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ホタルのようちゅう  作者: つかさ文研
3.陽香さん
16/33

【珍しいお誘い】

「矢護!おはよう!社内コンペどうする?締め切り今週だけど」

週明け、デスクにバッグを置いた瞬間に後ろから八幡課長の声がのしかかる。朝からこの声量を出せるのが羨ましい反面少し白い目で見てしまう。オフィス内の目線は私と八幡課長に釘付けである。そして『また始まったか』といった様子で目をそらし各々の作業をする。

七月の暑さは想像よりじめじめして体に張り付く嫌な暑さだ。朝のニュースでは今週中には関東梅雨明け宣言ができそうだと言っていた。梅雨明けしたらこの湿気ともおさらばだなと思ったが、例年通りならきっと変わらず湿度の高い夏になりそうだ。

駅から会社まで数分歩いただけで首に髪の毛は張り付くほどに汗ばんだ。私はハンカチで首元を拭きながら社内コンペの締め切りが思ったより早いことに驚いた。

「今回はパスですかね。ちょっと抱えてる案件が多すぎます」

「珍しいな~。まあ、忙しいのは俺が一番分かってるからな~」

「八幡さんが割り振られた案件全部私に回してます?」

ちょっと嫌味を言ってみる。

「バレた?」

眉を上げて少しいたずらっ子のように八幡課長は私を見る。

「まあ、それは嘘だけど。でも、これ矢護がやりたそうだなとか得意そうだなって思ったのは俺が積極的に社内案件取ってきてるんだけどね」

「ありがたいのやら迷惑なのか迷うところですね」

「キャパオーバーになったらすぐ言えよ~。調節するから」

そう言って片手に持ったファイルを上げ、振りながら去っていく。

「課長ってここで仕事しないっすよね」

向かえのデスクに座ってる松澤君が、パソコンの画面の上から目だけをのぞかせた。

「八幡さん、基本ミーティングルームにこもってるもんね」

「まあ、近くにいたらうるさそうで仕事にならなそうだからいいっすけど」

「それがそうでもないんだよ。八幡さんって一人で黙々と仕事するタイプだからね」

「意外っすね」

「めちゃくちゃ真面目な人だからね」

「よく知ってるんすね」

「5年も一緒に働いてるからね」

キーボードのカタカタという入力する音だけがする。

「矢護さん、社内コンペ出さないっすか」

「うん。内容はやってみたいけど忙しいし。あと今回のコンペはデザインだけだけど、結局はHPも作らなきゃだから、そっちの方のデザインものちのちすり合わせしてかなきゃだからなぁ。私のイメージだけで作って、後でHP作った時にイメージ通りじゃなかったら私が嫌なんだよね」

「その辺妥協しないの矢護さんって感じっすね」

「ありがとう。なのか?」

「褒めてはいないっすよ」

ハハハと苦笑いをしつつメールボックスを開いて修正依頼が来ていないかという、毎朝の心臓に悪いルーティンをする。

今日は修正依頼がきてないなとホッと肩をなでおろす。

「矢護さん」

「ん?」

松澤君が少し戸惑いながら私に話しかける。

「矢護さんがもしコンペ出るなら俺がWEBデザインの方しますよ。矢護さんのイメージ通りにしますけど」

驚きと嬉しさにちょっとだけ口角が上がる。

「ありがとう。でも、今回はパスするよ。ちょっと仕事し過ぎだなって自分でも思うからさ」

「そうっすよね。俺も矢護さんは働きすぎだと思います」

「でも、本当ありがとうね。めっちゃ頼もしいじゃん、松澤君」

「矢護さん、俺のことずっと新卒扱いしてますけど、もう二年目ですからね」

「そうなんだよな~。時の流れは速いよな~」

「おばさんの感覚じゃないすか」

この子はいつも余計な一言で締めるんだよな~。根は優しい子なのに。


去年、少しだけ話題になった新卒採用の子がいた。八幡課長が言うにはどうも宇治通の内定を断ってうちみたいな小っちゃいデザイン会社に就職を決めた男の子がいると。高専を卒業後に都内の有名大学の工学部を卒業したという経歴の持ち主で、正直なぜうちの会社に入ったのかが分からない不思議な子だ。どうやらシステムではなくWEBデザインをしたくてこの会社に入ったらしいが、それにしても他の会社もあっただろうと思った。

そうして、入社してきた松澤君だったが、期待通りに即戦力としてすぐに仕事を受け持つようになった。ただ、少し性格に難があり、基本初対面の人とは挨拶、返事くらいしか交わさず、コミュニケーションがあまり取れなかった。教育係を兼ねていた八幡課長と同じチームで動くことの多かった私には生意気な口を聞けるまでになったが、他の人と会話しているのはあまり聞いたことがない。私が松澤君と話しているのを見て周りがたまに驚いていることがあるくらいだ。飲み会にも数えるくらいしか参加しているのを見たことがない。強制はできないけど、もう少し社内の人と関わってほしいなあとは思っていた。


今日のお昼休みもいつも通り、オフィス内で食べるのは私と松澤君だけだ。前のデスクでガサガサとコンビニの袋の音を立てている。私も今日はコンビニで買ったパンとカフェオレだけの昼食だ。アイスカフェオレの水滴がタブレットに画面に落ちないように気を遣いながらラフ画を描いていた。

「ご飯中も仕事すか?」

松澤君はゼリー飲料を口にはさみながらもごもごと言ってきた。

「う~ん、これは半分趣味みたいなもんだけどね。科学館のキャラ何種類かは考えたんだけど、しっくりこなくて。まあ、こればっかりは担当さんが最後に選ぶやつだから私が納得いくとか関係ないんだけどね~」

「今どのくらいの数描いたんすか?」

「12個」

「描きすぎでしょ。そんだけあったら逆に迷うと思うんすけど」

「そうだよね~。スランプ中だわ~」

「そんだけ描いといてスランプはないっすよ」

「自分ってこんな絵だっけ?ってなるんだよね~。まあ、こういう案件に自我はいらないんだけど」

少しの沈黙が訪れる。デジタルペンのシャッシャッという音と、カフェオレの氷がカラカラと鳴る。

「矢護さん金曜日の夜暇っすか?」

「えっ?なんで?」

要件を言われずに誘われるのがあまり好きではない私は身構えてしまった。

「野球のナイター行かないっすか?」

「松澤君、野球好きなの?」

「いや、全然興味ないっす。大学の友達からチケット貰ったんすけど持て余してて」

「そういうことね」

「花火もあるみたいっすね」

「行こうかな。夏って感じするし」

松澤君にもちゃんと友達いるんだと少し安心した。ここ最近は金曜日は毎週ホタちゃんとご飯に行っていたが、たまには離れてみるのもいいかなと思った。

何より松澤君が珍しく誘ってくれたことが嬉しかった。


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