『いるはずのない魔獣』
ナミラが森に入った二十分ほど前。
ダンとデルは、日が傾いた薄暗い獣道を歩いていた。
「ダンちゃーん、もう帰ろうよ~」
デルはすでに涙目で、ダンの服を離さなかった。
「ばか! ここまで来たら、なにがなんでも魔獣を見つけるんだよ!」
ダンは太い木の棒で生い繁る草木を薙ぎ払いながら、デルなどお構いなしに進み続けている。
「そんなこと言っても、この森には魔獣なんていないじゃんかぁ」
「ばか! ナミラのやつがぶつぶつ言ってただろ! 森に魔獣とか、爪と牙が強力とか。あいつ動物と話すへんなやつだから、おとなも知らない魔獣のすみかを知ってるんだ。そしてきっと、それがあいつの弱点なんだぜ。ぜったいに見つけて、たおして、それでぶきを作ってやる!」
ダンは鼻息荒く言うと、デルの手を掴んで逃げられないようにした。
「いくぞ、ばか! ぐずぐずするな!」
「ばかばか言わないでよぉ」
二人は木々の間から差し込む月明かりを頼りに、なおも道なき道を進もうとした。
「ダン! デル!」
突然背後から名前を呼ばれ、二人は驚いて飛び上がった。
「うひゃあ! ごごご、ごめんなさいぃ」
「なんだ。アニかよ」
振り返ったダンは声の主を見て、ため息をついた。
アニは二人を睨みながら、さらに大きなため息を返した。
「なんだじゃないわよ。あんたたちが森に入るのが見えたから、慌てて追いかけてきたんじゃない。こんな時間になにしてるわけ? さっさと帰らないと、また怒られるよ?」
アニは腕を組み、まるで説教をする母親のように言った。
「うるさい。帰りたかったら、デルと二人で帰れ。おれは、魔獣を見つけるまで帰らない」
目を合わそうともせず、ダンは森の奥へ視線をやった。
「なに言ってんの! この森に魔獣はいないし、もしいたとしても、あんたになにができるのよ! ナミラじゃないんだから」
アニの言葉にダンは悔しさで歯を食いしばる。
「いいか! おれはナミラの」
振り返り反論しようとしたとき、周囲の鳥たちが一斉に飛び立った。
小動物たちも一目散に走りだし、必死になにかから逃げている。
「な、なに?」
三人は、動物たちが走ってきた方向を見つめた。
「きっと魔獣だ!」
恐怖を感じていたアニとデルだったが、ダンだけは目を輝かせてその方向へ走り出した。
「あ、ちょっとダン!」
「ま、まってよぉ」
二人も慌ててあとを追いかけ、茂みの中を進んだ。
「くそ、暗くてよく見えないな」
「ちょっと待ってて」
アニは軽い深呼吸のあと、手のひらに魔力を集中させ呪文を唱えた。
「『光よ、我が道を照らせ 光生』」
すると、アニの前に拳ほどの光の玉が現れ、三人を優しく照らした。
「す、すごい。アニ、魔法使えるの?」
デルは魔法と久しぶりの光に感動した。
「まだ基礎魔法しかできないけどね。ナミラに教わったの。あんたたちも見栄張ってないで、素直に教えてもらったら?」
「ふんっ!」
ダンは鼻を鳴らし、再び藪の向こうを覗き込んだ。
デルとアニも好奇心に勝てず、ダンに続いた。
「……なに、あれ」
アニは思わず息を飲んだ。
立ち並ぶ木々の間に、オオカミたちの姿が見える。
しかし、そのどれもが息絶えており、躯は貪られていた。
オオカミの血で口を濡らす魔獣を、三人は初めて見た。
一角獣のような角を生やし、体躯はオオカミよりも大きい。闇に溶け込む濃紺の毛は、針のように尖り怪しくなびいている。
二十体ほどの紅い眼光が、闇の中を不気味に蠢いていた。
「はははっ! すげぇ、ほんとうにいたんだ!」
目の前の惨状は二の次で、魔獣の存在にダンは興奮した。
「どうする気? オオカミたちも敵わないのよ?」
「い、一体くらいなら、おれだって」
いざとなると震えだした体を見つめながら、ダンは戦うつもりだった。
「ばか! 相手になるわけないでしょ! それに、どうやって一体だけにするのよ!」
「そ、それは今から考えるんだよ!」
「遅いわよ! はやく逃げなきゃ。このことを、村の大人に伝えるのよ!」
「お前とデルで逃げろよ! おれは残る」
「ホントにばかなのあんた!」
「ぼく吐きそう……」
ダンとアニは小声で言い合いを始めた。
一方で、目の前の惨状に吐き気を催し、少しだけ出してしまおうと後ろを向いたデル。
それは偶然だった。
デルは、背後に忍び寄っていた一体のガルゥと視線を合わせてしまった。
「ぎゃあああああ!」
デルの裏返った悲鳴が、夜の森にこだまする。
それと同時にガルゥが襲いかかった。
「えい!」
「ギャン!」
鼻先に向かってアニが腰に下げていた小袋を投げつけると、ガルゥは身をよじって苦しんだ。
「走って!」
アニはすぐさま駆け出し、ダンもデルの手を取って走り出した。
「おい、なんだ今の」
「獣除けのリンガ草の粉末! 森に入るなら持っとけって言われてるでしょ! まさかあんたたち」
「……持ってきてない」
「ばかー!」
逃げ惑う三人を、ガルゥの群れが血生臭い息を吐きながら追いかける。
木々の間を潜り抜け、足の速い若い個体がダンに飛びついた。
「うわぁ!」
「はあ!」
アニが再び袋を投げつけたおかげで難を逃れたが、ダンの顔から血の気が引いた。
「あと五つしかない! とにかく逃げるよ!」
「お、おう!」
「死にたくないよ~!」
三人はあてもなく、ただひたすらに森の中を逃げ回った。
何度か襲われそうな場面もあったが、その度にアニの袋でしのいだ。
それを見ていたボスの個体が指示を出し、袋と体力が尽きるまで泳がせていたことなど、三人は知る由もなかった。




