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魂の継承者〜導く力は百万の前世〜  作者: 末野ユウ
第二部二章 思惑の乱立
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『今に繋がる夢』

「逃げろ! いいから逃げろ!」


 喉がひりつき、呼吸する度に肺が痛む。

 ネズミを蹴散らし虫を踏みながら走り続けて、熱い体から粘り気のある汗が流れている。


「おやびん! やだよ、おやびんもいっしょに行こうよ! この子のお父さんなんだよ? ねぇ、おやびん!」


 足下の女が、金切り声を上げる。

 腕に抱えた赤ん坊が、恐怖を感じて泣き出した。


(そうか、これは……)


 自由の効かない体と突然の逃亡劇に戸惑ったが、女を見下ろすナミラはすぐに状況を理解した。


 これはリッパーマンの記憶。 

 命を奪い続けた殺人鬼が、生涯で唯一人を救った出来事。

 下水道へ攻め込んだ左大将軍の小隊から妻子を逃した、死の直前の一幕。


「いいから行け馬鹿! 俺がその餓鬼ごと殺してやろうか!」


 ひっ、と息を飲んだ女は咄嗟に赤ん坊を庇った。

 母親としての愛情が起こした、反射的な行動だった。


「……初めて俺に反抗したじゃねぇか。そうやって、しっかり守ってみせろっ!」

「おやびん!」


 女はすがるように泣き叫ぶ。

 体は小さく、前歯が抜けたみすぼらしい姿の少女。親に捨てられ、リッパーマンと共に下水道で生きてきた。彼を『おやびん』と慕い、子を産み、ハナビと呼ばれたウルミの曾祖母である。


「あいつらを殺したらすぐに行く! だから■■■■■のとこまで急げ! あいつなら助けてくれる!」


 ……待て。

 今、俺はなんて言った?


「ぜったいだよ? ぜったいぜったいぜったいだよ!」

「あぁ、絶対だ! 邪魔をする奴らは、みんな俺が殺してやる……もし近くにいなくても、なんかあったら俺を呼べ。殺しに行ってやるからよ」

「わかった! この子といっしょに■■■■■のとこで待ってるから! ずっとずっと、おやびんのこと待ってるからね!」


 駄目だ、どうしても聞き取れない。

 自分の言葉もハナビの言葉も、酷いノイズに邪魔されてしまう。視界もその瞬間だけ歪み、口の動きを読むこともできない。


 リッパーマンは鼻をすするハナビと、泣き止んだ赤ん坊の頭を撫でた。

 そして二度と振り返らず、遠ざかる足音を聞き届けた。


「……売女と忌み子はその先か?」


 きらびやかな鎧を身に纏い、追いついた当時の左大将軍が剣を向ける。


「いい鎧と剣だなぁ、お前。髪もいい色だし、歯も全部あるな!」


 よだれを垂らしながら、リッパーはほくそ笑む。


「だから殺す」


 刃こぼれした古いナイフに舌を這わせ、小隊にゆっくりと近づく。

 傍ではひどい臭いの汚水がボコボコと泡立ち、共に戦うと言ってくれている。


「死ぬのは貴様だ、化け物め。巷ではお前を『リッパーマン』などと呼んでいるが、今日斬られるのは貴様である。己の存在を悔いるがよい」

「はははは! そりゃあいい! 初めての名前だ!」


 次の瞬間。

 リッパーマンは左大将軍に飛びかかった。


「お礼に殺してやるよおぉぉぉ!」


 下水道に、野太い声と戦いの音が響き渡る。



「……はっ!」


 ナミラはびっしょりと寝汗を掻き、ベッドから飛び起きた。

 静かな夜が窓の外に広がっている。 

 おもむろに体を見ると、先程まで大男であった体躯は少年のものになっており、全身には包帯が巻かれていた。


「夢か……でも」


 胸に残る居心地の悪さ。

 夢だと分かった今でも、頭にかかる疑念の靄が晴れることはなかった。


「前世で見聞きしたもの、経験や記憶はすべて引き継がれるはずだ。なのに……どうやっても思い出せない。リッパーマンの人格でも同じようだな」


 顎を指で触り、柔らかなシーツを見つめ、しばし考えを巡らせる。


「あのとき、リッパーマンたちは誰を頼ろうとした? あのとき、ハナビは赤ん坊を連れてどこへ行ったんだ?」


 口にしたはずの言葉も、過去の出来事も思い出せない。

 リッパーマンが知るあの()()()に関する情報が、得体のしれないものに邪魔されすくい上げることができない。


 月が薄い雲から抜け出したとき、ナミラはひとつの結論を口にした。


「現代に繋がる、重要ななにかがあるのは間違いない。それは、過去に干渉する能力を持っているか……それとも」


 ふと、窓の外に目をやった。


「今の俺とは比べ物にならない実力の差があるか、だな。最悪の場合は、その両方だけど」


 ナミラは深いため息をついた。


「ただでさえ疲れてるってのに、勘弁してほしいぜ」


 仰向けに倒れ、天井を見上げる。

 幾何学模様の細やかな絵が、自分の快気を祈っている。まだ見慣れぬ装飾だが、ここは王都にあるタキメノ家の、自分の部屋にほかならない。

 ナミラは目を閉じ、ウルミとの戦いから今日までの出来事を思い返した。

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