【よく言われる】
夜でも汗ばむ季節になってきた。気休めのハンディ扇風機は本当に気休めにしかならず、生ぬるい風が首筋を通るだけだった。ボディシートの粉っぽい香りが鼻につく。前髪はもう手櫛ではどうにもならないくらいには汗でうねっている。
「お疲れ~!」
「おつ~」
いつもの改札前で待ち合わせをする。ホタちゃんはYシャツの袖をまくっている。ネクタイもしていない。6月からは衣替えか。私の会社ではみんな私服だからあまり衣替えの概念がないから新鮮だ。
「こないだありがとうね!本当助かったよ~」
「いいよ、次の日から出勤しちゃって大丈夫だったの?」
「大丈夫!今日は私がおごるよ~!あっ、もちろん体温計とかのお金も返すよ!」
「律儀だな~。別にいいのに」
「もらいっぱなしだと気が引けるからね」
「そんなこともないけどね」
―――
「ホタちゃん、意外にお酒弱いよね。飲み会とかどうしてんの?」
ビール一杯で耳まで赤くしてる彼に向かって言う。
今日は特にお店を予約していたわけじゃないからふらっと目に入った居酒屋に入った。堅苦しくない少しガヤガヤとした雰囲気の海鮮居酒屋だ。壁には本日のおすすめメニューが貼ってある。味のある字で書かれたメニューの数々だ。字の書き方でもそのお店の雰囲気を味わえる。眩しいくらいの裸電球がひしめき合っている。誰かが注文するたびに大声で「ありがとうございまーす」と聞こえる。デートにはあまり使えなそうだが、私はこういう居酒屋の方が気を遣わなくて好きだ。
「飲み会はあんまり行かないようにしてる。実際、それどころじゃないくらい忙しいし」
「最近私にかまけてばかりで仕事溜まってるんじゃない?」
少しからかうように仕掛けてみる。
「ようちゃんのために死ぬ気で仕事終わらせてるんだよ」
こういう歯の浮くようなセリフをサラッと言うんだよな、この人は。
「次はホタちゃんが倒れちゃうからほどほどにしなよ」
「ようちゃんも仕事のし過ぎで熱出たんじゃないの?」
ホタルイカの煮つけを食べながら言う。共食いだなと思うが、そんな寒いギャグは言わない。
「それ上司にも言われたよ。オーバーワークだって」
「実際、ようちゃん他の人に比べると色んな案出してくれるし、早めに提出してくれるからこちらとしてはありがたいけどね。だからこそちょっと心配だよ」
「落ち着いたら旅行にでも行けって言われた。その上司と一緒に」
「えっ!?」
目を丸くしてこちらを見る。
「冗談だよ。本気でそういうこと言う人じゃないから」
「男だよね?」
「八幡さんだよ?打ち合わせ一緒だった」
「結構ガツガツした人だとは思ったけど、そんな感じなんだね」
「いつもそんな感じでからかってくるよ」
「下手したらセクハラだね」
「後輩の男の子も言ってたわ。『矢護さん、いい加減セクハラで訴えた方がいいっすよ』って」
「そんな明け透け言ってくれる後輩いるなんて恵まれてるね」
「この子はあの打ち合わせに来ない子ね」
「ようちゃんの周りは変わってる人が多いな~」
「デザイナーってやっぱちょっと変わってる人が多いからね」
「俺はただのサラリーマンだから、周りもまあ普通の人が多いよ」
「代理店営業って大学ラグビー部のゴリゴリマッチョで合コン三昧の女の子好きな人が多いイメージだけどね」
「めっちゃ偏見だね!でも、まさしくそのまんまの人はいるよ」
少し吹いたように笑い、おしぼりで口を拭きながら言う。
「ホタちゃんは合コンとか行かないの?」
「行かないかな~。新人の時は誘われたら律儀に行ってたけど、疲れるだけだからもう行かなくなっちゃった。ようちゃんは?」
「私はもはや誘われすらしなくなったな~。年かな?もうアラサーだし」
というより、学生時代の友達とも疎遠になってきて、週末はこんな風にホタちゃんと飲むか家で絵描いてるかの二択になってる。
「そんなことないでしょ。今時の27歳なんてまだまだ若いよ」
田舎に住む両親は私が好きなことばかりして生きていることに特に何もいない。年に一回くらい心配そうに『彼氏とかいないの?』と聞いてくるくらいだ。そのたびに私は申し訳なさそうに『いない』と答えるだけだ。正直なところ恋愛にリソースを割いている時間はなく、今のがむしゃらに仕事して、休みの日は自分の好きなことをするというのが性に合ってるんだと思う。
「まあ、今はまだやりたいことがあるからそういうのはいいかな」
「ようちゃんは自分一人でも生きていけそうだからね」
頬が赤く、少しうつろな目で私を見る。少し呆れられてるようにも感じる。
何度も不特定多数の誰かに言われてきた言葉だった。
「よく言われるよ」