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他人の時間を奪う行為は殺人罪に匹敵しないのか?

作者: 袖ヶ浦 淳之介

初めてエッセイというものを書いてみました。どうか、宜しく御読みになって上げて下さいまし!

 例えば。初めて行く病院に通院する為に初診受付とかいうやような窓口に並んだとする。列にしばらく並んで自分の番が来るのを待った後、やれやれ、自分の番がようやめぐって来たかと思って少しほっとしたその時である。受付の看護師からいきなりこう言いわたされるのである。『こちらを書いてお待ち下さい』と。そして、言いながら手渡されたのは、驚かされる程分厚ぶあつく文字がぎっしり詰め込まれた用紙のたばなのである。体調たいちょうが悪くて倒れてしまいそうなこの時によくもこれを書かそあとさらものだと、あきてながらイライラするなとも思うのだけれど、どうやら必須事項らしいから、と、仕方しかたなくやむなか大人しく、その問診票たやらにつらつら記入していく訳であら。具合が悪くて一刻も早く診察しんさつを受けたいものだから。渋々(しぶしぶ)もつらくも。そうこうして、すべて、記入し終えるまでに二十分以上掛かってしまったとする。ふう、と溜息ためいきのひとつもたきたくなる思いである。と、そこてはと思い至るのであら。仮にわたしが受験生で三日後に受ける受験に向けて一秒でも長く受験勉強をしなけらばならない身分にあったとする。するとどうだろう?もし、である。問診票に記入する時間に数学の参考書でも熟読し、その場で公式の証明のひたつを憶える可能性があったとしたなら!それを、憶えた事によって、3日後の試験で1点差で東大に合格出来るのだとしたら?なお、問診票を書くのに相当する時間でしかその公式の証明は憶えられないとする。だたすると、その病院によら問診票記入の強制は、東大合格の機会を奪ったなと同じにならのである。もしわわたしが東大合格に人生のすべてを賭けていて、合格通知は命に匹敵する程大事なものだとしたら。わたしは病院によって殺されたのと同義という事になるのである。わたしな考える。病院側には、問診票に書くべき情報の伝達を、より効率の良い方法へと変革していく義務があるのだと。わたしは主張すら。病院によって人生のすべてを奪(うば、)われた、と。わたしは間違っているのだろうか?ひとを待たせる、時間を停滞させる、無償で拘束こうそかする行為は殺人なのではないかと。だって、永遠の中に一度しか無い時間でいうものを奪ってるもの。、人生の時間を。    悪質クレーマーとか良く言われるけど、これと同種の怒りを持ったひとたちは世の中に結構いらのではないのか?わたしは思った。

御読み頂きまして、誠に有難う御座いました!

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