『下水の王』
先に動いたのはウルミ。
足音を立てぬ暗殺の歩法で闇を駆け、リッパーマンの足下にズルリと滑り込む。流れるような動きで剣を斬り上げ、左足の切断を決行する。
しかし、剣が上がらない。
即座に刃の横腹を踏みつけていたリッパーマンが、ニヤリと笑った。そして竜心を力任せに振り下ろすが、武器を捨てたウルミに躱されてしまう。
だが逃がすまいと、すかさず追いかける。
すると、ウルミは攻撃を避けながら足技を繰り出した。靴のつま先から鋭い刃が飛び出し、手元のナイフと合わせて四刀がリッパーマンを襲う。目にも止まらぬ連撃に、みるみるうちに裂傷や刺し傷が増えていく。
「げははははっ!」
しかし、耳障りな笑い声を上げながら、リッパーマンは臆することなく攻め続ける。
ウルミが見る限り、痛みを感じていないわけではない。
だが、楽しんでいる。
攻撃を食らう度に血と共に笑みがこぼれ、致命傷となる一撃は体に刺さったままのナイフで防ぐ異常性を見せていた。
「このっ! 怪物めぇ!」
不快感を顔に出し、ウルミが後ろに跳んだ。
空中で体を回転させ、スカートの内側に仕込んだ大量のナイフや暗器を放った。
「ぐうううううん!」
降り注ぐ死の雨に対し、リッパーマンは傍らに立っていた女神シュワ像を片手で持ち上げ、放り投げた。
女神像は回転がかけられており、不敬な男を傘のように守った。けれどもすべて凌ぐことはできず、一部の暗器が体に追加され、粉々になった女神像が降り注いだ。
「げははっ」
それでも、リッパーマンは笑う。
「きゃあ!」
初めてこだまするウルミの悲鳴。
その巨体とダメージからは想像できないスピードで突っ込んだリッパーマン。振るった刃がやっと闇猫を捉え、衝撃で吹き飛ばした。起き上がったウルミはメイド服が敗れ、胸があらわになっていた。
「げははは、おっぱい」
「下衆が!」
胸を抑えながら、汚物を見る目で先祖を睨みつける。
女としての羞恥心など、暗殺者になると決めた日に捨てた。しかし、この男の前では反射的に手が動き、肌を晒すことを拒んだ。深い侮蔑と憎悪が、ウルミの中で渦巻く。同時に、数々の死線を潜り抜けてきた暗殺者としての本能が、リッパーマンの危険性を告げている。
ナミラとしての戦いのほうが、武芸者として圧倒的に優れていた。
なるべく無傷での勝利。
周りの被害も最小限に。
持てる力のすべてを使い、あらゆる勝利の形から最適解を選び取る戦い方だった。
対して今は、さっきまでとは比べ物にもならないお粗末で乱暴な戦い方。
剣はただ振るだけで、構えも技もあったもんじゃない。
しかし、恐ろしい。
死にかけの体から大量の血が流れても、ダメージを受けてもひるまない。次の行動が読めず、めちゃくちゃな動きのくせに油断できない威力を秘めている。
自らの傷や命でさえも顧みず、ただひたすら相手を殺すために突き進む。
技も武器も関係ない、純粋な殺意の体現者。
それが彼女の忌むべき先祖、リッパーマン。
「隠すなよ。げは、げははは」
「……見たければ好きなだけ見るといい」
耐えがたい屈辱を押さえつけ、ウルミは胸から手を離した。
「ただし、代わりにお前の命を頂くぞ!」
眼光鋭く叫んだウルミ。
メイド服が引き裂かれ、布切れとなり風に舞う。
黒いタイツとガーターベルトのみが、白い肌を覆うものとなった。欲に忠実な者ならば、その姿に目を奪われるが、リッパーマンの視線は周りを漂う帯が放つ鋼の光に向けられていた。
「あぁ、それ腹に巻いてたのか。だから、ナミラの咆哮弾も平気だったのか」
「そう。ヒタイトコレクションの中でも、限られた者にしか使うことができない傑作。名を与えられし『銘具』と呼ばれるもののひとつよ」
蛇のようにうねり、鞭のようにしなり、触手のように自由な刃。
握られた黒い柄から伸びるその剣は、他の暗殺具とは一線を画していた。
「魅猫冥剣! 私にこの剣を抜かせて、生きて帰った者はいない!」
裸の女が持つ、唯一無二の異形の剣。
対するは、体中にナイフを刺した血まみれの大男。
荒れた庭園が、さらに異様な雰囲気に包まれた。
「げははは、かっこいい」
リッパーマンは素直な誉め言葉を述べたつもりだったが、子孫の逆鱗に触れてしまった。
「死ねぇ!」
突如、空から月と星が消え去った。
否。二メートルを超えるリッパーマンの周囲を、高速で動く最長の剣が覆っていた。威嚇する猫の声に似た、風切り音が鼓膜を揺らす。
「殺猫冥風刃!」
石畳が抉れ、触れた葉は跡形もなく消し飛んだ。
捉えらえない殺意の刃が、標的を跡形もなく葬ろうとしていた。
「ふ〜んふ〜んふんふんふんふ〜ん」
風切り音の向こう、剣撃の球の中から不気味な歌が聞こえる。
ウルミは震え、涙を浮かべた。
動体視力に優れた彼女は、常人なら剣に阻まれるリッパーマンの様子を視認することができる。だからこそ、恐怖は何倍にも膨れ上がった。
なぜ生きている。
なぜ歌える。
なぜこの奥義の中を歩いて来れる!
ゆらりゆらりと近づく男。
響き続ける聞き慣れた子守唄。
刃の隙間から凝視していた女は瞬きすらも忘れていた。
だからこそ、訪れた不幸。
かつて、王都で絶対の禁忌とされていた行為。
殺人鬼リッパーマンと、目を合わせてしまった。
「うわあああああああああああああああああっ!」
体の底から湧き起こる恐怖を叫び、悲鳴と共に愛剣に力を込める。
暗殺者として幼い頃から裏の世界で生き、闇猫と恐れられたウルミにとって生まれて初めて感じる死の恐怖だった。
「捕まえた」
必死の抵抗も虚しく、分厚い手のひらが首に触れる。
そのまま持ち上げられたウルミは、剣を操り反撃を試みた。
「ぎゃっ!」
しかし、柄を持つ右手首を握り潰され唯一残った武器を落としてしまった。
「な……なん、で……当たらな……」
「俺、ギフトホルダー。下水を使って、お前の攻撃を逸らした」
リッパーマンはギフト【下水王】を与えられていた。
能力は下水を自由に操れるという、あまり強いとは言えないもの。しかし、下水道で生まれ育った彼にとっては、これ以上ない力となった。今も操った下水を刀身に纏わせ、軌道を逸らすという芸当をこなしたのだった。
「下、水、なんて……どこ、に」
疑問を口にしたウルミだったが、すぐに答えが目に入る。
リッパーマン越しに見えた、いつの間にか地下の下水道に届く深い穴。それは、ウルミの死角で放たれた竜心が穿った穴だった。
「あの刀、すげぇ斬れ味なんだぜぇ? ちょっと力を込めて投げただけで、深いところまで刺さってくれたんだ。そんで、ギフト使ったってわけだ。どうだ? ご先祖様はすごいだろ?」
笑いながらも、リッパーマンは首を掴む力を緩めない。
「ナミラ……坊……ちゃま」
ウルミが苦悶の声で、ナミラを呼んだ。
「声は……届くの、でしょう? お願い、です。せめて、あなたの手で。この男は……この男に殺されるのだけは……」
暗殺者闇猫の目に、涙がこぼれる。
「……どうして、そんなにリッパーマンを嫌う?」
力は緩まず、姿も変わらない。
しかし、声だけはナミラのものに戻り、言葉を交わした。
「私の、曾祖母は、読み書きもできない孤児でした……ある日、この男に犯され、祖母を身籠り、たった一人で生きました。若くして、死にましたが、幼い祖母を守るため、ある契約をしました」
「契約?」
リッパーマンの表情が曇る。
「詳しい、経緯は、知りません……契約の内容は、祖母の代から末代まで、六十年の寿命が約束される。しかし……悪しき殺人鬼の血を媒介にして一週間に最低一人、人を殺さないといけない制約付きの呪いが、かけられていたんです」
風も吹かない静寂が、闇と共に二人を包む。
「祖母は、母を育てるため、物盗りをしながら人を殺しました。しかし、決して強くはなかった祖母は、男たちに捕まり、辱めを受け続け、晩年は肥溜めに捨てられました。母は、祖母がなんとか逃がしてくれましたが、呪いのせいで真っ当な道を歩めず、暗殺者になりました」
物言わぬ月が、悔しさに染まったウルミを照らし出した。
「私は……生まれたときから、暗殺者として、育てられました。この道が、最も生きやすい道だったから。でも……私は他の生き方をしてみたかった。人を愛して、血の匂いがしない家で、美味しい食事を囲んで、笑い合える家族を持ってみたかった」
涙が止まらなくなり、ウルミは締め上げられた喉で嗚咽を漏らした。
「だから、この男を私は許せないんです。この男の血のせいで、私たちは、こんな目に」
「そうか……」
悲し気な声が男から漏れた。
しかしそれはナミラのものなのか、リッパーマンのものなのか、ウルミには分からなかった。
「タキメノのご家族は、私にとって、理想の家族でした。だから、見ていて辛かった……ごめんなさい、坊ちゃま。本当に、ごめんなさい」
「もういい」
ナミラの声が、震える謝罪を止めた。
「俺から言える言葉は、一つだけだよ」
一呼吸のあと、鋭い視線がウルミに向けられた。
「斬り裂け、リッパーマン!」
その瞬間、闇猫の戦意は消失し悔いと絶望の表情を浮かべた。
ナミラの意識がリッパーマンへ移ると、ぶら下がっていた足も掴み空高く投げ飛ばした。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
大気を揺らす雄叫びが響き渡る。
悲しみと怒りが混在する、魂の叫びだった。




