『テーベ村防衛戦 竜討伐者《ドラゴン・スレイヤー》
声が聴こえる。
優しく穏やかな声が、子守唄を歌っている。
「ぼうやは良い子可愛い子 元気がいっぱい風の子 みんなが集まる大地の子 遥かに広がる海の子 あったか温もるほむらの子 幸せ運ぶ光の子 ぼうやは良い子可愛い子……」
まるで母親に抱かれて眠る幼子の心地。
新たに蘇った、遠い遠い前世の記憶。
「ぼうや。私が、ずっとずうっと守ってあげるからね」
歌い終わった声が、大きな愛を囁いた。
「ユグドラ。私の愛しい子」
ナミラは目を開け、声の主と見つめ合った。
それは紛れもなく闘気の光。
ナミラの命を奪おうとした、斬竜天衝波。
しかし今は。
優しい目をした竜の姿で、ナミラを包みこんでいる。
竜牙剣の力に触れた瞬間、前世が蘇った。その記憶が懐かしさを呼び、溢れた愛おしさに涙が流れた。
「母さん」
呟くと、光の竜は微笑んだ。
慈愛に満ちた、我が子に向ける微笑みだった。
「母さんは他の竜族よりも上位の古代竜でありながら、人間の捨て子だった俺を育ててくれた」
霧深い山の奥。
もう存在しない故郷で寄り添う、巨大な母の姿が目に浮かんだ。
「俺が十八になったとき。山を切り拓こうと、兵士がやって来るようになった。俺は、母さんと一緒に戦うつもりだった。母さんさえいれば、それでよかった。なのに、なのに……」
光の竜は、黙って耳を傾ける。
ナミラの口から、想いが溢れ出す。
「母さんは、俺が人の世で生きることを望んだ。そして……わざと兵士を襲って、俺に自分を倒させた。俺が竜討伐者として、生きていきやすいように。そんなこと、俺は望んじゃいなかったのに!」
竜の瞳が、悲しげに曇った。
「……でも、そのおかげで俺は英雄として生きることができた。最期は邪竜と相討ちになって死んだけど、俺の人生は母さんのおかげで幸せだった」
涙を拭い、誇りを以て胸を張る。
「ありがとう、愛してる。それが、死ぬときまでずっと言いたかった」
真似衣の魔法を使わずに、いつの間にかナミラは、竜の息子ユグドラの姿になっていた。
二度と訪れないはずの、親子の再会。
ナミラはここでやっと、この奇跡が精神世界で起こっているのだと理解した。
「……私のほうこそ、あなたを何よりも愛しています。それは肉体が滅び、牙に宿した魂と化した今でも変わりません」
星の瞬きのような涙を流し、竜は囁いた。
「まさか、もう一度あなたと話ができようとは。嬉しい……本当に嬉しいのだけれど、私はあなたに謝らなければ」
俯く母に、ユグドラは首を振った。
「母さんは悪くない。母さんは死んでもなお、俺の力になろうとしてくれた。俺の作った斬竜団さえも、ずっと守り抜こうとしてくれたんだろ? そりゃあ二〇〇〇年前は、冒険者ギルドの先駆けみたいな存在だった。でも、永い時の中で変わっちまった。それは後任が悪いだけで、母さんに責任はないさ」
「ですが、この剣を巡って争いも起きました。私が、斬竜団を継ぐものにしか力を貸さなかったから。そのせいで、正しき者が命を落とすこともありました」
「……それなら」
ユグドラは微笑みを浮かべて、そっと手を伸ばした。
まるで、年老いた母を気遣うように。
「俺たちで終わりにしよう。この時代の俺は斬竜団を継いではいないけど、力を貸してくれるかい?」
竜は笑い、その体を眩く輝かせた。
「当たり前でしょう。たとえ魂の隅にでも、あなたがいるのなら。この力は我が息子の来世、ナミラ・タキメノのために!」
竜の頭が手に触れた瞬間。
ナミラの意識は現実へと戻っていった。
「ナミラー!」
「ギャハハハハハ! ざまあみ……ロ?」
悲鳴とヴェインの高笑いが響いていた。
絶対の必殺技がナミラを飲み込み、そのまま村人すべてを喰らい尽くす。その快楽に酔いしれ、残った肉塊を貪ればオークとしての空腹は満たされる。ヴェインは来る満足感を想像し、笑いが止まらなかった。
しかし、様子がおかしい。
放った技が渦巻き天に昇り、斬撃としての役割を放棄した。ダンが斬り裂いたときのように力が分散するわけでもなく、周囲に一切の被害も出さない。
そして、渦の中心に。
桁違いの闘気を身に纏うナミラの姿があった。
「な、なんだてめェ!」
状況が理解できず、ヴェインは悲鳴に似た叫びを上げた。
斬竜天衝波は代々受け継がれてきた最強の技。そして、クォーター・オークである自分は人間離れした力を持っている。伝説の初代にも引けを取らないと、歴代最強を自負していた。
なのに、その根拠が唐突に崩されていく。
「仕方ねぇ。特別に見せてやるよ、クソ後輩!」
暴虐の限りを尽くしてきたヴェインに、生まれてはじめての鳥肌が立った。
ナミラの声には違いない。なのに、百戦錬磨の重みと、獲物を見据える強者の風格が備わっていた。ヴェインはなにがなんなのか、ただ狼狽えた。
しかしその光景に、アニたちは見覚えがあった。
真似衣の魔法を唱え、ナミラは姿を変える。
現れたのは、鍛え抜かれた肉体の中年男性。立ち姿から滲み出る生物としての格の違いが、唯我独尊の強さを物語っていた。
「俺の名はユグドラ・スレイヤー! 古き竜を討った、斬竜団初代頭領様だぁ!!」
見栄を切ったドヤ顔さえも、見る者を圧倒する迫力があった。
同時に、纏っていた闘気が竜の翼に変化し、ヴェインにさらなる恐怖を与えた。
「ナミラ……使え。剣ボロボロじゃねぇか」
「ちょっと、なんで動けるの」
足元で声が聞こえ目をやると、満身創痍のダンがゴーシュにもらった短剣を差出していた。
傍らでは、心配したデルとアニが闘気の奔流に必死で耐えていた。
「おう、ありがとうよ……お前みたいな男が頭領だったらよかったのにな」
「俺様は……だんちょう、だからな」
「いいから! もう喋っちゃだめだから!」
「こっち来なさい!」
呆れた二人に、ダンは力任せに引きずられて行った。
「いい子たちですね」
「……あぁ」
頭に聞こえた声に、穏やかな瞳で呟いた。
そして、ヴェインには別人のように鋭い視線を向ける
「竜牙剣は、もうお前に力を与えねぇ。俺が初代として引導を渡してやる」
「意味分からねぇこと言ってんじゃネェ!」
二人は睨み合い、同じ構えを取った。
「斬竜天衝波ァ!」
一瞬速く、ヴェインが技を放った。
しかし、不敵な笑みがそれを迎え撃つ。
「真・斬竜天衝波!」
放たれたそれは斬撃ではなく。
神々しくも恐ろしい、怒れる竜の姿をしていた。
「グオオオオオオ!」
竜牙剣から生じた斬撃は、光の竜へと襲いかかる。
しかし、刀身から溢れる力は竜へ取り込まれ、さらに大きさと力を増長した。抵抗するのはヴェインの闘気のみとなったが、まるで次元の違う強さに意味を成さなかった。
「終わりだあぁぁぁぁぁ!」
聞こえる言葉は人間のもの。
しかしその声を発するは、竜に育てられながら竜を斬った歴史上唯一の男。
その雄叫びは、死の現実を受け入れなかったヴェインの心をへし折った。
「腹……へっ……タ」
誰にも聞こえぬ声のみを残し、ヴェインはこの世から消え去った。
斬竜団。
かつて多くの人々を救った、正義の義勇団。
悪しき盗賊にまで堕ちたその永き歴史は、初代の手によって終止符が打たれた。




