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牙城大社縁起

狐憑き巫女と異人館の悪霊

作者: 大浜 英彰

挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。

 床には緋色の分厚い絨毯が敷かれ、天井から吊り下げられた豪奢なガラス細工の施されたシャンデリアが燦然たる輝きで室内を照らし出している。

 そんな立派な西洋式の普請には、思わず圧巻の溜め息を漏らしてしまうね。

 流石は御雇外国人の住まいとして築かれた異人館と言うべきか、全く大した物だよ。

 この一軒だけでも凄いのに、私が今こうして立っている神戸の町には西洋式の異人館が何軒も軒を連ねているのだから本当に驚いてしまうよ。

 これではまるで、異人さんの故郷である西欧諸国の街並みをそっくりそのまま移築してきたみたいじゃない。

 とはいえ日本も明治の御代になってから二十二年も経つんだし、文明開化に伴う近代化と西欧化の流れは必然なのかも知れないね。

 ましてや此処は、関西の港町である神戸に築かれた居留地なんだもの。

 故郷を遠く離れた異人さん達が快適に暮らせるよう、街並みから衣服に至るまで西欧式の物が取り揃えられているのは当然だよ。


 とはいえ御気の毒な事に、このランシング邸に住む人々の状況は御世辞にも快適とは言えなかったんだよね。

 それというのも、ランシング家の人々が奇妙な霊障に襲われたからなんだ。

 怪しい物音や気配を感じた使用人達が暇乞いをしたり、ランシング氏や夫人が悪夢に魘されて金縛りに遭ったりと、本当に様々な怪現象が起きたらしいの。

 度重なる霊障に音を上げたランシング氏が本国へ逃げ帰ってしまったら、彼を招聘した日本政府としても一大事だよね。

 私こと深草花之美(ふかくさかのみ)戦巫女(いさくみこ)として所属する京洛牙城衆(きょうらくがじょうしゅう)に政府直々の協力要請が入ってきたのには、こういう事情があったからなんだ。

 何しろ嵐山の牙城大社を拠点とする我等が京洛牙城衆は、帝の御膝元である京を守護する使命を帯びた武装自警組織で、古武道や霊能力を極めた戦士達が大勢所属しているんだ。

 人智を超越した怪異がもたらす国難なら、京洛牙城衆である私達の出番だよ。

 こうして大巫女様を始めとする京洛牙城衆の上層部は、実働部隊である戦巫女(いくさみこ)戦禰宜(いくさねぎ)の中でも腕利きの戦士達を選抜し、神戸居留地への潜入調査を決議されたんだ。

 ある者は出入りの業者に成り済まして嵐山との連絡係を担当し、またある者は使用人として異人館の内部に潜り込む。

 そして大巫女様が私に命じられたのは、後者の任務だったの。

「狐憑きの家系である深草さんは一騎当千の戦闘力をお持ちですからね。オマケに剣術の腕前にも秀でているのですから、有事の際には頼りにしておりますよ。とはいえ此度の任務は、異人館の使用人に身を窶しての潜入調査ですからね…」

 大巫女様が難しそうな御顔をされていた理由は、私にもすぐに分かったんだ。

 要するに、私が日頃から武器として愛用している大小の日本刀を携行するのは、今回の任務に関しては御法度って事。

 異人館の使用人が二本差しをしていたら、流石に不自然だよね。

 潜入用の衣装の中に隠せる小脇差しか携行出来ないのは少し心細いけど、そこは京洛牙城衆の戦巫女として会得した戦闘技術と勇気で補ってみせるよ。


 それよりも私にとって厄介なのは、潜入調査で袖を通す羽目になった衣装の方だったんだ。

「それにしても、洋装とは実に違和感が御座いますね…スカートは着流しのような物と解釈すれば何とか許容出来るのですが、ブラウスというのは上半身が密閉されるのですね…」

 案の定と言うべきか、異人館の使用人の御仕着せは黒と白を基調にした洋装だったの。

 挿絵(By みてみん)

 牙城大社の巫女としての御勤めの際には勿論、高等女学校へ通学する時にも和服で通している私にとっては、どうにも落ち着かないよ。

 感覚を研ぎ澄ますために硬化させた髪の毛を狐耳に仕立て上げてはいるけど、普段より気合いが入らなくて困っちゃうなぁ…


 そんな私の背筋を凍らせたのは、至って穏やかな一声だったんだ。

「心頭滅却すれば火もまた涼しですよ、花之美さん。我々が拘るべきは洋装か和装ではなく、果たすべき大命なのですから。」

「た、武信(たけのぶ)さん…」

 振り向いた先に佇立していた黒い三つ揃い姿の人影に、思わず全身が総毛立ってしまう。

 挿絵(By みてみん)

 私と同じ使命を帯びてランシング邸に潜入した稲倉武信(いなくらたけのぶ)さんは、管狐を手足のように使役出来る将来有望な若き飯綱使い。

 同じ京洛牙城衆の戦友として敬愛すべき相手である事は、今更言うまでもないよ。

 だけど私にとっての武信さんは、単なる仲間や同胞の範疇には収まらない特別な存在なんだ。

 にも関わらず、こんな情けない不平を聞かれてしまうだなんて。

 ああ、穴があったら入りたいよ…


 だけど武信さんの端正な細面に浮かんだのは、幻滅の表情でもなければ軽侮の冷笑でもなかったんだ。

「とはいえ私も、正直に申せば花之美さんに同感ですよ。どうもネクタイという物は、首元が詰まって落ち着きません。やはり私達には和装が性に合っているようですね。」

「武信さん…」

 白い歯を軽く見せた武信さんの笑顔には、冗談めかした照れ臭さが感じられたの。

 洋装に戸惑っていたのは、私だけじゃなかったんだね。

「仰る通りですよ、武信さん。オマケに三食の賄いも西欧式にパンやコーヒーでしょう?この館の主であるランシング氏はアメリカの方ですから、パンやケーキを日常的に御召し上がりになるのは物の道理ですよ。とはいえ私と致しましては、そろそろ稲荷寿司やキツネうどんが恋しくなって参りましてね。そこまで我儘は申しませんが、せめて和菓子を召し上がりたい所ですよ…」

 使用人に身を窶しての潜入調査も、既に四日目。

 最初は物珍しくて美味しく感じられた洋食の賄いも、この頃には味の濃さや脂っこさが気になり始めてきたんだ。

「そう仰る頃だろうと思っていましたよ、花之美さん。どうぞ御召し上がり下さい。食料品店の御用聞きに化けた仲間が調達してくれた品々ですよ。」

「おおっ!」

 スーツのポケットから和妻みたいに取り出された品に、私の目は釘付けになってしまったの。

 紅白の落雁に、海苔が巻かれた醤油煎餅。

 それらは私達が嵐山で普段から食べている干菓子だったんだ。

「頂きます、武信さん!この異人館で落雁や煎餅を召し上がる事が出来るとは、流石に夢にも思いませんでしたよ!」

 ホロホロと崩れる落雁の甘味に、醤油煎餅の歯応え。

 普段何気無く食べている干菓子の味に、ここまで癒やされるなんてね。

 見慣れた落雁や醤油煎餅が、まるで高天原の食べ物みたいに感じられたよ。

 この干菓子で英気を充分に養ったら、キッチリと悪霊騒動に終止符を打たないとね。

 とはいえ明日が六曜でいう仏滅の日である以上、何事も起きないとは思えないんだよね。


 事態が一気に動き出したのは、日付けが変わって数刻後の事だったんだ。

 草木も眠る丑三つ時、夜のランシング邸に怪しい気配が現れたの。

飯綱招魂いづなしょうこん白狐刀びゃっことう!」

 武信さんが召喚した管狐を小脇差に憑依させ、即席で仕立て上げた霊刀を袈裟懸けに振り下ろす。

 それだけの動作で、ランシング夫人に迫りつつあった悪霊はバッサリと両断された。

 一先ず当座の危機を退ける事は出来たみたいだね。

「オォ…大丈夫ですカ?」

「アア、アナタ…」

 安堵の表情を浮かべながら伴侶を抱き寄せるランシング氏と、緊張の糸が切れて呆けた顔をしたランシング夫人。

 彼等の感覚としては、これにて一件落着なんだろうな。

 だけど私達としては、正直言って何の解決にもなっていないんだよね。

 原因究明と根治治療を疎かにしてはいけないのは、病気も霊障も同じ事なんだ。

「あの悪霊一体だけで、ここまで大事になるはずがありません。残りの奴等が、必ず何処かに潜んでいるはずです…」

「私も同感ですよ、武信さん。索敵の精度を上げましょう。」

 思いを寄せる飯綱使いの青年に頷きながら、私は廊下に出て精神を統一させたんだ。

 丹田に力を入れ、全身の感覚器官を研ぎ澄ませる。

 御先祖様から受継いだ狐憑きの力を駆使すれば、常人には感知出来ない微弱な邪気だって索敵出来るんだ。

「むっ…?」

 そして狐憑きとしての超感覚は、今回も私の期待を裏切らなかったの。

 微かに漂うきな臭い異臭を、鼻と狐耳の体毛が確かに捉えたんだ。

「こちらです、武信さん!」

「心得ました、花之美さん!」

 武信さんを従えて廊下を駆け出す私の身体が、みるみるうちに変化を遂げていく。

 既に展開していた狐耳はピンッと立ち上がり、スカートからは白い尻尾さえ食み出していたんだ。

 こうして白狐への転身が進行するに伴い、霊力と闘争本能がみるみるうちに高まってくるよ。

 この力を信じられる限り、私はどんな危険な敵にも勇気を持って立ち向かう事が出来るんだ。

 それに私の背中は、誰よりも心を許せる武信さんが確かに守ってくれている。

 邪教徒だろうと悪霊だろうと、まとめて相手になってあげるよ!


 そうして狐憑きの本能に従って駆け抜けた先にあったのは、ランシング邸の玄関先に設けられた石段だったの。

「この石段、今宵は踏まない方が賢明でしょう。飛び越えますよ、武信さん!」

「心得ました、花之美さん!」

 充分な助走をつけて、私達は勢いよく跳躍した。

 春の夜空に輝く美しい朧月を、庭木の葉陰に仰ぎながら。

「むっ!」

「はっ!」

 音もなく大地に降り立ち、サッと顔を上げる。

 夜目で見据える先は、玄関先に設けられた滑らかな石段。

 私の直感に狂いはなく、そこは怨霊達の巣窟だったんだ。

「何故だ…どうして我々は、南蛮の奴等に踏みつけられなくてはならないのだ…」

「痛い…痛い…」

 石段の隙間から煙のように噴き出し、怨嗟の声を上げる死霊達の群れ。

 こんな光景をランシング家の人達が見たなら、恐怖で卒倒してしまうだろうね。

「踏みつけられる…?そうか!彼等は恐らく…」

 心眼を用いて石段を見つめれば、その謎は一目瞭然だったよ。

 ランシング邸の石段は、古い墓石を材料にしていたんだ。

「何処かの廃寺の墓石を、御性根抜きもせずに使ってしまったのでしょうね。大方、工賃を安くして差額を着服しようとした悪徳業者の仕業でしょう。理不尽に祟られたランシング夫妻も気の毒ですが、この仏様達も被害者ですよ。」

「廃仏毀釈の流れで打ち捨てられた寺は、日本各地に御座いますからね。顧みられなくなった墓石に敬意を払わず、欲に駆られて転用する輩が現れるのもおかしくはないでしょう。いずれにせよ、罪作りな真似をしたものです。」

 どうやら死霊達は、墓石を踏みつけられた無念の思いを訴えたくてランシング邸に現れたんだね。

 そうと分かった以上、私達が取るべき対応も必然的に変わってくるよ。

 とりあえずは御霊鎮めの祝詞を二人で唱えたけれど、これはあくまでも応急処置。

 後に正式な御霊祓いの神事を行う事で、ランシング邸の悪霊騒動は本当の意味で解決と相成ったんだ。


 かくして神戸居留地を騒がせた悪霊騒動は収束し、私達は嵐山の牙城大社へ堂々たる凱旋を果たしたんだ。

 私と武信さんの二人にも、神職と学生の二足の草鞋に明け暮れる毎日が戻ってきたの。

 だけど武信さんと以前よりも親密な仲になれたのは、あの潜入調査の大きな成果と言えるだろうね。

 私達もランシング夫妻みたいに、お互いを気遣える素敵な伴侶になりたい所だよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悪霊との戦いもカッコよく描写されていて、凄い!と思いました。 でも。 >そろそろ稲荷寿司やキツネうどんが恋しくなって参りましてね。 これには笑ってしまいました(笑) 狐憑きさんの方は皆…
[良い点]  世界観が確立されており、連載作でもいけるのではとおもいました。時代設定も良いと思います。明治、大正などはどこかミステリアスな雰囲気があるので。 [気になる点]  特にございません。 [一…
[良い点] 御性根抜き。 この言葉は知りませんでした。 で、ちょっと調べてみました。 これをすれば亡き者たちの魂が抜かれ、墓石の再利用はだいじょうぶになるんですね。 それをせず墓石を石段として再利用し…
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