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魂の継承者〜導く力は百万の前世〜  作者: 末野ユウ
第二部二章 思惑の乱立
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『夜明けと共に』

 暗く重たい静寂。

 マーラが張った結界の効果で、外で鳴く虫の声も聞こえない。

 ひとつの種族が滅びようとしている、受け入れ難い現実。その流れを八〇〇年見てきたマーラの言葉は、悲しみに満ちていた。


「……お姉さまに会えてよかった。あのときのこと、ちゃんとお礼を言いたかったんです。アルーナお姉さま、私を守ってくれてありがとう。お姉さまは、昔から何度も私を助けてくれたのに。こんな情けない姿を見せて、ごめんなさい」

 

 空元気で微笑むマーラは、アルーナの目に痛々しく映る。


「ふざけんじゃないわよ」


 行き場のない怒りが、美しい顔を染めた。

 マーラが悪いわけではない。必死に生きた魔族たちにも罪はない。どうすることもできない、時代の流れ。運命とも呼べる理不尽な力に対し、アルーナは怒りを抱いていた。


「お姉さま、落ち着いて? もう、仕方ないことで」

「じゃあ、あんたは何しにここへ来た!」


 カッと目を開き、アルーナが怒鳴る。

 マーラは体を跳ねらせて、小さくなった。


「ナミラの噂を聞いて、ここに来たんじゃないの? 英雄の子、四勇士を倒した平民、厄災と戦った少年。さっき自分で言ったわよね? 男を襲うのは危険だって。こんな力を持つ男を、危険を犯してまで狙いに来たのはどうしてなのよ?」


 二人の目に、堪えきれない涙が流れる。

 頬を伝わる滴を拭うこともせず、アルーナは続けた。


「諦めてないからでしょ! サキュバスクイーンのあんたがこんな好物件を吸収できたら、生気が下のサキュバスにも分配されるからじゃないの? 上手くいけば、新しい子たちを産めるかもって思ったからじゃないの?」


 マーラが顔を上げ、アルーナを見つめた。

 立ち上がり、泣きじゃくったままのクイーンは想いを口にする。


「そうですよ! もしかしたらって、期待してたんです! 怖かったけど、もう何百年も男なんて襲ってないけど、昔見たお姉さまたちの真似をして! 勇気を出して、他のサキュバスのために来たんです! だって……だって私はサキュバスクイーンだから。あのとき、お姉さまから「生きなさい」って言われたから!」


 くしゃくしゃの泣き顔で、しかし堂々と。

 マーラはその胸にあった覚悟を、誰にも言えなかった恐怖をぶつけた。


「よく言った。あんたは、立派なクイーンよ」


 優しく囁くと、アルーナはナミラヘ姿を戻した。


「来い、マーラ。俺の童貞、お前にやるよ」


 キョトンとナミラを見つめたマーラは、状況を理解するのに数秒を要した。


「えぇ! い、いいの? いただくよ? 食べちゃうよ?」

「今の俺は、闘気は伝説の英雄並に練れる。魔力も万象王の能力で、きっと尋常じゃないほど与えることができるぞ。あ、でも死ぬまで吸い取るなよ? これでも怪我人だからな?」


 童貞なのに偉そうで、初めての会った人間の少年。

 しかし、マーラはその笑顔がなによりも頼もしく、永い暗闇に現れた光のように見えた。


「はい……ナミラ様。この御恩は一生忘れません。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


 やっと涙を拭うと、マーラはベッドの上で三つ指をついて頭を下げた。


「お、おいおい。なにもそこまで」

「と、いうことで! いただきまぁ〜す!」


 抱きつき押し倒し、馬乗りになったマーラはクイーンの妖艶な笑みを浮かべていた。


「お姉さまには感動しましたけど、もうさっきから疼いて疼いて我慢できないの! さぁ、はやくっ! えへっえへへへへ」


 よだれを垂らすマーラを苦笑いで見上げていたナミラだったが、隙を見てすぐさま体を入れ替え、マウントを取り返した。


「いやん、積極的ねっ!」

「調子乗ってんじゃないわよ?」 


 姿はナミラのままだが、声と浮かぶ笑みはアルーナそのものだった。

 その様子に、マーラはサッと血の気が引き、引きつった笑顔になった。


「あ、あらら? お姉さま、お休みになったんじゃ?」

「馬鹿言うんじゃないわよ。あんた、あんなテクでクイーン名乗れると思ってんの? あの頃教えられなかった、サキュバス秘伝の印房術四百八十手。調教してやるから、覚悟しなさい!」


 マーラは息を飲み、少女のように震えた。


「そ、そんなぁ! 童貞くんとの楽しい夜がぁ〜」

「大丈夫。ちゃんとナミラの意識はあるから、童貞のガッツと精力はあるし、注ぐ生気もちゃんと十倍になるわよ。ただ、あんたの弱点知り尽くしてて淫魔のスキルと経験があんた以上ってだけの、純粋な童貞よ」

「もう童貞じゃないですよそれ〜!」

「夜は永いけど時間はないんだから、さっさといくよ」


 有無を言わさず、マーラの肌に手が伸びる。


「やっ、ちょっと、まっ……あはぁ〜ん!」


 その夜、ナミラの部屋では淫魔の交わりが休むことなく行われた。

 防音の結界の中では、絶えずマーラの喘ぎ声が流れ、絶頂の叫びが止んだのは空に朝の気配が広がった頃だった。


「ふぅ……こんなもんか」

「はひいぃぃぃ……」


 裸のナミラが一息ついている横で、マーラは息も絶え絶えに横たわっていた。

 アルーナの人格は最後の攻めを終えると「疲れた」と言って引っ込んでいた。


「で、どんな感じ?」

「ふぇ? えーっと……おぉぉぉ!」


 全身に巡る疲労感はたちまち消え、目に見えるほど凄まじい生気がマーラの隅々まで巡った。

 感じたことのない充足感と芳醇な生命力が満ち溢れる。自分は今やっと、サキュバスクイーンにふさわしい境地へ至ったのだとマーラは感激に震えていた。


「これだけあれば……これで、やっと……お姉さま、ナミラ様! 本当に、なんとお礼を言ったらいいか」

「いいって、そんなの。ほら、朝になる前に帰ったほうがいいんじゃない?」


 結界を解くと、外では小鳥がさえずり始めていた。

 マーラは来たときよりも生き生きとした表情で、窓際に立った。


「サキュバスクイーン、マーラ。重ねて、この御恩は一生忘れません。我らサキュバスは、ナミラ様へ永遠の忠誠を誓います。なにかあれば、なんなりと申し付けください。淫魔の名にかけて、あなたの端女として働き尽くします」


 深々とお辞儀をし、マーラは美しく微笑んだ。


「こらこら、そんなこと軽々言うとアルーナに怒られるぞ」

「いいえ、軽くなんてないです。前世で私を守り、一族を永く続いた絶望から救い出してくれたんですもの。サキュバスにとって、あなた以上の恩人はいません」


 マーラが窓を開け放つと、白く清らかな朝日が射し込んだ。


「またお会いしましょう。戦いから夜のお供まで、なんでも致しますわ」


 来たときよりも大きく立派になった翼を広げ、マーラは晴れ晴れとした笑顔で飛び去った。


 ナミラは窓辺に立ち、光が満ちていく空を見つめる。

 マーラの姿が小さくなり、やがて見えなくなった。


「ごめんなさい」


 魂に隠れていたアルーナが、我慢できずに呟いた。


 溢れたのは、激しい自責の念。

 後悔と怒り、悲しみと哀れみ。


 マーラの八〇〇年に渡る苦しみは、アルーナですら想像できない。まだ幼く、臆病だった彼女が死と隣合わせの世界を生き抜いた。頼れる者はおらず、仲間が次々に消えていく絶望。わけも分からぬまま分不相応のクイーンとなり、一族を率いていく重圧と葛藤。そんな希望のない時代の奔流をマーラが必死に生きてきた理由のひとつに、自分の存在が関係していた。


「私が……生きろなんて言わなければ」


 凶刃に貫かれながら、ただ健やかであれと願い、託した言葉。

 それがあの子を縛りつけた。

 クイーンの責任と絡み合い、苦しめる呪縛となってしまった。たとえマーラが責めずとも、死したのちに続いた変えられない現実が、魂を潰す罪悪感となって襲いかかる。

 マーラを守った自分の行動が正しかったのかさえ、分からなくなるほどに。


「でも……」


 消えそうなアルーナの呟きとは違い、力強く根を張った声。

 すべての前世が辿り着いた、百万一回目の転生者。ナミラ・タキメノの声だった。


「俺なら救える」


 前世で守った命が、その後の人生で苦しんでいる。

 ならば、来世である自分が救えばいい。

 降りかかる不幸から、この先に待つ絶望から、逃れられないと諦めるクソッタレな運命から。


 もう一度、守ってみせる。

 

 ナミラの決意を感じ取り、アルーナの人格は身を切るような心の痛みから解放された。そして、ゆっくりと眠るように魂の中へ戻っていった。


「それにしても、サキュバスだけじゃなく魔族を取り巻く状況は思ったよりも悲惨だな……待てよ……そうか、魔族か!」


 すべての謎が解決したわけではない。 

 しかし、頭の中で小さな歯車が噛み合い回り始めた感覚があった。


 夜はすっかり明け、昇った太陽が世界を明るく照らす。

 まるで、なにかを祝福するかのように。

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