうっすか?」
「まだ始まってないじゃん」
「こうやってガヤガヤしたところでビール飲むだけでも気分転換になるんじゃないっすか」
「そうかも」
電光掲示板に映し出される選手紹介映像に沸き立つ周りに、左側からかすかに聞こえる松澤君の生意気な声、まあ悪くない週末の始まりだな、と感じた。
―――
「松澤君意外とお酒飲めるんだね」
「飲み会が嫌いなだけでお酒が嫌いなわけじゃないです」
「てか、もう出ちゃってよかったの?まだ試合中だけど」
「最後まで見てたら電車混むじゃないっすか」
「まあ、花火は見れたしね」
球場を出て駅まで歩く。周りは私たち同様に花火終了と同時に帰宅する人が何人かいた。親子連れが多い気がする。
首筋を通る風は少し生ぬるいが、球場内の熱気を飛ばしてくれるくらいには心地よかった。
「新宿で飲み直しましょうよ」
「えっ?」
このまま帰るものだと思ってから意外な誘いだった。
「嫌っすか?今日花金っすけど」
「いいけど……」
「すげ~意外って顔で見ますね」
「そりゃそうだよ、そういう人じゃないじゃん」
「矢護さん、俺のことそんな知らないでしょ」
少し目を細めて笑う松澤君は仕事中の無表情とは打って変わって、少しあどけない年相応の青年だった。