68.いた
ぞわり、と悪寒が走った。
「エール!」
「エールお兄様は、わたしの後ろに!」
瞬間、リュントとナジャちゃんが俺の前に立った。あのうナジャちゃん、俺いつ君のおにいさまになったかな? アナンダさんに怒られないか?
「守れ守れ、我が友を」
と思ってたらアナンダさんはアナンダさんで、防御結界を全開にしてくれた。俺の周りだけ。いえ、確かに弱いですけどほんと済みません。
まあ、俺が弱いのは仕方がないとしてひとまず、今の声だ。聞いたことはないけれど、聞いたことあるような気がする。姿は……見えない。俺が見えないだけで、モモ含めたドラゴンたちは一点を見つめているから多分、そこにいる。
『人の子には見えんだろう。まあよい』
「みゅあっ!」
……ああはい、俺ほんとに弱いからね。モモにまで庇われてるよ。けど、かれらがそうやって反応するんだからこれは、ドラゴンの声だってことだ。
……俺が知っているドラゴンの、気がする。
「あなたは」
『我が名、どうせ知っておるのだろう? 教えてやれ、か弱い人の子に』
リュントが、名前を知っているドラゴン。俺たちと敵対するやつは、ひとりしか、いない。
「リュント。俺には見えてないんだけど、もしかしなくても奴か」
「はい。人がつけた名は『暴君』、三年前とこの前、竜の森で暴れた同類です」
確認の意味で投げた問いに、リュントは当時その場にいなかった者たちにも分かるように答えてくれた。三年前とこの前、ということでアナンダさんたちには御理解いただけると思うんだけど。
「我が子を食らった、愚かなる者か。……しかし、その言い方は再び還ってきたのだな」
「声の主が『暴君』なら、二度目です」
「一度は知ってますけど、二度ってありなんですかあ?」
アナンダさんは平静を保ってるけど、ナジャちゃんの声は微妙に震えてる。それだけ、相手が異常だってことか。
暴走して滅んだドラゴンは、そのときに孵っていない自分の産んだ卵があればそこに乗り移って復活する。前回の『暴君』は、そうやって復活したらしい。
二度目ということは、まだもう一個あった、ということになる。卵を二つ生むなんて、壮絶にレアだよな、きっと。
『気づいたであろうな。我が卵が、ひとつではなかっただけの話よ』
闇の向こうでにやり、と笑った気がした。もしかして、俺、見えてないほうがまだましとか言わないか? 見えてたら、ここまで冷静でいられたかどうか。
……そういえば、と思ってナジャちゃんに簀巻きにされたコルトを視線だけで探す。ああ、何か放置プレイされてるな。もがいてもいないから、気絶してるんだろう。そのほうがいいぞ、お前。
『我としても、ふたつ産めたことは僥倖であった』
「この前戦った『暴君』の魂が、もう一つの卵に取り憑いた……ということですね。私は初めて聞きました」
「グレッグあたりであれば、もしかして知っているかも知れんが……俺も初めてだな」
あー、ものすごく珍しすぎる状況だと言うことは理解した。アナンダさんも初めてで、もしかしたらグレッグくんは知ってるかもしれない、というレベルだし。
ただ、それだと何というか、おかしい。
「けど、何でしゃべれるんだ? 前回の『暴君』は、そんなことなかったのに」
「食らったのはあ、自分の産んだ卵だけじゃないってことですねえ」
ナジャちゃんが、モモごと俺を後退させるように後ずさってくる。結界は俺を基点に張られてるみたいで、俺が後ろに下がるとちゃんとついてきてくれた。
『暴君』は、ここに復活するまでにどれだけ、何を食ったのか。その答えは、やはりというかアナンダさんが出してくれた。
「よくある話だが。魔物は共食いをすることで、一個体に力を集約することができる。それはドラゴンも然りだが……我々は、理性に基づきそのようなことはしない」
「理性に、基づき」
「そういうことですねー。暴走しちゃったら、理性より感情、本能のほうが優先になっちゃいますから」
うん、魔物のそういう話は聞いたことがある。……個体数が増え過ぎるとそういうことにもなるので、俺たち冒険者が魔物を討伐するのはそれを防ぐ間引きの意味合いもあるとかなんとか。ゴブリンコロニーの討伐も、その一環でもあったりする。
ドラゴンはもともと個体数が少ないはずだし、暴走しなければこの場にいてくれる皆やグレッグくんのようにちゃんと話もできるひとたちだ。共食いなんて、まずありえない。
ありえないことをするのは、暴走した個体だけだ。
「誰を食らった? 言葉を紡ぐ事ができる、という時点でまあ、察しはついているのだが」
『森の奥で寝ている年寄りがいたからな。こう、ばくりと』
アナンダさんの問いに、声はうっすら笑いを含んだ感じで答えた。この場合の森は竜の森だろう……その奥で寝ている『年寄り』って。
「………………長老を、食らったのですか」
リュントが知ってる、年老いたドラゴンの長。
怒る。リュントだって、怒る。
だけど、だめだ。
「リュント!」
「っ」
思わず踏み出して、彼女の手首をつかんだ。あわあわしてるナジャちゃんやモモ、俺の心配してくれてるのか。ありがとな。
でも、リュントは俺と仲良くなった、初めてのドラゴンだから。
「リュント、だめだ。あんな奴と、一緒になるな。……俺には見えてないけど」
「……きゅあ」
ぎゅう、と手首を握りしめながら呼んだ俺に、リュントはトカゲだった頃と同じ声で、小さく返事した。




