『雨に打たれし剣』
「一雨来そうだな」
分厚い外套に身を包んだ男は、空を見上げて呟いた。
周囲に人の気配はない。
薄暗い路地裏が空に広がる雲のせいで、さらに怪しさを増している。王都を庭と豪語する市民であっても、この道は好んで通ろうとは思わないだろう。しかし、男はこの程度で恐れなど抱かない。如何なる脅威が迫っても撃退する自信と、それを可能にする実力を持つこの男には魔喰の闇すら恐怖の対象にならないだろう。
男は壁に寄りかかると、外套の内ポケットからここに来る理由となった紙を取り出した。
一見ただの羊皮紙だが、魔力を込めることで隠された文章を浮かび上がらせることができる。一部の上級貴族などにしか知られていない、マジックアイテムだ。
「『左大将軍レオナルド・フィン・ディオナ様。突然のお手紙失礼いたします……』」
ナミラがウルミと戦った夜。
その最中に一羽のふくろうが運んできた手紙を見つめ、レオナルドは笑った。
「これで、この国を救うことができる」
レオナルドは王国の未来を憂いていた。
平民が力を付け、貴族よりも上に立つ。そんな昨今の状況を危惧していた。
「王はなにも分かってはいない。平民が貴族よりも優れているなど、あってはならない。王族貴族は平民を使うものでなくてはならない」
レオナルドは、無意識に歯を食いしばった。
「絶対的な身分制度が、国を国として成り立たせるのだ。平民の力を認めてしまえば、革命に繋がるとなぜ分からん。生まれ持った身分が意味を成さなくなれば、これまでの歴史で虐げられてきた者たちがなにをするかなぜ想像できん。若い頃に冒険者として俗世を見たと言うが、それはほんの一部だ。人間の本当の醜さを知らん」
深いため息のあと、レオナルドは腰の剣に手を触れた。
「この身は王国の剣。先祖代々、我が一族は王国の為に命を捧げてきた」
手紙をポケットにしまい、天を見上げる。
「酒乱王の時代には、我が祖先は王子と共に反乱を起こした。国の為ならば、現王に突き立てられる刃にもなろう。手紙の内容が本当なら、この方との繋がりは王国の未来を照らすはずだ」
これから、差出人がこの場にやって来る。
近くに自身だけが知っている秘密の小屋があり、そこで今後について話をする予定になっていた。
「ん?」
視界の端に動く影を見つけた。
目をやると、自分と同じくフードを深く被った人間が向かってくる。背格好から待ち人であることは間違いなさそうだと、レオナルドは壁から背を離し手を挙げた。
「がっ……はっ!?」
次の瞬間、レオナルドの腹部に刃が突き刺さっていた。
なにが起きたか分からない。
目算で二〇メートルは離れていたはずの人影が、懐に入っている。なにより左大将軍である自分が正体不明の攻撃に不覚を取り、致命傷を負うなどあり得ない。あり得てはならない!
「ぜあああああっ!」
剣を抜き放ち、音速の一撃を繰り出す。
しかし、なんなく躱される。
それどころか剣を握っていた右腕は斬り落とされ、大量の血が噴き出した。
「な……なぜだっ! その強さはなんだ! 手を結ぶのではなかったのか!」
王国において右大将軍、賢者ガルフと並び最強と名高いレオナルド。
そんな彼がまるで歯が立たない圧倒的な実力差。
目の前の人物がここまで強いはずがない。自分が負けるはずがないと、満身創痍ながらレオナルドは現実を受け入れられずにいた。
「……飼い猫が殺されまして。でも、面白そうな玩具を見つけたんですよ。貴方で遊ぼうと思ってましたが、そちらにしようかと。となれば、貴方は邪魔なだけなので」
酷いノイズに阻まれて、発せられた声は不気味な不協和音を奏でていた。
「強さの秘密は……知る必要ないですよね? 今から死ぬのに」
刀身から滴る血を舐め取り、妖しく笑う。
その笑顔を、レオナルドは血を吐きながら睨みつけた。
「それはヒタイト・コレクションか。使う得物も下衆のモノとは、貴様を少々過大評価し過ぎていたかもしれんな!」
死に体の状態ながら、レオナルドは見下した笑みを向けた。
挑発は効果を表し、フードの下に不機嫌に歪む口元が見えた。
「シネ」
人影が消え、頭上から殺気が放たれる。
「馬鹿め!」
レオナルドは残った左腕を盾にし、剣撃をあえて受け止めた。
刃は深々と刺さり、簡単には抜き取れない。
「闘技! 流々奔竜!」
雷のような闘気が傷口から剣を伝って体を巡る。
命を賭けた渾身の技。
相手が誰であっても無事では済まない。
はずだった。
「痒い」
一言呟くと同時に、指を突き刺し左目を潰した。
「ぐぅあっ!」
レオナルドは苦悶の声を上げ、決死の技を止めてしまった。
「あぁ……そういえば知っていますか?」
地に倒れながらも、未だ戦意を失わないレオナルドに不気味な笑みが向けられた。
「貴方の先祖。リッパーマンという殺人鬼に、左目と右腕と両耳斬り落とされたんですよ。貴方もお揃いにしてあげましょう」
レオナルドの腕から力任せに剣を抜くと、相手は馬乗りになった。
「あぁ……でも、全身に穴が空くからお揃いではないですね。ではでは、耳から」
そのとき、風がフードを吹き上げた。
心の底から嬉しそうに耳を削ぎ落とす相手の顔を見上げながら、レオナルドは呟いた。
「なんて醜い」
その言葉を最後に、レオナルドの意識は闇へと沈んだ。
全身を滅多刺しにされ左目と右腕、両耳を失った左大将軍はやがて降り始めた雨に打たれ、たまたま通りかかった乞食の少年に発見された。




