『母の祈り』
食事を楽しみながら、ナミラはこの日あったことを母に話して聞かせた。
「今日もナミくんが楽しそうでよかったわぁ……お父さんも、きっと喜んでる」
棚の上に飾られた父の肖像画を見つめて、ファラは思わず瞳を潤ませる。
「いや、死んでないからね。お父さん」
ナミラがすかさずツッコんだ。
「だってだってぇ! もう二年も会えてないんだもん! お母さん寂しいよぉ!」
ファラは席を立つと、肖像画を抱きしめて泣き叫んだ。
母と比べて、ナミラは父の記憶があまりない。
北の砦に常駐する兵士として働く父のシュウ・タキメノは、数年に一度しか家には帰ってこなかった。それも決まった周期というわけではなく、付近の状況や上の命令でころころ変わる。一番新しい記憶は二年前で、二か月一緒に過ごしただけだった。
でも、ナミラは命がけで働く父のことを、母と同じくらい愛している。
兵士の前世はまだないが、家族を愛し、命がけで戦うシュウを心から尊敬していた。
「なにかあったら怖いし、毎日心配なんだよぉ」
「大丈夫だよ。帝国との戦闘はもう何十年もないんだから」
「お母さんは、このモヤモヤをお料理にぶつけるしかないんだよ? 体の火照りはどうしたらいいの?」
「子どもにそういうこと言わないでくんない?」
なんとか母を落ち着かせたナミラは、食事を再開しようとパンに手を伸ばした。
そのとき玄関の扉が強く叩かれ、思わず手を止めた。
見ると、すでに暗くなった窓の外に無数の松明の光が見え、慌ただしい大人の声がする。
「はぁ~い」
ナミラは何事かと身構えていたのだが、ファラは呑気な声で扉を開けた。
「ファラさん! ナミラはいるかい?」
扉の前には、ダンの母親が逼迫した表情で立っていた。
「いますけど」
ファラが答えるより前に、ナミラは進み出た。
「あぁ、よかった。あんたは無事なんだね」
「なにかあったんですか?」
いつもは肝っ玉母さんとしてダンを叱り豪快な笑顔が印象的だったが、今は明らかに様子がおかしい。
「うちの子知らないかい? デルもまだ家に帰ってないんだよ」
ナミラとファラは目を丸くした。
「い、いえ。昼過ぎに会いましたけど、おばさんの手伝いに行ったんじゃ?」
「またすぐにどっか行っちまったんだよ。あたしがちゃんと見てれば、こんなことには」
自分を責めるダンの母の背を、ファラが優しく撫でた。
「すまないね。今村中の大人で探してるんだ。よかったら、あんたたちも」
「ナミラはいるか!」
暗闇の中から怒鳴り声が聞こえたかと思うと、アニの父親が鬼の形相で攻め寄り、ナミラの胸ぐらを掴んだ。
「アニはどこだ! お前のこと見送ったんだろうが! それから帰ってきてねぇんだよ!」
「え、アニが? 家に帰ったんじゃ……」
ナミラは驚き、言葉を失った。
「アニちゃんもかい? うちの子とデルもなんだよ!」
「た、大変だよ。ナミくん!」
「ナミラも知らねぇのか……どこだ、アニ……」
慌て嘆く大人たちの間で、ナミラは今日の三人のことを必死で考えていた。
(なにか変わった様子はなかったか。ダンとデルはともかく、なんでアニまで?)
ナミラは、アニが別れ際に自分の背後を見ていたことを思い出した。
(あのとき、アニは森の方を見ていた。もしかして、二人が森に入るのを見たのか? だとしても、ダンたちはどうして森なんかに……)
「とにかく、わたしも手伝います!」
「そうしておくれ」
「おい、ナミラ。お前も手伝え! お前ならその辺の若衆より役に立つ」
大人たちが捜索に向かう背後で、ナミラの脳裏に嫌な考えが浮かんだ。
「まさか、あいつら!」
ナミラは家を飛び出すと、黒い影の森に向かって叫んだ。
「だれか! 子どもたちを知らないか! 知ってるやつは教えてくれ!」
その声には普段よりも強い魔力が宿り、前世を得ている森の生物すべてに伝わった。
すると、森から多くの鳥が羽ばたき、小動物や虫たちがナミラの元に集まった。
「な、なんじゃこりゃ!」
腰を抜かす大人たちをよそに、ナミラは動物たちと話をした。
「見た見た! オスの子二人! 森の奥に入った!」
リスが飛び跳ねて言った。
「見たよ、アニのこと。二人を追いかけて行った」
山鳩が肩に止まって教えてくれた。
「三人危ない。ガルゥに追われている」
「なに?」
フクロウの言葉に、ナミラの背筋が凍る。
ガルゥは、群れを成す凶暴な魔獣。
旅の吟遊詩人ジョニーが重傷を負った記憶があったため、その恐ろしさは嫌というほど知っている。
だが、比較的魔素の濃い場所を住処としているため、村周辺の森には生息していないはずだった。思わぬ危機の到来に、ナミラは顔を強張らせた。
「どうして、ガルゥが……いや、そんなことよりアニたちが危ない!」
「おい、危ないってどういうことだ!」
アニの父親が思わず声を上げた。
「三人は森にいて、魔獣に追われているんです! 戦える人を、できるだけたくさん連れて来てください!」
ナミラは立てかけてあった薪割り用の斧を手に取ると、動物たちと共に森へ駆け出した。
「ナミく~ん、気をつけてねぇ」
切迫していたナミラだったが、いつもと変わらない母の声援を受けてくすりと笑い、緊張の和らぎを感じた。
「俺の群れもやられた。やつらの臭いは完璧に追える! 乗れナミラ!」
森の中で待機していたオオカミの背に乗り、ナミラはアニたちの元へ急いだ。
「ファラさん、あんたね……」
「ナミくんなら、大丈夫です」
周りに呆れられながら、ファラは闇に消えた息子に向かって祈りを捧げた。