『伝説の踊り子ターニャ』
「はぁ、はぁ、はぁ」
「く、くそ」
「も、もう、だめ……」
走り回った三人は、大きな杉の木の前にいた。
すでに体力は尽き、獣除けの袋もない。
「グルルルル」
血と獣の臭いと共に唸り声が闇から響く。
すでに血に飢えた獣たちに囲まれ、子どもたちはもう一歩も動けなかった。
「ナミラ……」
アニが涙と共に呟いた。
そして一体が飛びかかり、肉が裂け、血飛沫が飛んだ。
「ギャン!」
だが叫びを上げたのは、飛びかかったガルゥだった。
左目に深々とナイフが刺さり、脳にまで達している。倒れたガルゥに突き刺るナイフに、アニは見覚えがあった。
偽物の金の装飾が施されたそれは、ナミラがゲルトにもらったものだった。
「おおおおおおお!」
雄叫びと共にナミラはオオカミの背から飛び、ガルゥとアニたちの間に立ち塞がった。
「ナミラ!」
安堵の涙を流し、アニが背中に抱きついた。
「よくがんばったね、アニ。もう大丈夫だよ」
「うん!」
優しい微笑みに見ると、アニは背中から離れた。
「誰か、あいつらに触ってたり噛まれたりしてない? ガルゥの毛や牙には毒があって、ほっとくと痺れて動けなくなるんだ」
「大丈夫。誰もさわってないわ」
「よし。それなら」
ガルゥを睨みつけながら、ナミラは魔力を両手に集中させる。
「『天使の翼よ我らを包め 冷えた体に温もりを 傷ついた体に白き癒しをもたらせ 白翼の癒光」
ナミラは覚えたての回復呪文を三人にかけた。
温かな白い光の翼に包まれ、切り傷や打撲の痛みが優しく引いていく。
白魔法特有の聖なる光は、アニたちを癒しつつ魔獣であるガルゥには牽制の効果もあった。威嚇の視線を向ける後ろ姿をアニとデルは頼もしそうに見つめ、ダンは悔しそうに拳を握った。
だが、大丈夫とは言ったものの、ナミラでもこの状況を打破できるとは言えない。
先ほどは、ポルンの投げナイフの技で仕留めることができたが、手にある武器は斧ひとつ。
強力な攻撃魔法もなく、森の獣も怯えて戦えない。オオカミの生き残りもここまでの道中で疲弊し、木の陰で休んでいた。
相変わらずの危機的状況。
しかし、ナミラに恐怖はない。
背後で怯える子どもたちを守る使命感が、体の内でメラメラと燃えている。
自分の魂が、これまでの前世が、五体すべてを奮い立たせた。
「やってやろうじゃない」
まるで妖艶な女性の笑み。
両手を広げ、頭を垂れ、手に持つ斧が今にも落ちてしまいそうな構え。
踊り子ターニャが、生前舞台に上がるときにやっていた礼の姿勢。
そのあからさまな隙に、ガルゥたちは反応した。
一斉に飛び掛かり、肉に食らいつこうとした。
「ふふふっ」
ナミラは笑いながら、そのすべてを躱した。
流れる水のように、捕らわれない風のように。
しかし燃ゆる火のように激しく、大地から伸びる自由な花のように美しく。
爪も牙も届かぬうちに、ナミラの振るう斧が鮮血の花びらを生んだ。
一二〇年前。西の小国カウェで生きたターニャは、娼館で生まれ育った。
店の仕事で踊りを覚えた十三歳の彼女は、その才能を開花させ人気を博していく。噂を聞きつけた貴族に十五のときに買われてからは、古今東西様々な踊りを身に着けることとなる。
そして、それらを組み合わせることで今までになかった幻想的な踊りを生み出し、国内外で人々を魅了した。
二十六になった年。ついに時の国王の前で披露するときがやってきた。しかし、その晴れ舞台を利用しようとする輩がいた。
踊りに乗じて、王の暗殺が企てられていた。
ターニャは全身全霊で踊る最中に、暗殺者を見つける。そして、気づかれぬよう踊りながら王に近づき、凶刃から身を挺して守った。
毒の塗られた刃を受けながらも最後まで踊り抜き、幕引きと共に命を落とした。
彼女は「踊りの神」として伝説となり、今も世界中で語り継がれている。
そんな彼女の動きを、魔獣ごときが捉えるのは至難の業だった。
彼女は集まった数百人の賓客を踊りながら避け、王を守った。
二十体程度の獣など、伝説の踊り子を止めるには役者不足と言える。
「きれい……」
舞い踊るナミラに目を奪われながら、アニが思わず呟いた。




