『あなたのためなら』【第一部完】
ここは冥界。
死した魂がたどり着く場所。
そして、美しき女神シュワが治める世界。荘厳な静寂と秩序が満ちる、転生の場。
「あっ……ガア……かっ、ハッあが!」
だが、今は違う。
死の苦しみに抗う声が響いている。
その声を発するは女神シュワ。
神としての尊厳もなにもかも捨て、よだれを垂らし涙を流しながら、所狭しとのたうち回っていた。
「あ……ああああ……あああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
瞳孔が開き、全身が痙攣している。
気が触れるギリギリを保つシュワの姿は、レイジの魂を導いたときと同一人物とは思えない。
「あ、アト……ひと……つ」
視点の定まらない目で、女神シュワは自分の手を見つめる。
この苦しみは、ナミラが世に生を受けてから始まった。
ギフト【前世】は、世界の歴史や理すらも変える恐れがある力。ナミラには行使する者としての責任が伴うが、授けた女神にも背負うものがあった。
禁忌を犯した女神シュワへ、世界からの罰。
ナミラの魂に刻まれたすべての前世。
百万回の『死』を、疑似体験しなければならなかった。
戦いの果てに力尽きた者、凶刃に倒れた者、圧死、溺死、焼死、斬首、飢えなど、死因は多岐に渡る。虫や魚などでは捕食される激痛と恐怖が襲い、罰は今まで休むことなく続いていた。
そして、ついに残るはあと一つ。
ナミラの魂が形作った、最初の命。
シュワは、この死を待っていた。
「あぁっ!」
一瞬で終わる絶命の瞬間。
存在すべてを消し去る感覚が駆け抜け、シュワは意識を失いかけた。
「は……あぁ……こ、これ……が……」
にもかかわらず、恍惚の表情が浮かぶ。
彼女はこの死を受けるためなら、他の死などどうでもよかった。
彼女はこの死を受けられた今、心からの幸せを感じていた。
冥界の女神シュワは、狂っていた。
「あ……あ……」
力の入らぬ手を、なんとか振った。
手を貸す者などいない。
女神以外には、死した魂しか存在しないのだ。
目の前に、現世の様子が映る。
戦いを終えたナミラが、胴上げをされているところだった。
女神が愛おしい視線を送る。
これほどの禁忌を犯したのも、断末魔の拷問に耐えたのも、すべてはあの魂のため。狂おしいほど愛している、あの人のため。
「……あなたの、ためなら……わたくしは……」
消え入りそうな細い声が、目の前の現世に向けられる。
「……アイン、さま……」
愛の言霊を呟き、女神はしばしの眠りについた。
目が覚めた頃には伝説の美しさを取り戻し、また魂を導き始めるだろう。
すべては愛する人のために。




