【デザインの奴隷】
「ようちゃん!待って~!」
「ホタちゃんは~や~く~!」
一面眩しいほどの銀世界に私たちは足跡を残していく。
「こんなに降ったらかまくら作れるんじゃない?」
「ようちゃん!かまくらは危ないから大人がいないと作っちゃダメって言われてるでしょ?」
「ホタちゃんは真面目だな~」
地域で年が近い子は2個年上のホタちゃんだけだった。私の記憶の中のホタちゃんはこけしのようなおかっぱにリンゴのように真っ赤なほっぺで、私が無茶をしようとするのを心配そうに止めてくれる少し気弱で優しい女の子だった。
「ようちゃん?あのね、仙台の中学校に行くことになったの」
ジリジリジリジリジリジリ――
目を覚ますとなんだか懐かしい気持ちだった。
夢の内容は何一つ覚えていなかった。
―――
「おはようございます」
会社に着くといつもと同じ席に着く。
私の会社ではフリーデスク制というオフィス内の作業場所を固定せずに自由に席を選んで座って作業ができるというスタイルを採用している。しかし、実際にはなんとなくチームが一か所に集まるような形で別部署との打ち合わせがない限りは、みんな大体同じ席に座っている。
「矢護さん、こないだのアウトドアイベントのポスターデザインの修正してほしいっていうメール来てましたよ」
斜めの席に座っている後輩の松澤君が朝の挨拶もせずに私に向かってぶっきらぼうに言い放つ。
「さいあく~。もう2回目だよ~」
デスクにラップトップを広げて早々気分はダダ下がりになった。
「オツっす」
松澤君は私の顔も見ずにそう言う。
今どきの若者はなんては言いたくないが、私が新卒の時は先輩に向かって「オツっす」なんて恐れ多くてできなかったのにと考えてしまう。
注意したらしたでウザがされるから言わないけど。
「ポスターデザイン修正ならWEBの方も修正ってことでしょ?松澤君もHPの中身変更入るから他人事じゃないからね~」
「うわっ!エグッ!マジキチィっす」
修正修正納期納期に追われる毎日だ。自分の作りたかったデザインができているかって言ったらできてないと思う。
わざわざ山形のド田舎から東京の美大に入って、なんとか入った小さいデザイン会社だ。美大で習ったことも何も生かせずに、ただただクライアントの言われるがままのデザインばっかり。それでも絵を描くことが好きでデザインすることが好きでどうにかこうにか食らいついている。
就職してから仕事仕事の日々で会社と自宅の行き来しかしていない。たまに勉強のために美術館や写真展に出向く。これもほぼ仕事のためで特に楽しいとかはない。
自宅の最寄り駅に併設しているスーパーに寄り、缶チューハイを数本買う。特に他に何か買う予定はないがスーパーを一周する。新しい商品やポップが展示されていたらそれを見る。参考になりそうなものがあればスマホで写真を撮ったり、すぐにその商品を検索してWEBページのデザインを見る。
家に帰ってきてからも缶チューハイを飲みながらテレビでバラエティを見る。気になるオープニングがあったらどこの映像制作会社が作っているのかエンディングクレジットを見てチェックする。そこの映像制作会社のHPを見て過去の映像作品をかたっぱしから見る。
外食する際もまずお店のHPを検索する。WEBデザインが分かりづらかったり、見づらいお店には行かないと決めている。美味しい、店員さんがいい接客だったなどのどこの誰かも知らない人の口コミなんかよりもHPのUIが私の店選びの基準になっている。
私はデザインに支配されている。
楽しくはない。でも好きだからこんな生活を何年も続けている。
社会人になってから5年。27歳の立派なアラサーだ。
周りが結婚していっているかというとそういうわけでもない。この業界は他より結婚をしないのだと思う。自由といえば聞こえはいいが、昼夜問わずに働ける人じゃないと成り立たない。結婚して配偶者によほどの理解があれば別だが、普通の価値観では結婚生活は成り立たない。ましてや子どもができたりなんかしたらこんな無茶な働き方はできない。妊娠をした先輩が辞めていくのを何人も見た。それは別に古い体質の会社だからなどではない。福利厚生も充実しているがそういう問題ではない。この仕事をしていると子育てができないからである。それは男女ともに思っていることである。ただ、男性は妊娠出産という体の変化がないことや、女性よりも子育ての関与する時間が少ないからか、既婚でもこの仕事でバリバリ働いている人は多い印象だ。
デザインができるんだ。じゃあ、フリーランスになっても稼げるじゃないか。そういう人も少なくない。分かる。言っていることはごもっともだが、フリーランスで食っていけるのはほんの一握りなのだ。大体は安い値段で買いたたかれて終わりだ。そもそもフリーランスは経理、営業、デザイン、すべてを自分一人で行わなければいけないため、会社に所属しながらただただデザインだけをしていればいいだけだった時とは雲泥の差なのである。
そうして私は今日も結婚出産する気持ちも見込みなく、この会社の犬としてひたすらに働くのだ。
「あ、矢護~。いたいた」
私の背後には八幡課長がタブレットを掲げながら手を振っていた。
八幡課長は1年前に課長職になった33歳独身の男性だ。飲み会での口癖は「課長になんてなりたくなかった」「俺はデザインだけをして生きていきたかった。」「管理職に向いてない」などなどの愚痴をひたすらする厄介な人だ。
「あれ?八幡さん眼鏡変えました?」
「気づいた?誰も気づいてくれないんだもん!」
乙女かよ。
「俺のこと前みたいに八幡さんって言ってくれるのも矢護だけだし、俺には矢護しかいないよ~」
そう言って眼鏡越しに涙を拭く動作をした。
「課長。それセクハラっすよ」
松澤君がタッチペンで八幡課長を指しながら言う。
「松澤!お前も俺のことを八幡さんと呼べ!」
「いや、俺、課長が課長になってから入社したんで課長になる前の課長を知らないので無理っす」
10歳上の上司にここまで言えてしまう松澤君が少し羨ましくも感じる。
やれやれという顔をして大人な対応をして八幡課長は私の方に向き直る。
「矢護指名の案件入ってきたぞ」
「えっ」
この案件が私の人生を変える。